タイ旅行記(2日目)

(2000.7.20) Bangkok ~ Lop Buri

朝8時ごろ起床。この日は鉄道で近郊のロッブリーへ行くことにしていたので、まずファランポーン駅(バンコク中央駅)へ行く必要がある。

ガイドブックによると、カオサンロードの近くからファランポーン駅の裏まで水上バスが通っている。そこで、これを利用しようと思いゲストハウスを出ていったん船着場まで行ったのだが、木製の小さな桟橋には誰もおらず、次の便がいつかわからない。結局、水上バスは諦めた。

他の手段は路線バスかタクシーだが、バスは経路がよくわからない。なにしろバスの車体には番号のみが表示されていて、それが100番以上まである。路線図を持っていないので、何番のバスがファランポーン駅を通るのかがわからない。仕方ないのでタクシーを使うことにした。

カオサンロードに戻り、客待ちをしていたタクシーの助手席のドアを開けてファランポーン駅へ行きたいと告げ、OKということだったのでそのまま助手席に乗り込んだ。この後、後部座席に乗ればよかったと後悔することになる。

料金は交渉して200バーツにしたが、後で考えると、これはかなり高かった。まあ、ぼられたわけだが、初めてのタクシー利用だったので仕方がないと思うことにした。

駅への移動中、タクシーの運転手はなにか頻繁に話しかけてくる。最初は自分の家族のことなどを話していたが、やがて同じアパートに住む女性について話し出した。最初は何を言っているのかわからなかったが、手帳を取り出して「5人ほど女性を知っている」だとか、料金がどうの、自分がもらえる報酬がどうのということを言い出したので、やっと真意がわかった。つまり、買わないかというわけである。

「そういう気はない」「そんな時間はない」などと言って断ろうとしたが、何しろ密室の中。しかも少し走っては赤信号で止まるということを繰り返しているので、なかなか進まない。運転手は信号待ちの間は手帳を見せて「この女性は…」などと説明してきてうっとうしい。ちょうどチャイナタウンを通過しているところで、周りはまるで上海にいるかのように錯覚する景色なのだが、ゆっくり見る余裕がない。

チャイナタウンを抜けるころ、断りつづけた成果がようやく現れたらしく、運転手は手帳をしまい、話しかけなくなった。車の流れもスムーズになり、ほっとしたのだが、それも数分間だった。

急にタクシーが道路脇に停車。運転手がなんと私のひざに手を置き、顔をすぐ近くに寄せて「ここがそのアパートだ。どうだ、行かないか?」などと言ってきたのである。さすがに腹が立ったので「そういう気も金も時間もない。早く駅へ行け」と何度も言ったところ、今度こそ運転手は諦めたらしく、悲しそうな顔でタクシーを発車させた。西原理恵子の「鳥頭紀行」によれば、バンコクは「犬も歩けばおかまにあたる。にっぱちホモの国」だそうなので、案外貞操の危機だったのかもしれない。危ないところだった。

このようなやりとりを経て、ようやくファランポーン駅に到着。ところが、降りるときになって今度は300バーツなどと言い出した。交通事情がどうとかなどと理由を言い始めたので「さっき200と言っただろう」と言って200バーツを渡してようやくタクシーを降りた。

帰国後にインターネット等でいろいろ調べたところ「カオサンロードで客待ちしているタクシーには乗らないほうがいい」という記述が多く見られた。このタクシー内での出来事は、今では旅行中の面白い思い出となっているが、こういうタクシーには乗らないに越したことはない。これからバンコクへ行く人は気をつけてほしい。

というわけで、ようやく駅構内へ。中はかなり広く、コンビニエンスストアやカフェなども並んでいて、大勢の人が歩いている。電光掲示板にこれから発着する列車が表示されているが、どの列車が早くロッブリーに到着するかわからなかったので、1階ホールの端にあったインフォメーションコーナーで聞いてみた。すると2階にあるインフォメーションセンターに連れていかれて、そこの若い男性が対応してくれた。

