ウズベキスタン旅行記(タシケント~ムイナク)

昼12時頃に福岡空港を出発し、1時間ちょっとでソウルに到着。福岡からだと東京より近い。

ソウルでの待ち時間は5時間ほどあり、夕方6時に出発。夜10時、タシケント空港に到着した。日本とウズベキスタンには4時間の時差がある。なお、予定では夜9時に到着予定だったので、1時間遅れたことになる。

ウズベキスタンは「シルクロードで栄えた歴史の国」として日本人にも人気の旅行先なので、飛行機にも日本人ツアー客が大勢乗っていた。帰国後に調べたところ、中央アジアは「西遊旅行」と「ユーラシア旅行社」が強いらしく、たしかにウズベキスタンではこの2社の旗を持ったツアーの添乗員を何度も見かけた。

入国審査に並んだが、遅々として進まない。長い行列ができているわけではないのだが、役人さんたちの仕事が非常に遅く、ウズベキスタン入国に30分かかった。

入国審査の次は税関審査だが、ウズベキスタンは独特で、カメラなど高価なものと持ち込む現金の額とを正確に申告する必要がある。それを2枚の申請用紙に同じように記入し、審査後に1枚は戻されて出国時まで大事に保存しておかないといけない。出国の際にも現金の額などを申請用紙に記入し、入国時に戻された用紙とともに提出する。そこで係員が両者の内容を見て、現金が適切に減っているかどうかを確認するというシステムになっている。現金が減っていれば問題はないが、これが増えていたりすると「どこかで働いたのではないか」と疑われて取調べを受けることになる。

こういうシステムのため、係員が2枚の用紙の内容に違いがないかを細かく確認する必要があり、この行列も遅々として進まない。結局、税関審査を抜けるのに1時間かかり、11時半にようやくターミナルを出た。今まで、入国審査に時間がかかった国はあったが、税関審査に1時間もかかる国は今回が初めてだった。

外に出て、ターミナルの写真を撮ってみた。

ちなみに、ウズベキスタンでは空港や駅や地下鉄などの交通機関、軍の施設、さらに橋脚などの写真を撮ることは厳禁となっていて、見つかるとカメラが没収されることもあるそうである。さすが旧ソ連という感じで、今回も危なそうなときは自粛していた。上の写真は、このくらい離れたら大丈夫だろうと思って撮ったものだが、それでもちょっと緊張した。

ホテルへの送迎のドライバーと会う必要があるのだが、到着予定時刻の9時から2時間半も経っているので、はたしてまだ待っているか不安な気持もあった。ターミナルの敷地を出たところに大勢の運転手が客待ちをしていて、近づくと私の名前が書かれた紙を持っている人がいたので、このときはほっとした。

ドライバーに挨拶して、一緒に車に向かう。空港の駐車場に停めると金がかかるということで、車は少し離れた路上に駐車してあった。乗り込んで、まずは予約してあるホテルの予約確認書と鉄道のチケットを受け取り、料金の155ドルを支払った。鉄道のチケットはキリル文字だけなので、「サマルカンド」と「タシケント」は推測できるが、他は読めない。

では市街へ出発。途中、ドライバーが「両替はしたのか」と聞いてきた。まだウズベキスタンの通貨スムを入手していないことを話すと、「では、自分が闇両替を行ってもいい」と言ってきた。自分で「ブラックマーケット」という言葉を使うことにも驚くが、提示してきたレートが1ドル=2,200スムと案外よかったので、200ドルを両替することにした。目安としてスムを25分の1にすれば日本円になるという感じ。

話がまとまり、ホテルに着く直前に道路わきに車を停めて両替を行った。この国では最高額紙幣が1,000スム札で、約40円の価値しかないため、200ドルを両替すると440枚の札束になる。

ドライバーは、車外から見えないように隠しながら札束を渡し、「早くバッグにしまって」とせかしてきた。その感じからすると、これは見つかったら困る行為のようだった。(もっとも、旅行中に何度も闇両替を持ちかけられたので、これは案外広く行われているようだった)

こういうやり取りを経て、深夜0時に予約していたウズベキスタンホテルに到着。ドライバーと挨拶して別れ、チェックインを行った。なお、フロントに表示されていた両替レートを見ると1ドル=1,700スム程度になっていた。ホテルのフロントでは両替レートが悪いというのは世界共通だが、それでも先ほどの闇両替のレートはまともだったということになる。

