ジョージア旅行記(クタイシ~スフミ)

ジョージア滞在3日目。この日でいったんジョージアを離れ、未承認国のアブハジア共和国に入ることになる。もっとも、ジョージアはアブハジアを自国の一部と考えているので、出国というわけではない。


朝7時半に起床し、川沿いのテラスで川の流れを眺めながら朝食。水はきれいではないものの、雰囲気はなかなかいい。オーシャンビューやシービューのホテルには泊まったことはあるが、リバービューのホテルは珍しいかも。

9時半にチェックアウト。いいホテルだったので、この Sanapiro というホテルはクタイシに滞在する際はおすすめ。

旧市街を歩いて噴水広場へ。この景色を再び見ることはあるだろうか。

噴水広場から1番のマルシュルートカで郊外にあるバスターミナルへ移動した。まずはジョージアとアブハジアの境界線にあるズグディディ(Zugdidi)という町へ行く必要があり、マルシュルートカを探すとすぐに見つかった。ズグディディまでの料金は7ラリ。

ただし「満員になったら出発する」というシステムなので、車内でしばらく待機。トビリシやバトゥミなどの主要路線ではないため1時間以上待つことは覚悟していたが、幸いなことに乗客が次々と集まってきて20分ほどで出発した。

出発するときに、どこかで見たことのあるような人が車の外を歩いていたので写真を撮ってみた。ゴルバチョフ?

ズグディディまでの所要時間は2時間半ほど。車内は満員だが、車が新しいので快適。

クタイシを出発して1時間ほどで休憩があった。

休憩場所はアバシャ(Abasha)という町の駅前。せっかくなので駅のホームで写真を撮ってみた。今回の旅行では鉄道に乗る機会はないが、次回ジョージアへ来る際はトビリシからズグディディまで夜行列車で移動し、スヴァネティ地方に滞在してみたい。

アバシャを出発後も、きれいな車窓風景が続く。下の写真は名前もわからない町を通過しているときの風景で、こんな快適そうな家に住んでみたい。

12時50分、ズグディディのバスターミナルに到着した。ここはクタイシと違ってターミナルの建物はなく、広場にたくさんのマルシュルートカやタクシーが停まっているだけ。

多くの旅行者はここからスヴァネティ地方の中心都市メスティアへ向かうのだろうが、自分の場合はアブハジアの自称首都スフミへ移動することになる。「国境」へはタクシーしかないので、「ボーダー」と声をかけてバスターミナルを出発。タクシー料金は20ラリ。

車窓からは広々とした景色が見える。

途中、運転手が観光スポットみたいな場所に寄ってくれた。何かの城塞みたいな感じだが、このときはここが何なのかよくわからなかった。

旅行後に Google Map で調べたところ、ここは「Castle of Rukhi」という城址だった。時間がなかったので外から眺めただけだったが、予想外の観光ができたのは嬉しかった。

再びタクシーに乗って「国境」へ。ゲートの前に十数台の車が停まっているところでタクシーを下り、歩いて管理所みたいな建物へ向かう。なお、面倒なことになるかもしれないのが嫌だったので管理所の建物の写真は撮っていない。

ジョージアとしてはアブハジアはあくまで自国の一部という扱いなので、出入国管理所という位置づけではない。ここにあるのは警察のチェックポイントで、パスポートを見せて氏名や国籍などが記録されるものの、パスポートにはスタンプなどは押されない。

それにしても、自国から勝手に独立宣言して実効支配が及んでいない地域にこうやって普通に入れるのが不思議。モスクワとトビリシの直行便があることを知ったときにも思ったが、ジョージアとしてはメンツよりも実利を選択したということなのかもしれない。

ただし、ここからアブハジアに入ったときは、またここからジョージアに戻る必要がある。ジョージアに戻らずにロシアに抜けてしまうと違法行為になってしまうのだが、もちろん再びジョージアに入国しない限り捕まることはないかもしれない。しかし、ここはジョージアの法律は守るべきだろう。

チェックポイントを過ぎると、こういうのどかな道が続く。

この境界線を行き来している人も多い。未承認国というイメージからは程遠い平和な風景。

もっとも、あまり緊張感はないものの、おそらくテロ防止のための障害物もところどころに置かれている。

やがて「国境」のイングリ(Inguri)川に架かる橋が見えてきた。

ここは1992年のアブハジア紛争の際にジョージア系の住民が命からがら逃げた道。かつてアブハジアに住んでいたジョージア人は今でも難民として生活しているそうだし、今はいたって穏やかなのが不思議な気持ちになる。

