ペルー旅行記(リマ)

ペルー滞在最終日。この日の深夜の便でリマを発つことになるので、それまでリマ旧市街とミラフローレス地区を観光することにしていた。

ネット上のどの情報を見ても「治安が悪い」と書かれているリマ旧市街だが、実際に訪れてみると危ない感じはまったくせず、いったいどこが治安が悪いのかわからない感じだった。


リマでは “Suites Eucaliptus” というホテルに泊まったが、ここがちょっと変わったホテルだった。

こじんまりとしたホテルだったが、部屋、ロビー、廊下、階段の踊り場など、あらゆる場所の壁に大きな油絵が掛けられていた。すべて印刷物ではなく本物の油絵で、ちょっとした美術館並みの内容になっている。こんなホテルは初めて見た。

そして、これらが写実的な風景画からなんだかよくわからない抽象画まで、ジャンルがかなり幅広い。下の写真は、廊下の壁にあった抽象画と朝食を取る食堂にあったもの。これは「地獄風景」か?

この絵に見られながら朝食を食べるのも、なんだか不思議な気分。

下の写真は泊まった部屋の壁にあった絵。ちょうどベッドの横に掛けられていたので、寝ているとなんだか見下ろされているような気持になる。ちょっと落ち着かない。

ちゃんとした画家が描いたのか、またはこのホテルの関係者が趣味で描いたものを展示しているのかはわからなかったが、それにしても不思議なホテルだった。


ホテルに荷物を預け、タクシーで旧市街へ移動することにした。タクシー料金は7ソル。

20分ほどで旧市街の中心にあるアルマス広場に到着した。このアルマス広場は、周囲にカテドラルや大統領府などがあり、中央に噴水がある構造になっている。まずは広場のベンチに座って周囲を観察してみた。

旅行前にいくつかのサイトや本で情報収集したところ、リマ旧市街に関しては例外なく「かなり治安が悪い」と記載されていた。目の前での強盗目撃談などが載っていたり、かなり不安にさせる内容も多い。腕時計はもちろんリュックサックも持たずに手ぶらで行くべきという記述も多かったので、このときはそれにしたがって荷物は持たずに訪れた。

というわけで、実を言うとアルマス広場に着いたときはかなり緊張していた。そのため周囲の雰囲気を確認するためにしばらくベンチで休むことにしたわけだが、次第になんだか拍子抜けしていった。どこを見ても観光客が多く歩いていて、いったいどこが治安が悪いのかわからないような雰囲気でしかない。どうやら治安が悪かったのは以前の話で、現在はかなり状況は改善されたらしい。

周囲の状況が把握できると、ここからは安心して行動することができた。まずはアルマス広場に面したカテドラルへ。

この教会は、あの征服者フランシスコ・ピサロが1535年に自ら礎石を置いた、ペルーで最も古いカテドラル。さすがに内部は広く、天井も高いのでかなり迫力がある。祭壇もかなりの規模。

フランシスコ・ピサロといえば、言うまでもなく悪名高い征服者。インディオと白人の混血であるメスティソの人たちにも、ピサロは祖先の文明を破壊した人として、よく思われていないらしい。何しろ、かつてアルマス広場にあったピサロの騎馬像(ピサロの故郷から贈られたもの)が市民の反対運動で撤去されたくらいなのだから。

教会内にはスペイン時代の調度品の展示室もある。また教会の地下室からはカタコンベを見ることができる。といっても中に入れるわけではなく、床に開けられた穴から下を覗くだけだが、かなり奥は深そうだった。

地下室にはカタコンベから出土したらしい人骨がガラスケースに収められていた。

カテドラルにはフランシスコ・ピサロの遺体(とされる人骨)がある。入口のすぐ横の大きな棺に納められていて、棺の内部を見ることはできないが、横に写真が展示されいる。もっとも、本当にピサロの遺体かどうかは定かではないらしい。ちなみにピサロは征服者同士の仲間割れによって殺されている。

