グアテマラ&ベリーズ旅行記(グアテマラシティ~フローレス)

朝10時45分、長崎空港を出発。今回は行き帰りとも成田ではなく羽田への移動になるため、いつもの福岡空港ではなく長崎空港発着とした。福岡空港よりかなり近いので助かる。

羽田空港からは京急のエアポート快特で成田空港へ移動。成田空港は今まで数回利用したことがあるが、いずれも飛行機で直接到着したため、こうやって列車で移動するのは初めてになる。羽田から2時間ほどで到着したが、成田に近づくにしたがって本当にこんなところに国際空港があるのかと思うくらい周囲が田園風景になっていくところが面白い。

空港第2ターミナル駅で列車を降り、アメリカン航空のカウンターでグアテマラシティまでのチェックインを行った。アメリカン航空を利用するのは2006年のペルー旅行以来。


夕方7時に成田を出発。ダラスまでは約11時間のフライトで、各座席にモニターがあるためそれほど退屈はしなかった。現地時間の午後3時半にダラス・フォートワース国際空港に到着。

ここでの乗り継ぎ時間は1時間半しかない。旅行前は少し心配していたが、ちょうど到着便が少ない時間帯だったのか入国審査の列に並んでいる人が少なく、アメリカ入国~出発ゲートへの移動を1時間ほどで行うことができた。ほっと一安心。

午後5時にダラスを出発し、3時間のフライトを終えて夜8時にグアテマラシティのラ・アウロラ空港に到着した。ダラスとグアテマラには時差はない。

スムーズに入国審査を終え、私にとって34ヶ国目となるグアテマラに入国した。スペイン語圏は2006年のペルー以来となる。空港で米ドルをグアテマラの通貨ケツァルに両替したところ、1ケツァルは約11円だった。


この日のホテルは予約してあるので、そこへ移動するだけでいい。タクシーでの移動になると思っていたが、ターミナルを出るとホテルの無料シャトルサービスがあった。さすが有名チェーンのホリディイン。

10分ほどでホテルに到着し、チェックインと翌日のシャトルサービスの時間を確認してから部屋に移動した。さすがに客室内は快適なもので、これで約6,500円(この当時のレート)なのだから、かなりお得といえるだろう。

夜11時半に就寝。


翌日は朝4時に起床。早朝の飛行機でフローレスへ向かうので、こんな時間に起きないといけない。

ホテルをチェックアウトし、シャトルサービスで空港へ。グアテマラは小さな国なので、国内線はグアテマラシティ~フローレス間しかない。タカ航空のカウンターでチェックインを行い、出発ゲートへ。なお、タカ航空のフライトはユナイテッド航空のマイレージに加算できる。2009年のヨルダン旅行の際のマイレージが失効する直前だったので、これで期限を延長できて助かった。

チェックインのときに日本人旅行者の方と出会った。この人とは、夕方以降にフローレスでしばらく一緒に行動することになった。

6時半に出発。今回は日数が足りないためグアテマラはフローレスとティカルだけしか見ないが、いつかグアテマラシティやアンティグアも旅行してみたい。

フローレスまでのフライト時間は約1時間。到着直前には、この日の目的地ペテンイツァ湖にあるフローレス島も眺めることができた。

7時半にフローレス空港に到着した。タラップを下り、乗ってきた飛行機の写真を撮ってみた。

小さなターミナルを出て、フローレス市街へ向かう。空港から市街へは乗り合いタクシーのようなシステムがあり、空港で会った日本人旅行者と一緒に乗り込んだ。料金は20ケツァル。

すでに雨季は終わっていると思っていたが、早朝に雨が降ったらしく地面に水溜りができていた。雨のことは何も考えておらず、雨具などは何も持っていないので少し不安な気持ちになる。

やがてフローレス島へ渡る道路が見えてきた。フローレスの町は陸側のサンタ・エレーナ地区とフローレス島からなっている。

道路を渡って島に入ったところで乗り合いタクシーを降りた。一緒に乗ってきた日本人旅行者の方は、フローレスには泊まらずグアテマラシティからの日帰りだそう。このままティカルへ行くということなので、ここで別れることにした。(この人とは夕方に偶然再会することになる)

