ペルー旅行記(クスコ)

空港からホテルへ向かう途中、クスコ~マチュピチュ間のチケットを受け取るためにワンチャク駅に立ち寄った。

ツーリスト用のカウンターが設置されている小ぎれいな駅で、予約番号を印刷した紙を見せ105ドルを払ってチケットを入手することができた。

マチュピチュ行きの出発は翌日の早朝6時で、この駅ではなく近くのサンペドロ駅からの発車になる。左の写真はワンチャク駅の正面に置かれていた小さな蒸気機関車。


朝8時半、予約していた “Hostal Imperial Palace” に到着し、ホテルのスタッフが出してくれたコカ茶(コカの葉で作るお茶で、高山病予防になるらしい。日本へは持ち込み禁止)を飲みながらロビーで休憩。

下の写真が “Hostal Imperial Palace” の正面。かなりこじんまりとしたホテルだった。宿泊料金は1泊15ドル。

ここで、このホテルの経営者または経営者の奥さんらしいミセスにつかまり、この後の予定をいろいろと聞かれた。どうやら旅行店もやっているらしく、ツアーやホテルを紹介したいらしい。この日はクスコ市内を観光し、翌朝マチュピチュへ移動して1泊することを伝えると、午後のクスコ半日観光バスツアー、マチュピチュの麓にあるアグアスカリエンテス村のホテルを紹介してくれた。良さそうな感じだったので、ここに頼むことを伝えると、昼までに近くにある小さなオフィスへ来てほしいということだった。

その後、部屋に移動し、しばらく休むことにした。部屋はダブルルームのシングル使用で、外に面した窓のない奥まった部屋だった(廊下に面した窓はある)。ちょっと疲れていたので1時間ほど仮眠。

クスコは旅行者の多くが高山病になる町で、ガイドブック等にも到着初日はあまり歩き回るのは避け、ゆっくり休んだほうがいいと記載されている。そのため、この日の午前中は部屋で休むつもりでいたのだが、今のところはまだ具合が悪くはならず大丈夫という気がする。そこで昼ごろまで市内を散策してみることにした。

後でわかったのだが、到着後しばらくは体内に酸素が残っているらしく、高山病の症状が出るのはしばらく経ってかららしい。午前中ゆっくり休まなかったことを午後になって後悔することになった。

10時半ごろホテルを出て、歩いて数分の場所にある旅行店へ。かなり小さなオフィスで、ここではまるでハルク・ホーガンのような髭とサングラスの大男が対応してくれた。ここで手配したのは、この日の午後のバスツアー、アグアスカリエンテス村のホテル、マチュピチュの入場料(2日分)、アグアスカリエンテス村~マチュピチュのバスチケット(2往復分)、ホテルから駅までの送迎で、全部でたしか百数十ドルだったと思う(領収書を紛失したので正確な金額は憶えていない)。高いと思われるかもしれないが、実はマチュピチュの入場料やバス料金は案外高いのである。

これからバウチャーを作成するそうなので、7時半に受け取りに来ることにしてオフィスを出た。


まずは近くにあるアルマス広場へ歩いてみた。クスコの中心にある広場で、この広場に面してカテドラルとラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会があり、観光客も多く歩いている場所になっている。なお、クスコだけでなくペルーの町にはたいてい中心部に “Plaza de Harmas” がある。

広場に着くと、かなりの人だかりができていた。近寄ってみると、何かのイベントが行われているらしくパレードが行われていた。

下の写真がパレード風景。カテドラル前の道路をさまざまな団体が通り過ぎていく。たまたま何かの祭りの日に来合わせたのか、または毎週日曜日に行われているものなのかはわからないが、見ることができて幸運だった。

パレードの最後のほうには、銃を持った兵士の行進があった。やはり、どの国でも軍隊はかなり尊敬されているもの。このときも兵士の行進のときが観客の拍手は一番大きかった。

