国内旅行編(鉄道旅行)

当サイトの旅行記の中でもときどき触れているように、私は乗り物の中では鉄道が一番好き(以下、船~自転車~飛行機~自動車の順)。学生のころはよく青春18きっぷを使って各駅停車の旅をしていたが、どこかを観光するというのではなく、純粋に鉄道に乗るためだけの旅がほとんどだった。あの大垣夜行(その後の「ムーンライトながら」)には何度乗ったかわからない。

ただし鉄道好きといってもマニアではないので、鉄道用語はよく知らない(キハ、モハ、オロネなどと聞いてもなんだかわからない)。単に鉄道に乗って車窓の景色を眺めるのが好きなだけ(記憶に残っている車窓は大糸線南小谷付近、篠ノ井線姨捨付近、仙山線山寺付近、函館本線大沼付近など)。

社会人になってからはなかなか時間がなく、どうしても飛行機や特急列車を使うことが多くなる。それでも時々は各駅停車の旅をやるつもりなので、このコーナーではそれらの旅を紹介していく。

久大線(1999.11.23)

福岡県久留米から大分までの約150kmのJRの幹線(といっても、すべて非電化の単線)で、途中には湯布院などの有名な観光地がある。ここには今ではすっかり少なくなった客車普通列車が走っていたのだが、1999年12月4日のダイヤ改正で完全に姿を消すことになった。そのため、ダイヤ改正前の勤労感謝の日に乗り納めに行くことにした。

朝5時に起き、普通列車を乗り継いで佐世保から鳥栖へ。大分まで行ったら帰ってこれなくなるので、由布院まで往復してきた。乗った列車はいずれも客車列車。

鳥栖10:10由布院13:59
由布院15:27豊後森16:05
豊後森17:05久留米18:58
由布院駅に到着した列車
日田駅で、ゆふいんの森3号の
通過待ちあわせ
日田駅に約1時間停車
車内の様子

由布院行きは4両編成なのだが、乗客は終点まで1両あたり10人以下。車両はかなりくたびれた感じで、穴をガムテープでふさいでいる個所がいくつもあった(しかも車両の外側にまで)。全車両禁煙なのに各シートにはなぜか灰皿があったが、蓋がなくなっているものがほとんど。トイレは下に線路が見えるというもので、つまり撒き散らしながら走る。乗る前は名残惜しかったのだが、実際に車両を見てみると、そろそろ引退時という気もしなくはない。

ただ、客車列車のいいところは停車中の車内が静かなこと。「次の日田駅で56分停車します」というアナウンスには驚いたが、停車中は新聞を読みながらゆったりと過ごすことができた。

由布院では1時間半ほど待ち時間があったが、雨が降っていたので駅前を歩き回った程度。晴れていたら自転車を借りてもよかったのだが。

豊後森駅近くにあった、いい雰囲気
の廃墟

その後、再び客車普通列車を乗り継いで久留米へ戻った。ダイヤ改正後、九州内に残る客車普通列車は筑豊本線のみとなる。いつか乗りに行きたい。

日南線(1999.12.28)

宮崎から志布志(鹿児島県)までの約90kmのJRのローカル線。かつての志布志駅は日南線、志布志線(西都城~志布志)、大隅線(志布志~国分)の3線が発着するターミナル駅だったが、志布志線と大隅線が廃止され、現在は行き止まり駅となっている(このような行き止まり路線を鉄道マニアは盲腸線と言うらしい)。鹿児島県でありながら、宮崎へ行く路線だけが残ったというのも不思議。

宮崎県小林市の「日本一怪しい公園」へ行くついでに、青春18きっぷを使って志布志まで往復してみた。

宮崎12:02志布志14:30
志布志15:44宮崎17:59
志布志行き快速列車
志布志駅

宮崎発志布志行きの快速列車「日南マリーン号」は2両編成のディーゼル・ワンマン列車。南宮崎を出て日豊本線と分かれ、田吉駅で宮崎空港線と分かれる。

観光地の青島、子供の国などを通るが、列車で観光に来る人はあまりいないようで、乗客のほとんどは通学中の中高生だった。路線は山の中を走っていたかと思えば海辺に出たりと変化が大きい。南へ行くにしたがってシュロやソテツの木が多く見えるようになり、南国らしい雰囲気になる。

通学客は飫肥、日南、油津あたりであらかた下りてしまい、終点の志布志で降りたのは10人ほど。志布志駅付近はショッピングセンターが1軒ある他は、なんだか閑散としている。おそらく、駅は市の中心部から離れたところにあると思う(多分)。

志布志駅の前には、日南線の線路をそのまま延長したような広い道路が一直線に続いていた。昭和62年に廃止になった大隅線の跡ではないかと思う。この道路沿いには鉄道公園という小さな公園があって、SLとディーゼル列車が保存されていた。

志布志駅から一直線に伸びる道路
大隅線の跡か?

