アイルランド旅行記(2日目)

(1998.7.12) ~ Crewe ~ Holyhead ~ Dublin ~ Galway

0時30分頃、クルー駅に到着。よく確認しなかったが、プラットホーム数は5つくらいだろうか。地方の乗換駅という感じの駅である。夜中というのに結構多くの人が乗り換えている。大きな荷物を持っている人も多い。みんなアイルランドへ行くのだろう。

クルーからホリーヘッドまでは、ディーゼル機関車が引張る客車である。クルーまでと違ってかなり古い車両のようで、あまり掃除もされておらず床にはゴミが散乱している。適当に空いている席に座ったら喫煙車だったが、他の車両に移るのも面倒なのでこのままここにいることにした。

2時頃、ホリーヘッド駅に到着。

LOCAL (HOLYHEAD)
ローカル列車(ホリーヘッド駅)

大きな荷物を背負った人達がぞろぞろと歩いていくので、それについていったらホリーヘッド港の待合所に着いた。Irish Ferries と Stene Sealink という2つのフェリー会社のカウンターがあり、ポスターを見ると Stene Sealink の方は双胴の高速船のようだが、持っているチケットには Irish Ferries と記載してあるので一般的な船型のフェリーに乗るようである。フェリーの出港時間は3時半となっていてまだ時間があるが、そう広くない待合室のソファーはすでに旅行客で埋まっていて座れない。仕方がないので、外に出てフェリーターミナルの写真を撮ったり、壁際の床に座ってガイドブックを見たりしているうちに3時になってフェリーへの乗船が始まった。

待合所からバスに乗って少し離れたビルへ移動し、そこから長いゲイトウェイを歩いて船内に入る。そのため、フェリーの外観は離れた位置からしか見ることができなかったが、予想外に大きなフェリーのようである。船内には映画館などもあり、なかなか豪華なつくりになっている。日本に帰ってからインターネットで調べたところ、34,000トンのヨーロッパでも最大クラスのフェリーだった。もっと船内をよく見ておけばよかったと思うが、このときはかなり眠かったので、結構寒かったが空いているソファーに座って寝ることにした。

目がさめると外は明るくなっていた。ダブリン港到着予定の7時まではまだ30分以上あるが、寒いので動く気がせず、そのまま座っていると東洋人の女性が “Do you have any pen ?” と声をかけてきた。日本人かと思ったが、韓国人で、サミーという名前だそうだ(どういう漢字かは知らない)。友人と数人でヨーロッパを旅行していて、イギリス北部を回った後、サミーのアイルランドへ行きたいとの主張に誰も同意せず、友人たちはフランスへ行ってしまったらしい。というわけで1人でアイルランドへ来て、またフランスで合流する予定だそうだ。まあ、こういうマイナーな国へ行きたがる人は少ないだろう。そこで我を通して1人でアイルランドへ来てしまうところはすごい。

入港までしばらく英語で会話していたが、ネイティブでない人の英語はわかりやすい。薬学部の学生だそうで、約1ヶ月の卒業旅行をしているそうだ。彼女とは結局ゴールウェイまで一緒に行くことになった。

ダブリン港では一応パスポートのチェックがあったが、単にパスポートを見るだけですぐに通してくれた。どうせなら、パスポートにスタンプでも押してほしかったが。

フェリーターミナル前からバスに乗り、ダブリン市街まで向かうことにした。バスからフェリーを見てみると、改めて大きさを感じた。きっとスピードもすごく速かったのだろう。

IRISH FERRIES (DUBLIN PORT)
ホリーヘッド~ダブリンのフェリー “Isle of Inishmore”

バスは20分くらい(だったと思う)でダブリンのバスターミナルについた。主にアイルランド西部を回るつもりだったので、ダブリンは後回しにしてゴールウェイへ向かうことにした。時刻表を見ると、1時間おきにゴールウェイ行きの便があるようである。9時ごろのバスで行くことにして、近くの店でパンとジュースを買い、バスターミナルに戻って食事をした。

ゴールウェイ行きのバスエーランはダブリンの中心部は通らないらしく、静かな住宅街を通って郊外へ出た。郊外に出ると辺りは急に広々として、遠くの丘まで続く緑色の大地、所々にある森、至る所に現れる石垣、放牧されている羊や馬といった、アイルランドらしい景色が続いた。最初はかなり感動して外を眺めていたが、そのうちにどうにも眠くなり、結局ゴールウェイまでの4時間の間、ほとんど寝ていた。途中で覚えているのは、アスローンで停車したときくらい。まあ、フェリーで2時間くらいしか寝ていないのだから仕方がない。

