国内旅行編(愛媛 / 多賀神宮、石手寺)

この年(2000年)3月の3連休に愛媛旅行を予定していたのだが、仕事の都合で行くことができなかった。そこで9月の3連休に改めて愛媛旅行を実行することにした。

ところで、なぜ愛媛なのかというと宇和島市に「多賀神宮」というマニアックなスポットがあり一度行ってみたかったから。しかし、せっかく3連休なので多賀神宮以外にも何か面白いスポットがあれば訪ねてみようと思い、インターネットでいろいろと調べてみたところ松山市の石手寺がすごいところのようなので併せて行ってみることにした。

宇和島へは別府からフェリーが出ているので、往きはこれを利用することにして宇和島~松山は列車で移動。帰りは松山から高速船で門司へ帰ることにした。


佐世保から特急みどり2号で博多へ。佐世保~博多間には以前は 赤いみどり という冗談のような列車が走っていたのだが、平成12年3月のダイヤ改正ですべてハイパーサルーン型車両に置き換えられた。

博多から特急ソニック5号で別府へ。バスでフェリー乗り場へ行き、宇和島行きフェリー「あかつき2」で宇和島へ。2等のザコ寝席はすでにいっぱいになっていたので、ロビーにあった椅子に座り、本を読みながら宇和島まで3時間ほど過ごした。それにしても、学生時代の乗船実習以来ほとんど船には乗っていないというのに、本を読んでいても酔わない自分に驚く。

夕方、宇和島に到着した(これで残る未踏の地は秋田、岩手、高知の3県となった)。ホテルにチェックインしてしばらく休憩。7時前に外出し、宇和島市街を歩いてみることにした。

宇和島駅近くにアーケード街がある。ここが宇和島の繁華街のようなのだが、すでに半分ほどの店がシャッターを下ろしている。そのシャッター街を歩いていると、7時の時報と同時にさらにあちこちで店じまいが始まり、たちまちのうちに8割ほどの店が閉まってしまった。宇和島はずいぶん健全な街らしい。

その後、宇和島駅周辺を歩いてみたが、駅と同じ建物内にある2店以外コンビニエンスストアをまるで見なかった。さらにファーストフード店もまったく見ない。こういう市も珍しいと思う。(注:あくまで2000年9月当時の話。今は状況は変わっているはず)

宇和島 / 多賀神宮

朝9時ごろ、ホテルを出て多賀神宮へ向かった。

多賀神宮は市街地から15分ほど歩いたところにあるが、あちこちに案内板があるので迷わずに辿り着くことができた。さっそく入ろうとすると、鳥居のところに「多賀神社」「凸凹寺資料館」と書いてある。おいおい、ここは神社なのか、それとも寺なのか。(その他、奥の資料館には「凸凹神堂」とあった。小さな神社なのに、すでに4つの名前が登場)

鳥居をくぐると奇妙な石像が多数立ち並んでいて、ここが普通の神社ではないことをうかがわせる。そんなに広い神社ではなく思ったよりこじんまりとしていて、鳥居の近くに「石臼の庭」というものがあった。そこにはタヌキの置物等の他にこのような歌碑が建っていた。ここがどういう神社か、これで大体予想できたと思う。(それにしても名文句)

本堂前には以下のような言葉があった。

「性は宗教なり、哲学なり、道徳なり、科学なり、生命なり、人生なり」
「凸凹寺とは、陰と陽に関する東洋一の研究道場です」

つまり、ここはこういう神社です。

いや、べつにこういう場所を選んで訪れているわけではなくB級スポットには必然的に秘宝系の場所が多くなる、ということにすぎない。などと人には言い訳をするのだが、本当はこういうところが好き。

本堂のほうは下の写真のような感じで、まあ普通。

しかしながら、本堂の横にはこのようなものがあった。この手のスポットの必須アイテム。

ところで、淡路島のナゾのパラダイスや宮崎の陰陽石神社に行ったときも思ったのだが、いったいどういう人がこのようなものを作っているのだろう。秘宝館専門の工場があり、専門の職人が作っていたら面白い。

