【青森県新郷村にあるキリストの墓を24年ぶりに再訪】

青森県八戸でのワーケーション中、週末は青森県内のスポットをいくつか回ってきました。まずは、最初に訪問したキリストの里伝承館(キリストの墓)を紹介。

所在地は青森県三戸郡新郷村で、B級スポットとしても知られている場所になります。2000年5月に訪れたことがあり、今回が24年ぶりの再訪。前回の訪問記は、当サイト本館に載せています。

しかし古い旅行記は写真が少ないですねえ。

ここは路線バスでも行けないことはないんですが、他の観光地(十和田湖と奥入瀬)も見たかったので、前回と同様に八戸からレンタカーを使用しました。


まずは本八戸駅から八戸線の列車で八戸駅へ移動。ここは新幹線の駅なので本八戸駅よりもずっと規模が大きいんですが、周辺はコンビニがあるくらいで特に賑わってはいません。八戸市の中心部はあくまで本八戸駅周辺みたいで、新幹線が開通したからといって大きく開発されることはなかったようです。

八戸駅前でレンタカーを借り、目的地の新郷村方面へ。距離は約30kmで、40分ほどで到着しました。駐車場もちゃんと整備されています。

新郷村にとって重要な観光資源らしく、案内表示もきれいです。

キリストの墓とキリストの里伝承館の他、周辺が公園として整備されています。

では、遊歩道を歩いてキリストの墓へ。

24年前もここを歩いたんでしょうけど、まったく憶えていません。

遊歩道を抜けると、開けた場所に着きました。ここがイベント広場で、あの建物がキリストの里伝承館。建物自体は24年前と変わっていません。

前回の訪問記にも記載しましたが、ここで新郷村キリスト伝説について簡単に説明しておくと、昭和初期に(今で言うところの)陰謀論者が「ここがキリストの墓だ」と断定したのが始まり。もともとこの地方にそういう言い伝えがあったわけではないため、つまり伝説ではなく湧説になります。

その陰謀論者とはオカルト界で有名な竹内巨麿という人で、この竹内家が所有していたとされる「竹内文献」がなかなかぶっ飛んでいます。そこに含まれている「キリストの遺言書」から明らかになったとされているのが以下の内容。

キリストは22歳のときに行方不明になり、33歳のときに忽然と現れて教えを説いたのだが、この11年間の行動は聖書にもまったく記されていない。実は、このときキリストは日本へ来ていて、越中の国にいた尊き方の弟子になって修行を重ねていた。そして11年間の修行を終えたキリストは日本を去ってユダヤに帰国し、周囲の人々に日本の尊さを語りつづけたという。

しかし、キリストの教えは当時のユダヤ教には受け入れられず、捕らえられて磔刑に処せられることになったのだが、実は磔になったのは弟のイスキリであった。生き延びたキリストは、4年間シベリアを放浪した後、アラスカから船に乗り、現在の八戸に上陸。

再来日したキリストは名前を「十来太郎大天空」と改め、ミユ子という女性と結婚して106歳まで生き、この地に没した。

まあ、この内容をそのまま信じる人はおそらくいないでしょうけど、陰謀論と認識した上で楽しむ分には問題ないと思います。

まずは広場周辺を散策。この石碑は見た記憶がありませんが、刻まれているのは「はやてきて日毎高まる知名度にロマン広がるキリストの墓」。内容から考えると、東北新幹線が八戸まで延伸した2002年以降に作られたものでしょう。

では、坂道を上がってキリストの墓へ。

小高くなったところに十字架がふたつ建っています。手前にあるのがキリストの弟とされるイスキリの墓。

しかし弟の墓が一緒にあるところが不思議。ここにはイスキリの耳が葬られているそうですが、キリストが持ち歩いていたんでしょうか。

奥にあるのがキリストの墓。賽銭箱が置いてあるところが日本的。

キリストの墓とイスキリの墓のツーショット。24年ぶりの対面でしたが、墓の様子は前回と特に変わっていませんでした。

ただ、2つの墓の間にこういうプレートが。「この石はイスラエル国、エルサレム市と新郷の友好の証としてエルサレム市より寄贈されたものである」と刻まれていて、駐日イスラエル大使の名前がありました。