このホテルはかなり規模が大きく、下の写真が泊まった部屋。この通り設備はなかなかのもので、これで50ドルなのだからお得といえるだろう。

これが両替で入手した440枚の札束で、これだけの札束を見る機会はそうはないと思うので写真を撮ってみた。これだけ持っているとなんだか金持ちになったような気分になるが、これで200ドル分。財布に入りきれない分は、ビニール袋に入れて持ち歩くことになった。

丸1日の移動で疲れたので、シャワーを浴びて深夜1時に就寝。


翌日、朝4時半に起床。朝の飛行機でヌクスへ向かうので、早朝に起きないといけない。

ホテルをチェックアウトし、預けていたパスポートを受け取ると、小さな紙切れ(レギカード)がはさまれていた。このカードは出国時まで大切に保管しておかないといけない。

ウズベキスタンには「レギストラーツィア」という滞在登録制度(通称レギ)があり、原則として外国人はすべての滞在日に滞在登録をしないといけない。ホテルに宿泊する場合はホテルが代行するので旅行者としては特に気にする必要はないが、ごく小さなホテルや民家などに泊まるとき、あるいは夜行バスで移動するときなどはレギができない。この場合、厳密に言えば自分で移民局へ行って外国人登録を行う必要がある。

レギがない状態なのがばれると、10万円以上の罰金が科せられた上で国外強制退去になるという恐ろしい制度だが、実際は形骸化していてレギがなくても問題なく旅行を続けられることがほとんどだという。これで捕まるのはよほど運が悪いケースで、私もムイナクのホテルでレギができず、1日だけレギがない状態だったが、出国時も特に問題なかった(そもそも係員がパスポートにはさんであるレギカードの束を見てもいない)。しかしまあ、絶対に問題ないとも言い切れないので、レギができないホテルに宿泊するときは注意してほしい。

朝食はまだ準備ができていないので、早朝出発者用に用意されているランチボックス(サンドイッチ、リンゴ、水、ヨーグルト等)を受け取り、フロントでタクシーを呼んでもらった。

タクシーを待つ間、外に出てホテルの外観の写真を撮ってみた。かなり大規模なホテルということがわかると思う。

5時半ごろホテルを出発し、約20分で空港に到着した。前日到着した国際線ターミナルから少し離れたところにある国内線ターミナルへ行くと、日本人旅行者が20人ほどいる。会話しているところを聞いていると、これから飛行機でウルゲンチへ移動し、ヒヴァへ行くようだった。

私のほうはヌクスへ行くので、日本人旅行者とは別のウズベキスタン航空カウンターでチェックインを行った。待合室で待機していると日本人旅行者たちがウルゲンチ行きの飛行機へ出発していき、やがてヌクス行きの搭乗時間になった。

バスで飛行機へ移動すると、ヌクス行きはプロペラ機だった。写真を撮りたくて仕方がないのだが、軍服を着た人が監視しているので諦めた。

機内は自由席で、乗り込んだのが遅かったのだが、何とか窓際に座ることができた。飛行機が動き出すと、乗っている飛行機と同型機の横を通ったので写真を撮ってみた。

乗っている飛行機は IL-114-100 型機。型番から分かる通り、旧ソ連のイリューシン機である。かつてラトビアのリガからモスクワまでツポレフ機に乗ったことはあるが、イリューシンは今回が初めてになる。せっかく珍しい飛行機に乗っているというのに、近くで写真が取れないのが残念。

朝7時過ぎに離陸。ヌクスまでは砂漠地帯を横断するので、飛行機から見える景色はずっとこんな感じ。

午前10時、ヌクスに到着。プロペラ機ということもあり、タシケントから3時間近くかかった。

今回利用したウズベキスタン航空国内線は、以前乗ったことがあるという人から「今まで乗った中で最悪」という話を聞いたことがあった。また、インターネットで調べても「冷房が効かなくて機内が40℃近くあった」などという体験談もあり、はたしてどんなものかと思っていたのだが、実際に乗ってみると何も問題はなかった。これは3日後に乗ったウルゲンチ~タシケント間も同様で、最悪の体験をするのはよほど運が悪いケースらしい。

この日の目的地、ムイナクはここから210キロの距離がある。路線バスは朝夕の1日2便あるが、朝の便が出た後なので、移動手段はタクシーしかない。ターミナルを出ると、早速タクシーの運転手が寄ってきたので交渉することにした。ちなみにウズベキスタンにはメーター制のタクシーはなく、料金は交渉になる。

