ヨルダン旅行記(ペトラ遺跡)

ペトラ滞在2日目。前日は遺跡の入口からエル・ハズネの先まで歩いたが、この日は遺跡の最奥まで見ることにしていた。

この遺跡はかなり広大で、最奥にある神殿まで往復するだけでほぼ1日かかる。そのほとんどが砂漠の炎天下ということもあってかなり疲れるので、一部の区間ではロバに乗って移動してきた。


朝7時に起床し、朝食を終えてから8時の送迎車で遺跡へ向かった。朝の便は宿泊客のほとんどが遺跡へ向かうことになるため、車内には入りきれず、トラックの荷台に乗ることになった。

なお、朝食の際、翌日朝のアカバへのバスの出発時刻を調べてもらうことをスタッフに依頼しておいた。翌日は次の目的地のアカバへ移動することになる。

5分ほどで遺跡入口に到着し、まずは並んでいる土産物店で帽子とペットボトルの水を購入した。炎天下を歩くため、これらは必需品となる。

前日に買った2日券を提示して遺跡内に入り、まずはシークの入口へ向かう。馬の客引きが寄ってくるが、最初は歩くことにする。前日も往復したシークに入り、曲がりくねった細い通路を歩いて行くと光の加減によって周囲の景色がさまざまに変化する。この景色は本当に面白い。

30分ほど歩くと視界が開けてエル・ハズネが見えてくる。前日の午後に見たときとは太陽の位置が違うため、エル・ハズネが正面から日光を浴びて明るく光っている。ここでエル・ハズネを見ながら少し休憩。

エル・ハズネの前からシークの入口を見ると、こんな感じ。いかに細い通路を抜けてきたかがよく分かる。

では、エル・ハズネから先へ進むことにする。

エル・ハズネから先は、シークほど細くはないが岩にはさまれた道が続く。そこを抜けると視界が開け、広い範囲に遺跡が点在しているのが見渡せる。ここからは基本的に砂漠の炎天下を歩くことになる。

先へ進む前に、まずは右側の山肌に並んでいる古代の墳墓群を見ることにした。石の階段を上がって行くと岩に彫られた穴が見えてくる。

特に立ち入り禁止の場所はないので、墳墓の中にも自由に入ることができる。内部には意外と広い空間が広がっている。

この遺跡全体にいえることだが、砂岩の模様が非常に美しい。

このあたりには岩肌に彫られた石段が通路になっているところも多い。落ちたら即死だと思うのだが、特に手すりやロープが設置されているわけでもない。今まで落ちた人はいないのだろうか。

こういう場所へくると、下を見下ろした写真を撮りたくなる。

このあたりからは遺跡エリアの先のほうが見渡せる。これからそちらへ進んでいくわけだが、写真からわかるとおり日陰がまったくない炎天下を歩くことになる。ここから先は帽子と水は必需品になる。

墳墓群を下り、続いてローマ劇場へ向かう。山裾に掘られた半円形の劇場で、アンマンのローマ劇場よりは規模は小さく、中に入ることはできない。客席の最上段から見下ろしてみたいものだが、立ち入り禁止であれば仕方がない。

柵に貼ってあった立ち入り禁止の看板に、こういうシールが貼られていた。入ったらこうなるということを示しているのだろうが、しかしまあ、ずいぶんとリアルな絵を描いたものだと思う。これでは人目を忍んで中に入る気にはならないので、このデザインは日本でも採用してみてはどうだろうか。

前日はローマ劇場で引き返したので、ここから先は初めて歩くことになる。

ローマ劇場付近には、飲み物を売っている店や土産物店、トイレなどもある。立ち寄ってみようかとも思ったが、帰りにここで休むことにして、とりあえず先へ進む。

しかしながら日陰がないので予想通り非常に暑い。

先へ進むと柱廊通りがある。おそらく2000年前はこのあたりがペトラの町の中心部だったのだろう。現在は、いくつかの柱と凱旋門が残されているだけとなっている。

ここでは遺跡の修復作業が行われているようで、技術者が作業を行っているのを遠くから眺めることができた。

柱廊通りを過ぎると、レストランが数件並んでいるエリアがある。遺跡内で唯一、食事ができる場所で、おそらく値段はかなり高いと思われる(結局、ここは利用しなかったのでわからない)。