まずは泊まるところを探さないといけないが、ここはティカル遺跡への拠点となる町として旅行者向けの小さなホテルやゲストハウスが並んでいるので宿泊場所に困ることはない。島の中は、どの建物のカラフルなので歩いていると面白い。

小さな島なので、歩いているとすぐに一周できる。一回りした後「ミラドール・エル・ラゴ」という安宿に入ってみたところ女主人がわりと英語を話せる人だったので、ここの部屋を見てみることにした。翌日のティカルと翌々日のベリーズシティへのミニバスの手配をホテルに頼まないといけないので、英語が通じるかどうかは実は案外大きな問題。

宿泊できる部屋は道路を挟んで向かい側にある「ミラドール・エル・ラゴ2」だそうで、鍵を渡されたので自分で見に行くことにした。建物入口に鉄格子の扉があり、この扉の鍵と部屋の鍵がセットになっている。小さな町ということもあって特に治安が悪いようには思えないが、地元の人たちにとってはこのくらい気をつけるのは当然のことなのだろう。

こちらが安宿の部屋。前日のホリディインとは相当な落差があるが、まあ安宿の部屋はこんなものだろう。宿泊料金も1泊50ケツァル(約550円)と安いので、ここに泊まることにした。

荷物を置き、いったん道路の向かい側のフロントに戻って2泊することを伝え、さらに翌日のティカル遺跡への送迎(60ケツァル)と翌々日のベリーズシティへの移動(150ケツァル)を手配した。スペイン語圏のグアテマラでは高級ホテルや旅行店を除いて英語はほとんど通じないと考えていたが、ここの女主人はわりと英語を話せるためスムーズに手配を行うことができ、助かった。

泊まるところも決まり、続いて散策に出かけることにした。島の中央はちょっとした丘になっていて、頂上にあたる場所に教会がある。中を覗くと、神父が大勢の前でなにやら話していた。考えてみれば、今日は日曜日なので地元の人たちが集まっているのだろう。

また、クリスマスまで1ヶ月ほどなので教会前の広場には大きなクリスマスツリーが作られていた。

さらに島内を散策。小さな路地もなかなかいい感じ。

ペテンイツァ湖のほとりの風景。湖沿いには小さなレストランも多く、滞在中には外国人が食事をしている風景がよく見られた。

いったんホテルに戻って少し休んだ後、再び出かけることにした。


フローレス島からサンタ・エレーナ地区へ渡ったところにファーストフード店があり、ここで昼食にした。注文したのはトルティーヤ(薄焼きパン)とポテト、飲み物のセットで、トルティーヤは結構ボリュームがある。

ところで、トルティーヤの横に黒あんのようなものが盛られていて、甘いのかと思って食べたらそれほど味がしなかった。見た目は黒あんだが、小豆から作られているわけではないらしい。トルティーヤにはさんで食べるものらしいが、正体がよくわからないので知っている人がいたら教えてほしい。

昼食を終え、サンタ・エレーナ地区を歩いてみた。フローレス島の静かな感じとは対照的な雑然とした町だったが、しばらくして「そういえば、ここでは車がクラクションをまったく鳴らさない」ということに気づいた。

今まであちこちを旅行してきた経験から「クラクションを滅多に鳴らさないのが先進国、鳴らしまくりなのが途上国」と考えていたのだが、ここでは交通量は多いもののクラクションの音をほとんど聞かない。この後も旅行中にクラクションのことを注意していたが、グアテマラとベリーズではほとんど聞くことはなかった。南米のペルーを旅行したときはどの車も鳴らしまくりだっただけに、これは意外だった。

フローレス島から2キロほど歩いたところにバスターミナルがある。ここからミニバスでレマテという村へ向かうことにした。この村の近くに「ビオトポ・セロ・カウイ」という自然公園がある。

ティカル遺跡へ行くのは翌日なので、この日の午後はフローレスを見ることにしていたが、この「ビオトポ・セロ・カウイ」へ行くか、ペテンイツァ湖にある島へ渡るか、少し悩んでいた。ホテルの部屋で考えた結果、島へ渡るには船頭との交渉が必要というのが面倒だったこと、ミニバスで少し遠出したくなったことからレマテ村へ行くことにした。バス料金は30ケツァル。