カテドラルを出て、続いてサンフランシスコ教会へ行ってみた。この教会は地下に広いカタコンベがある。この教会内は写真撮影禁止。

ここでは数十分おきに行われるガイドツアーで教会内を回ることになる。チャペルや宗教画博物館、図書室なども見事だったが、やはりここで一番印象に残るのはカタコンベ。

地下に降り、薄暗くよどんだ空気の中を歩いていくと、やがて大量の人骨が現れる。当初は人骨が散乱しているところを予想していたのだが、長方形の囲いの中に人骨が各部位ごとに整然と並べられていたり、このカタコンベでは遺体が見事なくらいに整理されていた。まるで何かの芸術作品のような感じさえする。

中でも印象に残っているのが、井戸のような丸い穴に手足の骨と頭蓋骨が同心円状に並べられていた場所。これは見事というしかない。

写真撮影禁止だったので、代わりにここで買った絵葉書をアップしておく。

薄暗い雰囲気と芸術的な人骨の配置が印象的なカタコンベだった。リマではおすすめのスポットといえる。


この後、旧市街をしばらく散策してみた。下の写真はアルマス広場からサン・マルティン広場へ続く「ラ・ウニオン通り」。かつてはかなり治安が悪く、別名「泥棒通り」といわれるほど強盗が多発していたらしいが、現在は何ということのない普通の通りになっていた。これなら日本の商店街などと変わらない。

ちょっと緊張して訪れたので、あまりに健全で明るい雰囲気に拍子抜け。

ラ・ウニオン通りのファーストフード店でアンティクーチョ(牛の心臓肉の串焼き)を食べてから、サン・マルティン広場まで歩いてみた。広場の中央にはサン・マルティン将軍の騎馬像が建っている。

ここはアルマス広場と比べれば人通りは少ない。広場を一周し、今度はラ・ウニオン通りの隣を通っているアウグスト通りを歩いてアルマス広場へ戻ることにした。この通りも人が大勢歩いていて、危ない感じはまったくしない。

途中、大型のショッピングセンターがあったので土産物を買うことにした。旅行者向けの土産物店より、こういうショッピングセンターのほうが地元の面白い菓子類があったりして楽しい。ここでは「ドーニャ・ペーパ」というペルーの伝統菓子をいくつか買ってみた。外見はスポンジケーキのようだが、持ってみるとずっしりと重く、帰国後に食べてみたところ相当にボリュームのある菓子だった。

アルマス広場で少し休み、続いて「宗教裁判所博物館」へ行ってみた。ここは入場無料の博物館で、スペイン語または英語のガイドツアーに参加しないと内部に入ることはできない。スペイン語のツアーは頻繁に行われていたが、英語ツアーは1日数回のみとなっていて、このときの参加者は私を含めて日本人3人だけだった。

ここは、かつてスペインの植民地時代に行われていた宗教裁判に関する博物館。異教徒と疑われたものは拷問を受けていたそうで、館内には様々な拷問風景や牢獄が再現されている。本当に、宣教師というのはどうしてこんな極端なことをやるのかねえ。

それにしても、案内してくれるガイドの英語があまりにも流暢で、かなりの部分が聞き取れない。他の日本人2人は私よりは理解できているような感じだったので、それに合わせて理解しているような振りをするのが大変だった。ヒアリング能力を高める必要性を痛感しながら博物館を後にした。

この後、3時ごろまで旧市街周辺を散策してみたが、本当にどこを歩いても危ない感じはしない。もっとも、あちこちで警察官の姿を見かけるので、ペルー政府とリマ当局が相当に治安対策に力を入れていることがわかる。夜になったら危なくなるのかもしれないが、昼間だけ歩く分に関してはまったく問題ないといっていいだろう。おかげで必要以上に周囲を気にすることもなく、旧市街の雰囲気を楽しむことができた。