ゴールウェイのバスセンターには1時に着いた。着いたところはユールスクエアという公園の前で、とりあえず近くのインフォメーションに行き、今日泊まる B&B の予約をすることにした。インフォメーション2階のカウンターで、B&B を探しているというと、かなりあちこちに電話してくれた。結局、市街地の B&B は空いていなかったようで、郊外の B&B になった。

サミーのほうは近くのホステルに泊まるそうで、直接ホステルに入って予約していた。ホステルにも興味はあるのだが、今回の旅行では B&B に泊まることにしている。ホステルよりは多少高いが、ホテルよりは安い。

しばらく2人でゴールウェイの中心部を歩いてみたが、こじんまりとした町で、すぐに町の配置がわかった。これでも、アイルランドでは3番目の都市なのだが(人口は約5万人)。ちょうど「ゴールウェイ・アート・フェスティバル」の最中で、通りを歩いている人はかなり多い(後のダブリンに比べればかわいいものだったが)。コリブ川の水はかなり澄んでいて、河口付近では白鳥が泳いでいた。

CENTRAL GALWAY
ゴールウェイ中心部

5時ごろになって、B&B を探しに行くことにした。インフォメーションでもらった予約票には、6時半までに来るようにと書いてある。B&B の位置は、インフォメーションにあった市街地の地図の範囲外で、大体の位置と方向しか聞いていない。とりあえず、その方向に向かって歩き始めた。

途中にエルム街という通りがあって、悪夢を見そうな古い屋敷が建っていた(「エルム街の悪夢5」で、フレディが “Every town has the Elm street !” と言っていたが、本当だ)。その後、ドッグレース場などの横を通って、海辺の通りに出た。そこからは道がわからないので、近くを歩いていた女性に予約表を見せて B&B の場所を聞くと、B&B がある通りの方向を教えてくれた。と簡単に書いているが、実はほとんどサミーが聞き取ってくれた。うーん、話す方はそう差があるとは思わないが、聞き取り能力は相手のほうがかなり上のようだ。ところで、この女性は「右へ曲がれ」というときに、right を「ライシ」と発音していた。アイリッシュイングリッシュではこういう発音になるというのは知っていたのだが、実際に聞く前は「シ」を弱く発音するのだろうと思っていた。実際にはずいぶんはっきりと発音するようだ。

さて、だらだらした上り坂をずいぶん歩いたが、まだ B&B は見えない。その途中にも何軒か B&B があり、”VACANCY” の札が下がっているので、予約した B&B に電話して予約をキャンセルし、この B&B に泊まったらどうかとサミーが言うが、外国での電話は自信がない。もう少し歩いてみることにした。(数日後に、初めて外国で電話することになるが)

結局、ゴールウェイ市街から一時間近く歩いただろうか。ようやく B&B がある通りを見つけた。その通りを歩いていくと、一番奥に目指す “DERENA HOUSE” があった。

B&B (GALWAY)
ゴールウェイのB&B

サミーとはここで分かれた(メールアドレスを教えたが、結局メールは来なかった)。今はどうしているのだろう。

ここには夫婦と小さな子供3人で住んでいるようで、子供の1人に話しかけられたが、少ししか聞き取れなかった。5歳くらいの子供の言っていることがわからないのも悔しいが、まあ仕方がない。通された部屋は、ベッドがひとつと小さなテーブルがあるだけだったが、とてもきれいな部屋である。客室は1部屋だけのようで、当然宿泊客も私1人である。B&B を本業としているのではなく、サイドビジネスとしてやっているのだろう。ミセスとは少し話したが、半分ほどしか聞き取れなかった。もう少し聞き取り力があれば、いろいろ話せたのだが。

疲れていたが、ガイドブックを見てこれからの日程を考えることにした(この時点では、主に西部を回ることだけを考えていて、細かい日程は決めていなかった)。アラン諸島にある断崖デューン・エンガスはゆっくりと見たかったので、イニシュモア島には1泊することにした。それからゴールウェイに帰って1泊し、「地球の歩き方」に載っていた写真がきれいだったので、クリフデンにいくことにした。

やがて眠くなってきたので、まだ明るかったが10時前に寝た。後でわかったのだが、この時期は日没が10時頃で、10時半過ぎにようやく暗くなる。