国内旅行編(大分 / 宇佐のマチュピチュ)

玖珠インターで大分自動車道を下り、日本童話祭でにぎわっている玖珠町を通り過ぎて宇佐市の院内方面へ。本家ペルーのマチュピチュへ行くための拠点となるのはクスコの町だが、宇佐のマチュピチュも玖珠(くす)町から向かう。偶然にも似た名前になっているのが面白い。

玖珠町からは峠越えのルートになるが、国道387号線はかなりきれいに整備されているので運転は楽。ダム湖を過ぎてからは下り坂になり、そろそろ見えてくるころかと思っていると、それは唐突に現れた。

堂々と「宇佐のマチュピチュ」と表示しているところがすごい。ペルーのマチュピチュといえば、もちろん世界遺産の中でも一番人気の場所で私も2006年に行ったことがある。マチュピチュについて人に説明するときは「何年もかけて世界一周して、あらゆるものを見尽くして不感症といえるほど感動しなくなった人でも、マチュピチュだけは激しく感動するという。まさに世界最高の遺跡」と言うことにしている。これほどのスポットを名乗るのだから、きっとそれなりの景色が見られるのだろう。

バス停の横の坂道を上ったところに展望所がある。「ココデス」というのがいい感じだが、もしかしたら「アンデス」を意識しているのか?

展望所には着いたが、しかし車を停める場所がなく先客はみんな路肩に停めている。私もそれらの車の後ろに駐車し、車を下りて展望所へ。

その前に、まずは院内町の観光案内看板を見てみた。

ここにも堂々と「宇佐のマチュピチュ」と表示されていて、ここを観光スポットとして売り出していきたいという宇佐市の意気込みが感じられる。

では、ここまでかなり焦らしてきたが、いよいよ展望所からの眺めを紹介する。どのあたりがマチュピチュか、わかりますか?

うーん

もっと大きく見えるかと予想していたが、意外と遠くにある。そこで、そのあたりをアップで撮ったのがこちら。

…なんか微妙

まあ、似ているといえば似ている。というより、最初に「この景色はマチュピチュに似ている。よし、観光名所にして、これを町おこしにつなげよう」と考えた人のほうがすごいと思う。

この集落は西椎屋地区といい、後ろのワイナピチュに似ている山は「秋葉様」と呼ばれて信仰の対象になっているという。西椎屋地区の人からすると、山は昔も今も秋葉様であって勝手にマチュピチュに似ているなどと言われるほうが迷惑なことかもしれない。(調べたところ西椎屋地区の民家は17戸)

本物のマチュピチュの写真も設置されているので、見比べることもできる。

インターネット上で少しだけ話題になったためか、5分おき程度に車がやってきて物好きな家族連れが景色を眺めている。もっとも、感動して歓声を上げているような人は誰もおらず、みんな「ふーん」という感じ。

GW期間だったためかテレビ番組のスタッフも数人いて、家族連れにインタビューしていた。私が声を掛けられたら「実は本物のマチュピチュも見たことがあるんですが、それと比較して…」などと得意げに答えようかと考えていたが、インタビューは家族連れ優先らしく、1人で来ている者が声を掛けられることはなかった。

いったん坂道を下り、バス停に入ってみたところ色褪せたポスターが貼ってあった。

「なんだか少しマチュピチュな気分」

うん、このコピーはなかなかいい。この文章を考えた人は才能がある。

道路の向かい側に渡り、西椎屋地区を眺めてきた。先ほどの展望所よりも下がったためか、少しマチュピチュ感が増したような気もする(まあ、気のせいかもしれない)。

この後、周囲を少し散策した。山間部の集落と棚田によるのどかな風景は、マチュピチュのことを考えなくてもきれいな景色だと思う。

展望所で周囲を見渡した動画を載せておく。

宇佐のマチュピチュを見てみた感想は、以下の通り。

大変、薄く感動しました

まあ、正直言ってこれが町おこしにつながるかは微妙だと思うが、駐車場を整備すれば来訪者はもう少し増えるかもしれない。紅葉の時期などは、きれいな景色を楽しめるはず。

それから、秋葉様に登る道も整備するという話なので、その時は登ってみたいと思う。かつてワイナピチュに登った者としては、山の上からの景色も比べてみたい。

2006年のペルー旅行でマチュピチュへ行った時は「絶対にまたここへ来るぞ!」と思いながらマチュピチュを後にしたのだが、いつの間にか8年も経ってしまった。おそらく次の南米旅行(何年後かはわからないが)ではボリビアのウユニ塩湖を見て、その次はイグアスの滝を見ることになると思う。多分、マチュピチュ再訪はその次の南米旅行の時になるが、本物を見て「なんだか西椎屋地区に似ているな」と感じることはないと思う。


