ポルトガル旅行記(リスボン / ベレン地区)

リスボンで最初に行ってみた観光スポットは、有名な「発見のモニュメント」があるベレン地区。テレビや写真等で何度も見ていたが、やはり実際に見てみたかったので最初に行ってみることにした。

ホテルを出て、地下鉄のアンジョス駅へ。空港から移動したときはインテンデンテ駅で降りたが、ホテルのフロントで聞いたところひとつ隣のアンジョス駅のほうが近いということだった。確かにホテルから50メートルほどのところに入口があり、ここから地下鉄に乗ってカイス・ド・ソドレ駅へ移動。

カイス・ド・ソドレ駅で地上に出ると、ポルトガル国鉄のカイス・ド・ソドレ駅がある。ここからカスカイス行きの列車に乗り、ベレン駅へ向かう。この路線もリスボンカードが使えるので切符を買う必要はない。

しかし車体の落書きがひどい。最初はアートかと思ったが、近くで見たらただの落書きだった。この列車に限らず、ポルトガル滞在中は建物の壁や列車に落書きがあふれている光景を多く見て、痛ましく思うことが多かった。このような落書きを放置していたらどうなるかはブロークンウィンドウ理論で証明されているはずだが、消すだけの余裕もないのだろう。今後、ポルトガルの町が次第に荒廃していくような気がして不安になる。

この路線はテージョ川に沿って走るので、眺めはきれい。途中、対岸へ渡る「4月25日橋」の下をくぐり、カイス・ド・ソドレ駅から7分ほどでベレン駅に到着した。

駅からテージョ川のほうへ歩き、それから川に沿って発見のモニュメント方面へ。やがてヨットハーバーの向こうに見えてきた。実際に見てみると、このモニュメントは意外と薄い。

さすがに有名観光スポットだけあって観光客はかなり多い。日本でもときどきテレビで紹介されることがあるので、見たことがあるという人も多いと思う。様々な角度から撮ってみた。

まあ、有名な割にはそれほどたいしたことはないので、人によってはがっかりスポットと思うかもしれない。私は来てよかったと思えたが。

もっとも、発見のモニュメントの両側にずらりと並んでいる大航海時代の偉人たちはかなり細かく作り込まれている。

これらの偉人たちのうち、日本でも有名な人をアップで撮ってみた。下の写真のぞれぞれ中央に写っているのが、左上がエンリケ航海王子、右上がバスコ・ダ・ガマ、左下がフェルディナンド・マゼラン、右下がフランシスコ・ザビエル。

大航海時代には世界征服などという話も現実味を持って語られるほど繁栄していたわけで、それと比べるとポルトガルの現在の没落ぶりがあまりにも対照的。どれほど富を蓄えても、国を発展させるために計画的に使わないとやがて衰退するという好例だろう。

このモニュメントは屋上に上ることができる。行列に並んでみた。

料金は2ユーロ(これはリスボンカードを提示したときの割引料金)。エレベーターで一気に上に上がり、最後は階段を上がって屋上に出る。モニュメント自体が薄いので、屋上もあまり広くはない。太っている人がいると、すれ違うのも苦労するほど。

しかし眺めはかなりいい。ジェロニモス修道院や遠くに4月25日橋も見える。風が涼しいので気分がよく、屋上にかなり長居してしまった。

近くにあるジェロニモス修道院のアップ。ここは後で行ってみることにしている。

モニュメント前の広場を見下ろしてみた。世界地図にはポルトガルが発見していった年が記されている。こちらも有名なので、観光客がそれぞれ自分の国を探している。

帰りはエレベーターではなく階段を使って下に下りた。発見のモニュメントを紹介しているサイトには必ず載っている定番の写真だが、私も地図で日本を探してアップで撮ってみた。ポルトガルの視点によれば、日本は1541年に「発見」されたことになっている。鉄砲伝来で有名な種子島への漂着かと思っていたところ、これは1543年だった。1541年はポルトガル船が豊後に漂着した年らしい。

他の年代を見ると、喜望峰が1488年、マダガスカルが1500年、インドのゴアが1498年、セイロンが1505年、マカオが1514年など。すごい勢いで世界を広げていったことがよくわかる。改めて、過去の栄光に対して現在の没落ぶりが物悲しい。ポルトガルの人たちは、ここで栄光の時代を偲んだりするのだろう。日本人としては「日本もこうならないようにしないと」という気持になるので、反面教師として見ておいてもいいかもしれない。

この後、モニュメント周辺をしばらく散策し、次の目的地に向かった。


ベレン地区には、発見のモニュメントの他にジェロニモス修道院という観光スポットもある。ここも観光客に超人気のスポットなので、行ってみるとこの通り長蛇の列ができていた。これを見て並ぶ気力をなくし、近くにあったスターバックスで昼食にした。

昼食後、周辺を歩いていると面白い車があった。屋根の上にサングラスのキャラクターが乗っている。ちょっとした痛車というところで、これに乗っている人はなかなか度胸があると思う。

ちなみに、私が今までに見た中で最大の珍車はシンガポールのタイガーバームガーデンにあったタイガーカー。

修道院に戻ると、先ほどとは一転して観光客の列はかなり短くなっていた。そこで最後尾に並んでみたのだが、もう少しで入れるというところで最終入場時刻が過ぎてしまった。修道院は5時半まで開いているが、入場は30分前に打ち切られるらしい。道理で、行列が急に短くなっていたわけだ。

というわけで修道院には入ることができなかったが、修道院の中でもサンタ・マリア教会だけは常時開いているらしく、ここは中に入ることができた。かなりきれいだったので、ここだけでも見ることができて満足。左下の写真に写っているのはバスコ・ダ・ガマの棺。

ブラジルなどの植民地から得た富をこうやって修道院建設などに浪費してしまったため、ポルトガル国内が発展せず衰退していったとも言われているので、ちょっと複雑な気分。かつて浪費した分を少しでも観光客から回収してほしい。

これでベレン地区を離れることにして、トラム(路面電車)を待っていると馬車が通っていった。もちろん観光客用だと思うが、ちょっと意外。

来たときは国鉄を利用したが、帰りは別の交通機関に乗ってみたかったのでトラムにした。しかしながら、こちらは観光客で超満員で、車内は身動きできないほど。きつい思いをしながら何とかカイス・ド・ソドレ駅に戻った。