チュニジア旅行記(エル・ジェム)

マハディアを出発したルアージュは、ときどき現れる小さな町で乗客の乗降を行いながら快調に飛ばし、午後2時にエル・ジェムのルアージュステーションに到着した。

マハディアから約40分、かなり快適なドライブを楽しむことができた。料金は2ディナール(約160円)という安さ。


ルアージュステーションから巨大な建造物が見える。あれがエル・ジェムで唯一最大の見所といえる円形闘技場(コロセウム)になる。

円形闘技場といえばイタリアのローマが有名だが、このエル・ジェムの円形闘技場は規模ではローマにやや劣るものの、保存状態ではずっと上ということだった。イタリアには行ったことがないので比べることはできないが、状態としては世界最高と言われている円形闘技場をぜひとも見てみたかったので、エル・ジェムを訪れることにした。この円形闘技場は1979年に世界文化遺産に登録されている。

下の写真はルアージュステーションのすぐ近くにあるエル・ジェム駅前からの円形闘技場遠望。

この円形闘技場がどのくらい大きいかは、ここで買った下の絵葉書を見れば分かると思う。エル・ジェム自体はごく小さな町で、不釣合なくらいに大きな円形闘技場がぽつんと存在している。町のどこにいても円形闘技場が見えるので、この町ではおそらく道に迷うということはない。

円形闘技場の前に到着し、入場料(4.2 ディナール+カメラチケット 1.0 ディナール)を払って中に入る。外壁に並んでいるアーチの中には、かつては彫像が飾られていたという。

ガイドブックによれば、この闘技場は紀元2世紀ごろに建造されたもので、砂漠化が進んだ現在とは違い1800年前は緑にあふれた土地だったという。3階建ての観客席は最上部まで上ることができ、特に立ち入り禁止区域はなく自由に歩くことができるのは嬉しい。

それにしても、さすがに巨大だと思う。下は円形闘技場の主な風景。

最盛期の収容人数は3万4千人ほどだったという。観客席は17世紀にベルベル人を攻撃するために行われたオスマン・トルコ軍の攻撃によって一部が崩壊しているため、完全な形では残っていない。それでも、闘技場の中央に立って観客席を見上げると圧倒される。

剣闘士同士の戦いだけでなく、奴隷や罪人と猛獣との戦いも行われていたという。今歩いている場所も、かつては相当な量の血が流れた場所だと思われる。

闘技場の中央には、鉄製の足場が設置されている。下は地下通路になっているようだったので、闘技場内を探したら下へ降りる階段が見つかった。

降りてみると、細長い通路の横にいくつかの小部屋や古井戸の跡が残されていた。また、ここから人力エレベーターで剣闘士が地上に登場するような仕掛けもあったという。

中央部は日が差し込むため明るいが、両端は真っ暗になっている。

これらの小部屋には、闘技場に出場する奴隷たちが閉じ込められていたらしい。また、一説によるとこの地下通路の一部にはトラやライオンなどが放たれていて、試合に負けた者が突き落とされていたとされている。そうだとすると、この場所ではかつて大勢の人間が殺されたことになるわけで、それを考えると歩くのがちょっと怖い気もする。

下の写真はここで撮った写真の中でもかなりお気に入りの1枚で、闘技場へ上がる階段の途中から眺めた空。2世紀ごろ、この闘技場に出場した人たちも同じ景色を見ていたのではないかと思う。

剣闘士による決闘は、どちらかが死ぬまで行われたといわれている。2人に1人は必ず死んでいたわけで、どのような気持ちでこの空を見ていたのだろうか。

競技場の外側は下の写真のような感じ。アーチが並んでいて、このあたりの構造は現代の野球場などと変わらない。

1時間ほど、紀元2世紀の光景を想像しながら闘技場内を散策してすごした。今は多くの観光客が訪れるチュニジア有数の観光地になっているが、昔ここで行われていたことを考えると、ちょっと不思議な気持になる。

ここには土産物店がいくつかあり、闘技場を出る際に香水店にいた若い女性につかまってしまった。最近日本へ行ったことがあるということだったので、話を聞いてみると「アイシ」「エクスポ」という言葉から愛知万博のことだとわかった(アラビア語では愛知はアイシという発音になるらしい)。万博のチュニジア館にいたという話を聞かせてくれた。

いろいろと日本のことなどを話せて面白かったので、香水をひとつ買ってみた。もっとも、私の場合は使う機会がないから帰国後もそのまま家に置いてある。


続いて、円形闘技場から歩いて15分ほどの場所にあるエル・ジェム博物館へ。正直言って、この町は円形闘技場とこの博物館くらいしか見るところはない。

円形闘技場との共通チケットになっているため、半券を見せるだけで中に入ることができる。館内には各種モザイクと彫像が展示されている。

バルドー博物館ほどの規模はないが、それでも展示品はかなり多い。また、ここは博物館の奥から屋外へ出て、遺跡が点在している広い中庭を歩くこともできる。発掘途中のような感じの遺跡も多く、歩いているとなかなか面白かった。


予定では、ここから鉄道でスースへ戻ることにしていた。下はエル・ジェム到着後すぐ、列車の時刻を調べるために立ち寄った際に撮ったエル・ジェム駅の写真。

スースへの列車は午後2時過ぎと7時半ごろの2便となっていた。そこで、博物館を出た後、7時半まで時間をつぶすつもりで円形闘技場前の屋外カフェで休憩することにした。

ここで店員が勧めてくれたピザを食べていると、近くの席に日本人らしき男性2人がやってきた。話してみるとやはり日本人で、観光客ではなく漁業関係の仕事でチュニジアを訪れているということだった。

なんでも、マハディアにある漁業関係の施設(日本企業の工場か、または日本政府の援助による研修施設。あまり詳しくは聞かなかった)に勤務していて、休日を利用して円形闘技場を見に来たという。お互いの旅行体験などをしばらく話した後、レンタカーを使用しているそうなのでマハディアまで送ってもらうことになった。7時半までどうやって時間をつぶそうかと考えているところだったので、これは助かった。

次第に薄暗くなっていく中、ルアージュでやってきた道をレンタカーで戻り、マハディアへ向かう。ここでは、途中の町で学校帰りらしい小学生の列を何度も見かけたのが印象に残っている。車内で「みんな勉強熱心ですねえ」などと話し合ったが、さすがに治安がいい国は国民の教育レベルが高いという気がした。

40分ほどでマハディア駅に到着し、礼を言ってから別れた。午後6時過ぎのメトロに乗り、夜8時にスースに到着。