ヨルダン旅行記(アンマン城)

ヨルダン滞在最終日。この日の夕方の便で日本へ戻ることになる。それまで、最後に残しておいたスポットの「アンマン城」と「ヨルダン考古学博物館」を見ることにしていた。ヨルダン考古学博物館で死海文書を見るのが今回の旅行で最後の目的になる。


朝9時半にホテルをチェックアウト。昼過ぎまでフロントで荷物を預かってもらうことにして、キング・ファイサル通りを少し散策してみた。キング・フセイン・モスクのあたりまで歩くとフルーツジュースの屋台があったので注文してみた。並んでいる果物から好きな種類を選び、それをミックスジュースにしてくれる。料金は1ディナール。

ここで選んだのは、オレンジ、バナナ、ストロベリー等。写真から想像できる通り、濃厚でものすごくうまい。

ジュース屋台の前からタクシーに乗り、アンマン城へ向かうことにする。歩けない距離ではないが、丘の上にあるため往路はタクシーを利用し、帰りは歩いて丘を下りることにした。

チケット売り場の前でタクシーを降りると、駐車場に大型バスが何台か駐車していて、多くの欧米人観光客がぞろぞろと歩いている。さすがにアンマンの主要観光地だけのことはある。

では2ディナールでチケットを買い、中に入る。ここは2世紀ごろの要塞の跡で、神殿や城館などの廃墟が残されている。そして、この敷地内にヨルダン考古学博物館がある。

まずは柱だけが残されているヘラクレス神殿付近を散策。

このあたりからは眼下に市街を一望できる。なかなかいい眺め。

ヨルダン到着初日に見たローマ劇場も遠望できる。かつては丘の斜面にローマ劇場まで下りていく階段があったそうだが、現在は残されていない。

ヨルダン考古学博物館へ向かうと、建物の前にテントがあって何かのイベントが行われていた。覗いてみると偉そうな人たちが会見している。

テレビ局のカメラも来ているし、何か重要な会見だったのだろう。博物館の前で行われていることから、文化財の引渡しに関する会見かと思ったのだが結局内容はわからなかった。上の写真に写っているアラビア語の意味がわかる人がいたら教えてほしい。

しばらく会見を眺めた後、博物館に入ることにした。

この博物館の目玉は、何といっても死海文書。名前は知っていたが、まさか実物を見られる場所があるとはヨルダンのガイドブックを見るまで知らなかった。

それほど広い博物館ではなく、死海文書はその最奥にある。入口付近には面白い形の出土品が多く展示してあり、かなり楽しめる。

では死海文書へ。まずは銅の巻物に書かれたものを見学。

死海文書は紙に書かれたものと銅の巻物に書かれたものがある。死海文書についての詳しい説明はウィキペディアあたりを見てほしいが、簡単に言うと死海近くの洞窟で発見された写本の集まりのこと。紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれたものだそうで、言うまでもなく大変貴重な資料になる。

下の写真が紙に書かれた写本の断片。

ヘブライ語で書かれているので当然ながら読めないが、これらの写本が二千年間も洞窟の中で保存されていたということを考えると感慨深いもの。洞窟の中に隠したエルサレム神殿の祭司も、まさか二千年後に発見されるとは考えていなかっただろう。当時のことを想像しながら、たくさん展示してある死海文書を見学してきた。

30分ほど館内を見学した後、外に出ることにした。これで、今回の旅行の4つの目的「死海で浮く」「ペトラ遺跡を見る」「アカバ湾でシュノーケリング」「アンマンで死海文書を見る」をすべて実現でき、満足。

博物館を出て、しばらく周囲を歩き回ってみた。ほとんどは崩れた廃墟が続いているだけだが、ドーム状の屋根を持つ城館跡だけは復元されている。建物だけが復元されているので中には特に何もないが、日陰で休憩できるので助かる。

このあたりからは遠くに巨大なヨルダン国旗が見える。旗竿の高さが126.8メートル、旗のサイズは横60メートルに縦30メートルという大きなもので、アンマンのランドマーク的な建造物になっている。どうしてこういう国旗を作ったのか詳しいことは知らないが、街中もあちこちに国旗があふれているし、ヨルダンは本当に国旗を見せるのが好きな国だと思う。

散策中、ヨルダン到着2日目の死海ツアーで一緒だったインドネシア人男性と再会した。私と同様、この日にヨルダンを出国し、次はイランへ行くという。本当に長期旅行者の話を聞くとうらやましくて仕方がない。

少し話した後、インドネシア人男性は考古学博物館に入っていったので、私のほうはこれでアンマン城を後にすることにした。帰りはずっと下り勾配が続くので、歩いていても楽なもの。途中のスイーツ店で「オスマリーエ」というヨルダンのデザート菓子(鳥の巣のような形をした焼き菓子の中にナッツやクリームが入っている)を買ったりしながら、あっという間にキング・ファイサル通りへ戻ってきた。


午後1時、クリフホテルに戻って荷物を受け取り、出発することにした。このヨルダンは、中東のエアポケットと例えられるくらい周囲の国と比べて治安がいい。ペトラや死海といった観光資源もあることだし、中東初上陸の国としてヨルダンを選んでよかったと思う。

ホテル前からタクシーに乗り、空港へのバスが出発する北バスターミナルへ移動。次の便まで少し時間があったので、それまで合成着色料の塊のようなジュースを飲んで休憩した。なんとも体に悪そうなジュースだ。

2時に出発し、約50分でクイーン・アリア国際空港に到着した。エミレイツ航空のカウンターでチェックインを行い、7日間滞在したヨルダンを出国。帰国後に周囲に配るための土産品として免税店で死海の塩や泥石けん等を買い込み、経由地のドバイに向けて出発した。

夜10時にドバイに到着し、トランジットエリアで少し仮眠した後、午前3時半に出発。夕方5時半に関西空港に到着した。しかしながら、まだ移動は終わらず、国内線に乗り継いで福岡空港へ移動。さらに高速バスに乗り換えて深夜12時ごろ佐世保に帰着した。


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