橋の上からの眺めも本当にのどかできれい。

遠くには雪に覆われたコーカサスの山並みが見える。

この川がイングリ川。ここから先がアブハジア共和国になる。

橋を渡ると「Republic of Abkhazia」というゲートがある。いよいよ未承認国のアブハジア共和国に入国する。

こういう未承認国に入るのは「ナゴルノ・カラバフ共和国」「北キプロス・トルコ共和国」「沿ドニエストル共和国」に続いて4か国目。(もちろん台湾も厳密にいえば未承認国だが、当サイトでは正式な国として扱う)

ゲートの横にある小さな建物にアブハジアの役人がいて、ここでパスポートとパーミットを渡してしばらく待機。ただし、ここはまだ入国審査ではなく、入国前のパスポートチェックのような場所。

ベンチに座って待っていると、ミニバスで20人ほどの団体がやってきた。全員から好奇の目で見られることになったが、この人たちがジョージア人なのかアブハジア人なのかはわからなかった。

やがて役人から自分の名前が呼ばれ、パスポートを受け取って先へ進む。

フェンスに挟まれた狭い通路を歩いていくと入国管理所があった(ここの写真は撮っていない)。再びパスポートを預けて待機していたが、しかしなかなかパスポートが戻ってこない。何があったのかと思っていると、役人が若い兵士を連れてやってきた。

ここで超片言の英語を話す兵士とやり取りした結果、どうやら入国審査の役人が私に警戒心を持っているらしいことがわかった。パスポートにコソボの出入国印とナゴルノ・カラバフのビザがあることから「こんな係争地域に入る旅行者がいるわけがない」「観光客を装ったジャーナリストではないのか」と疑っているらしい。そこで、英語が少しわかる若い兵士を連れてきたということだった。

後になって考えるとまずい展開になりそうな状況だったともいえるが、こちらも愛想よく対応して何度もツーリストと主張したことと、相手の英語が超片言で意思の疎通が完全にはできなかったこともあり、最後は「まあ、いいだろう」という感じで通してくれた。国境の橋を渡ってから約45分かかって無事にアブハジアに入ることができ、ほっと一安心。

これからアブハジアに入ることを計画している人は、パスポートに微妙な地域の出入国記録があると説明を求められるかもしれないので、この点には注意してほしい。コソボなどは今は問題ないように思っていたが、考えてみればアブハジアの後ろ盾になっているロシアはコソボの独立を承認していない。気になる人は、パスポートを切り替えてから入国するほうがいいかもしれない。

入国管理所を過ぎ、歩いていくと広場にたくさんの車が停まっていた。これから首都のスフミへ向かうわけだが、直行便はなく途中のガルという町で乗り換える必要があるということは調べていた。なお、ジョージアとアブハジアには1時間の時差があるので、時間を戻しておく必要がある。

周囲の人に「ガル」と声をかけると、マルシュルートカはすぐに見つかった。料金は50ルーブルで、アブハジアではロシアのルーブルが使われている。この国境では両替所は見つからなかったので、事前にルーブルを入手しておく必要がある。私の場合はトランジットで滞在したモスクワの空港で両替しておいた。

15分ほどでガルの町に到着した。ここでスフミ行きのマルシュルートカに乗り換え。ただし、まだ乗客がおらず出発しそうな気配はない。

近くに小さな店が何軒か並んでいたので、ここで缶コーヒーや菓子などを買い込んだところ、店主のおじさんに話しかけられた。こちらが日本人とわかるとすごく嬉しそうにしていたので、ロシア系の人は実はかなりの親日という話を実感した。

ガルに45分ほど滞在し、午後3時に出発。スフミまでの料金は250ルーブルだった。途中の車窓風景も本当にきれいで、遠くにコーカサスの山並みが見える。

ただし、建物は廃墟が多かった。首都スフミはロシア人のリゾートとして開発が進んでいるそうだが、このあたりの地域までは手が回っていないのかもしれない。

やがてスフミの市街地に到着した。最初は市街中心にある旧国会議事堂の廃墟のあたりで下りるつもりだったが、それらしい建物が見えてこない。結局、どこで下りようかと考えているうちに終点のスフミ駅に到着した。ガルからここまでの所要時間は1時間40分。

特徴的な外観になっている旧国会議事堂の廃墟を見逃すはずがないと思っていたが、なぜこのときに気付かなかったのかは翌日になってわかった。これについては次のページで。

スフミ駅は現在は廃駅になっている。かなり立派な駅舎なので中に入ってみたいものだが、閉鎖されているので諦めた。しかし、重厚な駅舎を眺められたことと、駅前がマルシュルートカ乗り場になっていることが確認できたので、結果的にスフミ駅まで乗ってきてよかったと思えた。