神社内には、本堂の他、粟島神社という小さな社があり、たくさんの人形が置かれていた。どうやら人形供養で有名な和歌山の淡島神社の末社のようだった。

さて、それではいよいよ「凸凹神堂」へ。入館料800円を払い、中に入る。

凸凹神堂の中身なのだが、それはもう口では言えないくらいすごいところ。ただし、無許可写真撮影禁止、許可を取るには2万円が必要とあったので、写真をここに載せるわけにはいかない。仕方なく言葉で説明する。

3階建ての建物の中には、圧倒されるほど大量の収蔵品があふれんばかりに展示されていた(大量の陳列棚はもちろん、壁や天井にまで)。先代の宮司と現宮司が世界中から集めたものだそうで、全部その手のものばかり。アカデミックな雰囲気が漂っていて、秘宝館などというレベルではない。これでも、展示されているのは収蔵品の一部に過ぎないらしいのだから、全体量は計り知れない。

しかも、その展示品の内容が世界各地にわたっている。チベットの経本やマンダラ、インドの宗教画、東南アジアや中南米の土偶や彫刻、アフリカの民具、ヨーロッパのSM用具や人形など。もちろん日本製のものも多数ある(各地の民俗玩具、人形、春画、さらには仏像など)。3階には某彫刻家の作という「五百性像」がずらりと並んでいて壮観。しかしまあ、世界中どこでも考えることは同じというか…

これだけ集めるには相当な費用と時間がかかったに違いないが、入館者がそう多いとは思えないから、ほとんど元は取れていないはず。しかし好きで仕方がないから世界中を飛び回って集めてきたのだろう。やはり、コレクターはこうでないといけない。

展示品で面白かったのはイタリア製の「コルク抜き小僧」とバリ島のノッカー人形。このノッカー人形は男根の部分をつかんで叩くというもので、これをドアに設置していたら誰も訪れてこなくなるのは確実。

日本各地の祭りの写真も多数あり、これがなかなか面白い。みうらじゅんの「とんまつりJAPAN」からもわかるように、日本では変な祭りが各地で行われている。地元の人は習慣になっているからなんとも思わないのだろうが、部外者が見ると「この人たちは馬鹿じゃないのか」というようなものばかり。特にすごいのが愛知県小牧市田縣神社の「豊年祭」で、巨大な男根神輿が街を練り歩くというもの。話には聞いていたが、写真を見て感動してしまった。これはぜひ実物を見に行かねばならない。

その他にも、こういう男根神輿やら男根木彫りを使った祭りは各地にあるらしい。それから、ここには無かったものの、私は福岡県箱崎宮の「玉せせり」もずいぶん変な祭りだと思うのだが…

館内には有名人が来訪したときに書いた色紙もいくつかあったが、マイナーな人が多く、私は梅宮辰夫と三遊亭楽太郎しかわからなかった。楽太郎の色紙には「笑話五十五年」などと書かれていた。

ここの宮司さんは「久保凸凹丸」という名前だそう。読み方は「くぼあいまる」で、私はてっきり通名だと思ったのだが、なんと本名らしい。「クイズタイムショック」という番組の「珍名さん特集」に出場したときの写真などもあった。役所がよくこの名前を認めたものだと思う。

入口では各種の土産物を売っている。男根キーホルダー各種などがあったが、私は「凸凹神堂秘宝譜」3冊セットと「桃用漢字手ぬぐい」を買った。「凸凹神堂秘宝譜」は、ここのパンフレットのようなもの。一方の手ぬぐいは、実際にはない漢字とその読み方が多数書かれているというもの。(無難なところでは、女偏に唇で「きっす」、女偏に波で「としま」、女偏に非で「おかま」など。恥ずかしくてここには記せないものがほとんどなので、後は適当に想像してください)

というわけで、感嘆しながら多賀神宮を後にした。このすごさは実際に見てみないとわからないと思うので、興味のある人はぜひ訪れてみてほしい。

この後、宇和島駅へ戻り、特急宇和海14号で松山へ向かった。


松山到着は午後3時ごろ。石手寺へは翌日行くことにして、この日は松山市内を散策してみた。移動手段は主に市電。市電はバスと違ってルートがわかりやすいから、旅行者にとっても便利な乗り物だと思う。

