国内旅行編(佐賀 / 観音の滝遊歩道)

佐賀県唐津市七山(旧東松浦郡七山村)の山奥に、日本の滝百選にも選ばれた「観音の滝」という名所がある。それだけなら普通の観光地なのだが、滝の近くの遊歩道に変わったものがあるというのをインターネットで知り、見に行くことにした。

その「変わったもの」がどういうものかは、このサイトの国内旅行編の傾向から想像できると思う。


唐津市の中心部を通り抜け、二丈浜玉道路の入口付近で南に折れると、周囲は次第に山村の景色になる。やがて道路沿いに「観音の滝」という案内板と小さな駐車場が現れたので、ここに車を停めて歩いて遊歩道へ向かうことにした。

典型的な渓流の風景で、かなりきれいな眺め。しかしながら今回の主目的は渓流を見ることではないので、とりあえず先へ進む。ちなみに、この遊歩道には七つの橋があることから「セブンブリッジロード」と名付けられている。

目的の物件が遊歩道のどの辺りにあるのかは知らなかったのだが、歩いているとそれは唐突に現れた。

これが今回どうしても見たかった景色。本当に唐突に現れるので、かなり驚かされる。付近に何の説明書きもないため、いったい何の目的でこういうものが置かれているのか、作者は誰なのかということもまったくわからない。知らずに通りかかった人は唖然とするのではないかと思う。

それぞれのアップ。

この作者はリアルな描写に挑戦しているようにも思える(特に女性版)。本当に、いったいなぜここにこういうものを作ろうと思ったのだろうか。

少し離れて、葉っぱが刺さっているような感じで写真を撮ってみた。自分でもちょっとお気に入りの写真。

ここはインターネットでも情報が少ないので、B級スポットマニアの間でもほとんど知られていないのではないかと思う。詳しい経緯がまったくわからないので、何か知っている人がいたら教えてほしい。


この後、せっかくなので遊歩道を滝のほうへ歩いてみた。滝の近くはさすがに人が多く、家族連れなどで賑わっていた。この中には、すでに先ほどの物件を見た人もいると思うが、はたしてどう思ったことだろうか。

滝はわりと迫力があり、きれいな景色。

滝つぼの近くに「生目観音」が祀ってある場所がある。この生目観音がどういうものかは、滝の近くにあった以下の説明書きを読めばわかると思う。

文禄元年(1592年)に豊臣秀吉は肥前の名護屋城へ来て、自ら朝鮮へ向かう将士の指揮に当たったが、秀吉の名護屋陣中、身の回りの世話をしたのは名護屋越前守経述の妹の「広」であった。

「広」は美人で気だても優しかったので、秀吉に可愛がられ、「広沢局」と称ばれた。

「広沢局」は、文禄三年(1594年)二月に眼病をわずらい、治らなかったので、五月七山郷滝川を訪れて、福聚院の観音菩薩に二十一日間、眼病平癒の願をかけたところ快癒したと伝えられている。

その観音様が「滝の観音」であって、今もその御分霊が「広沢局」にゆかりのある名護屋城山里丸の「広沢寺」にまつられている。

滝壺の近くに人間の目のようなくぼみがあって、そこに生目観音がまつってあり、その水を汲んで供え、またその水で目を洗うと眼病がよくなると言われている。

というわけで、ここは目に関する信仰の場所になっている。下の写真が滝つぼの近くにある「人間の目のようなくぼみ」で、たしかに上から見ると人間の目のように見える。

しかしここに溜まっている水で目を洗うのも、ちょっと勇気がいるような気もするが。

滝の近くにあった地蔵。なんだか済州島のトルハルバンに似ているような気もするが、それにしてもこんな地蔵は初めて見た。

地蔵から少し歩くと、かの「広沢局」がまつられていた。「広沢局開眼四百周年記念」と刻まれているので、つまり1994年に作られたものだろう。たしかに美人に作ってある。

その先にあった小さな祠。中を覗くと「目目目目目・・・」とびっしり書かれた布がたくさん下がっていた。やはり目の悩みは切実のようだ。

遊歩道はまだ先へ続いているが、なんだか雨が降りそうな感じになってきたので、ここで引き返すことにした。再び滝の前を通り、例の物件をもう一度よく見てから駐車場へ戻った。

今回の主目的だった例の物件については、インターネットでいろいろと調べてみても本当に正体がわからない。何とかして、詳しい経緯や作者について知りたいものだ。

(2008.9.14)