バングラデシュ旅行記(クミッラ)

ロケットスティーマーの船旅を終え、続いて首都ダッカの東にあるクミッラという町へ行くことにした。ダッカからそれほど遠くはなく、大きな遺跡もあるのだが、外国人は全く見かけなかった。もともと旅行者の少ないバングラデシュでも、かなりマイナーな町だったようで、この町の滞在記はインターネット上でもかなり珍しいのではないかと思う。


船を下り、ダッカのショドル・ガット周辺を少し歩いてみた。早朝だが、多くのリキシャが客待ちをしている。

ショドル・ガットからリキシャでダッカ中央駅へ移動し、駅の中の小さな食堂でパンとミルクティの朝食にした。

実を言うと、ロケットスティーマーが今回の旅行最大の目的だったので、その後のことは特に考えていなかった。残りの旅行日数のうち、首都ダッカで1日、ダッカ近郊のショナルガオで1日が必要と考えていたので、余裕はあと2日になる。もっと日数があれば東部のチッタゴンあたりへ行ってみたいものだが、さすがにそれは無理。ダッカから2~3時間以内で行ける町を検討したが、ガイドブック(旅行人ウルトラガイド)を見てもなかなか行き先が決まらない。ロケットスティーマーの船内でかなり悩んだ結果、候補をダッカの北にあるモドゥプール(沙羅双樹の原生林がある)と東にあるクミッラ(仏教遺跡がある)に絞り、ようやくクミッラを選んだ。

ダッカからクミッラへは、鉄道とバスの便がある。バングラデシュで一度は鉄道に乗ってみたいと考えていたので、ダッカ中央駅へ来たわけだが、チケット売り場がたくさんあってどこでクミッラ行きのチケットを買えばいいのかわからない。しかも、どのチケット売り場にも長蛇の列ができていて、これでは窓口がわかったとしても購入までにかなりの時間がかかることが予想される。

しばらく考えた結果、鉄道は諦め、行きはバスで移動することにした。クミッラ駅はダッカ中央駅よりわかりやすいだろうから、帰りは鉄道を利用できると思われる。

リキシャでサエダバッド・バスターミルへ移動し、クミッラ行きのバスを探す。ここはバスターミナルの建物があるわけではなく、交差点周辺に各バス会社のチケット売り場と待合室が並び、道路沿いにたくさんのバスが駐車している。かなり雑然としたバスターミナルである。

バスを探して歩いていると、フロントに大きく “COMILLA” と書かれたバスが見つかった。ちょうど出発時間になったところで、走って飛び乗ったらすぐにバスが動き出した。

しばらくは、雑然とした感じのダッカ市街を走る。車窓から市場が見えたので、写真を撮ってみた。

市場の近くにあった(おそらく)歩道橋の跡。階段だけが残されているところが面白い。まさにトマソン。

バスもそれほど悪くはなく、運転は荒いものの、移動はわりと快適だった。なお、クミッラまでのバス料金は110タカ。

ダッカから2時間半、午前11時にクミッラのバスセンターに到着した。このバスセンターが町のどのあたりにあるかわからないので、まずはリキシャでクミッラ駅へ移動することにした。着いてみると意外と近く、距離は数百メートルというところで、これなら歩いていける距離だった。

泊まるところを探す前に、まずは翌日の列車のチケットを購入することにした。窓口で翌日午前中のダッカへの便を聞いたところ、10時の便があり、無事にチケットを購入することができた。エアコンの有無によって値段が違い、エアコンありの車両を選んだところ値段は219タカだった。ハイクラスのチケットにもかかわらず、列車に4時間乗って300円以下なのだから(日本人の感覚からすれば)この国は本当に交通費が安い。

翌日のチケットも購入でき、続いてホテルを探すことにした。駅前にはホテルがあるかと思っていたのだが、全く見当たらない。”HOTEL” という英語表記がないだけで、ベンガル語ではホテルと書かれた建物があるのかもしれないが、これでは見つけることができないし、いずれにしても駅周辺は小汚い建物ばかりなので中に入る気がしない。

そこで、リキシャで移動中に見つけておいた “ABEDIN” というホテルへ行ってみることにした。下の写真がホテルの外観。

ホテルの外観だけを見れば、わりとまともそうな感じがする。中に入り、フロントでテレビを見ていたスタッフに聞いたところ、部屋は空いていて宿泊料金は100タカということだった。

え? 100タカ?