次のロッブリー行きは11時半ごろの各駅停車で、ロッブリーまでの所要時間は約3時間。タイの鉄道車両には1等寝台、1等、2等、3等などの区分があるということは知っていたが、次の各駅停車は3等車両のみということだった。運賃は、なんと28バーツ。いくら各駅停車の3等車両とはいえ、3時間乗って約80円とは安い。

それから、インフォメーションの男性が薦めるので、明日のバンコクの宿泊先を予約することにした。次は安宿にしようとは思っていないので、ファランポーン駅からは少し離れているが、サイアムセンター(バンコク最大のショッピングセンター街)に歩いていける距離にある “The Residence Hotel”(星3つか4つだったと思う)にした。料金は950バーツで、このクラスのホテルでも3,000円以下。

このインフォメーションの男性はマックスと名乗った。西原理恵子の「鳥頭紀行」によれば「タイ人は気が向くとある日急に自分の名前を変える。しかもダイヤモンドやエメラルドなどの英語の名前が最近のはやり」だという。この男性も、おそらくそうなのだと思う。本名が「マックス」とは思えない。ホテルの予約までしたのが嬉しかったらしく、マックスは終始上機嫌で、最後は握手して別れた。

しばらく駅周辺を散策してから、駅へ戻ってコンビニエンスストアでパンと怪しげな缶ジュースを買い、列車を待つことにした。頭端式の駅でドーム状の屋根に覆われていて薄暗く、かつての上野駅がこういう感じだったのかもしれない、という気がした。

プラットホームの数は多く、客車列車とディーゼル列車が数編成入線している。日本からの無償援助によってタイでは日本の中古車両が数多く走っていると聞いていたが、たしかにディーゼル車両はすべて見覚えのある日本製だった。ただし今回ロッブリーまで乗るのは、かなり汚いディーゼル機関車が引っ張る客車列車。乗車率は50%ほどで、それほど混んではいない。

下の写真は発車してすぐに運河を渡ったときの風景。ほとんど下水といっていい。

車窓風景(バンコク市内の運河)

しばらくは小さな住居がひしめいている一帯を通る。線路のすぐ近くまで住居が迫っているが、一般に線路側が家の裏になっているため、建物の内部がよく見えたりする。こういう地域の常として子供が多く、いたるところにいる。貧しい地域なのかもしれないが、タイ人は楽天家が多いらしいので悲壮な感じはしない。みんなのんびりとしているように見える。

昨日いったん訪れたドンムアン駅を過ぎるころから周囲は広々とした景色になった。並行して走る道路が日本のように平らにならされておらず、かなり波打っているのがはっきりわかる。スピードを出したら車が飛び跳ねそうだ。

その後、ロッブリーまではほとんど景色の変わらない田園地帯を走る。最近は日本でも窓の開かない車両が多くなったが、この3等車両は窓を全開にできる。暑い風を浴びながら、のんびりと景色を見ながら過ごした。列車は頻繁に停車するが、わりと大きな駅では乗客と一緒に物売りが何人も乗り込んでくる。車両内を歩き回って、果物や野菜や落花生や、なかにはカップ入りのデザートなどを売っている人もいる。なかなか日本では見られない光景。

バンコクから約2時間で、有名な観光地のアユタヤに到着。ここでかなりの乗客が入れ替わった。今回、このアユタヤではなくロッブリーに行くことにしたのは、ロッブリーのほうがマイナーなので雰囲気がいいだろうと思ったから。

途中、名前は忘れたが路線の分岐点となっているジャンクション駅を過ぎ、アユタヤから約1時間でロッブリー駅に到着した。

ロッブリー駅に到着した各駅停車

ガイドブックによれば、ロッブリーは「猿に占拠された町」だそうで、町中に猿がいるらしい。プラットホームには大きな猿のオブジェがあり、ちょうど下校時間らしく高校生らしい男女がたくさんたむろしていた。

とりあえず、泊まるところを探さないといけない。観光地だからすぐに見つかるだろうと思って歩き出したが、予想に反してなかなかホテルやゲストハウスは見つからない。暑い中歩き回って疲れたので、いったん駅へ戻り、ベンチでしばらく休憩。缶入りのレモンティーを飲んだが、砂糖がたっぷりと入っていてかなり甘かった。(これは後日飲んでみた缶コーヒーも同様だった)

