ウズベキスタン旅行記(タシケント)

ウズベキスタン滞在最終日。この日の夜の飛行機でソウルへ向かうことになる。それまで首都タシケントを散策することにしていた。

中央アジアで唯一、地下鉄が通っている都市だけあって町の規模は大きいが、観光スポットはそれほど多いわけではない。その中からティムール広場の他にバザールと劇場を見てきた。


朝8時半に起きると、外は本降りの雨。傘などは持っていないので、これでは外に出られない。レストランでの朝食後、ロビー周辺の店を見てみたが、傘はどこにも売ってない。これは困った。

実は出発前に折りたたみ傘を荷物に含めるかどうか考えたのだが、荷物を少しでも減らすことと、やはりウズベキスタンは砂漠の国というイメージがあったことから持ってこなかった。いまさら後悔しても仕方がないのだが、やはり荷物に含めておけばよかった。

このホテルのチェックアウト時間は12時なので、その時間までに止んでくれることを願いながら部屋で待機することにした。4ッ星のホテルなので、部屋でコーヒーを飲みながらテレビを見て過ごすのは快適なのだが、やはり不安はある。

そして、今回は運に恵まれたのか、11時過ぎになって勢いが弱くなり、やがて止んでしまった。朝のうちはとても止みそうにない本降りで、雲の切れ間も見えないくらいだったので、このときは自分の運のよさに心から感動した。

ホテルをチェックアウトし、夕方まで荷物を預かってもらうことにして、11時半に外出した。アミール・ティムール広場から地下鉄に乗り、チョルスー駅へ移動。料金は600スム。

ちなみにタシケントの地下鉄駅は柱が宮殿風になっていたりしてかなり凝った構造になっている。写真を撮りたいのだが、地下鉄の写真撮影は厳禁となっていて、見つかるとカメラが没収されることもあるという。どの駅にもホームに警官が立っているので、こっそり撮ることは難しく、隠し撮りは諦めた。何で地下鉄を撮影禁止にする必要があるのかという気もするが、一般的には防衛上の理由らしい。

地下鉄はそれほど混んでおらず、車内は快適。パフタコール駅で路線を乗り換え、チョルスー駅で下りて地上に出るとチョルスー・バザールがある。ここが、この日の最初の目的地になる。

先ほどまで雨が降っていたからか、人通りはそれほど多くはない。まずは青いドームの屋内バザールに入ってみた。各種の香辛料やドライフルーツなどの店が並んでいる。

なかなかいい雰囲気だと思う。円形の回廊状に2階が作られているので、ここからはドーム内が一望できる。屋根の構造がきれい。

2階から店を見下ろしてみた。多分、米のコーナーだったと思う。

ドームの周りに野菜や果物や肉類などの食料品、少し離れると衣料品がずらりと並んでいて、見ながら歩くと面白い。バザールは予想していたほど大きくはなく、歩いているうちに現在位置がわからなくなるほどの規模ではないが、それでもかなり楽しめた。

途中、トルコ料理のファーストフード店で昼食にした。ケバブサンドとコーヒーで1,700スム。

ここが地下鉄チョルスー駅の入口。本当に、駅構内の写真が撮れないのが残念で仕方がない。駅構内だけでなく入口付近にも警官が立っていることが多かったが、ここは警官がいなかったので写真を撮ってみた。

しかし、地下鉄というよりちょっとマクドナルドのマークに見えないこともない。

チョルスー駅から再び地下鉄に乗り、続いてコスモナウトラル駅へ向かった。


地下鉄を下り、地上に出て市街中心部方面へ歩く。次の目的地は「ナヴォイ劇場」で、ここはウズベキスタンを旅行する日本人観光客のほとんどが訪れる場所だと思う。

この通り、建物はかなり美しく、しっかりと作られていることがわかる。写真では見ていたが、実際に見ると予想以上のきれいさに驚かされた。

なぜここが日本人旅行者に有名な場所かというと、その理由は建物横の碑文に刻まれている。

碑文のアップ。各国語で以下のように記載されている。

1945年から1946年にかけて、極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。

つまり、ここは終戦後に旧満州地域から連れてこられた日本人抑留者によって建てられた劇場なのである。1966年の大地震の際、市内の建物がほとんど倒壊したのに対し、この劇場だけはビクともせず、日本の建築レベルの高さを知らしめる形となった。理不尽な強制労働にもかかわらず、これだけの建物を作り上げた日本人の方たちに感銘を受ける。

