バルト諸国旅行記(1999年7月)

旅行の動機

エストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国を、バルト3国という。かつてはソビエト連邦内の共和国で、日本での知名度はきわめて低かったといえる。これらの国が一躍有名になったのは、1980年代の終わりごろ、ソ連からの独立運動を展開してからである。当時の世界的な民主化への流れもあり、多くの犠牲を出しながら1991年に3国とも完全独立を果たした。

今回の海外一人旅の行き先は、ロシア経由でエストニア、ラトビアにした。といっても、エストニア、ラトビアと聞いてすぐに位置がわかる人はまだ少ないだろう。昨年のアイルランド旅行のときは、ほとんどの人から「何でまたそんなところに行くのか」と言われたのだが、今回はまず「それはどこだ」と聞かれる事が多かった。

旅行先にバルト諸国を選んだ理由は、「ただなんとなく」である。特定の町や遺跡を見たいといった明確な理由があったわけではない。強いて言えば、1992年にニューヨークの帆船パレードに参加したとき、停泊中の他国の帆船をいくつか見学したのだが、一番印象に残ったのがラトビアの帆船「セドフ」とエストニアの帆船「クルゼンシュテルン」であり、これらの国名が記憶に残っていたということかもしれない。もとはどちらもソ連の帆船で、船籍港がリガおよびタリンであったため、それぞれの国の所有になったものと思われる。セドフの建造は1921年、1992年当時で船齢71歳、引退したという話は聞かないので、おそらく今でも現役最高齢の帆船である。クルゼンシュテルンの建造は、その5年後の1926年。どちらも、とっくに廃船になっていてもおかしくない古い船である。セドフの船内を見せてもらったが、正直言って綺麗とは思えなかった。実習生は100人以上乗っていて、1部屋あたり10人ほどが居住していたが、実習生室には冷暖房は無く送風のみ、さらに窓も無いため、あまり南の地方へは行けないという話だった(あまり暑いところへ行くと本当に窒息してしまうため)。

以上が「強いて挙げた」理由。旅行先への興味は、調べているうちに大きくなっていくものなので、きっかけはどうでもいいのである。

旅行前の準備

(注)何しろ1999年の旅行なので「ニフティのフォーラム」など非常に古い記述があります。内容はそのままにしていますが、現在ではほぼ参考にならない情報なので、その点は注意してください。

バルト旅行についての情報は、ニフティのフォーラム、ガイドブック、インターネットのホームページで入手した。

最大の情報源は、ニフティの「ワールドフォーラム・ヨーロッパ館」のバルト3国の会議室。過去のログを読んだり、自分でもいくつか質問したりして、かなり参考にさせてもらった。旅行好きの人には、ニフティに加入してワールドフォーラムに入会することをお薦めする。

ガイドブックについては、日本語版は定番の「地球の歩き方」のみを購入した。このシリーズは、「地球の迷い方」や「騙し方」とも言われるくらい間違いが多いそうだが、「バルトの国々」編は例外的にかなり正確だそうである。薄いので(笑)、旅行中も邪魔にならなかった。あと、現地で英語版のガイドブックを購入した。

インターネットでは In Your Pocket のホームページが欠かせない。In Your Pocket はバルト3国やポーランド、ルーマニアなどで発行されている隔月刊の情報誌で、最新版のほとんどのページがそのままホームページに載っているため、最新の情報を入手することができる。

個人で作っているバルト諸国旅行記のホームページは、さすがに前年旅行したアイルランドとは違って少ない。この中で 写真で見るロシアと旧ソ連の国々 は旧ソ連地域への渡航回数が30回以上という石川顯法さんのホームページ。写真が中心だが、バルト3国からコーカサス、中央アジア、シベリア、サハリンなど、行っていない地域はないと思われるほどの充実ぶりで圧倒される。私のホームページも、いずれはそのくらいのレベルにしたいものだが。

次は休暇と航空券の確保。なかなか長い休みは取れないので、前年のアイルランド旅行と同じく土曜から翌週の日曜までの9日間の旅行にした。9日間では、バルト3国をすべて回るのは(無理ではないだろうが)時間が足りない。そのため、リトアニアは次の機会に、エストニアは首都のタリンのみとし、主にラトビアを見て回ることにした。

ラトビア入国にはヴィザが必要なのだが、これは日本では取得できない。取得できるのは、リガ空港、リガ港、あるいは近隣諸国のラトビア大使館である。今回は、リガ空港またはタリンのラトビア大使館でヴィザを取得することにした。(注:2000年4月から、60日以内の商用、観光については、ヴィザが不要になった)

