国内旅行編(徳島 / 正観寺)

徳島駅から牟岐線で南へ。この日の目的地は牟岐町にある「正観寺」。

時刻表の地図では牟岐線は海沿いを通っているように書かれているため、紀伊水道や太平洋を見ることができるかと期待していたのだが、実際は海岸から少し離れたところを通っているらしくほとんど海を見ることはなかった。


昼過ぎ、牟岐駅に到着。ここから 1km ほどのところに正観寺がある。(駅の近くに「正観寺 300m →」などという看板があるが、信用してはいけない)

炎天下の道のりを約15分、正観寺に着いたときにはすっかり汗だくになっていた。境内をしばらく散策してみたが、さすがに盆の時期なので参拝者は多い。その後、いよいよ「八大地獄」へ。

入口に誰もいなかったので、受付にあったインターフォンで連絡し、僧侶の方にシャッターを開けてもらった。入場料は400円。

その地獄めぐりについてだが、最初はハニベ巌窟院のような人形や彫刻が置いてあるものと思っていた。ところが、訪れてみてびっくり、そのすべてが電動アトラクションだった。そして、それがまたリアルなこと!

失礼ながら、こんな片田舎の寺でこれほどの地獄風景を見ることができるとは予想していなかった。閻魔大王の裁きから始まり、鬼にひき臼でつぶされる亡者、のこぎりで切断される亡者、舌を抜かれる亡者、怪物に食いちぎられる亡者、串刺しにされる亡者などなど、ほとんどお化け屋敷のような感じ。あまりのすばらしさに夢中で写真を撮ったのだが、後述するような理由でここの写真はない。

八大地獄とは「等活地獄」「黒縄地獄」「衆合地獄」「叫喚地獄」「大叫喚地獄」「焦熱地獄」「大焦熱地獄」「阿鼻地獄(無間地獄ともいう)」のこと(参考文献:別冊太陽「地獄百景」)。

最上層が等活地獄、最下層が阿鼻地獄で、下へ行くほど責め苦が激しくなってくる(例えば「大焦熱地獄と比べれば焦熱地獄の火は雪や霜のよう」などと形容されている)。また、それぞれの地獄には16の小地獄が付随していて、全部で126の地獄があるという。

どのような罪を犯した人がどの地獄へ落ちるというのが細々と列記されているが、それを読むと死後は地獄以外に行きようがないようにも思えてくる。これらの罪にまったく該当せず、極楽へ行ける人などいるのだろうか?

地獄エリアを抜けると、最後に極楽エリアがある。といっても、こちらは極楽の絵が数枚展示してあるだけ。ちょっと手抜きのようにも思えるが、ここは地獄がメインなので仕方ないだろう。いや、実にすばらしかった。


正観寺ではかなり多くの写真を撮ったのだが、旅行後に予想もしない事態となってしまった。

フィルム紛失!

思い当たることといえば、この翌々日に四万十川沿いを自転車で走っていたときリュックサックのファスナーが少し開いていたので、そのときに落としてしまったのかもしれない。(この旅行当時はフィルムカメラを使っていたので)

というわけで、地獄風景の写真は無し。気付いたときはショックだったが、考えてみれば海外旅行ではなく国内旅行(それもわりと近くの)だったので、まだ幸いだった。近いうちに淡路島のナゾのパラダイスとあわせて再訪したい。


牟岐駅から再び牟岐線に乗り、牟岐線の終点となる海部駅へ。数分後に発車する第3セクター阿佐海岸鉄道の甲浦行きも、折り返して牟岐へ向かう各駅停車も見送り、駅近くを散策。この海部駅のすぐ近くに 超芸術トマソン(ちくま文庫)で紹介され、マニアには有名な「純粋トンネル」がある。下の写真のように、山や丘のない場所にコンクリート製のトンネルだけが存在している。

「トマソン」とは、つまり「無用物件」のこと(「超芸術トマソン」や「路上観察学入門」を参照)。純粋階段や無用ドアなどはときどき見ることがあるが、「純粋トンネル」はおそらく全国でもここだけだろう。

不思議な景色だが、調べてみたところ「かつて存在していた山が宅地造成で削られてしまい、コンクリート製のトンネル部分だけが残った」というのが真相らしい。知ってしまうとあっけない気もする。

2023.1 追記

この純粋トンネルについては、旅行の約20年後にネット上で昔の写真を見つけることができた。かつて山が存在していたことがよくわかる。

頑丈に作られているコンクリート部分だけは、費用がかかることもあって撤去されなかったのだろう。なるほど。

海部駅自体は小さな無人駅で、駅前には店などはまったくないため、どうにも時間のつぶしようがない場所だった。そこで駅前のバス停から甲浦行きのバスでいったん甲浦へ行き、阿佐海岸鉄道で海部へ戻ることにした。

甲浦までのバスは、海沿いの風光明媚な場所を通るため景色を見ていると飽きない。やがてログハウス風の甲浦駅に到着した。駅自体は海水浴客でにぎわう砂浜から少し離れていて、交通の便がいいとはいえない場所にあった。

なお、ここは県境を越えて高知県になるが、高知県には今まで来たことがなかった。私が訪れた45番目の県で、これで残る未踏の地は秋田と岩手の2県となった。

甲浦から阿佐海岸鉄道に乗り、海部へ戻る。全長 8.5km の短い路線で、途中駅は宍喰駅のみ。この時期は「風鈴列車」として運行されていて、列車内にたくさんの風鈴が飾られていた。

この阿佐海岸鉄道は、もともと牟岐~後免間を室戸岬まわりで結ぶという長大な鉄道計画があり、そのごく一部が開業したもの。一方、後免から奈半利までは「土佐くろしお鉄道ごめん・はなり線」として平成14年7月に開業している。しかし現在の情勢から考えると、今後甲浦~奈半利間が結ばれることはないと思われる(たぶん)。

その後、海部から牟岐線を北上し、徳島へ戻った。

(2002.8.15)


※約2年後の2004年5月に正観寺再訪を果たした。再訪記はこちら。