しばらく、劇場を眺めながら休憩。現在も使われている劇場だが、今回はここでオペラを見る時間はない。再びウズベキスタンへ来る機会があるかどうかは分からないが、そのときは中に入ってみたい。

この後、ナヴォイ劇場の向かい側にあるツム百貨店に入り、ウズベキスタン民芸品の皿などを買い込んだ。地元の人向けのデパートだが、安価な土産物なども売られているので旅行者としても助かる。そのためか、ここでは日本人の個人旅行者らしい人たちも何人か見かけた(声は掛けなかったが)。


ナヴォイ劇場からティムール広場方面へ歩いていくと、大きな噴水があった。

噴水の向こうに見えるウズベキスタン国旗。

この噴水の他にも、タシケント市街には大きな噴水がいくつもあった。きれいな景色なのだが、しかしながらムイナクでアラル海の跡を見てきた後だけに「こんなに無駄使いするからアラル海がなくなるんだよ」という気持になる。

街中はこんな感じで緑にあふれている。住むには快適そうだが、しかしなんだか複雑な気持。

ティムール広場へ向かう途中、カフェがあったのでコーヒーを飲みながら休憩。横が絵画の露店になっていて、おそらくアマチュア画家数人が自作の絵を販売していた。

ティムール広場の中央に建っているアミール・ティムール像。なお、後ろに見えている大きな建物はウズベキスタン到着初日に宿泊したウズベキスタンホテル。旧ソ連式の巨大な建物ということが分かると思う。

ティムールのアップ。なかなか威風堂々とした姿に作られている。ティムールがどういう人かは、Wikipedia あたりを参照してほしいが、軍事に関しては天才的な才能を持っていた人らしい。

この後もティムール広場周辺を散策し、夕食は「ゴールデン・ウィング」というトルコ料理店に入ってみた。昼に続いてのトルコ料理で、注文したのはスパイシーな肉団子焼きの「キョフテ」。味はなかなかのもので、さすが世界三大料理と言われるだけのことはある。

夜7時過ぎ、いったんホテルに戻って荷物を受け取り、タクシーで空港へ向かうことにした。タクシーといっても例によって白タクで、4ッ星ホテルのフロントでタクシーを頼んでも白タクになるのだから、この国では正規のタクシー制度がいったいどうなっているのか不思議に思えてくる。

途中、大渋滞に巻き込まれたので運転手に聞いたらウズベキスタン大統領の車列が通ることによる交通規制ということだった。中央アジア諸国といえば独裁的な指導者による長期政権が有名で、カリモフ大統領も国が独立した1991年からずっと大統領を続けているそうだから、このような交通規制などはよくあることなのだろう。隣国トルクメニスタンの故ニヤゾフ大統領ほどの独裁者ではないようだが。

渋滞の影響で1時間ほどかかってようやく空港に到着した。今回の旅行ではムイナクで泊まったホテルで滞在登録ができず、1日だけレギカードがない状態だったが、出国のときもまったく問題なかった。係員がレギカードの束を見てもいないので現在は形骸化してしまっている制度なのだろうが、なぜ廃止されずに残っているのか不思議。

出国後、スムが使える店があったので土産物等を買って使い切り、出発ゲートへ。ざっと見たところ、ソウル行きの便は半分以上が日本人旅行者のようだった。ヒヴァやサマルカンドでも日本人旅行者を多く見かけたし、ウズベキスタンが日本人に人気の旅行先ということを改めて実感した。もっとも、ムイナクへアラル海の跡を見に行くような人はほとんどいないようだが。

予定より1時間ほど遅れて、11時半ごろタシケントを出発。