グアテマラ&ベリーズ旅行記(ベリーズシティ)

ベリーズ滞在4日目。この日でキーカーカーを離れ、ベリーズシティに戻ることになる。ここは1970年までベリーズの首都だったが、ハリケーンの災害を避けるために現在はベルモパンに遷都している。というわけで首都ではないものの、現在でもベリーズ最大の都市で国の中心になっている。

ベリーズシティでは、ブルーホールを上空から見るフライトを探し、後は近郊の遺跡へ行ってみることにしている。


朝7時に起床。8時にホテルをチェックアウトして船着場へ向かう。3泊したキーカーカーは本当にのどかでいい町だった。何年後になるかわからないが、次回はダイビングをやるために再訪したい。

8時半にキーカーカーを出発。きれいな景色を楽しみながら移動し、9時半にベリーズシティに到着した。3日ぶりにベリーズシティに戻ってきたことになる。

ベリーズシティではブルーホールフライトの手配を行う必要があるが、これは旅行前に見つけておいた旅行会社 BPRP に頼むつもりだった。現地に在住している日本人の方がやっている旅行会社で、何しろ日本語が通じるのでスムーズに手配することができる。

(注)BPRP は当時の名前。現在は Belize Concierge Excellent という名前になっている。

船着場からタクシーに乗り、紙に書いておいた住所を運転手に見せて BPRP へ移動。着いた場所は住宅地にある民家の前で、こちらは勝手に店舗を予想していたのだが、実際は自宅兼事務所になっていた。

タクシーを見て外に出てきた女性が BPRP を運営されているソリス麻子さんだった。客が突然現れたことに驚かれていたようだったが、ツアーの手配について話を聞くために訪れたことを説明すると家の中に招き入れられた。

リビングで少し話したところ、昼の飛行機で日本人の女性旅行者が到着するそうで、しばらくしたら空港へ迎えに行くという。さらにその後は数日間一緒にベリーズを回るそうなので、もし午後にここへ来ていたら会えなかったことになる。早い時間に来ておいて正解だった。

まずはブルーホールフライトについて聞くと、料金は350ドルということだった。約3万円と高額だが(2010年当時のレート)、やはり空からも見てみたいので手配を頼むことにした。スムーズにフライトを予約でき、ほっと一安心。

さらに郊外にあるアルトゥン・ハ遺跡へ行くにはいくらくらいかかるか聞いたところ、それについても送迎を手配できるということなので一緒に頼むことにした(85ドル)。加えて空港への送迎(25ドル)も頼み、これで翌日の予定(午前中アルトゥン・ハ遺跡、午後ブルーホールフライト)が固まった。またベリーズシティの宿泊先についても「スモーキン・バラム」という安宿を紹介してもらい、行ってみることにした。これで一通りの手配が終わったことになる。

そろそろソリス麻子さんが空港の送迎に出発するということなので、ついでにホテルまで送ってくれることになった。車の中で話したところベリーズに滞在している日本人は10人ほど、訪れる日本人旅行者は年間100人以下ということだった。今回の旅行では何度も思っているが、これほどきれいな海を見ることができ、さらにブルーホールというスポットもあるというのにベリーズが日本人にとって非常にマイナーな国なのが実に不思議。中米を旅行する人もベリーズを飛ばす人がなぜか多いようだし、この国へ行かないのは本当にもったいない。

移動中、この日の午後に日本人女性旅行者と一緒に市内の半日ツアー(30ドル)をやるが一緒にどうかとの誘いがあった。もう少しソリス麻子さんと話してベリーズ情報を仕入れたかったこともあり、参加することにした。

10時半にホテル前に到着。12時に迎えに来るということなので、いったん別れた。下の写真がスモーキン・バラムの外観。

宿泊料金は27.5ベリーズドル(米ドルだと13.75ドル)。1階でチェックインを行い、2階に客室がある。

ホテルの部屋はこんな感じ。典型的な安宿でベッドと机以外は特に何もないが、これで十分だろう。トイレとシャワーは共同。

2階にちょっとしたテラスがあったので外を眺めてみた。市街中心部に近いが交通量はそれほど多くはない。

少し休んだ後、外出して市街中心部へ歩いてみた。船着場を過ぎスイング橋を渡ると道幅は少し広くなるが、やはり交通量はそれほど多くない。

銀行の ATM でツアー料金として支払う分を含めて950ベリーズドルを引き出し、少し散策した後いったんホテルへ戻った。

12時前、ロビーで待っているとソリス麻子さんが運転する車が到着した。乗り込むと、この日の飛行機でベリーズに到着したという日本人女性旅行者が同乗していた。日本では旅行会社勤務だそうで、この人がベリーズで出会った唯一の日本人旅行者ということになった。