レストランの向かい側にある岩山に “Museum” という表示があったので、登ってみることにした。岩肌に沿ってつづら折りを繰り返す山道を登っていく。

中腹まで登ると小さな展示室があった。出土品がいくつか展示してあるが、人は誰もいない。来訪者用のノートがあったので、見てみたところあまり人は来ない場所のようだった。ごくまれに物好きが登ってくるのだろう。

“Museum” から先も、歩くことができそうな道が続いている。先へ進んでみると、やがてレストランエリアなども視界に入らなくなり、周囲に人影もなく非常に静かになった。あまり先へ進むと道に迷いそうだったので途中で引き返したが、周囲を岩山に囲まれた中で瞑想するにはいい場所だったかもしれない。もっとも、雰囲気はよかったものの、こういう場所で強盗が現れたら逃げ場がないので、あまりお勧めはできない。

岩山を降り、レストランが並んでいるエリアにあった別の小さな博物館を見た後、遺跡の最奥にあるエド・ディルという神殿に向かって出発することにした。ここからエド・ディルまで、岩山の間を細い道が続いている。エド・ディルまで片道1時間ほどかかり、アップダウンが多いため、この区間はかなり疲れるらしい。ロバに乗ることも考えたが、とりあえず往路は歩き、疲れたら帰りにロバを利用するかどうか考えることにした。

ここからは岩山の中をくねくねと続いている道をひたすら歩く。気候が暑いこともあり、距離のわりに疲労が激しく、ロバに乗った観光客が次々と追い越して行くのを見るとうらやましい。しかし、ともかく歩き続けることにする。

道の両側にはところどころに露店が並んでいるが、この暑い時間には商売する気にもならないらしく、店番の人はみんなテントの中で死んだように昼寝している。ほとんど日陰のない炎天下の山道を1時間ほど歩き、ようやくエド・ディルが見えてきたときにはほっとした。かなり疲れたが、その分エド・ディルが見えたときの感動は大きい。

エル・ハズネと同様、岩山を掘って作られている神殿で、エル・ハズネよりこちらのほうが大きい。1世紀中頃に作られた神殿だそうで、高さ45メートル、幅50メートルほど。

エド・ディルを正面に見ることのできる位置に飲み物や土産物を売っている小さな店がある。歩き疲れていたのでここでペットボトルの水を買い、しばらくエド・ディルを眺めながら休憩した。日陰で休憩できるだけでも助かる。

休んだ後、エド・ディルへ。

エド・ディルは中に入ることができる。内部には何もなく、祭壇のような棚があるだけでがらんとしているが、これが2000年ほど前に掘られたものであることを考えると感慨深いもの。よくこんな大規模な神殿を彫り上げたものだ。

かつてはエド・ディルの上に登ることもできたそうだが、墜落事故があったため現在は禁止されている。

エド・ディルを出て、さらに先へ進むことにした。このあたりは遺跡エリアの最奥部で、丘の上にいくつか展望所が並んでいる。ここからは遺跡エリアの先に広がる荒涼とした山岳地帯を眺めることができる。

展望所はそれぞれ小高くなった丘の上にあるのだが、その中のひとつ “THE END OF THE WORLD” という展望所は名前の通り遺跡エリアの先端にある。ここからの眺めは絶景。

こういう場所へくると、下を見下ろした写真を撮りたくなる。

景色を眺めていると遠くの山に人影が見えた。おそらく砂漠地帯を歩くツアーではないかと思われる。アップで写真を撮ってみた。

これで遺跡先端まで来たので、ここで引き返すことにした。景色を眺めながらエド・ディルまで戻り、正面にある店で再度休憩。なお展望所付近からエド・ディルを見ると、岩山を掘って神殿が作られていることがよく分かる。

