ジョージア旅行記(カズベギ~トビリシ~モスクワ)

いよいよジョージア滞在最終日になった。午前中のうちにカズベギからトビリシに戻り、夕方の飛行機で乗り継ぎ地のモスクワへ向かうことになる。

ただ、モスクワで予想外の出来事が起きてしまい、帰国が1日延びることになった。詳しくは以下の本文で。


朝7時に起床。部屋から外を眺めると、この日も寒そう。

ツミンダ・サメバ教会の遠望。本当に、旅行前半でアブハジアに滞在しているときは、こんな雪景色を見ることになるとは思っていなかった。ジョージアは北海道と同じくらいの面積の国だが、標高によってこれだけ気候が違っている。

部屋を出てゲストハウスの共有スペースになっている台所に行ってみた。夏の間は宿泊客で賑わうと思うが、この日は誰もいない。ここで、前日に買っていたパンの朝食。

前日に会った ELIA さんも見当たらないので、部屋に鍵を置いてゲストハウスを出発した。今は背後の山が雪に覆われているが、夏の間は絶景が眺められる町になるはず。次は夏に来たい。

町の中心にある広場に着いた。ここから山の上にあるツミンダ・サメバ教会へ向かうことにして、タクシーを探していると欧米人女性2人が声をかけてきた。この人たちも教会へ行きたいということなので、タクシーをシェアすることにした。

タクシーはすぐに見つかり、教会までの往復料金は50ラリ。女性2人組が30ラリ、私が20ラリを払うことにした。

広場から15分ほどで教会に到着したが、途中の道路は雪に埋もれていた。旅行前は町から教会まで歩こうと計画していたが、この時期にトレッキングなんて雪山用の装備を持参していないと無理。これからカズベギを訪れる人は、5月でもこういう状況ということを知っておいてほしい。

ツミンダ・サメバ教会

駐車場でタクシーを下り、教会へ。

こういう道を上っていくと、教会が見えてきた。

ツミンダ・サメバ教会(聖三位一体教会)は、標高2,170mのクヴェミムタ山の山頂に14世紀に建てられたジョージア正教の教会。ネット検索すると夏の風景ばかりが見つかるが、雪景色の中の教会も雰囲気がいい。

おそらく教会の関係者が雪かきをしていた。

教会の横に、カズベギの町を見下ろすことのできる場所がある。女性2人に続いて、そちらへ歩いてみた。

インターネットで「ツミンダ・サメバ教会」を検索すると、雪の残る山々をバックにした緑の草原という景色がたくさんヒットする。夏の間は、ここからもそういう絶景が見られるはず。ただ、この一面の雪景色も、これはこれで相当な絶景だと思う。案外、こういう景色を眺めたことのある人は少ないかもしれない。

写真から想像できる通り、周囲は音もなく本当に静か。しばらく、真っ白な風景を眺め続けていた。

ここで周囲を見渡した時の動画。カズベギの町は霧の下に隠れている。

まさか5月にこんな雪が積もっているとは思わず、カズベギに到着したときは時期を間違えてしまったかと思ったが、逆によかったのかもと思えてきた。

まだ早朝ということもあり、教会の中には入れない。扉の前までは入れたが、なぜか腕輪やスカーフなどのアクセサリーがたくさん並んでいた。礼拝に来た人の供え物のような意味があるのかもしれない。

名残惜しいが、これで教会を後にすることにした。

滑らないように注意しながら、駐車場に戻る。

周囲は本当に深い雪景色。どのくらいの深さで積もっているんだろう。

ツミンダ・サメバ教会をこの季節に見る機会は、もうないかもしれない。次はおそらく夏に来ることになると思う。

坂道を下りていく途中、泉みたいに水が流れ出しているところがあった。ここだけ雪が溶けている。

駐車場の近くに観光案内所みたいな小さな建物があり、その横にテントが張ってあった。通り過ぎただけだったが、おそらく誰かが寝ていたんだろうと思う。雪山登山が趣味の人なのかもしれない。

駐車場に戻り、タクシーでカズベギへ出発。

標高が下がると次第に雪が消え、霧の下にカズベギの町が見えてきた。

9時前にカズベギの中心にある広場に戻り、女性2人組とはここで別れた。


こちらは、これからトビリシへ戻ることになる。マルシュルートカ乗り場へ行くと、すでにトビリシ行きの車が停まっていた。乗り込んで、9時過ぎに出発。トビリシまでの料金は10ラリ。