ミニバスの車内は地元の人たちで満員。レマテ村へ直行するのかと思ったら、バスターミナルを出発してすぐ市場らしい地区へ入っていった。両側に露店が並び、大勢の人たちが歩いている細い道を低速で通り抜け、少し広くなったスペースに停車してなぜか運転手が降りていってしまった。他にもミニバスが数台並んでいたので、ここもバス乗り場になっているようだが、物売りたちは次々とやってくるものの運転手がなかなか戻ってこない。結局、この場所に30分近く停車し続け、ようやく運転手が戻ってきて出発した。

レマテ村はフローレスからティカルへ向かう途中にあり、走り出してから40分ほどで終点のバス停に到着した。下の写真の右側の道路がティカルへ向かう幹線道路で、左へそれる道路に「ビオトポ・セロ・カウイ」という看板が出ている。

この道路を進んでいくと、地元の子供たちがサッカーの練習をやっているグラウンドがあり、さらに進むと未舗装のぬかるんだ道になった。なぜか馬が何頭も放し飼いになっていて、普通に道を歩いていることに驚かされる。

やがてビオトポ・セロ・カウイの入口に着いた。

管理人らしいおじさんからチケット(40ケツァル)を買い、自然公園の中に入ることにする。おじさんが地図の前で説明してくれるが、すべてスペイン語なのでよくわからない。

地図を見ると、数キロ歩いたところで道が二手に分かれ、ずっと先に展望所があることになっている。ともかくも歩き始めることにした。

起伏はあるものの道は単調で、ずっとこんな景色が続く。

「ペテンイツァ湖畔の自然公園」ということで、ここへ来る前は公園内から湖の風景を眺めることができるのだろうと考えていた。ところが、実際はどれほど歩いても上の写真のような感じで、周囲の景色はほとんど変わらない。どうやら、はるか先にある展望所まで行かないと湖の景色を見ることはできないようである。

いい加減に歩き疲れてきたころ、休憩所があった。ここに休憩所があったことが後になって非常に幸運だったと思い知ることになる。

少し休んでから先へ歩き出したが、行けども行けどもジャングルの中。あまりにも景色が変わらないので歩く気力をすっかりなくしてしまった。ここは自然の景色の他に動物を見ることができる場所ということにもなっているようだが、そもそも野生動物は夜行性が多いので、明るい時間にはほとんど何も現れない。

結局、ずっと先にある展望所へ行くことは諦め、引き返すことにした。途中、この公園内で初めて他の来訪者(欧米人の老夫婦)とすれ違い、先ほど見かけていた休憩所の横を通り過ぎたところでなんだか周囲の雰囲気が変わってきた。

急に薄暗くなり、遠くから風のような音が聞こえてくる。先ほどまでは晴れていたというのに、こんなに急に変わるものだろうか、などと考えているうちにもジャングルの木々が風に揺れているような音は次第に大きくなってくる。その音がこちらへ近づいてきたところで、ようやくこれは風ではなく雨の音ということに気づいた。

大急ぎで道を引き返し、最後は全力疾走で休憩所に駆け込んだところで周囲は猛烈な雨になった。まさに間一髪というところで、偶然にも休憩所の近くを歩いていて本当に幸運だった。

先ほどすれ違った老夫婦が気になるが、しかし外には出られないので休憩所の中で雨が止むのをひたすら待つ。かなり激しい雨だったが、30分ほどで小降りになり、やがてすっかり止んでしまった。熱帯特有のスコールだったらしい。

かなり小降りになったところで、先ほどの老夫婦が横を歩いていった。2人ともほとんど濡れていなかったので、どうやら別の休憩所に避難していたらしい。私と同様、この人たちも幸運だったようだが、さすがに先へ歩く気力はなくしたらしく入口の方へ引き返していった。

私のほうも入口へ引き返すことにした。雨のためところどころに水たまりができていて、注意しながら入口まで歩くと管理人のおじさんが笑いながら迎えてくれた。私がほとんど濡れていないのを見て喜んでくれているようなので、こちらも笑顔で挨拶してからビオトポ・セロ・カウイを出た。

