チュニジア旅行記(マハディア)

朝9時、3泊したホテルをチェックアウトし、20分ほど歩いて南バスステーションへ。メトロの路線も通っているが、歩けない距離ではないので歩くことにした。

この日でいったんチュニスを離れ、次はチュニジア中部のスースを拠点にしてマハディアとエル・ジェムへ行くことにしていた。前日に続いて特にバスの時刻も調べずに行ったところ、次のスース行きのバスは11時になっている。前日のように都合よくはいかず、1時間以上待たないといけなかった。


バスセンター内のベンチに座っていると、すぐ近くにタキシーフォン “Taxiphone” のコーナーがあり、行列ができていた。このタキシーフォンというのは、チュニジアではあちこちで見かける管理人つきの公衆電話コーナーのようなもの。10台ほどの公衆電話ボックスが並んでいて、管理人が小銭に両替してくれるというシステムになっている(もちろん、あらかじめ小銭を持っている場合は直接電話ボックスに入っていい)。

管理人が不在のときはこのコーナー自体が閉まってしまうので、誰も電話をかけることができなくなる。そのため、閉ざされたドアの前に行列ができるというわけ。

やがて戻ってきた管理人がドアを開けると、待ちかねていた客がいっせいに電話ボックスに入っていった。チュニジア旅行中は、携帯電話を使っている人はときどき見かけたが、本格的な普及はまだまだという感じだった。そのため今でも公衆電話がかなり活躍しているらしい。

(注)あくまで2005年当時の話。今はもちろんスマートフォンが広く普及しているはず。

午前11時にチュニスを出発し、午後1時半にスースのバスセンターに到着。このバスセンターは市街から少し離れているので、タクシーで市内中心部にあるファルハット・ハシェド広場へ移動した。この広場のすぐ近くに、ガイドブックにも載っている Hotel Claridge があったので、ここに2泊することにした。宿泊料金は1泊15ディナール(約1,200円)で、部屋は簡素だがわりときれい。

この日の午後に散策したスース旧市街については、翌々日の朝に訪れたカタコンベ(地下墓地)と一緒に別のページで紹介することにする。


翌日の朝、ホテルを出てメトロの駅へ。この日はスースの南にあるマハディアとエル・ジェムを訪れることにしていた。

スースから60キロほど南にあるマハディアまでメトロが通っている。メトロといっても地下鉄ではなく一般的な郊外列車で、なぜチュニジアでは地下鉄でない鉄道をメトロと呼ぶのか不思議。

スースを出て約30分でモナスティールという大きな町に到着した。ここで乗客の大半が入れ替わり、モナスティールから約1時間で終点のマハディアに到着。マハディアが近づくと列車は海岸に沿って走るようになるため、景色はかなりきれい。途中では、飼育されているらしいラクダの群れを車窓から見ることができた。(手元にカメラを持っていなかったため、この写真はない)

下の写真は終点のマハディア駅に到着したメトロの車両。

駅から少し歩いたところに、旧市街の入口になるスキファ・エル・カーラ門がある。門の中は薄暗いトンネルになっていて、何軒かの屋台と土産物店が出ていた。

このマハディアという町は、現在は小さな町だが、かつてファティマ朝時代に首都だった場所。細長い半島の根元にスキファ・エル・カーラ門があり、かつては半島全体を城壁で囲んだ要塞都市だったという。「ここから見る地中海はどこよりも青く美しい」ということだったので、今回こうして訪れてみた。

門の先が旧市街になっている。しばらくは土産物店やカフェが並んでいるエリアが続き、その奥に地元民の生活地帯が広がっている。

旧市街自体はそれほど広いわけではないが、細い路地が迷路のように入り組んでいて、歩いていると面白い。シディ・ブ・サイドほどきれいではないが、青く塗られたドアが並んでいる一角もある。

旧市街にはグランドモスクもあるが、イスラム教徒以外は立ち入れないということだったので、ここは諦めた。

旧市街を抜けて半島の先端近くへ行くと、石造りの大きな城塞が見えてくる。16世紀にトルコ軍が造った「ボルジュ・エル・ケビル」という城砦で、入場料を払って入ってみた。

城砦内部はがらんとしていて特に何もない。屋上に上がり、外を眺めてみた。

ここからの眺めは本当にすばらしい。細長い半島にあるため、三方に水平線を眺めることができる。このパノラマビューを見るためだけでも、この町へ来る価値はあるといえるだろう。それに、天気がいいのでかなり気分がいい。

下の写真は半島先端を眺めたもの。遠くに灯台が見える。白い墓石が点在しているので、かなりの部分が墓地になっているらしい。

下の写真は半島の根元の方向を眺めたもの。海岸沿いはリゾート地になっているらしく、遠くにホテルが並んでいるのが見える。

しばらく屋上を歩き回ったあと、城砦を出てさらに先のほうまで歩いてみることにした。まずは近くに見えていた墓地エリアへ。近くで見るとかなりの密度で墓石が雑然と並んでいる。

下の写真の正面に写っているのは、1915年に生まれ、1990年に亡くなった人の墓。数字以外はアラビア文字なので読めない。

上の写真で遠くに見えているのがボルジュ・エル・ケビル。

半島先端あたりには遊歩道のような細い道が整備されていて、地元の人たちが数人ほど釣りをしている。遺跡のような壁や床が何気なくあったり、崩れかけた石組みが波に打たれていたりするが、いずれもかなり古いものではないかと思われる。

それにしても、天気がいいので歩いていると気分がいい。1時間ほど周囲を散策。

スキファ・エル・カーラ門に戻り、横にあるマハディア博物館に入ってみた。展示品は衣装や機織り機など。

そして、この博物館からは横のスキファ・エル・カーラ門に上がることができる。下の写真は門の上から見た旧市街。

ここからは雑然とした感じの旧市街を見下ろすことができる。この門自体は、まず10世紀に建造され、16世紀に再建されたもの。

かなり重厚な感じの門なので、屋上もわりと広い。しばらく周辺の景色を眺めたあとで門を下り、これでマハディアを後にすることにした。


スキファ・エル・カーラ門の前からタクシーに乗り、ルアージュステーションへ。場所がよくわからなかったので、ここではタクシーを利用した。

ここのルアージュステーションは、屋内駐車場のようなところに各行き先が書かれた紙が貼ってあり、その位置に駐車しているルアージュに乗ればいいというシステムになっていた。これは旅行者にもわかりやすいので助かる。また、行き先もアラビア語だけでなくアルファベットも表記されているのがありがたい。

エル・ジェム行きのルアージュに乗り込んで待っていたところ、20分ほどで7人ほどの乗客が集まり、次の目的地のエル・ジェムへ向かって出発した。