マレーシア&台湾旅行記(金剛宮 / 前編)

旅行最終日になった。この日は基隆から海沿いに台北へ移動し、その途中にあるいくつかのスポットを回ることにしている。

最初の目的地は、台湾最北端の石門郷にある金剛宮という寺院。ここは2008年3月にも訪れたことがあり、11年半ぶりの再訪になった。目的はもちろん、前回の訪問時に激しく感動した神様に再会するため。


朝6時半に起床。8時にホテルをチェックアウトし、大通りに出ると廟口夜市の入口が見える。昨日夜の大賑わいぶりと比べると朝は静かなもので、まるで「宴の後」という感じ。

海沿いの大通りを歩いてバス乗り場へ。金剛宮がある石門郷へは、途中の金山という町でバスを乗り継ぐ必要がある。金山と書かれたバス乗り場で待っていると、すぐにバスがやってきた。

8時20分に基隆を出発。外国でバスや鉄道などの乗り物に乗っている時間は好きなので、車窓を眺めているだけで楽しめた。基隆から50分ほどで金山に到着し、回送になって去っていくバスを眺めながら次のバスを待つ。

この金山という町だが、金山老街という観光スポットもあるものの、一般的には「テレサ・テンの墓所がある町」として知られていると思う。墓参りに来る日本人も多いと聞くが、私は特にファンというわけでもないので金山はスルー。

3分後にやってきた淡水行きのバスに乗って、金山を出発。この路線がこんなに接続がいいとは思わなかった。この路線は海沿いを走るので、きれいな車窓風景を眺めながら快適な移動。

金剛宮の最寄りバス停だが、11年前の旅行では「新十八王公」という名前だった。このため、今回もそのバス停で下りればいいと考えていたが、しかしながら金山のバス乗り場で路線図を見ても「新十八王公」というバス停がない。

状況がよくわからないが、今はバス停の名前が変わったのかもしれない。そこで、順番からいって「富基漁港」というのが旧「新十八王公」だろうと思い、バスに乗る際に「富基漁港」と書いた紙を運転手に見せて、そこで下りることをアピールしておいた。

20分ほどで、11年前にも立ち寄った石門の町を通過。そろそろ目的地かと思っていると、急にバスが大通りをそれて横道に入っていった。そして運転手が「富基漁港」という標識の前でバスを停め、ここで下ろしてくれた。その標識と、走り去っていくバスの写真。

このときは「なんだ、富基漁港はかつての新十八王公ではなかったのか。下りるバス停を間違えたな」と思い、とりあえず歩いて大通りへ戻ることにした。

後でわかったのだが、現在の「富基漁港」バス停はたしかに旧「新十八王公」バス停だった。ではなぜこの場所で下ろしてくれたのかというと、私が「富基漁港」と書いた紙を見せたためだったらしい。運転手が「この人は漁港に行きたいのだろう」と判断して港に近いところまで運行してくれたようだが(富基漁港は海鮮料理店が何軒かある観光地)、気を利かせてくれたのが逆効果。

しかし、この場所は明らかに大通りから外れている。「路線バスが路線から外れたところを運行する」というのは日本では考えられないし、規則で禁止されているはず。台湾ではそのあたりは運転手の気持ち次第で臨機応変なのかもしれない。ちょっと珍しい体験だった。

バスを下りてから金剛宮まで歩くことになったが、周囲の景色は風光明媚。

大通り(ここが本来のバス路線)に戻ると、金剛宮の看板が見える。

大通りからこちらの横道に入り、金剛宮へ。

のどかな風景を楽しみながら坂道を上がっていくと、やがて金剛宮が見えてきた。11年ぶりなので、なんだか懐かしい。

正門をくぐって寺院内へ。

正門の先は、駐車場の周りに建物が並んでいる。龍の形をした入口と、その両側に立つ奇妙な神像とも久しぶりの対面。

では、あの神様との再会を楽しみにしながら、建物の中に入る。

最初に現れたこちらの神像に参拝し、先へ進む。

続いて、古来からの親孝行の各場面を再現した像が並んでいる通路を歩く。

これらの親孝行場面のうち、やはり感動するのがこちら。

歯の抜けた老母に自分の乳を飲ませる嫁。これもこちらの文化では親孝行。

子供が「自分にも!」とせがんでいる様子が面白い。

いろんな親孝行を眺めながら廊下を通り抜け、続いて本尊に参拝。

本尊が安置されているのは、八角形のお堂の中。中央に安置されているのが四方に顔を持つ四面佛で、四面佛を一回りして参拝してきた

参拝の仕方は、長い線香(花火くらいの長さ)を数本持ち、四面佛を一回りしながらそれぞれの顔の前に線香を差し出すというもの。四方から参拝することで、ご利益が4倍増になった気がする。