タクシーでミラフローレス地区に戻り、今度は歩いて「恋人たちの公園」へ向かった。ここはミラフローレス地区のはずれ、海岸沿いにある公園で、滞在中に一度は太平洋をしっかりと見たかったので訪れてみた。

公園の入口には、しっかりと抱き合った石像がある。こんな生々しい石像は初めて見た。

さすが南米、おおらかなものだ。

「恋人たちの公園」という名前の通り、この石像の周囲にいるのはカップルばかりで、それぞれ完全に自分たちだけの世界に入ってしまっている。いい気なものだな。

ちょっと薄暗くなりかけていたものの、太平洋を眺めることができた。

ペルーは太平洋を挟んでちょうど日本の反対側なので、この水平線のはるか向こうに日本があることになる。

この公園は海沿いに細長く続いていて、端のほうには灯台がある。この付近はカップルより家族連れが多く、犬の散歩などをやっていた。灯台の内部に入ることはできない。

地元の人たちが多く歩いていて安全上の問題も感じられなかったので、暗くなるまで散策してすごした。なかなか景色のいい場所だったし、あの生々しい石像も一見の価値はあるので、リマでのおすすめスポットといえる。


歩いてミラフローレス地区に戻り、昨日に続いてインターネットカフェで馬券を購入した。本当に便利な時代になったものだ。

夜9時、いったんホテルに戻って荷物を受け取り、タクシーで空港へ向かうことにした。今回は時間がなくてリマ市内の博物館を訪れることができなかったが、インターネットで調べたところいろいろと面白そうな博物館もあるようなので、次の旅行の際は訪れてみたい。

市街からは意外と遠く、約30分でホルヘ・チャベス空港に到着した。運転手に料金の25ソルを渡してターミナルに入ると、同じ時間帯にアメリカ方面行きが何便か続いているらしく大勢の乗客で混雑していた。

チェックインの前に、土産物としてどうしても日本に持ち帰りたかった「インカコーラ」のペットボトルを6本ほど購入した。下の写真が、あの有名なインカコーラ。

帰国後に知人に配ったところ、わりと好評だった。

このインカコーラについては、日本ではなかなか入手できないのでペルー旅行以来見る機会がなかったが、17年後の2023年に思わぬところで再会できた。

なぜ大分県でインカコーラが購入できたのかは、当サイト別館の以下の記事を参照。

こういう液体類は機内には持ち込めないので、預ける方のバックパックに押し込んでからアメリカン航空のカウンターでチェックインを行った。ここの係員はさすがにちょっと厳しく「禁止されているものを持ち込もうとしていないか」「他人から預かったものを持っていないか」など、細かく聞かれた。英語のヒアリングがちょっと苦手な者としては、かなり四苦八苦したが何とか答えることができた。

ペルーを出国し、トランジットエリアに入ると、この時間だというのに民族衣装を着た数人のグループが音楽を演奏していた。

マイアミ行きは出発が1時間遅れ、日付が変わった深夜0時20分にリマを出発した。


早朝6時50分、マイアミ国際空港に到着。アメリカでは南米からの便はチェックが厳しいと聞いていたが、わりとスムーズに入国できた。ここで国内線に乗り換え、午前11時にシカゴ・オヘア空港に到着した。さすがにかなり広い空港で、インターネットコーナーがあれば馬券を買いたかったのだが(この週は3日連続開催ということで月曜日も競馬が行われていた)近くに見当たらなかったので諦めた。

シカゴを12時40分に出発し、翌日の午後3時40分、成田空港に到着した。それにしても、リマを1日中歩いた後の約30時間の移動は、かなり疲れた。ちょっときつそうにしていたのが怪しまれたのか、荷物をかなり入念にチェックされたが、ともかくも無事に帰国できた。

しかしまだ移動が終わったわけではなく、国内線に乗り継いで午後8時に福岡へ到着し、さらに高速バスに乗り継いで夜10時ごろ佐世保に帰着した。


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