最近はムイナクへ行く旅行者自体が減っていて、そのほとんどがヌクスからの日帰りになっていることから、この運転手も私が日帰りでムイナクへ行くものと思っていたようだった。しかしながら、私はムイナクの町をゆっくり歩いてみたかったので、1泊するつもりでいる。そのことを伝えると、最初は「ムイナクは日帰りで2時間くらい見れば十分だ。あんなところに泊まることはない」と言ってきた。しかし私が気持を変えなかったので、結局は諦めて片道だけ乗せてくれることになった。

料金は最初は100ドルと言ってきたが、交渉して70ドルで決着した。値切ればもっと安くなったと思うが、何しろ移動に3時間ほどかかり、ずっと車内で一緒にいることになる。極限まで値切って雰囲気が悪くなるのもどうかと思うので、この値段で妥協した。相場より高く払うことを絶対に許せない人もいると思うが、私は状況によっては相手を気分よくさせておくことも必要と考えている。

(このように書くとスムーズに交渉しているように思うかもしれないが、中央アジアでは外国語といえばロシア語なので、この運転手もロシア語は話せるが英語はほとんど話せない。お互いに片言の英語と数字の筆談になるが、それでも何とかなってしまうもの)

午前10時半、ヌクスを出発。町を抜けると、やがてアムダリヤ川を渡る。かつての大河が現在はすっかり水量が少なくなり、河原で砂塵が舞っているのが見える。

この後、アラル海に行きつく前に川は消えてしまい、アラル海への水の供給はなくなっている。

なお、中央アジアの2大河川「アムダリヤ川」「シルダリヤ川」については、「ダリヤ」が川という意味なので「アム川」「シル川」というのが本来は正しいのだが、ここでは慣習に従って「アムダリヤ川」「シルダリヤ川」と呼ぶことにする。

ムイナクまでは3時間。途中、舗装工事中の悪路が続く区間があり、そこではノロノロ運転になるが、それ以外は快調に飛ばすことができる。下の写真は運転手の休憩中に撮ったもので、このように地平線まで一直線に道路が続いていることが多かった。

コングラートという町を過ぎると、あとはすれ違う車もほとんどなくなった。そしてヌクスから3時間、ようやくムイナクの町外れの標識が見えてきた。ここでは運転手に頼んで車を停めてもらい、近くで写真を撮ってみた。

なお、この Moynaq という町はモイナックと表記されることも多いが、現地の発音はムイナクだったので、ここではムイナクと呼ぶことにする。

標識を過ぎると町に入り、最初に小さなバス乗り場が見える。そこからメインストリートを進むと市役所のような建物があり、その向かい側の建物が博物館になっていると運転手が教えてくれた。さらに先へ進み、町の反対側の外れに近づいたところにホテルがある。

これが町に1軒しかないホテル「アイベク」。外観だけを見ると、かなりきれいそうに思える。

ホテルの前で車を降り、中に入る。運転手も一緒についてきて、知り合いらしくホテルの主人と談笑している。主人の息子らしい若いスタッフに部屋を見せてもらったところ、予想以上にまともだった。

部屋はいいのだが、しかしながらこのホテルは水がほとんど使えない。共同のトイレは水が出ず、横に置いてあるバケツの水を柄杓で汲んで流すようになっている。水道からはほんのチョロチョロとしか水が出ないので、当然ながらシャワーもない。

今まであちこちを旅行してきた中でも、シャワーがないホテルはここが初めてになる。この町には他にホテルはないのでここに泊まるしかないのだが、水がほとんど使えないことは旅行前にインターネットで調べていたので、それに備えて日本からウェットタオルを持参していた。

フロントに戻ると、運転手が「本当にここに泊まるつもりか」と再度確認してきた。私が気持を変えていないことを伝えると、ようやく諦めたらしく、スタッフに挨拶して車で去って行った。

宿泊料金は夕食付きで20,000スム(約800円)。夕食つきでこの値段なのだから、日本人の感覚からすれば安く思えるが、実は旅行の参考にしたガイドブック「旅行人ノート」には3,000~6,500スム程度(交渉次第)と記載されているので、それと比べるとかなり高い。しかしながら、旅行前に最近の情報を調べていると20,000スムを提示されて値引きにはまったく応じてくれなかったという記述がいくつも見られたので、今は20,000スムで固定したのかもしれない。私も一応ディスカウントを言ってみたが、やはり無駄だった。

まあ、交渉がうまいかどうかで値段が変わるのも不公平という気がするので、値段が固定されているのは明朗とも言えるかもしれない。他に選択肢もないことだし、この値段でここに泊まることに決めた。ただし、このホテルはレギができないので、ここに泊まるとレギなし状態になる。

かなりページが長くなったので、ホテルの近くで見た船の墓場については次のページに載せることにする。