バングラデシュの物価水準に少しずつ慣れてきたためか、100タカと聞いても最初は何も感じなかったが、考えてみれば1泊130円ということになる。私にとって宿泊料金の最低記録は2001年のエジプト・カイロでの約480円だったのだが、今回のバングラデシュ旅行ではクルナの390円で更新し、ここに泊まればさらに大きく更新することになる。

部屋は下の写真のような感じ。今までの旅行で見た部屋の中でも屈指の狭さといえる。窓は割れているが、蚊帳があるので虫についてはそれほど気にすることはないだろう。

こちらがホテルの廊下。まるで独房が並んでいるような気がする。

シャワー室について聞くとコンクリート打ち放しの小さな部屋を見せてくれたが、シャワーはなく大きなバケツと手桶が置いてあるだけ。つまり、ここでバケツに水を溜めて手桶を使って体を洗うわけで、さすがに「シャワーがないホテル」を見るのは初めてである。

予想以上にすごいホテルだが、しかし周囲を歩いてもここよりましなホテルは見つからないようだし、もともとこの町にはこういうホテルしかないのかもしれない。1泊130円といえば話のネタにもなることだし、結局ここに泊まることに決めた。はたして、今後の旅行でここより安いところに泊まることはあるだろうか。

廊下の端から、ホテル前の通りを見下ろすことができる。ダッカやクルナと同様、通りはリキシャの洪水だが、この町ではベビータクシー(三輪自動車)も多く走っている。

いったんフロントに戻って宿泊することを伝え、100タカを払って部屋に戻り、少し休憩した。ベッドに座っていると、監獄にいるような気分になってくる。確認したわけではないが、おそらくこのホテルに外国人が泊まることはほとんどないものと思われる。


休憩後、出かけることにした。目的地はクミッラ郊外にある「モエナモティ」という仏教遺跡。町の中心から乗合いベビーに乗り、いったんコトバリという地区へ移動するということなので、リキシャで乗合いベビー乗り場へ向かった。

乗合いベビーというのは、客数人で利用するベビータクシーのこと。乗り場周辺はリキシャやベビーで大混雑していて、客引きが大声で客集めしているのでコトバリ行きのベビーはすぐに見つかった。

ベビーを見ると、普通に考えれば運転手以外に客3人が限度と思える。ところが、後部座席の3人以外に、なんと運転手の両側にも客が座るという運行体制になっていた。つまり、この狭い車内に運転手を含めて6人が乗るわけである。

私がコトバリ行きのベビーを見つけたとき、すでに後部座席に3人が座っていたので、必然的に運転手の横に座ることになった。とても1人分のスペースはなく、体が車外に半分はみ出している。

この状態で結構なスピードを出して走るのだから、しっかりとつかまっていないと危ない。運転手にぴったりとくっついて乗っていたが、それでも時々落ちそうな気がして落ち着かなかった。

しばらく走ると、後部座席の客が下りていったので後ろに移った。これで落ちる心配がなくなり、一安心。下の写真を見れば、運転手の隣に座るのが非常に不安定ということがわかると思う。

クミッラ中心部から約5キロを走り、コトバリ地区のクミッラ・アカデミー(通称バード。Bangladesh Academy Rural Development)の前に到着した。ここが乗合いベビーの終点になる。なお、ベビーの料金は20タカ。

せっかくなのでバード内に入り、広い敷地内を少し歩いてみた。1950年代に作られた農業研究所だそうで、木々が多く、大学の構内という雰囲気だった。

バードを出て、リキシャで仏教学校の遺跡「サルボン・ヴィハラ」へ向かう。モエナモティ遺跡は丘陵地帯に点在する遺跡群の総称で、その中で規模も大きく、整備されているのがサルボン・ヴィハラになる。

早速遺跡内に入ろうとしたが、チケット売り場が閉まっている。説明書きを見てみると、ちょうど昼休みの時間で、あと30分ほどは入ることができないということだった。

そこで、近くに並んでいた露店でアイスクリームを買い、しばらく休憩することにした。近くにゴミ箱がなかったので、アイスクリームの袋をどこに捨てればいいか聞いたところ、いったい何を言っているのか理解できないという感じで「その辺に捨てて」と言われてしまった。あまりにも「そんなの当然でしょ」という口調だったので、やはりこの国ではゴミは道端に捨てるのが当然と思われていることを感じた。ダッカのショドル・ガットでもみんな平気で川にゴミを捨てていたし、バスの窓から道路にゴミを投げ捨てる光景も何度も見かけたし、このあたりの民度という点では日本とは大違いといえるだろう。仕方がないので露店の椅子の下にゴミを置いたが、やはり罪悪感がある。