兵士の行進が終わるとパレードは終了し、周囲は少し静かになった。

アルマス広場を見渡した印象は、やはり「薄い茶色」だろう。広場の中心だけは植物が見られるが、カテドラル、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会とも薄茶色のレンガ造りで、周囲には荒涼とした山々が広がっている。遠くの山にほとんど樹木が見られないあたり、ここが標高3,000メートルを越える高地であることが実感される。

しばらくアルマス広場を散策した後、その周辺を歩いてみることにした。


アルマス広場から細い路地に入ると、インカ帝国時代の石組みが続いている場所がある。「カミソリの刃も通さない」と言われるほどぴったりと組まれていて、クスコで大地震があったときにスペイン時代の建物は全壊したものの石組みはびくともしなかったというのは有名な話。

近くで見ても、本当にぴったりと組み合わされている。普通に考えれば石を全部同じ大きさに切りそろえてから積み上げたほうがよっぽど簡単なわけだが、あえてこんな複雑な組み方をしたのは、やはりインカの人たちの美意識というか、強いこだわりがあったのだと思う。むろん、複雑に組んだほうが地震に強いという面もあるだろうが、私はやはり職人のこだわりだと思いたい。

この石組みの中に有名な「12角の石」がある。正面から写真を撮ってみたところ、現像したらいくつかの角が影になってはっきり写っていなかった。ちょっと残念。(当時はフィルムカメラを使っていた)

角の位置は下図の通り。

それにしても、よくこんな形に石を切ったものだ。まさに芸術的。

なお、このあたりの石組みに触ることは禁止されている。この12角の石の前には民族衣装を着た監視員がいて、誰かが触ろうとしているのを見つけると笛を吹いて注意していた。

この近くには、ちょっと小さいがさらに複雑な「14角の石」がある。こちらも芸術的な切り方といえる。

この後、昼まで周辺を散策してみた。路地の向こうに荒涼とした山々が見えるあたり、クスコらしい景色といえる。

南米というと治安が良くないというイメージがあり、初めての町歩きとなったクスコでも最初はちょっと緊張して歩いていたのだが、実際は危険な感じはまったくしなかった。昔は確かに治安が悪く、首絞め強盗が多発していたらしいが。近年になって治安はかなり改善されたらしい。

このあたりには民族衣装を着てリャマを連れた女性が多く歩いていて、観光客を見かけると「アミーゴ!」と声をかけて写真を撮らせようとする。私も何度も声をかけられたが、もし写真を撮ったらチップを要求してくるのは明らかなので写真は撮らなかった。


12時ごろ、アルマス広場に面したレストランで昼食(アルパカ肉のグリル)をとり、いったんホテルへ戻ることにした。ところが、このあたりから急に足が重くなり、歩くのがきつくなってきた。それに、ちょっと頭痛と吐き気がする。どうやら、高山病の症状が現れ出したらしい。

ホテルに戻り、しばらく休んだものの、まだ具合が悪い。しかしながらバスツアーの時間が近づいてきたので、ともかくも外出することにした。

1時半に旅行店のオフィスに行くと、例のハルク・ホーガンがバス乗り場まで案内してくれた。わずか30メートルほどの距離なのだが、オフィスを出るときにまず木製のドアを閉め、続いて鉄格子のドアを閉め、さらに大きな南京錠を2つ掛けるという用心ぶりだった。それほど治安が悪そうな雰囲気は感じられないが、地元の人はほんのわずかの時間でも店を無人にはできないと考えているのだろう。

やがてやってきた小型バスに乗り込んだところ、先客は2人しかいない。その後、市内をあちこち回ってツアー客を乗せていき、最終的にはほぼ満席となった。

まず訪れたのがコリカンチャ “Qorikancha” といわれる太陽神殿。コリカンチャとは先住民インディヘナの言葉ケチュア語で「黄金のある場所」という意味だそうで、かつてスペイン人征服者たちを驚愕させた黄金の神殿になる。等身大の金の人間像やアルパカ像、金の泉などがあふれていたというから、名前の通り「黄金に輝く場所」だったらしい。