エド・ディルからの帰りは、当初はロバに乗ろうと思っていた。ところが、付近を探してもロバがいない。来たときにはエド・ディルの横にロバが何頭かつながれているのを見ていたのだが、どうやら今は出払っているらしい。しばらく待ってもロバは来ないようなので、帰りも歩くことにした。

来たときと同様、炎天下の山道を延々と歩く。土産物を並べた人たちがところどころにいるが、この時間は死んだように昼寝している人が多いので、歩いていても声をかけられることは少ない。帰りは下り勾配が多いので、来たときより時間がかからずにレストランが並んでいるエリアにたどり着いた。

少し休んだ後、ここからエル・ハズネ前までロバに乗ることにした。声をかけてきた少年と交渉し、料金は5ディナールで決着した。

ロバに乗ったのはおそらく初めてだと思うが、馬ほど高くないので乗りやすい。振動も少なく、しばらくは快適な移動を楽しんだが、やがて気が休まらなくなってきた。他のロバがいると近寄って併走しながらさらに近づいてぶつかり合ったり、歩いている人間のすぐ脇をすり抜けたり、何でこんな動きをするのかわからない。先ほど交渉したロバ使いの少年が後ろからついてきているものの、なかなか制御できないように見える。どうして “donkey” に「間抜け」という意味があるのか、なんとなくわかったような気がした。

下の写真はロバで移動中に撮ったもの。

ともかくも無事にエル・ハズネに着き、ロバを降りたときはほっとした。ロバに乗っているところの写真を撮ってもらったりしたので、チップという意味も含めてロバ使いの少年に6ディナールを渡し、エル・ハズネの前の土産物店でチャイを飲みながら休憩。

エル・ハズネの前には観光客を乗せるためのラクダが待機している。ラクダをモデルに写真を撮ってみた。

ここからは遺跡の入口へ向かうだけなので、最後にエル・ハズネをしっかりと見てから、名残惜しかったがシークへ入った。いつかまたエル・ハズネを見たいものだ。

周囲を眺めながらシークを通り抜け、遺跡のゲートへ。遺跡内から出て、並んでいる土産物店でTシャツを数枚買ってから駐車場の入口へ移動した。

ここでホテルの送迎車を待っていると、馬に乗った人たちが歩いてきた。どういう人たちだったのかはよくわからない。

やがてやってきた送迎車に乗り、ホテルへ戻った。このペトラ遺跡は、規模や形状など私が今まで見た中でも屈指の遺跡だったと思う。ちなみにこの時点で遺跡のベスト3を選ぶとすれば「マチュピチュ」「アンコールワット」「ペトラ」になる。遺跡好きはぜひとも訪れてほしいものだし、私もいつか再訪したい。


前日に続いてワディ・ムーサの町をしばらく散策した後、ホテルに戻った。フロントで翌日のアカバへのバスの時刻を聞くと、早朝6時15分だという。早起きしないといけないが仕方がない。

夕食の際、丘に沈む夕陽を眺めることができた。

夕食は前日と同様にビュッフェ形式で、十分に食べることができた。このホテルは、部屋はきれいだし、食事もうまいし、スリランカ人のスタッフも親切だし(イタリア人の女主人は多少無愛想だが)、いいホテルだったと思う。ペトラを訪れる際にはお勧めといえる。

部屋に戻ろうとしたところ、フロント横で欧米人旅行者たちが「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」を見ていた。このあたりのホテルはこの映画のDVDを常備しているらしく、せっかくなので私も便乗して見ることにした。

映画は当然ながら字幕のない英語版だが、私は旅行前に予習として見ておいたので何を言っているかは大体推測できる。ラスト近くでエル・ハズネが登場し、夜10時半に映画が終了した。それにしても、ラストで登場する人物がいきなり英語で話し出すのはずいぶんと違和感があるのだが、アメリカ人はなんとも思わないのだろうか。

遺跡めぐりは1日中歩き回ることになるので、夜になると急に眠くなる。部屋に戻ってシャワーを浴び、早めに就寝。