やがて昼休みが終わる時間になったので、100タカでチケットを買い、遺跡の中に入った。100タカというのはずいぶん高額だが、もちろんこれは外国人料金。

中に入ると、植木で “WELCOME SALBAN VIHARA” と作られている。

バングラデシュは現在でこそイスラム教徒が約9割を占める国だが、かつてはベンガル地方にも仏教が栄えていた時代がある。ここは8世紀から12世紀にかけての仏教学校の跡で、一辺250メートルの外壁の中に僧坊などがあったという。建物自体は木造だったため残っておらず、基部や壁の石組みが残されている。

遺跡内をしばらく歩き回ってみた。きれいに整備されてはいるものの、結局は崩れかけた石組みがあるだけの遺跡なので、人によってはがっかり名所と思うかもしれないが、私はもともと遺跡は好きなので面白かった。1000年前の光景を想像しながら歩くと楽しいもの。

ここは地元の人たちにとってはデートスポットにもなっているらしく、物陰に親しそうに座っている若い男女を眺めたり、若い男性グループ(そのうち1人は英語がかなり堪能だった)と日本のことなどを話したりしながら1時間ほど散策し、遺跡を出た。

続いて、近くにあるモエナモティ博物館へ。外国人料金の100タカでチケットを買い、中に入る。130円なのだが、バングラデシュの物価に慣れてくると100タカというのはかなり高額に感じられるようになる。

それほど広くはないが、石像やテラコッタなどは充実していた。内部は確か写真撮影禁止だったので、写真は撮っていない。

これでサルボン・ヴィハラを一通り見たので、バード方面へ戻ることにした。万人にお勧めできる場所とは思わないが、遺跡が好きなら訪れて損はないと思う。


サルボン・ヴィハラの前から乗合いベビーに乗り、バードに戻る。来たときはリキシャだったが、サルボン・ヴィハラの前の前にはリキシャが見当たらず、ちょうど乗合いベビーが通りかかったのでそれを利用した。料金はリキシャと同じで20タカ。

バードから数百メートルのところに「イタコラ・ムラ」という遺跡があるということなので、行ってみることにした。ベビーやリキシャが行き交う道路を少し歩くと、右側に “ITAKHOLA MURA” という案内板が現れる。

ここから丘の上に上ると、遺跡が見えてくる。わりと規模の大きい遺跡だが、入場料等は必要ない。

ここは、おそらく寺院の遺跡と思われる。入場料が必要ない遺跡にしては、雑草もきれいに刈られているし、意外と整備されているようである。

リキシャの語源が日本語の人力車なのだから「ムラ」は村なのかと思ったが、さすがにそれは違うようで、調べてみたら「ムラ」は小高い場所、「イタコラ」はレンガという意味ということだった。

イタコラ・ムラで有名なのが、首を切られた仏像。この鉄格子の下に仏像がある。

予想していたものより大きな仏像が置かれている。明らかに人為的に首を切られているようなので、この地方の仏教が終焉を迎えたときに異教徒によって切られたものだろう。なんだか痛々しい。

遺跡の上からの眺め。クミッラはインド国境に近い町で、はるか遠くはインドだという。バングラデシュは周囲をほとんどインドに囲まれた国で、ここから眺められるのはインドのトリプラ州になる。

私はまだインドは旅行したことがない。インドは旅行上級者向きの国のような感じがしてなんとなく躊躇しているのだが、インドよりマイナーなバングラデシュも旅行できたことだし、近いうちにインドへ行くことになるかもしれない。おそらく、かなりハードな旅行になることだろう。

しばらく景色を楽しんだ後、歩いてバードへ戻った。クミッラへ戻る前に、バードの前に並んでいた店に入り、バングラデシュのスイーツ「ミスティ」が置いてあったので注文してみた。牛乳と砂糖から作られる白い団子で、味は驚くほど甘い。まるで砂糖の塊を食べているようで、これまた砂糖がたっぷりと入ったミルクティーと一緒に食べると口の中が凄いことになる。私は甘いものはわりと好きなほうなので、何とか大丈夫だったが。

(なお、ここではミスティの写真は撮っていない。後日、ショナルガオのページで載せることにする)