では半日ツアーに出発。最初に訪れたのはセントジョンズ・カテドラル。

建てられたのは19世紀初め。ソリス麻子さんの説明によると、ベリーズからヨーロッパへ農産物を輸送する際、ヨーロッパからは空船になるのでバラストとしてレンガを積んでいたという。そのレンガを利用して建てられたのが、このカテドラルということだった。つまり、このレンガはヨーロッパから持ち込まれたものということになる。

カテドラル内はこんな感じ。

今は誰もいないが、ミサの風景を見てみたい気もする。

続いて小さなレストランで昼食。注文したのはコンク(Conch)という貝のスープで、昼食代はツアー料金に含まれている。

食事中、ベリーズについていろいろと聞いてみた。私がベリーズに来るきっかけになったテレビ番組は BPRP でコーディネートされたということなので、ロケの様子について聞いたところ仕込みというわけではなく泊めてくれる所を実際に船で探し回ったということだった。そういえば、あの番組では海面をイルカが飛び跳ねている場面もあったが、今回の旅行ではイルカは見ていない。次回ここへ来るときは、ぜひともイルカを見てみたい。

それにしても、このテレビ番組がきっかけで実際にベリーズへ来たのは私が初めてらしい。わりと視聴率の高い番組だと思うが、あの景色を直接見てみたいと考える人は他にいないのだろうか。こんなにきれいな景色が見られるというのに行動を起こさないのはもったいない。

昼食後、ベリーズ博物館へ。かつて刑務所だった建物が現在は博物館になっている。

展示内容はベリーズの歴史、遺跡の出土品、ベリーズに生息している昆虫の標本などだが、やはりマヤ関係の展示品が多くを占めている。写真撮影は禁止ということだったので写真は撮っていない。

出土品の中では、やはりヒスイの仮面やアクセサリー類が興味深い。それからベリーズは切手も有名らしく、カラフルな切手がたくさん展示されていた。一番奥の部屋が昆虫標本の展示室で、きれいな蝶などもあるが、やはり熱帯地方だけあって大きな黒い昆虫の標本もあった。生きている状態で見たら、ちょっと怖そうだ。

ベリーズ博物館の後、ショッピングセンターに立ち寄って土産物等を買い込んだ。買ったのはベリーズ産のラム酒、ベリキンビール(本当は缶のほうがよかったのだが、缶は製造されていないということなので仕方なく小ビンを何本か)、グアバジャム、ハバネロの調味料、コーヒーなど。ラム酒については、帰国後に会社に土産として持っていったところラベルの “PRODUCT OF BELIZE” を見て「ベリゼという会社の製品?」と聞いてきた人もいた。本当に、日本ではベリーズという国があることも知らない人が多い。

午後2時半、市内ツアーを終えてホテル前に到着し、ソリス麻子さんと日本人旅行者の方に挨拶して別れた。次回ベリーズへ行くときも BPRP に連絡してソリス麻子さんとお会いしたいものだ。


午後4時、再び外出して散策してみた。市街はわりと人通りも多く、歩いていても特に治安が悪そうな感じはしない。ベリーズシティ到着日に船から見たツーリストビレッジへ行ってみたかったのだが、ここはカリブ海クルーズ船が寄港する火曜日と木曜日のみオープンということで、この日は開いていなかった。残念。

市街を歩いていると、なんとヒンドゥ教の寺院があった。

中米諸国は基本的にカトリックだろうし、アジア系の人間としては華僑ばかりを見かけたのでヒンドゥ教は意外だった。今回は見かけなかっただけで、実はインド系の人たちも多いのだろうか。

夕食は中華料理店に入ってみた。店に入るとバーになっていて、奥の扉の先がレストランになっている。ベリーズシティでも華僑が経営している店は多いようだった。

注文したのはシーフードのチャーハンとワンタンメン。まさかチャーハンの量がこれほど多いとは思わず、食べきるのにかなり苦労した。味はかなりうまく、どの国でも中国人がやっているレストランは、外れはない。

食後もしばらく散策を続け、やがて薄暗くなってきたのでホテルに戻った。ホテルの廊下にあった本棚になぜか地球の歩き方が数冊置いてあったので、メキシコ編を借りて部屋で読んでみた。メキシコもマヤ文明遺跡の宝庫なので、読んでいると行きたくなってくる。特にチチェンイツァとパレンケはぜひとも見てみたい遺跡で、次回はメキシコからベリーズへ入るルートを通ってみたいものだ。

しばらくガイドブックを読んだ後、シャワーを浴びて就寝。翌日はベリーズ滞在最終日になる。