この駅にはインフォメーションはないので、誰かに聞くことはできない。再び町へ出て、今度は注意しながら歩いてみたところ、ようやくホテルが見つかった。看板はなく、ドアに “Lop Buri City Hotel” と書かれているだけなので、最初に通ったときは気づかなかったらしい。カウンターで泊まれるかどうか聞いたところ、大丈夫だったのでここに決めた。バンコクよりも物価が安いらしく、エアコンと水シャワーつきツインルームのシングル使用で料金は250バーツ。カウンターにいた若い女性(高校生くらい)の弟らしい少年(中学生くらい)が部屋へ案内してくれた。しばらく涼みながら休憩。

このホテルは線路沿いにあり、部屋の窓からは踏切の向こうにサン・プラカーンという遺跡が見える。窓の外の鉄格子は猿の侵入を防ぐためのものらしく、あちこちに猿が見える。踏切周辺は特に猿が多いように思えた。(ふと、火事になったらどうなるんだろうという気がしたが、それは考えないことにした)

サン・プラカーン

しばらく休んでから、再び外出。最初に、目の前にあるサン・プラカーンへ行ってみた。小さな山を背に寺院がある、という構造なのだが、道路に囲まれていてなかなか渡れない。道路は車優先で作ってあるため横断歩道などはなく、渡りたがっている歩行者を見て車を停めるような運転手はいない。10分以上待ってようやく車の流れが途絶え、渡ることができた。

ガイドブックによれば「朽ちかけたクメール時代のヒンドゥー神殿が裏手に残った祠堂」だという。祠堂は、祠といってもなかなか立派なものだった。参拝している人が何人かいたので、邪魔にならないように祠堂内をしばらく見てから、裏手に行ってみた。

祠の裏手は山の頂になっていて、ガイドブックには「たくさんの猿が棲みついていて危険なので近づかないように」とあったが、私が訪れたときは猿はいなかった。廃墟となった石造りの土台の他は何もないが、わりと見晴らしがいいので、しばらく景色を眺めてから祠堂の方へ戻った。

祠堂の前からは、線路の向こうにプラ・プラーン・サームヨードという遺跡が見える。

プラ・プラーン・サームヨード

こちらは塔が3基並んで建っているクメール遺跡。ガイドブックによれば、クメール様式の代表的な寺院だそう。後で行ってみることにした。

サン・プラカーンの前の踏切は、列車の通行が多いため頻繁に遮断機が下りる。そして、列車が完全に通り過ぎる前に下の写真のように遮断機が上がる。車やバイクは列車の後ろを回り込むように我先にと動き出すので、ときどき接触事故が起きているのではないかと思われる。

下の写真のほぼ正面の建物がロッブリーシティホテル。

サン・プラカーンからの眺め

サン・プラカーンを後にして、プラ・プラーン・サームヨードへ行ってみたのだが、ちょうど門を閉めるところだったので入ることはできなかった。

というわけで、そのまま街中を散策。空はまだ晴れているが、すごい雨雲が次第に近づいていて、だんだんと薄暗くなってきている。果物を売っている露店が並んでいる路地があったので、ここでマンゴスティンとランブータンを一袋買い、いったんホテルへ戻った。

これらの果物は初めて食べたが、マンゴスティンはほんのりとした甘さがあってかなりうまいと思った。日本でほとんど見かけないのが不思議。しかしランブータンは表皮と種の間が薄く、あまり食べる部分がない。手間のかかる果物だと思う。

部屋で果物をナイフで切りながら食べていると、外はすごい夕立となった。ホテル前の通りには屋台が並んでいるので、雨がやんだら食べに行くことにして、それまでテレビを見て過ごした。音楽番組の司会者が、番組の最初に合掌するところがタイらしい。

約2時間後、雨はかなり小降りになったので外出。屋台の並んでいる通りを歩いてみたが、さまざまな種類がある。何にするか迷ったが、挽肉入りの卵焼きと名前は知らないが辛い麺類を食べて、ホテルへ帰った。

暑い部屋なら水シャワーは快適だと思うが、さすがにエアコンがあると寒い。我慢してシャワーを浴び、遅くまでテレビを見てから就寝。