バードの前から乗合いベビーに乗り、クミッラへ。出発したときと同じ場所で下り、しばらく街中を歩いてみた。周囲はとにかく人が多く、リキシャやベビーが入り乱れて雑然としている。3~4階建ての小さなデパートがいくつかあったので、入ってみたらどれもエスカレーターが動いていなかった。

下の写真は、線路の近くを歩いているときの風景。

近くに制服を着て警棒を持った男性が立っていたので、様子を見ていたら急に笛を吹いて線路上の人を払い始めた。予想していた通り踏切の警備員だったようで、やがて列車がやってきた。土煙を上げながら通り過ぎていく列車のすぐ横を人が歩いていたりするが、バングラデシュでは普通の光景らしく、誰も気にしていないようだった。

散策の途中、安食堂で夕食にした。メニューはいつも通りカレーしかないので、魚のカレーと野菜カレーを頼んだが、今までと違ってフォークやスプーンは出されなかった。いよいよ手を使って食べないといけないようである。

まあ、いつかはこうなるだろうと考えていたので、いったん席を立って手を洗った。安食堂には、必ず手を洗う場所が設けられている。

席に戻ると、近くにいた若者グループがこっちを見て、手で食べる真似をしている。つまり「こんな風にして食べるんだ」と教えてくれているわけで、それに従って手で食べることにした。

ところで、インドやバングラデシュではなぜ食事を手で食べる習慣があるのかというと、手で食べるほうがずっと美味しいからと言われている。主食のカレーを食べる際、米とカレーを徹底的に混ぜたほうが美味しく、スプーンなどを使っていても十分に混ざらないかららしい。つまり、そのほうが美味しいからあえて手で食べているわけであって、何もスプーンなどの食器を発明できなかったからというわけではない。これは食文化の違いであり、手で食べている人たちを見て遅れているように感じるのは間違っている。

では、バングラデシュで初めて手で食べることにする。当然ながら、食べる際に決して左手を使ってはいけないので、案外難しい。地元の人たちは右手の指3本だけで器用に食べているが、慣れないうちはそんなにうまくはいかない。結局は手のひらまでカレーまみれになってしまったが、米と混ぜ合わせたり、魚の骨を取ったりするときは手のほうが便利ということはわかった。確かに、十分に混ぜてから食べるとうまいように思う。

それから、手で食べていると周囲の人たちが意外と喜んでくれるということもわかった。外国人が現地の習慣に合わせて食べていると、やはり嬉しいのだろう。ちょっと周囲の注目を浴びながら食事を終え、笑顔の店員に見送られながら安食堂を出た。

午後6時半にホテルに戻り、30分ほど休憩したあと、散策に出かけることにした。すでに周囲は暗くなっているが、街中は人が多く、特に危険そうな感じはしない。

クミッラ駅前を通り過ぎ、かなり先まで歩いてみた。駅付近にはリキシャの修理をする小さな作業場がたくさん並んでいて、職人さんたちがチェーンや車体の調整を行っている。多くのリキシャは悪路を1日中走っているので、壊れることも多いのだろう。

駅を離れると、小さな店や食堂が並ぶようになった。試しに小汚い雑貨店に入ってみたところ、面白い蚊取り線香があったのでマッチと一緒に買ってみた。”BLACK FIGHTER” という商品名で、忍者がデザインされている。

上の写真は、ホテルに戻って火を点けた状態で撮ったもの。この蚊取り線香は後日ダッカのホテルでも使用したものの、当然ながら旅行中に使いきれるわけはなく、日本に土産として持ち帰った。

夜8時にホテルに戻り、ホテルの廊下から通りの様子を撮ってみた。夜になっても人通りは多い。

ここはシャワーはないので、水浴び用の小部屋でバケツに水をためて体を洗い、ついでに洗濯も行った。シャワーがないホテルは初めてだが、特に困ることはなかった。むしろ、安宿ではシャワーの水の出が悪いこともあるので、それと比べたらバケツと手桶方式は快適とも思える。シャワーがなくても意外と困らないというのは新たな発見だった。

しばらくガイドブックを読み返したりした後、そろそろ寝ることにして蚊帳を下ろしてみた。

なんだか薄汚い蚊帳だが、まあ使う分には問題ないだろう。念のために蚊取り線香にも火を点け、今後これ以上安いところに泊まることはないかもしれないなどと考えながら就寝。

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