国内旅行編(佐賀 / 嬉野秘宝館のお葬式)

かつて日本に10軒以上存在していた秘宝館のうち、最大規模といえるのが佐賀県の嬉野秘宝館。しかし、ここも残念ながら2014年3月末で閉館になってしまった。

他の秘宝館は閉館後すぐに解体されたり放置されて廃墟化してしまったりしたが、この嬉野秘宝館は有志たちの手によって「お葬式」というイベントが行われた。ネット上のニュースでこのことを知り、ぎりぎりでチケットを購入して最後のイベントに立ち会うことができた。あと数日遅かったらチケットは売り切れていたので、本当に幸運だった。


閉館した翌月の4月20日、期待しながら車で嬉野へ向かう。閉館前の3月23日に見納めと思って訪問しているので、2ヶ月続けて秘宝館を見ることになる。

いつもは閑散としていた駐車場も、この日は車でいっぱい。遠方から来ている人が多いらしく、レンタカーが目立っていた。

金色の観音像を眺めながら、行列に並ぶ。かつて嬉野秘宝館がもっとも賑わっていた時期(日本人の旅行スタイルが団体バス旅行中心だった時代)は、毎日がこんな感じだったんだろう。普段からこれだけの来客があれば閉館になることはないのだが、これも時代の流れだから仕方がない。

1ヶ月前に館内でお会いした弁天図紋吉さんから花が寄贈されていた。(この日は来館されていないみたいだったが)

チケットを見せて館内に入ると、売店コーナーが賑わっていた。まだ残っている土産物の他、この日の最後にオークションが行われるということだった。

欲しい気もするが、10万円か…

安価なものでは、トートバッグやTシャツがあった。今までここを訪れたときには見たことがないので、お葬式だけの記念品だと思う。

ここではピンバッジとトランクスを買ってみた。トランクスはちょっとかわいいデザイン。

これら館内に設置されていた看板類は、おそらくオークションで扱われるものだと思う。

壁に掛かっていた大きな絵(おそらく、後述する樺山久夫氏の作品)は、閉館後はどうなるんだろう。十分な金と広いスペースを持っていれば買い取りたい気もするが、さすがにそれは無理。誰かが買い取って保存してくれることを望みたい。

かつて古いAVが流れていたビデオ上映コーナーでは、都築響一さんの講演が行われていた。B級スポット界では超有名な方だが、お会いしたのはもちろん初めて。満員だったので後ろの方で拝聴。(都築響一さんとは後で直接話す機会が少しだけあり、秘宝館や済州ラブランドの話ができたのが嬉しかった)

日本各地の秘宝館についての話の他、古いポルノ映画の制作秘話みたいな話がすごく面白かった。特に映画のポスターやチラシなどは、関係者が内容を見ずにタイトルや出演者から話を想像して作っていたそうで、デザインも素人感丸出しの切り貼りだらけ。紹介されるチラシを見ているだけで笑いが起きていた。今とは違っておおらかな時代だったんですねえ。

それから、このときに「栃木県の鬼怒川秘宝殿も、そろそろ危ないらしい。今年の夏まで持たないんじゃないか」という話があった。日本の主要な秘宝館の中で、まだ見たことがないのが鬼怒川秘宝殿なので、これは夏までには見に行かないといけない。


講演終了後、館内を一回りしてみた。最初のアトラクション「ながさきオチンチ祭り」ではテレビ局の撮影が行われていて、スタッフが「顔出しNGの方は、その旨を伝えて下さい」と声をかけていた。私は特に声はかけなかったので、もしかしたらニュース番組に私の姿が映ったかもしれない。

アトラクションを過ぎると四十八手の浮世絵や性風俗民芸品のコーナーだが、閉館後なので展示品などはほとんどが撤去されていて、これに関しては1ヶ月前に見に来ていてよかったと思えた。

展示ケースだけを眺めるのも、なんだか寂しい。

「有明夫人」には非売品という紙が貼られていた。後で聞いたところによると、秘宝館の研究で有名な北海道大学の助教(当時)の方が買い取ったということだった。

しかしこの人、東京大学の大学院で秘宝館の研究をして博士号を取得し、それから北海道大学の助教になったという経歴がすごい(2016年からは東北大学の准教授)。世の中にはいろんな人がいるものだと思う。

「佐賀・鍋島化猫騒動」は、まだ健在。「オッパイを押してください」のプレートとおっぱい型ボタンについては、もしオークションで扱われていたら落札したいと思ったんだが、残念ながら出品されていなかった。

