バングラデシュ旅行記(ダッカ~クルナ)

いよいよバングラデシュへ出発。今回は、今までの旅行と比べても出発前の緊張感が高い。外国人旅行者が非常に少ない国らしいので、ハードな旅行になりそうな感じがする。

午前10時半に福岡空港を出発し、台北を経由して乗り継ぎ地の香港へ。乗り継ぎ時間は3時間ほどで、免税店を見たり、フードコートで食事をしていたらすぐに搭乗時間になった。夕方6時、香港を出発。


夜9時、首都ダッカのジア国際空港に到着した。飛行機を下りて入国審査の列に並ぶと、意外と日本人がいる。しかしながら、会話しているところを聞いたりして様子をうかがっていると、全員が出張等でバングラデシュを訪れた人で、旅行者は皆無のようだった。

スムーズに入国審査を終え、9時半にバングラデシュに入国した。私にとって、南アジアはネパールに続いて2ヶ国目になる。空港内の銀行で100ドルをバングラデシュの通貨タカに両替したところ、1タカは約1.3円だった。

初日の宿泊先は予約してあるので、この日はとりあえずそこへ移動するだけでいい。タクシーの運転手がどっと押し寄せてくることを覚悟しながらターミナルを出たのだが、意外にもそういう人はいなかった。気候は、冬が始まる時期ということで、熱帯地方だがそれほど暑くはない。

押し寄せてくる人はいなかったが、さすがに人口密度世界一の国だけあって、人はかなり多い。これを見て、タクシー乗り場を探して歩く気力を無くしてしまい、エアポートタクシーに乗ることにした。カウンターでチケットを購入し、案内された乗り場から車に乗り込んだ。ちなみに料金は500タカで、かなり高いがチケットにそう書かれていたのでぼられたわけではないのだろう。

予約していた「バングラデシュ・トラベルホームズ」は、予想以上に空港に近く、10分もかからずに着いてしまった。こんなに近いなら、高い金を払ってエアポートタクシーに乗ることはなかったかもしれない。少し後悔。

部屋は、エアコン、ホットシャワー、テレビ付きで、かなり快適だった。この後、ダッカ・シェラトンを予約している滞在最終日までは安宿ばかりを泊まり歩くことになると思われるので、こういう快適な設備はしばらく味わえないかもしれない。シャワーを浴び、しばらくテレビを見た後、零時ごろ就寝。


朝7時半に起床。朝食が用意されている部屋へ行くと、窓からホテル前の通りを眺めることができた。日曜日だが、イスラム圏のバングラデシュでは金曜日と土曜日が休日なので、この日は平日になる。そのため、通学途中の子供たちが多く歩いていた。

朝食後、ホテルのスタッフがバングラデシュでの予定について聞いてきた。レセプションの横に旅行店があったので、その営業だろう。当初の予定ではダッカからロケットスティーマーでクルナへ行く予定だったので、「ロケットスティーマーに乗りたい」と伝えると、この時期はどうも難しいような話をしていた。かなり不安になったが、旅行店に日本人スタッフがいて相談に乗ってくれるそうなので、9時半に行ってみることにした。

旅行店では、若い女性スタッフが対応してくれた。話を聞いてみると、11月の終わりごろに「牛の生贄祭」というイスラム教の祭があり、今はダッカから地方への里帰りの時期だそうである。裕福なバングラデシュ人がロケットスティーマーの一等船室を利用する上に、最近少しずつ増えている日本人旅行者にもロケットスティーマーは人気ということで、ダッカ発のチケットを取るのはかなり困難らしい。一応、チケットオフィスに電話して聞いてもらったところ、やはりここしばらくは満室ということである。これは困った。

この船に乗るのが今回の旅行最大の目的なので、何としても乗りたい。そこで、逆ルートの「クルナ → ダッカ」のチケットはどうかと聞いたところ、それなら取れるかもしれないが、このチケットはダッカのオフィスでは扱っておらず、クルナまで行かないと入手できないらしい。空席があるかどうかもクルナまで行かないとわからないということなので、思い切ってこの日のうちにクルナへ行くことにした。バスで移動すると到着は夕方以降になるが、何しろ今回最大の目的なので仕方がない。

バスに乗るために市街中心部まで行く必要はなく、わりと近くにバス乗り場があるそうなので、すぐにそちらへ向かうことにした。その前に女性スタッフと少し話をしたところ、海外旅行で一度この国を訪れ、帰国したものの再びやってきて住んでしまっているということだった。世の中にはいろいろな人がいるものだ。