カズベギを出発してからジュヴァリ峠までは標高が上がっていくので、周囲の景色は真っ白。

本当に、車窓風景がホワイトアウトしてしまうほど。

ジュヴァリ峠を過ぎ、しばらく走ったところで急に車が立ち往生した。平原の中を道路が続いているが、見渡せる限りの先まで車が停滞している。事故なのか工事なのかはわからないが、どうやら先の方で通行止めになっているらしい。

この日のうちにジョージアを出発することになっているので、もし大渋滞が解消されないとしたら困ったことになる。ここで焦っても仕方がないので車内で待機していたところ、30分くらいで一斉に車が動き出した。結局、このとき何が起きていたのかはよくわからなかったが、ともかくもトビリシまで移動できそうなので一安心。

次第に標高が下がり、雪が消えてきた。

ずっと下り勾配が続くので、マルシュルートカは快調に飛ばしている。川の向こうに小さな集落が見えたりして、車窓風景はきれい。

首都トビリシが近づいてきた。ジョージア軍用道路も、そろそろ終点に近い。

カズベギから3時間、ちょうど12時にトビリシのディドゥベ・バスターミナルに到着した。そこそこに長い移動だったが、車窓を眺めていると特に疲れない。ジョージアを旅行する際は、トビリシ~カズベギのジョージア軍用道路はぜひとも往復してみてほしい。

ディドゥベから地下鉄でトビリシ駅へ移動。駅前から空港へのエアポートバスが出ている。

37番のバスが空港行きということは調べていた。こちらの青い車体がエアポートバス。

12時半過ぎに出発。空港までの所要時間はちょうど1時間で、料金は0.5ラリ。ジョージア到着時は空港からホテルの送迎で移動したので、エアポートバスに乗ったのはこのときだけ。到着時は時間を無駄にしたくなかったので送迎を利用したが、時間の余裕があればバスの方が安いのでおすすめ。

空港に到着すると、ターミナル前で犬がのんきそうに寝ていた。ちょっと珍しい景色。

アエロフロートのカウンターでチェックインし、8日間滞在したジョージアを出国した(そのうちの3日間は未承認国のアブハジアにも滞在)。それにしても、本当にいい国だったと思う。ネット上の旅行記を見てもジョージアの評価が高く、絶賛している人が多いというのが旅行先にジョージアを選んだ理由のひとつだったが、それは決して嘘ではなかった。この国は、いつか必ず再訪したい。

出国後、こちらのラウンジで休憩。

午後3時半に搭乗開始。4時10分にモスクワへ向けて出発した。ジョージアにはスワネティ地方という有名観光地があるが、今回の旅行ではアブハジアに入ることも目的のひとつだったため日数が足りず行けなかった。次回は、夏の時期に旅行してスワネティ地方とカズベギでトレッキングをやってみたい。

モスクワ

午後6時過ぎ、乗り継ぎ地のモスクワ・シェレメチェボ空港に到着した。本来であれば2時間ほどの乗り継ぎ時間の後、次の乗り継ぎ地の上海へ向かうことになるのだが、ここで大きなアクシデントに巻き込まれることになった。

到着したのはターミナルD。上海行きの便が出発するのがターミナルFなので、そちらへ移動しないといけない。その途中、ターミナルEを歩いているときにとんでもないものが見えた。

火だるまになった飛行機!!!

周囲の人たちが急に騒ぎ出したので、何が起きたのかと思って外を眺めたら炎に包まれた飛行機が滑走路を滑っていた。信じられない光景に「え? 何?」と思ったまま唖然として立ちすくむことになった。

すぐにカメラを取り出せなかったので、その衝撃的なシーンは撮影できなかったが、滑走路を滑って行った先で黒煙を上げているところは写真を撮ってみた。

このときに撮った動画を載せておく。

この飛行機はムルマンスク行きで、離陸直後に何かのトラブルでモスクワへ引き返し、着陸したときにエンジンから出火したということを後で知ることになった。乗客の多くが亡くなっており、たしかにあの火だるまシーンを見たら助からないのも無理はないという気がする。

YouTube で探したニュース映像はこちら。

おそらく空港の管制センターなどは大変な状況になっているのだろうが、このターミナルまでは騒ぎは聞こえてこない。心配しても仕方がないので、出発までターミナルFで待つことにした。

しかしながら、搭乗時刻が近づいても一向にゲートがオープンしない。モニターを見ると、出発便に Delayed の表示がずらり。

上海便も、20時5分の予定が0時30分になってしまっている。あれだけの事故が起きたら、こういう事態になってしまうのも仕方がないのかもしれない。4時間ほど遅れても、まだ上海から福岡への便にはぎりぎり間に合うので、ラウンジに入って時間をつぶすことにした。ラウンジに入れると、無料で食事ができるのが助かる。