宮崎行きの発車までは1時間ほどあるが、どうにも時間のつぶしようのない場所だった。ようやく宮崎行き快速列車が入線し、再び宮崎へ戻った。

岩徳線(2000.1.8)

「ハッピーマンデー」によって青春18きっぷが使える時期に3連休が出現したので、3日間をかけて山口と広島方面の未乗路線に乗りに行くことにした。今回乗ったのは岩徳線、可部線、小野田線の3路線。

岩徳線は岩国から徳山までの約50kmのローカル線。それぞれの頭文字をとって岩徳線(がんとくせん)という。両端で山陽本線に接続し、しかも両方とも新幹線駅が設置されているという(岩国の場合は新岩国だが)めずらしい路線。

学生時代に東京から各駅停車を乗り継いで帰省していたころから、この路線に乗ってみたいと思っていた。いつも時間の都合で乗れずにいたが、今回ようやく望みを果たせた。

徳山発の2両編成のディーゼル列車は、次の櫛ヶ浜から山陽本線とわかれて岩徳線に入り、しばらくは新幹線の高架に沿って走る。その後は高架から離れ、周囲にはしだいに山が迫ってくるのだが、どちらかというと山というよりは盆地がほとんどだった。

車窓風景

路線の両端が市街地になっているため、徳山から帰る乗客が少しずつ降りていくうちに岩国へ向かう乗客が少しずつ乗ってくるという感じで通勤・通学路線という雰囲気が強く、ローカル線という感じはあまりしない。

岩国駅に到着した列車

旅行者の勝手な意見としては、山の中か海辺の過疎地を通る路線が好きなので、残念ながらそれほど琴線に触れる路線ではなかったな。

可部線(2000.1.9)

広島から三段峡までの約60kmのローカル線で、広島から途中の可部までは電化されているが、可部~三段峡間は非電化の単線。この可部~三段峡間が廃止の方向ということを聞き、乗ってみることにした。

広島12:31可部13:04
可部13:06三段峡14:39
三段峡15:05加計15:30
加計15:46可部16:43
可部16:52横川17:31

広島~可部間は通勤・通学列車という感じで乗客は多い。途中の大町駅はアストラムラインという新交通システムとの乗換駅になっているが、何語かと思ったら「明日」+「トラム」+「ライン」らしい。さすがサンフレッチェだ。

可部から先は1両編成のディーゼル列車。途中の加計までは乗客が多くて座れなかったが、加計で半分以上の人が降りていった。これなら可部~加計間は廃止する必要はなさそうに思えるのだが。

可部~三段峡間はずっと太田川に沿って走るため、車窓からは渓谷風景を眺めることができる。この区間は川沿いであまりスペースが取れないためか、申し訳程度の小さなホームしかない駅が多い。

三段峡駅
線路の終点
三段峡駅に到着した列車
車窓風景

終点の三段峡駅付近では、雪が融けずに残っていた。もともと「行き止まり路線の終点の駅」は好きなのだが、上の写真からわかるようにここは線路の終端の先が峡谷になっていて、強烈に「終着駅」の雰囲気を出している。これまで私が訪れた駅の中でも屈指の風景といえる。

駅の前には「可部線の存続を願う」という横断幕が張られているSLが保存されていて、運転席にも入ることができる。駅付近には数件の土産物屋と旅館があるが、あまり活気は感じられない。この静かさの原因は、付近を歩き回っているうちにわかった。

近くに「西中国国定公園・三段峡」の入り口があったのだが、前年に落石による人身事故があったそうで、関係者以外立ち入り禁止になっていた。観光のメインの三段峡が立ち入り禁止なのだから、駅前の活気の無さも理解できる。

その後、駅へ戻り、来た時と同じ列車に乗って広島方面へ戻った。この路線が廃止になる前にもう一度ここへ来て、そのときは三段峡を歩いてみたい。

※2003年12月1日に、可部線の可部~三段峡間は廃止になった。もう一度この路線に乗って見たいと思っていたが、結局乗ることはなかった。

小野田線(2000.1.10)

山口県の小野田~居能間と、途中の雀田~長門本山間の支線からなる電化路線。この路線は雀田~長門本山間にJRで最も古い現役車両「クモハ42型」列車が走っていることで有名。

この路線は、雀田発9時過ぎを逃したら次は夕方4時半まで列車はない(昼1時半に運行される日も、たまにある)。そのため前日に宇部新川まで移動しておき、9時3分発の列車に乗るために雀田駅へ向かった。

雀田駅には、この「クモハ42型」車両についての説明が書かれていた。それによると、この車両は昭和8年製造で、かつては東京や大阪で輸送の主流となっていたとのこと。たしか、かつて山手線が「省線」と呼ばれていたころ、走っていたのがこのタイプだったと聞いたことがある。つまり当時首都圏ではみんなこの列車で通勤していたことになる。

雀田駅に停車中のクモハ42型
車内の様子
長門本山駅に到着したクモハ42型
車内の様子

車内は床、座席、窓枠などはすべて木製で、どれもかなり年季がはいっている。網棚は金網やパイプではなく本物の網が使われている。このときの乗客は5人ほど。

この車両には初めて乗ったのだが、走行中の音など、すごく懐かしい感じがした。しばらく乗っていたかったのだが、あっという間に長門本山駅(無人駅)に到着。この駅からは瀬戸内海が見える。5分ほど周囲を歩いた後、再び列車に乗って雀田へ戻った。

長門本山駅にて

それにしても、このような古い車両がよく現役で残っているものと思う。この路線が廃止になることはまずないだろうから(何しろ電化区間だ)、少なくとも私が生きている間は現役でいてほしい。

※2003年3月14日でクモハ42型列車は現役を引退した。この列車については、もう一度乗って見たいと思っていたが結局その機会はなかった。

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