外に出ると道の対岸が公園になっていたので入ってみた。ペテンイツァ湖畔に桟橋と東屋などが作られていて、地元の人たちの憩いの場になっている。先ほどの雨とは一転し、周囲は晴れている。

東屋に座っていると次第に周囲に家族連れが増えてきたので、場所を譲って出発することにした。雨の後なので、かなりぬかるんだ未舗装の道を歩き、20分ほどでレマテ村に着いた。

これからフローレスへ戻るわけだが、バスがいつ来るのかわからない。小さな商店に入ってバスのことを聞くと、道路沿いで待っていればやがて来るということらしいので(もちろんスペイン語なので雰囲気でそうわかっただけ)、ともかくも待つことにした。

待ち始めて30分ほど経ち少し不安になってきたころ、ようやくバスがやってきた。乗り込むと、なんと偶然にも午前中にフローレスで別れた日本人旅行者と再会した。このミニバスはティカルからやってきたものらしい。

あまりの奇遇に驚いたが、せっかくなのでバスの中でティカルについていろいろと聞いてみたところ、チケットがなんと150ケツァルもするということだった。また、かなり大規模な遺跡で相当に歩かされるということなので、それに備えてこの日は早く休んだほうがよさそう。

その後もバスの中でお互いの旅行のことなどを話し、40分ほどでフローレスに着いた。バス料金は25ケツァルだった。


路線バスではなく観光客用のミニバスだったためか、着いたのはバスターミナルではなくフローレス島。日本人旅行者の方は夜の飛行機でグアテマラシティへ戻るということなので、それまで一緒に散策することにした。

サンタ・エレーナ地区を散策中、銀行の入口でこういう光景を見た。「銃は持ち込み禁止」というのが、なんとも生々しい。フローレスは小さな町なので治安は良好に思えるが、こういう光景を見るとグアテマラが1990年代半ばまで内戦が続いていた国ということを実感する。

銀行は開いていなかったが、ATM コーナーがあったのでケツァルを引き出してみようとした。しかしながらドアに鍵はかかっていないものの ATM 機に電源が入っておらず、使うことはできなかった。

雑然とした感じのサンタ・エレーナ地区を散策した後、フローレス島に戻った。島に入ると周囲は静かな雰囲気になる。湖沿いの安そうなレストランに入り、せっかくなのでビールを頼んでみたところ店員が瓶ビールを持ってきたもののビールを注ぐグラスがない。店員に言ったら持って来てくれたが、その様子から見るとこの辺りではビールをグラスに注ぐという習慣がないような感じだった。これは、この後ベリーズを旅行したときも同様で、どのレストランでも客はグラスを使っていなかった。この地域ではビールは瓶から直接飲むというのが当然のことらしい。

日本人旅行者の方と旅行のことなどを話しながら食事を終え、近くにあったインターネット店でメールを確認した後(料金は2ケツァル)、そろそろ飛行機の時間が近づいてきたということなので別れることにした。職業はなんと僧侶の方だそうで、旅行先でのこういう出会いもなかなかいいものだと思う。

トゥクトゥクで空港へ出発していったところを見送った後、ホテルに戻った。トゥクトゥクといえば東南アジアや南アジアで見かける三輪タクシーだが、ここにもまったく同じような乗り物があり、名前もトゥクトゥクと言うらしい。

ホテルのフロントで鍵を受け取り、部屋に戻ったところで停電した。廊下から外を見たところ、フローレス島全体が停電しているらしく周囲は真っ暗。こういうこともあるかもしれないと思って懐中電灯を持ってきていたのでとりあえずは行動できるが、あまり電池を無駄にしたくはない。そこで、フロントへ行ってロウソクをもらうことにした。

ところが、ロウソクはくれるもののマッチは数が少ないため貸し出せないということなので、火を点けた状態で注意しながら部屋に戻り暗い中でしばらく休憩。ロウソクの光だけでどうやってシャワーを浴びるかを考えていたところ、幸いにも30分ほどで電気は復旧した。水シャワーを浴び、翌日に備えて夜8時半に就寝。