ホテルの男性スタッフがバス乗り場まで案内してくれるということなので、礼を言ってからホテルを出た。


大通りに出ると、バングラデシュ名物のリキシャが大量に走っている。スタッフが1台を呼び止めて、私も一緒に乗り込んだ。

リキシャというのは後ろに荷台を取り付けた自転車で、人力車の自転車版のようなもの。バングラデシュでは首都のダッカだけでなく地方都市もリキシャであふれている。なお、リキシャの語源は日本語の「人力車」。

インドにも同様の乗り物があるらしいが、私はインドには行ったことがないので、リキシャに乗るのは今回が初めてになる。(旅行当時はこう思ったのだが、後で調べてみたら2000年のタイ旅行のときにロッブリーという町で一度乗っていた。もっとも、これだけリキシャであふれている景色を見るのは今回が初めてになる)

下の写真は移動中にリキシャから撮ったもの。この辺りはダッカ郊外なので、市街中心部に比べたらリキシャは少ないほうである。

ダッカの町を初めて眺めた印象は、まあ予想通りというか、「ゴミが多いし、薄汚いなあ」というものだった。みんな道端にゴミを捨てるらしく、道路がゴミだらけになっている。

やがて、バス乗り場に到着した。チケットカウンターと待合室がある建物で、多くの乗客が待合室に座っている。ここへ入っていくと、予想していた通り、周囲からいっせいに好奇の目で見つめられた。バングラデシュは外国人旅行者が非常に少ない国なので、外国人はどこへ行っても珍しがられると聞いていたが、これは本当だった。

周囲から見つめられる中、スタッフがカウンターでクルナまでのチケットを手配してくれた。運賃は350タカ(約450円)。横で見ていると、(こう言っては失礼だが)意外にもチケットはオンライン化されていて、モニター上で座席を指定して発券するようになっていた。つまり全席指定で、ここで利用したショハグ (Shohagh) というバス会社はバングラデシュでもかなり高級な部類に入るということだった。

チケットの購入が終わると、スタッフはホテルに戻るということなので、礼を言って別れた。相変わらず周囲の注目を浴びながら、バスが来るまで待合室で待つことにした。

待ち始めたのが10時10分で、予定では10時半にバスが来るはずなのだが、しかし一向に来ない。すぐ近くに小さな子供を連れた若い母親が座っていて、外国人に興味があるらしくいろいろと話しかけてきたので、聞いてみるとバスはダッカ中心部が始発地点だという。市街地の渋滞により遅れるのが普通だそうで、誰も定時にバスが来ることなど考えていないらしい。そこで、周囲の人たちと同様にいつ来るかわからないバスを待つことにした。

なお、この若い母親はかなり英語が流暢だったので、もしかしたら留学経験のあるエリート層だったのかもしれない。この女性とは、途中のジョソールまで同じバスで移動することになった。

結局、定時から50分遅れの11時20分、バスが到着した。乗り込むと、私の席は後方から2列目の窓側だった。それほど新しいバスではなくよく見るとあちこちが痛んでいるが、座席間隔も狭くはないし、これで十分だろう。エアコンはないが、特に暑い季節ではないので、これは問題ない。

先ほどの若い母親と、その父親の老人は前の方の席なので、バスの中では話すことができない。移動中はずっと外の景色を眺めてすごすことにした。クルナまで7~8時間の移動になる。

下の写真は車内の様子とダッカ郊外の車窓風景。たくさん並んでいる煙突は、レンガ工場のもの。

バングラデシュでバスに乗ったことのある人ならわかると思うが、運転は非常に荒い。反対車線を逆走して強引に割り込むのは当たり前で、当然ながらクラクションの音が絶えない。前方からバスが来ているのに追い越しを仕掛けたり、前方に逆走しているバスが見えてもこちらは決して速度を緩めなかったり、まるで「よけた方が負け」というチキンゲームでもやっているのかと思うほどである。どう考えても無理というタイミングであっても反対車線に出て追い越しを仕掛けたりするし(案の定、間に合わずに元の車線に戻ることになる。こんなことは最初からわかりそうなものだが)、出発してしばらくは気が休まらなかった。

1時間ほど経つと、感覚が麻痺したのか、逆走してもそれほど気にならなくなった。「バングラデシュのバスの運転手は世界一運転が荒い」などという話を聞いたことがあるが、これは本当かもしれない。

出発してから約2時間後、道路に沿ってバスやトラックが数十台並んでいるところに到着した。これはフェリー待ちの行列で、ここでバスごとフェリーに乗り込んで大きな川を渡ることになる。バスの窓から、前方の行列を撮ってみた。

