東地中海旅行記(エジプト / ナイル川クルーズ、ルクソール)

午後2時ごろ、”MARQUIS II” という名前のクルーズ船に乗ってアスワンを出発。アスワン~ルクソールのクルーズはなかなかの人気コースらしく、船内はほぼ満室になっていたのだが、欧米からの観光客がほとんどで日本人は私1人だった。写真は船室の窓から見たナイル川と夕陽。


下の写真は私が泊まった船室。ツインルームだが、もちろんシングル使用。見てのとおりなかなか快適で、今回の旅行中でもっとも優雅な時間を過ごすことができた。

食事はバイキング形式で、かなり豪華なものだった(食事はすべてツアー料金に含まれている)。中でも特に美味しかったのが「コシャリ」というエジプト料理で、これはレンズ豆とマカロニと米を炊き込み、炒めた玉ねぎとトマトソースをかけたもの。レンズ豆が手に入れば日本でも作ることができるので、興味のある人は作ってみてほしい。

食事のとき相席になったのは、例のペルー人夫婦の他、ドイツ、イギリス、カナダの男性(30歳代で、いずれも1人旅)。私のテーブルは若い人ばかりだったが、船客全体としては年配の夫婦が多いようだった。

コムオンボ

その日の夕方、最初の目的地のコムオンボに到着した。ここには二重の回廊を持つコムオンボ神殿がある。

神殿自体が高台にあるため、ここからの眺めはすばらしい。はるか遠くまで見渡すことができる。

下の写真は遺跡から見たナイル川とクルーズ船の遠望。

この水域はかなり頻繁にクルーズ船が行き来していて、このときは10隻近くが停泊していた。

エスナ

翌日の午前9時ごろ、エスナに到着。船を下りて、近くにあるクヌム神殿へ。土産物店が並ぶ狭い通りが神殿まで続く。雑然として雰囲気のいい通りだった。

この通りを抜けたところにクヌム神殿がある。この神殿は周囲の土地よりも9メートルほど低いところにあり、ここだけ土地が陥没しているように見えるが、実際はこの2000年間でこれだけ土地が堆積して上がったためということだった。

現在残っているのは列柱室だけだが、高さ10メートル以上の列柱が並び、なかなかのスケールだった。

Lock Gate

エスナを出発した後、ナイル川に架かる橋を通過した。左の写真は橋の付け根の部分にある閘門(Lock Gate)を通過しているときの様子。先に見える鉄橋部分が移動してクルーズ船を通過させるのだが、プールで泳いでいる船客もこのときはかなり興味深そうに眺めていた。もちろん、このとき橋は通行止めになる。

この閘門は上流へ向かう船と下流へ向かう船が交互に通過するため、到着してしばらくは通過待ちを行う必要がある。

このとき、クルーズ船のまわりに手漕ぎのボートが何隻も集まって物売り合戦が始まる。ビニールに包んだカーペットを勝手に船に投げ込んできて、船客がそれを投げ返すといった応酬が続く。

さらに、閘門を通過する際にも岸壁上にカーペット売りが立っている。

最初の橋を通過して約30分後、2番目の橋を通過。この橋は橋梁の位置が高いため通行止めにはなっていなかった。

それにしても、閘門の開閉作業を行っているエジプト人はプールで泳いでいる外国人をどういう気持ちで見ているんでしょうね。(なお、私は泳いではいません)

ルクソール

クルーズ2日目の夕方、ルクソールに到着した。翌日の朝食後に下船し、いったん近くのホテルへ。といっても、この日の夜行列車でカイロへ戻ることになっていて、ここに宿泊するわけではないのでロビーで休憩するだけ。中級ホテルのようだが、エアコンがないので少し暑い。さらにロビーには蝿が飛びまわっていた。

休憩後、ワンボックスカーに8人ほど乗りルクソール西岸の観光に出発。まずは王妃の谷へ。

写真を見ればわかる通り、まったくと言っていいほど日陰がない。ギザのピラミッド周辺は、まだ海に近いせいか風が吹くと涼しくさえ感じたが、このくらい内陸部になるといくら空気が乾燥しているといっても暑いのなんの。歩いているとすぐに呼吸が苦しくなってくる。また、所々で売っているミネラルウォーターを買っても冷たいのは最初だけですぐにお湯のようになってしまう。ここでは2ヶ所の墓を見て回った。