本尊への参拝を終え、続いて2階へ。階段にはこういう案内が貼ってあってびっくり。この寺院が日本人旅行者の間で密かに人気になっているという話は聞いていたが、予想以上に来訪者が増えているらしい。

前回の訪問時(2008年)は日本人にはほとんど知られておらず、この寺院への行き方を詳しく紹介したのは私のサイトがおそらく初めてだったはず。まあ、11年も経つもいろいろと状況は変わるもの。

では、案内書きに書かれていた神様に会うために2階に上がる。

まずは、こちらの区画へ。前回の訪問時は「金玉満堂」と書かれていたが、今回はその文字はなくなっていた。

中央の神様は、やっぱり錦野旦に似ている。この感想は前回と同じ。

こちらは神様たちの授業風景。

教室の中を覗くと、立派な身なりの方たちが授業を受けていた。ただし頭に載せている冠は脱いだ方がいいと思う。後ろの席からは前が見えない。

机の上に置かれていたのは「御事録」。やはり帝王学が事細かく記述されているんだろうか。

教室の後ろに座っていた人たち。父母たちの授業参観なんでしょうかね。

授業風景を眺めた後、先へ進むと巨大な神像が。躍動感のある姿に感動。

こちらは千手千眼佛祖殿。背後に光輪みたいにびっしりと並んだ手が迫力ありすぎで、すべての手のひらに目が付いている。だから「千手千眼」なのだろうが、人によっては集合体恐怖症を引き起こしそうな姿。

こちらの胸像は何だろう。後ろの写真の夫婦がモデルなんだろうが、「功徳者」と書かれているので多額の寄付をした人たちかもしれない(違っていたらすみません)。

では、そろそろ目当ての神様と再会することにする。壁際にずらりと並んだ「六十甲子六十太歳」像の一人である「甲子太歳神金辨」様が、どうしても会いたかった方。

その神様の前の柱にも、こういう案内書きがあった。日本人の訪問者が増えていることをここでも実感。

しかし、れっきとした由緒ある神様なのに、なんだかB級物件みたいな気持ちで訪れている人がいるとしたら残念。日本人に広く知られる前に金剛宮を紹介した者としては、ちょっと複雑な気持ちになる。

こういう気持ちを持ったまま、いよいよ神様と対面。

最初に感じるのは、11年前と同じ気持ち。

目から手が!!!

この神様のモデルは楊任という人物で、主君である紂王を諌めたために報復として両眼をくりぬかれてしまい、清虚道徳真君 という仙人に救われた方。しかし、救うにしても普通に目を復活させるのではなく「眼窩から一対の手を生やし、それぞれの掌に眼をつけた」という方法が実に独創的。凡人にはこんなことは思いつかない。

こういう姿になった経緯を考えると決して安易に楽しんではいけないのだが、それでも手のひらを近くで見ると感動してしまう。

手の向きを変えることで、あらゆる方向を見渡すことができるはず。なるほど、それが仙人の目的だったのかもしれない。

前回の訪問時は「関節の辺りの作りがちょっと雑かも」と思ったが、今回はきれいになっていた。日本人来訪者に人気になったため、修復もしっかり行われるようになったのかもしれない。

「甲子太歳神金辨」様だけを取り上げるのは不公平なので、他の「六十甲子六十太歳」像にも参拝。

由緒ある神様たちなのだから決して茶化してはいけないのはわかっているが、それでも頭の上にウサギや牛を乗せた姿を見ると笑ってしまいそうになる。

このエリアにはまた来ることにして、いったん先へ進む。顔出し看板があって「四面佛の護法神」「ご遠慮なく自由に記念写真を撮ってください」と日本語だけで書かれていた。まるで大魔神みたいな姿。

それにしても、いったいどこまで日本人の来訪者が増えたんだろう。

顔出し看板の先には、神輿を担ぐ人たちがいた。

屋外に出ると、その先は十八羅漢が並ぶ通路になっている。

羅漢さんたちの姿を眺めながら先へ進む。いろんな姿を眺めていると面白い。

十八羅漢エリアの先には、大きな涅槃像がある4階建ての建物がある。かなり長くなったので、ここから先は次のページで。