フェリーが着くたびに行列が進むが、それ以外はずっと停まっているので、バスを出て周囲を歩いてみた。道路沿いには、乗客目当ての露店が出ている。

ここで、乗っているバスの写真を撮ってみた。この後、旅行中に各地で乗ったバスと比べると、このバスはもっとも高級だった。

少し進んでは停まるということを繰り返し、この場所に着いてから実に2時間ほどかかって、ようやくフェリーが見えてきた。ダッカからバングラデシュ西部へ向かう幹線道路にもかかわらず橋が架かっていないため、この大渋滞が発生しているものと思われる。しかしフェリーに乗るまでに2時間かかるというのもきついので、こういう場所こそ日本の援助で橋を架けてはどうだろうか。

車両甲板にバスがぎっしりと並び、すぐにフェリーが動き出した。このままバスに乗っていてもいいが、せっかくなのでバスを降りて船内を歩いてみることにした。

甲板の端には果物やジュース類などの露店が出ているが、そこは通過してまずは船内のトイレに入った。バスにはトイレがないので、次にトイレに行けるのはいつになるかわからない。(結局、クルナに着くまでトイレ休憩はなく、このフェリーが唯一のトイレのチャンスだった。私は大丈夫だったが、他の乗客の人たちもよく我慢できるものだ)

一番上の甲板に上がると操舵室がある。操舵室の中に入ることはできないが、中を覗くことはできる。後ろの窓越しに覗き込むと、船員が操船せずに新聞を読んでいた。中に入って計器類を詳しく見てみたいものだが、それは諦めた。

操舵室の横で外を眺めていると、対岸からフェリーがやってきた。乗っているフェリーと同型で、すれ違う際にアップで写真を撮ることができた。数隻のフェリーでピストン輸送をやっているのだろうが、それでも交通量に追いついていないようである。明らかにこの路線のボトルネックになっているので、やはり橋を架けないことにはこの渋滞は解消しないだろう。

船内には食堂エリアがある。すでに時刻は3時過ぎで、ここでパンとミルクティーの昼食にした。ちょっと薄汚いが、食器は熱湯で洗っているようだったので問題ないだろう。ミルクティーにはたっぷりと砂糖が入っていて、かなり甘い。マレーシアやヨルダンを旅行したときも思ったが、アルコール類がまったくないイスラム圏では、コーヒーや紅茶は異常なくらいに甘いというのが共通した特徴のようである。

やがて対岸が近づいてきたので、バスに戻った。フェリーに乗っていた時間は40分ほどで、船内をいろいろと散策することができたので、かなり楽しかった。

午後4時、フェリーを下船し、再びクルナへ向かって走り出した。運転は相変わらず荒く、頻繁に他のバスやトラックに追い越しを仕掛けている。この運転にもなんだか慣れてきた。

午後6時、ジョソールという町に到着し、ここで前方に座っていた若い母親たちが降りていった。そして、ジョソールから2時間、すっかり暗くなった夜8時にクルナのバスセンターに到着した。結局、ダッカから8時間半ほどかかったことになる。長時間の移動だったが、もともと乗り物に乗っている時間は好きなので、意外と疲れなかった。なお、クルナからダッカへはロケットスティーマーで約27時間かけて戻ることにしている。


バスを降りると、リキシャ引きが数人寄ってきた。バスセンターは町の中心部から2キロほど離れているそうなので、中心部へ向かうにはリキシャを利用する必要がある。

とりあえずガイドブックに載っている「ホテル・パーク」へ行ってみようと思い、リキシャ引きにそう伝えてから料金交渉を行った。リキシャの料金はすべて交渉制なので、乗る前に料金を決める必要がある。

最初は吹っかけてくるかと思ったが、言ってきた料金は20タカ(約26円)。初めての料金交渉なので身構えていたものの、意外と相場通りで良心的である。この後、旅行中にバングラデシュ各地でリキシャに乗ったが、吹っかけてくる人も確かにいるものの、大半は相場通りの値段を言ってくることが多かった。私が体験した限りでは、リキシャ引きに悪い人は少ないようである。

まあ、吹っかけてくるといっても数十円というレベルで、日本人の感覚からすれば運賃は激安なのだが。

リキシャに乗って中心部へ向かっていると、リキシャ引きが「ローズガーデンというホテルがあるが、そこへ行ってみないか」と言ってきた。どうやら、客を紹介したらいくらかのキックバックがあるのか、何らかの利点があるらしい。絶対にホテルパークに泊まらないといけないわけでもないし、あまりにも勧めるので根負けして行ってみることにした。

ホテル・ローズガーデンは、市街中心部の賑やかな一画にあった。下の写真の階段を上って3階にフロントがある。

ちなみにこのホテルだが、表に “HOTEL” という英語表記は一切ない。下の写真は翌日の昼間に撮ったもので、T字型の白い看板に書かれているのが、おそらくベンガル語でホテルという意味だと思う。つまりベンガル語が読めないと、ここにホテルがあるということはまったくわからない。