残念ながら、それらの黄金はすべて征服者によって金の延べ棒に変えられ、ヨーロッパへ持ち去られてしまった。さらに土台を残して上部は壊され、現在はサント・ドミンゴ教会が建てられているが、教会内にもコリカンチャの石壁があちこちに残されている。壊そうとしたものの、あまりに頑丈で諦めたものらしい。

それにしても高山病の症状はひどくなる一方で、とにかく足が重く、立っているのもきつい。ガイドの説明も耳に入らなくなってきている。

下の写真はコリカンチャの中庭。写真を撮る気力も無くなってきていて、コリカンチャで撮ったのはこの1枚だけ。

続いてアルマス広場に面したカテドラルへ。具合はさらに悪化していたのだが、何とかバスを降りてカテドラルに入った。内部はかなり広く、大きな祭壇がいくつも並んでいる。どれも見事なものだが、もはやガイドの説明を聞いている余裕がなく、一行についていくだけで精一杯。幸い、教会なので椅子はたくさんあり、ガイドが説明している間は近くの椅子に座って休むことができたのは助かった。

カテドラルを出て、次にサクサイワマン “Sacsayhuaman” という遺跡に移動した。少し郊外にあり、かなり広い範囲に石組みが見られる要塞跡になっている。ガイドの説明によると、ここでは遺跡の入り口でツアー客を降ろし、バスは遺跡の反対側へ移動して待っているという。つまり、遺跡を歩いて横断しないといけないことになる。

バスの中から遺跡を見渡してみて「この距離を歩くのは明らかに無理」と思った。毎年6月にインカの祭り「インティ・ライミ」が行われる場所ということもあってぜひ見たくはあったのだが、ここで倒れたら大変。ガイドと運転手に「具合が悪いのでバスの中で休む」と伝え、そのまま座っていることにした。よくあるケースなのか、ガイドも慣れたもので「わかった。休んでいてください」と言ってから他のツアー客を引き連れて行ってしまった。残念だが、ここは仕方がない。

サクサイワマンの後、プカ・プカラ “Puka Pucara”(インカ帝国の要塞)とタンボ・マチャイ “Tambo Machay”(沐浴場。湧き水の水源は未だに不明らしい)、さらに土産物店を回ったようなのだが、結局ずっとバスの中で休んでいた。それにしても、高山病がこんなにきついとは思わなかった。このバスツアーでは半分以上を見ることができなかったわけだが、これは仕方がないだろう。次回クスコへ来るときには、高地に体を慣らしてから観光に出ることにしたい。

かなり暗くなった午後6時半、アルマス広場に戻ってツアーは終了。


アルマス広場から、何とか歩いてホテルへ戻った。夕食を取る気力もなく、翌日は早朝5時過ぎにはホテルを出ないといけないのですぐに寝ようと思ったのだが、ここで7時半にバウチャーを取りに来てほしいと言われていたことを思い出した。30分ほど休んだ後、かなりきつかったが出かけることにした。

ホテルの玄関にはすでに鍵か掛かっていて、前の道はほぼ真っ暗。近くにいたスタッフに “Danger ?” と聞いてみたら「いや大丈夫」と言って玄関を開けてくれた。さすがにゆっくり歩くのは不安に思ったので、きつかったが小走りでオフィスへ向かった。ちょっと緊張したが、スタッフの言葉どおり特に危険なことはなかった。

オフィスに着くと、ハルク・ホーガンがバウチャーを揃えて待っていた。「ツアーはどうだった?」と聞かれたので、「ちょっと具合が悪くなって…」と言ったら苦笑していた。こういう旅行者はやはり多いらしい。

バウチャーを受け取ってホテルに戻り、シャワーを浴びて8時ごろ就寝。