イスラエル側としても本当にキリストの墓がここにあるとは思っていないでしょうけど、友好のネタに使うのは問題ないというところでしょうか。

こちらはキリストの墓を代々守ってきたとされている沢口家の墓。家紋が五芒星みたいな形なのは、ダビデの星をそのまま使うのは恐れ多いということで頂点をひとつ減らしたためだそう。

階段を下りると、こういう案内板がありました。

新郷村キリスト伝説の概要が書かれています。

こういうものもありました。ここが新郷村にとって観光資源になっていることがわかります。

ナニャドヤラというのは、この地方に伝わっている盆踊り歌のこと。これもキリスト伝説の根拠のひとつになっていて、この歌の歌詞「ナニャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は日本語では意味不明なんですが、ヘブライ語で聞くと神を称える内容になっているとされています。

こちらの案内書きには、昭和初期に竹内巨麿によって持ち込まれた湧説であることが書かれています(ここでは「武内」となっていますが、正しくは「竹内」)。

では、続いてキリストの里伝承館へ。

その前に、こういうオブジェがあったので中に入ってみます。このピラミッドは「the holy golden proportion」だそうで、名前から想像できる通り黄金比に基づいて設計されているみたいです。

形はピラミッドだというのに、内部が絵馬堂になっているところが実に日本的。

絵馬に書かれている願い事も日本的で面白い。

顔出し看板もありました。

では、いよいよ館内へ。入館料は大人500円。

入ってすぐのところにあるのが土産物コーナー。ナニャドヤラをテーマにした「考えるな、踊れ」のステッカーなどが置いてあります。

ここから先、館内の展示物に関しては写真撮影禁止。なので、どういう内容なのか知りたい人は直接訪れてもらうしかありませんが、なかなか充実していて面白い空間でした。キリストが日本にたどり着くまでに放浪していた(とされている)シベリアとアラスカの経路などの他、映像資料も豊富。

もっとも、館内の資料コーナーに「ムー」が置いてあったり、とある展示物の前に立った時に流れる効果音があからさまにTVの超常現象スペシャル番組風だったり、随所で「これはネタですよ」とわかるようにしてあるのは良心的。

館内はそれほど広くはないんですが、気が付くと1時間以上も経っていました。こういう内容が好きな人なら、かなり楽しめるはず。調味を持った人は、ぜひ訪れてみて下さい。

最後に、土産物として絵葉書を買ってみました(1枚には館内にあったスタンプを押印)。館内は写真撮影ができないので、展示品について記憶しておくための記念品になります。

「ミステリーキャンプ」のチラシも置いてありました。同じ内容のポスターも貼ってあり、日付を見ると9月14日。この日は9月7日なので、ちょうど1週間後。

あの「ムー」とコラボした企画みたいで、三上編集長の他、超常現象研究家として有名な人たちも来るみたいです。ポスターを見て初めてこの企画のことを知り「あちゃー」という気持ちになりました。

これを知っていたらワーケーションの日程を1週間後にずらしたんですが。残念ながら事前調査不足でした。

伝承館の建物を出て、最後にこちらを紹介。入口の横に置いてあったレトロなCDプレイヤーで、ナニャドヤラを聴くことができます。たしかに、不思議な感じの盆踊り歌です。

ナニャドヤラの不思議な旋律を堪能した後、もう一度キリストの墓へ。

さて、この下には何が埋まっているんでしょうね。新郷村のキリスト伝説を本当に信じている人は(重度の陰謀論者でない限り)いないでしょうけど、観光資源の有効活用としてはありだと思います。

道路標識にも「キリストの墓」と書かれているし、行政もキリスト伝説をしっかり利用しています。

道路沿いに出て、周辺を歩いているとこういう店がありました。

店の名前は「キリストっぷ」。あのコンビニみたいな名前です。

オープンしているのは土日祝の十字架ら三時まで。

中に入ると、Tシャツやトートバックなどキリスト関連の土産物がたくさん。

ここではうどんとそばを買ってみました。書かれている言葉がなかなか面白い。

これで24年ぶりのキリストの墓再訪が終了。公園内はきれいに整備されているし、展示館の内容はなかなか充実しているし、B級スポットとしても楽しめる場所です。「ムー」が好きというような人には、特におすすめ。私もいつかまた再訪したいものです。

次の目的地は、こちらも24年ぶりの再訪になる十和田湖と奥入瀬。それらの風景については、別のページで紹介します。

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