この市電が伊予鉄道の踏切を渡るところは線路同士の平面交差になっている。阪急今津線(今は平面交差は無くなったが)以来、久しぶりに平面交差を見た。ここを通るときの車輪の音がいい。

松山市内で1泊し、朝10時ごろ松山駅前から市電で道後温泉へ。せっかくなので付近を歩いて道後温泉の建物を見た後、バスで石手寺へ。

松山 / 石手寺

石手寺は四国八十八ヶ所の五十一番目の札所で、美しい三重塔もあり、遍路の格好をした人が何人もお参りをしているという<表向きは>大変雰囲気のいい寺。しかしながら、本堂脇にある地下道から先は大きく雰囲気が変わり、実に怪しげな寺になっていく。

本堂の左隣に不思議な面の架かった社がある。その奥に「マントラ洞」という地下道の入口とマントラ洞の洞内図がある。

ここが裏の石手寺への入口になる。

入口脇の案内板によると、洞内は右へ行けば四国八十八ヶ所霊場をまわる洞内巡礼、まっすぐ行けばマントラ塔へ続くマントラ洞の2つのルートの分かれているらしい。

そして、いよいよマントラ洞へ。入口の賽銭箱に100円を入れてから暗い洞内に入る。

洞内に入ると、すぐに道が二手に分かれる。最初に前方へ伸びているマントラ洞へ進む。通路には中央に地蔵さんが並んでいて、その頭にロープが渡してある。つまり、ここでは片側通行。

それにしても暗い。下の写真はフラッシュを使っているから明るく写っているが、実際にはほとんど明かりがないため真っ暗。危なくてしようがない。

洞内にはやや広くなった場所が2ヶ所(それぞれ「胎蔵界」「金剛界」という)あり、ここにはシャンデリア状のライトがいくつもあるのだが、ほとんどついていない。電球の交換ぐらいやっておいてほしい。

「胎蔵界」には中央にエイリアンの爪のようなものが置かれていて、「中央の五鈷に触れて仏の智恵を感得下さい」とある。この爪は五鈷というものらしいが、仏教には詳しくないのでなんと読むのかわからない。一応、触ってきた。(後で調べたところ、読み方は「ごこ」でした)

一方の「金剛界」には等身大の大きな石仏があり、ここにもシャンデリアのように電球が下がっているのだが、これもほとんどついていない。写真を撮ってみて、ようやく何があったのかわかるという状態になっている。維持にもちゃんと金をかけてもらいたい。

ちなみに洞内には人は少ない。本堂のほうには人は大勢いるのだが、暗いからなのか、この地下道に入る人はあまりいない。

「金剛界」からしばらく歩くと、マントラ洞の出口に着く。外は一般道になっていたが、急に明るいところに出たのでかなり眩しい。目の前には石材店らしき建物があり、その一角に琵琶を持った観音像?がある。この雰囲気からすると、この石材店は石手寺が経営しているのかもしれない。

さらに付近を歩き回ってみると、近くに蜘蛛の巣だらけの荒れた庭園があり、さまざまな像が建っていた。入口には「マントラ三昧」とあり、下の写真はその中のガネーシャ像。

庭園の先には、金色のUFO型建物があった。これがマントラ塔らしい。

周囲には痩せこけた釈迦の石像があったり(これがまた巨大)、入口付近には石で作った手が伸びていたり(石手寺だからか?)、不思議な建物だと思う。「マントラ三昧」から先、人をまったく見ないが、代わりにマントラ塔の周囲には猫がたくさん住みついていて近寄っても逃げない。何があるのか期待しながら中に入る。

1階はたいしたことはなく、階段の裏などに木彫りがいくつか置いてある程度。しかし2階へ上がると雰囲気は一変する。

2階はホールになっていて、ひな壇のように周囲が高くなっているのだが、大量の木彫りが所狭しと置かれている。階段を上がるとホール中央に出るのだが、木彫りがすべてこちらを見ているので、なかなか気味が悪い。