というわけで、このときはまだ楽観的に考えていたのだが、さらに事態は悪化していった。夜10時過ぎ、同じラウンジにいた中国人グループが騒ぎ出したので、何かと思ってモニターを見たら上海行きの出発がさらに遅れ、なんと4時30分になっている。

上海での乗り継ぎが間に合わない

ここに至って、ようやく大変な事態になったことがわかった。翌日の上海~福岡便のフライト変更手続きをしないと、日本に帰れないことになる。すぐにラウンジを出て、アエロフロートのカウンターへ。

しかしながら、予想していた通りカウンターには長蛇の列ができている。日本人ツアー客も10人ほどいるようで、ツアーガイドの女性が説明しているのを便乗して聞くことができた。モスクワから成田へは直行便があるため、翌日の成田便に空きがあるかどうかガイドに相談している声が聞こえてくる。

こちらはツアー客ではないのでガイドに相談するわけにはいかない。遅々として進まない行列に並んだ結果、2時間以上かかってようやく行列の先頭にたどり着いた。そこでフライトの変更について拙い英語で聞いてみたところ、絶望的な返事。

「空きはありません」

翌々日の上海~福岡便に空席がなく、フライトの変更ができないという。いや、これだけ立ちっぱなしで長時間並んでいて、今さらないと言われても困るんですけどねえ…

どうしたものかと思ったが、先ほど便乗して聞いたガイドの話から「翌日の成田への便に振り替えてもらい、成田から九州へは自費でLCCか新幹線で移動」「遅延になっている便で上海まで行き、そこからLCCに空席がないか自分で探す」という2つくらいしか代替案はなさそうだった。

とりあえず日本に着きさえすれば後は何とかなることから、成田行きへの変更を頼んでみようかと思ったが、念のため「何か他のルートはないですか?」とダメもとで聞いてみた。結果として、この最後の一押しが大正解だった。

調べてもらったアエロフロートのスタッフから「スール経由なら空きがある」という返事が返ってきた。「スールってどこ?」と思って確認したら、これはソウルだった(ロシア語では Seoul はスールみたいな発音になるらしい)。そこで、考えるまでもなく条件反射的に以下の返事。

「それでお願いします!」

いったんは絶望的な気持ちになったが、何とか事態を打開することができた。自分でも、このときは幸運だったと思っている。こういう状況に自分で対処できたということは、いい体験にはなったかも。あと、カウンターに中国人が押し寄せてきていなかったので(上海が最終目的地なら、そのまま遅延になった便に乗ればいいため)、この点も幸運だったかもしれない。

変更後のフライトは、翌日夜に出発するモスクワ~ソウル便と翌々日のソウル~福岡便。チケットを渡され、これでようやく安心できた。ただ、帰国が1日延びることから、会社にそのことを連絡しないといけない。

これについては、翌日の便に振り替えになった乗客のためにアエロフロートがホテルを用意してくれるということなので、そのホテルの WiFi を使って連絡することにした。ただし、ホテルの手配はこのカウンターではなく、ターミナルDにあるアエロフロートインフォメーションデスクというところで行う必要がある。

この時点で、時刻は日付が変わって深夜1時。変更後のチケットと一緒に1,000ルーブル分のミールクーポンももらっているが、さすがにこの時間には使う気になれない。まずはターミナルDに向かうことにした。


アエロフロートインフォメーションデスクはすぐに見つかったが、こちらも行列ができている。中には「明日、ビジネス上の重要な打ち合わせがあるが、間に合わなくなった。どうしてくれる」などと突っかかっている乗客(見た目はおそらくインド人)もいた。対応しているスタッフがちょっとかわいそうになったが、こちらも30分ほど行列に並び、ようやくホテルの申し込み。

申し込みはできたが、手配完了までは時間がかかるという。用意してあった無料のサンドイッチをもらい、椅子に座って待機していたところ、すでに深夜なのと先ほどまで立ちっぱなしだったこともあって眠くなってきた。

しばらく仮眠し、スタッフに呼ばれたところで目が覚めて時刻を見たら、なんと4時半。3時間ほども寝ていたことになるが、それよりもホテルの手配に3時間もかかったというのが驚きで、さすがロシアという感じ。

午前5時、他の乗客たちと一緒にトランジットエリアの外へ移動すると、外はすでに明るくなってきていた。その際にモニターをちらっと見たところ、上海行きはさらに7時半に遅延になっていた。結局、あの便は何時に出発したんだろう。