予約してあるホテルは海沿いにある。スフミ駅は郊外にあるので少し距離はあるようだが、一応歩いてみることにした。

線路の反対側に渡れる場所を探すと、こういう陸橋があった。

陸橋の上から眺めた線路。鉄道は好きなので、こういう景色を眺めるのは楽しい。

陸橋から眺めたスフミ駅。こんな立派な駅舎が現在は使われていないのは残念。

陸橋を下りると住宅地になっていた。このときは「とりあえず駅と反対側に歩いていけば海に出るだろうから、そこから海沿いに歩いていけばいい」などと楽観的に考えていたが、やはり無謀だった。どれだけ歩いても海の気配はない。

「これは迷ったかも」などと思い始めたころ、家の前でパーティ(多分)をやっている家族連れに遭遇した。そこで父親らしい人にホテル名を伝えてみたところ、すべてロシア語で返ってくるのでよくわからないものの、かなり距離があるらしいことは理解できた。

方角だけはわかったので、礼を言ってその方向へ歩いていくと大通りに出た。そして、なんとも都合のいいタイミングでタクシーがやってきたので、徒歩は諦めてタクシーに乗ることにした。

快適な移動を終え、予約していた Ritsa ホテルに到着した。しかし移動中に思ったのだが、スフミ駅からホテルがある海沿いまでは普通に歩けるような距離ではなかった。駅前からタクシーを使うべきだったが、地元の家族連れと少し話すという体験ができたのでよかったと思っている。

ここは旅行前にインターネットのホテル予約サイト agoda で探しておいた。宿泊料金は2泊で4,300ルーブル。旅行当時のレートでは1ルーブルが約1.7円なので、1泊3,700円ほど。

このホテルだが、予約後に agoda を通して次のようなメッセージが来た。読めません。

外国人ということはわかっているはずなのに、堂々とロシア語のメールを送ってくるとはさすがアブハジア。幸い、知合いにロシア語が読める人がいたので意味はわかったが(予約のお礼とキャンセル時の注意事項。30%や100%はキャンセル料)、「これは現地では英語は通じないかも」と思わせる出来事だった。

バウチャーを見せてチェックインし、部屋に入ってみてびっくり。

なんと、ソファーとテレビが置いてある部屋とベッドルームが別になっている。こんな広い部屋が1泊4,000円以下とは、ちょっと信じられない。

部屋からの眺め。黒海が見える。

部屋で少し休憩し、夕方6時に外出して海沿いを散策することにした。電光掲示板には日付、時刻、気温が表示されている。

こちらが黒海の眺め。2014年のブルガリア旅行以来、黒海を見るのはこれが2回目。

海岸沿いにはいくつかの桟橋が作られている。そのひとつにいい感じの廃墟があった。

おそらく、かつてはシービューのレストランだったと思う。今は何も残っていない。

黒海の眺めも十分にきれい。この町がロシア人のリゾートとして発展しつつあるというのも理解できる。

先ほどの廃墟と違って、こちらの建物は現役のレストランだった。

観光地によくある撮影スポット。子供が上を歩いていた。

最初は「Ye は何の意味だろう」と思ったが、よく見ると S の側面が赤く塗られている。おそらくこれは Yes とスフミを組み合わせた表現のはず。

さらに海沿いを散策。

海沿いの町並みはこんな感じ。典型的なリゾート地で、多くの市民や観光客が歩いていた。なかなかの賑わい。

ただし、アジア系の人間はまったく見ない。なので、どこへ行っても周囲の人が一瞬こちらを見るような気がするが、それは次第に慣れてくる。

きれいな噴水広場もあった。

駐車している車を見ると、ナンバープレートにアブハジアの国旗が描かれていた。

政治的なプロパガンダを感じさせる表示や広告もあちこちにあった。鎌とハンマーのマークもここでは健在。並んでいる写真は紛争の犠牲者だろうか。

散策の途中、Cegem というケバブの店で夕食にした。注文したのはキョフテとアイランで、値段は400ルーブル。味は十分うまい。

暗くなってからも、海沿いの通りは人通りが多く危なそうな雰囲気はなかった。

夜8時半、散策を終えてホテルに戻った。アブハジアというと紛争を連想する人も多いと思うが、今のところ治安は抜群にいい。翌日はスフミ近郊のノヴィ・アフォンという観光地に出かけることにしている。この日は11時半に就寝。