鍋島化猫騒動の動画については、閉館前の訪問記を参照してほしい。

続いて、嬉野茶摘み娘のサービスショット。

いくら人形とはいえ、モロすぎるのでモザイクを入れてみました。

「いくとき・あの声ベスト順位」という紙が壁に貼られていたが、今までここを訪れたときに見た記憶がない。おそらく、お葬式のときだけ貼られていたものだろうと思う。内容は淡路島ナゾのパラダイスで見たものと一緒で、この中で好きなのはもちろん5位の「こげちゃう~」。

この貼り紙については、もちろん淡路島ナゾのパラダイスのものを写したのだろう(絵も一緒だし)。オリジナルを見たい人は、当サイト国内旅行編の「淡路島ナゾのパラダイス」訪問記を参照してほしい。

館内でこういう弁当が販売されていたので買ってみた。

開けてみると、空間の使い方が実に贅沢。こういう「無駄に豪華」というのは秘宝館にも共通する特徴なので、なんだか嬉しくなってくる。もちろん、この弁当はおいしくいただきました。

最後のハーレムにやって来ると、大勢の観客が集まっていた。お葬式のメインイベントとして、ここでライブが行われる。

それにしても、ハーレムにこれだけ大勢の人たちが集まるのは昭和58年の開館以来初めてではないかと思う。

ハーレムの人形たちを見るのも、これが最後。いろんな角度から写真を撮ってみた。

この日にライブを行うのは前野健太さんと倉地久美夫さん。申し訳ないが、私は2人とも知らなかった。倉地久美夫さんはオリジナル曲の他に小田和正のカバー曲などを歌ってくれたが、他に印象に残っているのがスルタンの笑い声。「かつて、ここではこんな笑い声が響いてしましたよねえ」と言いながら「わーっはっはっは!」という低音の笑い声を披露してくれて、「たしかにこんな声だった!」と感動した。

ライブももちろん楽しかったのだが(前野健太さんが「倉地さんがエレキを使っているから自分も使わないと」と言ってバイブレーターをマイクに押し当てたり、お笑いの要素もあった)、さすがに相手はプロのミュージシャンなので、このとき撮ったライブの動画を載せるわけにはいかない。前野健太さんと倉地久美夫さんの曲を聴きたい人は、CDを買うかライブに行ってみてほしい。


ライブ終了後、最後のイベントとしてオークションが行われる。内容は秘宝館の館内で使われていた展示品と備品が中心。

下の写真の靴拭きマットなどは落札して自宅の玄関に置きたいという気もしたが、さすがにこれは人気で争奪戦になっていた。

他にも鍋島化猫騒動の人形やスーハーマンなど、普通に考えてかなり高価そうな人形も扱われていた。欲しい気もしたが、しかし自宅に置くスペースがない。これはみんな同じ考えらしく、あまり競争がなく落札価格は意外と安かった。

先ほどハーレムでライブを行った倉地久美夫さんの父親は画家の樺山久夫氏(本名・倉地久夫)だそうで、ここにはたくさんの作品が展示されていたという。それらの絵画もオークションで扱われていて、倉地久美夫さんが父親の作品を次々と落札していたのはなんだか嬉しい気持ちになった。

結局、何も落札する機会のないままオークションは終了。

最後に、残っていた土産物が安く販売されていて、この「笛吹観音」という土鈴を買ってみた。今でも自宅の本棚に飾り、見るたびに嬉野秘宝館を思い出している。

これで全部のイベントが終わったので、最後に弁天さんのサービスショットに挨拶してから、秘宝館を出ることにした。(この弁天像もオークションで落札済みなので、今はどこかの家に置かれていると思う)

名残惜しいが、これで本当に最後のお別れ。閉館にはなったものの、お葬式というイベントを行ってもらったのだから、むしろ幸せな秘宝館だと思う。このイベントを企画し実施した関係者の人たちには感謝したい。

車の中から「さようなら、今までありがとう」を声をかけてから嬉野秘宝館を後にした。この素晴らしい秘宝館のことは、ずっと憶えておきます。

(2014.4.20)


翌年の1月、用事があって佐賀方面へ行った際に、寄り道して嬉野秘宝館の跡地を見に行ってみた。この通り、建物は完全に解体され、跡地は太陽光発電施設になっていた。

これで、昭和の記憶がまたひとつ消えてしまった。仕方のないことなんだが、やはり寂しい。

ここにかつて、それはそれは素晴らしい秘宝館があったという記録はネット上にずっと残り続けることになる。当ページも、人々が昭和の記憶を思い出すきっかけになってくれたら嬉しい。

(2015.1.11)


お葬式の1ヶ月前に訪れた訪問記はこちら。