最初に部屋を見てみると、わりといい感じなのでここに泊まることにした。なお、エアコンなし、水シャワー、天井のファンつきの部屋で宿泊料金は1泊300タカ(約390円)。

フロントに戻り、大きな台帳に氏名、国籍、パスポート番号等を書き込んでチェックインを行った。他の宿泊客の書き込みを見てみるとバングラデシュ人とインド人ばかりで、他の外国人はまったく見当たらなかった。

しばらく部屋で休憩。

いったん外出し、まずはロケットスティーマーのチケットを入手するために B.I.W.T.C.(Bangladesh Inland Water Transport Corporation)オフィスへ行くことにした。この時間はもう閉まっているのではないかと思うかもしれないが、ガイドブックによればチケットを予約できるのは 9:00~13:00 と 19:00~2:45 になっているので、行ってみることにしてみた。

出かける際にフロントでオフィスの場所を聞いたところ、知っているスタッフが1人いて、ホテルの前まで一緒に来てリキシャ引きに場所を説明してくれた。礼を言ってリキシャに乗り込み、5分ほどでオフィスの前に到着した。リキシャの料金は5タカ。

下の写真がオフィスの外観で、これは翌々日の昼間に撮ったもの。

最初は門が閉まっていたが、呼びかけると人が出てきて門を開けてくれた。上半身裸で涼んでいたおじさんで、最初は門番かと思ったのだが、なんとこのオフィスの主任らしい人だった。

奥の部屋に通されて、このおじさんにロケットスティーマーの空席状況を聞いたところ、クルナからの便なら空きがあるということだった。祈るような気持ちでここまできたので、これを聞いたときには本当にほっとした。

ロケットスティーマーは約27時間かけてダッカとクルナを往復しているので、毎日便があるわけではない。運航日程を聞いたところ、次の便は翌々日の深夜出発だという。その次の便を選べば、それまでバングラデシュ西部を回ることができるが、そうすると首都ダッカを見る時間がなくなるので、西部は諦めて翌々日の便に乗ることにした。

申込書に氏名、住所、国籍、パスポート番号等を記入し、主任のおじさんにチケットを予約してもらった。なお、チケットはオンライン化されておらず、ここに置いてある大きな台帳がすべてなので、実際にこの場所へ来ないとチケットを予約できないようである。インターネット上にあるバングラデシュ旅行記(数は少ないが)には、ダッカ → クルナのロケットスティーマー乗船記はわりと見かけるが、クルナ → ダッカはほとんどない。案外、これは貴重な体験になるかもしれない。

1等船室の料金は、1人部屋が2,380タカ、2人部屋が1,190タカ。おじさんが「一人旅なら1人部屋のほうがずっと快適だ」と勧めることもあり、ここは1人部屋を選択した。もし2人部屋を選ぶと、誰かと相室になることになる。

なお、ここで作成してもらったのは予約証で、チケット自体は出発前に港近くのオフィスで予約証と引き換えに購入することになる。ともかく、これで無事にロケットスティーマーに乗ることができるようになり、一安心。


B.I.W.T.C. オフィスを出て、ようやく夕食にすることにした。ホテル周辺を歩いていると、地元の人向けの安食堂があったので入ってみた。バングラデシュの一般的な料理はインドと同様にカレーで、ここでは野菜と牛肉のカレーを注文してみた(というより、こういう安食堂では基本的にカレーしかない)。皿一杯のご飯と、ミネラルウォーターを合わせて、値段は60タカ。なお、席に座るとコップ入りの水が持ってこられるが、これは水道水なので絶対に飲めない。

さすがにカレーしかないだけあって、味は結構うまい。特に野菜カレーはなかなかのもので、滞在中に安食堂に入ったときは必ず野菜カレーを頼むようになった。

店員が料理と一緒にフォークを持ってきてくれたので、それを使って食べていたのだが、ふと周囲を見たらみんな手で食べていた。インドは手で食べる習慣があるということは知っていたが、バングラデシュも同様とは恥ずかしながらまったく知らなかった。このフォークは、外国人ということで店員が気を利かせて持ってきてくれたものだったらしい。

やはり手で食べるのは多少抵抗があったので、このときは最後までフォークを使った。しかし、いつも店員が気を利かせてくれるわけもなく、旅行後半では私もとうとう手を使って食べることになった。

夕食後、しばらく周囲を散策し、夜10時半にホテルに戻った。街中の治安状況はどうかというと、特に危険そうな感じはしなかった。人口密度世界一の国だけあって夜中でもとにかく人が多く、人ごみの中にいるほうがむしろ安全という気がする。バングラデシュ2日目は、丸1日をバスでの移動に費やし、これで終了。