天井は天窓になっていて、シャンデリア状の飾りが下がっている。胎蔵界や金剛界と趣向は同じらしい。木彫りに混じってなぜか古いプロジェクターとスクリーンがあったので、かつて映画でも上映していたのかもしれない。ここでホラー映画でも見たら、さぞ楽しいだろう。

中央にあるソファーに座ってしばらく休もうとしたが、周囲の木彫りからいっせいに見つめられるので、すぐにいたたまれない気分になった。

2階にある出口から外へ出て、蜘蛛の巣をよけながら遊歩道のような狭い道を上っていくと、やがて一般道に出た。この上は墓地になっているらしく、ちょうどお参りに来ている人もいた。

しばらく墓地に沿って歩いてみたが、大きなキャンバスに描かれた不思議な絵が並んでいる一角があった。何かよくわからない怪物(龍かもしれない)の絵やら、空を飛ぶ吉祥天?やら、月夜の墓地の絵やら、どういう意図なのかよくわからない。この墓地は石手寺の所有らしいが、いやなんとも…

ここで引き返すことにして、来た道を通ってマントラ塔へ。マントラ塔を出て付近を歩いてみると、おそらく石手寺が経営している「いして幼稚園」があり、建物には期待通りに不思議な絵が描かれていた。うーん。

マントラ三昧を過ぎてマントラ洞の出口へ向かっていると、そこから出てきた数人のグループが「なんだ、これで終わりか」と言って引き返していた(「マントラ三昧」の入口はわかりにくい)。実にもったいない。ここからが面白いというのに。

再びマントラ洞へ入り、次は洞内巡礼へ。入口付近の絵が迫力がある。

こちらは通路にたくさんの地蔵さんが並んでいて、お参りをしながら歩くだけで四国八十八ヶ所霊場巡りができてしまうという、たいへんお得な場所。

蝋燭型のライトがあちこちにあるのだが、切れているものがほとんどで、こちらの通路も暗い。注意しながら歩いていくと、やがて大師堂があり、そこが出口になっていた。大師堂付近にも多くの木彫りが置いてある。この大師堂には参拝者がわりと多く、遍路の装束を着た人もときおりやってくるが、この人たちはマントラ塔の存在を知っているのだろうか。


マントラ洞を出て、再び表の石手寺へ戻ってきた。

表の石手寺を歩いてみたところ、一角に「宝物館」という資料館があったので入ってみた。ところが、入口にいたおばさんに料金の200円(だったと思う)を払おうとすると「えっ、入るんですか?」と驚いたように言われたので、その感じからするとどうやらほとんど来館者はいないらしい。中はかなり狭く、寺の古い資料がいくつか展示されている。設立年を含めて、石手寺は詳しい来歴がわからない寺であることはわかった。

さらにパゴタという東南アジア風の建物もあり、入ってみるとビルマで戦死した人々が祀られていた。この寺の関係者でビルマ行った人がいるものと思われる。

寺の入口付近には、小規模だが仲見世のように店が並んでいる。ここで土産物を買って帰ろうとしたところ、マントラ塔にあったような木彫りが寺の入口付近にも並んでいることに気づいた。ただし、こちらの方がずっと大きい。裏の石手寺の雰囲気が、ここで暗示されていたことになる。

それにしても、なかなか不思議な寺だった。このような変わった寺はあちこちにあるようなので、今後も訪ね歩いてみたい。


石手寺を後にして、バスで道後温泉駅へ。高速船の出港まではまだ時間があるので、バスで大通り駅へ行き、松山市で一番の繁華街らしいアーケード街をしばらく歩いてから市電で松山市駅へ。そこから伊予鉄道で松山観光港へ向かう。市電との平面交差を通り、終点の高浜駅から連絡バスでターミナルへ。

ここから高速船「シーマックス」で門司へ。約3時間の船旅だったが、この船は揺れが新幹線そっくり。座席は広くゆったりとしていて快適だった。

夕方、門司港に到着し、門司港駅から列車を乗り継いで佐世保へ帰った。

(2000.9.15~17)


10年後の2010年4月に石手寺を再訪した。再訪記はこちら。


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