ここでさらに30分ほど待たされ、バスに乗ってホテルへ移動。15分ほどで到着したのは、空港のすぐ近くにある Novotel ホテルだった。

この Novotel だが、1990年代以前から海外旅行をやっている人は「シェレメチェボ強制収容所」などと呼ばれていたのを憶えているかもしれない。トランジットで宿泊する際に厳重な監視付きで移送されることから「収容所」などと揶揄されていたホテルで、予想外の事態により自分もこのホテルに滞在することになった。

もっとも、ソ連時代(設備も貧弱で薄暗いホテルだったらしい)と違って今は「収容所」という感じはなく、いたって普通のホテル。エントランスホールはすぐに通過して滞在する部屋がある階へエレベーターで直行した。ここで割り振られた部屋番号が伝えられ、そちらへ移動。下の写真が滞在した1153号室で、部屋は快適だった。

私一人で滞在するのではなく、欧米人の男性と相部屋。まあ、これは当然だと思う。それから、正式に入国はしていないのでホテル内を歩き回ることはできない。エレベーターの前に監視の男性が座っているので、この階の外には行けなくなっている。ここだけは収容所みたいだが、トランジットだから仕方がない。

部屋からの眺めはこんな感じ。1153号室といっても11階にあるわけではない。おそらくホテル自体が7~8階建て。

まずはホテルの WiFi を使ってインターネットに接続し、会社に「モスクワの空港で起きた大事故によりフライトが遅延し、出社が1日遅れます」というメールを送信した。これで一安心。

それからシャワーを浴び、快適なベッドで午後まで熟睡。後で聞いたところによると昼食のルームサービスがあったそうだが、私も同室の男性も寝ていたため受け取れなかった。ちょっと残念。

ただ、午後3時に部屋での滞在を終えて1階に移動すると、ここでも食事のサービスがあった。家族旅行中らしい日本人もいて、「よく眠れましたか?」などと話しながら遅めの昼食。

それにしても、ホテル滞在と食事が無料なのだから、フライト遅延はあったもののアエロフロートの対応には感謝している。アエロフロートのイメージが大幅アップ。

昼食を終え、午後3時半過ぎにバスで出発。

15分ほどで空港のターミナルに到着した。ここから見る限りでは、前日の事故の影響はなさそう。

ターミナルに入り、ちょっと貴重な体験だったトランジットホテル滞在は終了。

後は搭乗まで待つだけだが、その前に確認しておきたいことがあった。トビリシの空港で荷物を預けた際「いったん上海で受け取ってから再度預け直す必要がある」と聞いていて、その荷物が無事にソウル便に振り替えられているかどうかを確認したい。そのまま上海へ行っている可能性もゼロではないので、アエロフロートインフォメーションデスクへ行ってみた。

カウンターの前は、この日も行列ができている。

搭乗する予定のフライトがキャンセルになったのか、泣きそうな顔で「プリーズ!」と言いながら代替便を探している若い女性に同情しながら、こちらは荷物の確認。問題なくソウル便に乗せられているということが確認できたので、ほっと一安心。

またラウンジに入ってもいいが、前日もらったミールクーポンがあるのでカフェで軽食にした。「モスクワ・ケーキ」というのがどういうものかと思って注文してみたのがこちら。まあ普通のケーキだった。

それから、モスクワ土産といえばプーチングッズ。買ってはいないが、ネタとして眺めている分には面白い。

「ロシアでは専制政治しか機能しない」という話を聞いたことがある。ロシア人は有能でも腰の低い人は信用せず、たとえ冷酷であっても威張り散らすような「強い人」を好むらしい。西側で人気の高かったゴルバチョフが国内ではまったく人気がなかったそうだが、これはスマートであっても強さを感じさせないから。なのでプーチンみたいな人はロシアには最適。

夜8時に搭乗開始。バスで飛行機まで移動する途中、事故を起こした機体を遠くに眺めることができた。

機体のアップ。後ろ半分が完全に燃えているのがわかる。脱出できたのは機体前方に座っていた人たちだけだったそうで、こういうのを見ると「飛行機では前方に座るのが安全かも」などと思ってしまう。

20時40分、思わぬアクシデントで長く滞在することになったモスクワを出発。


午前11時、ソウルに到着した。いったん入国し、ターンテーブルで無事に荷物を受け取ってから再度預け直し。すぐに韓国を出国し、午後2時にソウルを出発して福岡へ。

3時半に福岡空港に到着し、予定よりも1日長くなったジョージア(&アブハジア)旅行は、これで終了。


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