続いて王家の谷へ。こちらも同様に暑いことこの上ない。こちらでもアメンホテプ2世の王墓など2ヶ所の墓を見て回った。

構造は大体同じで、地表から長いスロープを下ると入口があり、その先に玄室がある。ピラミッドの玄室とは違い、こちらの玄室はかなり広く、石棺もかなり大きなものが安置されている。壁一面にびっしりと刻まれたヒエログリフがすばらしい。

下の写真は有名なツタンカーメン王の墓。

続いてハトシェプスト女王葬祭殿へ。断崖を背にした3層のテラスからなる葬祭殿で、ガイドブックによればエジプトでは珍しい女性ファラオのハトシェプスト女王が建設したものだそうである。駐車場から葬祭殿まで、結構な距離を歩く必要がある。断崖を背にしているため建物には奥行きはない。

なお、ここは1997年にテロリストによる銃乱射事件があり、日本人10人を含む60人以上が死傷した場所。下の写真を見ればわかるように、ここで銃を乱射されたら隠れる場所はない。

西岸観光の最後はルクソール市街の外れにぽつんと立っているメムノン像。かつては背後に葬祭殿があったという。

午後1時半ごろ、ルクソール市街のホテルに戻って4時まで休憩。小さなプールがあり、プールサイドで昼食を取った後、しばらく昼寝。

午後4時、今度はルクソール東岸の観光に出発。最初はカルナック・アメン神殿へ。2.4km 四方というかなり広い神殿で、ラムセス2世像、高さ30メートルのオベリスクなど見所は多い。ガイドの説明を聞いた後、1時間ほど散策。さすがに観光客は多く、あちこちで英語やスペイン語やロシア語のガイドの説明が聞こえてくる。

この神殿で一番有名なのは、やはり巨大な列柱。134本の巨大な列柱が林立する列柱室は、かなりの迫力がある。中央付近の列柱の高さは23メートルある。

散策している途中、同じガイドから説明を聞いていたアメリカ人男性が「あのガイドの英語を聞き取れるか」と聞いてきた。私が “only a little” と言うと、彼は「実は自分もよくわからない」と言っていた。どうやらネイティヴの人でもよく聞き取れないらしい。しばらくしてガイド(20代の男性)と直接話す機会があったのだが、彼は「自分の英語には問題があるようだ」とこぼしていた。

カルナック神殿の後、ルクソール市街にあるルクソール神殿へ。ここには高さ25メートルのオベリスクが2本立っていたそうだが、現在は1本だけになっている。ではもう1本はどこにあるかというと、パリのコンコルド広場に立っているという。この神殿にはなぜか犬が何匹も歩き回っていて、犬と一緒に写真を撮る観光客も多く見られた。

なお、東岸観光のときは同じツアーグループにアジア系の女性が加わっていて、日本人かと思って声を掛けてみたら香港の人だった。20代前半くらいの人で、10日間の予定でエジプトを1人で旅行しているそうである。海外では1人旅の女性をよく見かけるが、アジア人女性の1人旅は珍しい。


午後7時ごろ、観光を終えていったんホテルへ戻り、ロビーで休憩。このとき、ペルー人夫婦から「フジモリのことをどう思うか」と聞かれたので次のように答えておいた。(この旅行当時、フジモリ元大統領は日本に滞在していて亡命申請中だった。ペルー政府はフジモリ氏をペルーに戻すように主張していた)

「彼は日本国籍を持っているのだから日本人であり、当然守らないといけない。日本国籍を持っている人間がペルーの大統領になったのは間違いなのかもしれないが、それは日本とは関係のないこと。たとえ相手がペルーではなくアメリカなど他の国だったとしても、日本国籍を持っている人間を最後まで守るのは政府の義務だ」

私の英語力でどこまで伝わったかはわからないが、奥さんのほうが顔をしかめていたので、ある程度は伝わったと思う。この夫婦はルクソールに1泊するということだったので、ここで別れた。世界一周新婚旅行ができるくらいだからかなり上流階級の人だと思うが、今はどうしているだろう。

私のほうは8時ごろホテルを出てアスワン駅へ。8時50分発の夜行列車に乗り、カイロへ向かった。