国道387号線をそのまま北上し、院内インターから高速道路に入って別府へ移動。この日は別府駅近くに宿泊することにしていた。

別府インターから別府市街へ向かう途中、鉄輪温泉にある「海地獄」の駐車場に車を停め、ある建物を探してみた。

下の写真が目的の建物で、ここが何の跡地かわかる人もいると思う。

これは別府秘宝館の跡地。かつて2001年と2008年の2回、中に入ったことがある。他の秘宝館(といっても嬉野、伊勢、熱海、北海道しか行ったことはないが)と比べて明るく健全な雰囲気だったため、なんとなく「この秘宝館は閉館になることはないだろう」と思っていたが、予想に反して2011年5月で廃館になってしまった。閉館直前には展示品の即売会なども行われたようだが、たしか別の用事があって行けなかったのを今でも残念に思っている。

秘宝館の閉館後、この建物は趣向を変えた美術館になるらしいという話も聞いていたのだが、この通り空き物件のままになっていた。鉄輪温泉の真ん中という一等地なのに、なぜテナントが入らないのか不思議な気がする。もしかして元秘宝館というイメージのせいだろうか。

それから、かつては秘宝館の横に珈琲館があり、そこに秘宝館の割引券が置いてあったのを憶えている。珈琲館はまだあるだろうと思っていたが、石置き場になっていた。

今回の旅行の直前には佐賀県の嬉野秘宝館も閉館になったし、この旅行時点(2014年)で日本に残っている秘宝館は熱海と鬼怒川の2ヶ所だけになってしまった。熱海秘宝館はまだ大丈夫そうだが、鬼怒川秘宝殿はどうなるかわからないので、今年中には見に行きたい。


この日は別府駅のすぐ近くのビジネスホテルに宿泊。ホテルの駐車場に車を停め、ある建物を見に行ってみた。下の写真がその建物。

これは「A級別府劇場」というストリップ劇場の跡。2008年に鑑賞したことがあり、予想以上の素晴らしさに感動したのを憶えているが、その翌年に残念ながら閉館になってしまった。現在はどうなっているか興味があったので来てみたが、今は「永久別府劇場」と名前を変えて一般の貸し劇場として使用されているようだった。今でも劇場として使われているのは嬉しい。

あのときの4人の踊り子さんについて少し検索してみたところ、南かずささんは2014年2月で休業し、深津みゆきさんももう活動していないらしい。霞紫苑さんの消息もよくわからないし、本当に皆さん今はどうしているんだろう。

こちらは別府を散策中に見かけたバー。

まだ準備中(表示は「燃料補給中」)で、ドアの前の札が面白かった。表と裏の写真を載せておく。

こちらはスナックのレディ・ババ。まあ、ありそうなネーミング。

それから、別府ではタツノコプロのキャラクターたちのポスターがあちこちに貼ってあった。詳しいことは知らないが、いろいろとタイアップしているらしい。

別府駅の中のレストランで大分名物の「とり天」と「だんご汁」がセットになった定食を食べてから、せっかく別府に泊まっているので竹瓦温泉へ行ってみた。この通り、建物はかなり風情がある。

タオルや石鹸などは用意されていないため、自分で持参する必要がある。温泉というより銭湯なので、入浴料は破格の100円。この値段で温泉に入れるのは、かなり得だと思う。

当然ながら内部の写真は撮っていないが、ここは洗い場と脱衣所に仕切りがない。脱衣所から階段を下りたところに浴槽があるため、中に入るといきなり浴槽を見下ろせるのは不思議な感じがした。なかなか雰囲気のいい温泉なので、別府駅近くに泊まる際はお勧め。

竹瓦温泉の近くには、もっと入浴料の高い特殊な個室浴場も並んでいるが、今回はそういうところに入る気はしない。しばらく駅近くを散策した後、ホテルに戻った。翌日は大分県南部の豊後大野市へ行くことにしている。

(2014.5.5)


3年後の2017年7月、宇佐のマチュピチュを再訪しました。なんと、展望台が作られています。再訪記は当サイト別館に載せています。

また、このページで紹介した「別府永久劇場」はすでに閉館し建物も取り壊されています。2018年1月、偶然にも最後に立ち会うことができました。そのときの記録は以下のページで紹介しています。