航空券については、バルト諸国へは直行便がないので、最低1回は途中で乗り換える必要がある。最初は、ヨーロッパのどこかの都市を経由してリガまたはタリン入りしよう思い、福岡のHISで金額を調べたが、あまりに高いので諦めた。ヨーロッパ主要都市までの往復なら安いチケットがあるのだが、リガやタリンのようなマイナーな都市までのチケットが加わると、とたんに高くなる。例えば、スカンジナビア航空の成田~コペンハーゲン往復だと16万円台だが、それにコペンハーゲン~リガ往復が加わると28万円台に跳ね上がる。フィンランド航空の成田~ヘルシンキ往復で17万円台だが、ヘルシンキ~リガが片道で4万円台。大韓航空の福岡~フランクフルト往復で10万9800円というチケットがあったが、フランクフルト~タリンが片道で9万円台。何だこの値段は!

得られるものの大きさを考えたら、このくらいは我慢できる金額という考えもあるだろうが、しかし航空料金が20万円を超えるときつい。というわけで、結局(というより必然的に)航空会社はアエロフロートのロシア経由に落ち着いた。これだと、他の航空会社の約半額という安さ。ただし、乗り継ぎの都合上、どうしてもロシアで一泊する必要がある。どうせ一泊するならモスクワよりサンクトペテルブルクの方がいいと思ったので、直行便の有無を調べてみると、ちょうど土曜日の便があった(成田~サンクトペテルブルク間は週2便)。そこで、往きは成田からサンクトペテルブルクへ行き、翌日の夜行列車でタリンへ向かうことにした。これだと、エルミタージュ美術館を見ることができるうえ、「国際夜行列車での国境越え」を経験できる。エストニアでラトビアのヴィザを取り、バスでラトビアへ移動、バスのチケットは現地で購入することにした。帰りは、リガ~サンクトペテルブルク間は飛行機が飛んでいないので、リガからモスクワ経由で帰国することにした。航空料金は、成田~サンクトペテルブルク、リガ~モスクワ、モスクワ~成田の3フライトで合計11万円。

しかしながら、前年の大韓航空に今年のアエロフロートと、格安航空券の常連ばかり。ヴァージンアトランティックやフィンエアーにも一度は乗ってみたいものだ。

福岡から成田へは、時間の関係で日本航空の直行便を利用(14日前の割引で2万3千円)。帰りは時間に余裕があるので、羽田まで来てスカイマークで福岡へ帰ることにした(1万6千円)。

以上が旅行前に入手した航空券で、合計金額は14万9000円であった。

アエロフロートの航空券、ロシアのヴィザ、サンクトペテルブルクのホテル、タリンへの列車のチケットの手配は、ロシア専門旅行会社のブレーン企画に依頼した。

なぜホテルまで予約したのかというと、これはそのときに知ったことだが、ロシアを旅行する場合は、事前に旅行日程を決め、宿泊するすべてのホテルや移動の交通機関を事前に予約することが必要で、この予約証明書(バウチャーという)がないと、ヴィザが取れないのである。つまり、ロシアでは(バルト3国を除く旧ソ連の国でも同様のようだが)外国人の自由旅行はできないということだ。なんでこのような制約があるのか不思議に思ったが、確実な外貨獲得源ということでソ連時代の制度が残っているらしい。気ままに旅したい人にとっては物足りないことは確かで、実は抜け道もあるらしいのだが(架空のバウチャーを発行してもらうなど)、まあ私の場合は1泊だけなので、おとなしくホテルと列車のチケットを予約することにした。場所と値段を考えて、ネフスキー通りの端にあるホテルモスクワ(1泊約9000円)にし、タリンへの列車のチケットは、日本で予約しておいて現地の旅行店で受け取ることにした。

また、日本円が両替できる場所は少ないだろうし、レートもよくないと思ったので、日本円の他に600ドル持っていくことにした。以上で旅行前の準備は終わり。続きは旅行記へ。

旅行記

7月 3日(土)(福岡~成田~サンクトペテルブルク)
7月 4日(日)(サンクトペテルブルク~)
7月 5日(月)(~タリン)
7月 6日(火)(タリン~ヴァルガ~スィグルダ)
7月 7日(水)(スィグルダ~リガ)
7月 8日(木)(リガ~クルディーガ~リガ)
7月 9日(金)(リガ)
7月10日(土)(リガ~モスクワ~)
7月11日(日)(~成田~羽田~福岡)

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