マレーシア&台湾旅行記(金剛宮 / 後編)

今回、金剛宮へ来た最大の目的だった「甲子太歳神金辨」様との再会を果たし、ここからは金剛宮の後半戦。

「佛教聖地」という4階建ての建物の中に、大きな涅槃像がある。

こちらの涅槃像とも11年ぶりの再会。鮮やかな青色をした螺髪が見事。

涅槃像の奥には、こういう部屋がある。まずは祭壇に並んでいる神像に参拝。

壁に掛かっている金色のお札には来訪者の願い事が書かれていたが、日本語のものもいくつかあった。

それから、祭壇に並んでいる神像もよく見ると驚異的な顔をしている。なぜか写真を撮るのを忘れたので、この姿については以下のサイトを参照してほしい。

それにしても、自分の目がおかしくなったのかと錯覚しそうな顔立ち。

祭壇の横にテープが張られていて、奥へは入れないようになっていた。このため、この円形の部屋の中に何があるのかはよくわからない。入ってみたかっただけに、ちょっと残念。

続いて、建物の上の階へ上がってみる。各階にも様々な祭壇や神像があって面白い。

4階まで上がると、遠くに海が見えた。えんじ色の屋根が十八羅漢の通路、金色の屋根が後ほど見る予定の地獄エリア。

地獄エリアも楽しみだが、その前に4階にも強烈な空間がある。それがこちらの羅漢大楼。

名前の通り、ずらりと並んだ羅漢像たちが見事。通路を歩いていると、羅漢さんたちからの強い視線を感じていたたまれない気持ちになってくる。圧が強すぎるというか、ものすごい迫力。

少し高くなった場所から見渡した風景。羅漢さんたちがどれだけたくさん並んでいるか、これでわかると思う。

金色の羅漢さんには、こういう紙が貼られていた。「功徳金」という文字があるので、製作費を喜捨した人の名前が書かれていると思う。

あるいは、これらの羅漢像を購入した人であって、自宅に安置されるんだろうか。わかる人がいたら教えてほしい。

涅槃像と羅漢大楼がある建物を出て、続いてこちらへ。

ここからが、お待ちかねの地獄エリア。地獄の役人に挨拶し、中に入ることにする。

横に立っているのは、台湾の地獄ではおなじみの謝将軍。「一見大吉」の文字と長い舌がトレードマーク。

では「善悪分明」の文字の下を通って地獄へ。

ここの地獄は、通路の片側に人形が並ぶというスタイル。地獄の各場面を楽しみながら、奥へ歩いて行く。

地獄には亡者の審判を行うステージが10段階あり(一殿~十殿)、それぞれに裁判官がいる。この十人を「十王」と呼び、そのうちの5番目が日本でもおなじみの閻魔大王。

下の写真は二殿の初江王と九殿の都市王。

この方が五殿の閻魔王だが、日本でのイメージとは違ってそれほど恐ろしそうな姿ではない。

以下、亡者の責め苦を並べておく。どれも痛そう。

挽き臼で潰される亡者も定番。ただ、ちょっと血が少ないかも。

大きな石で潰されるシーンは斬新。

空中に浮いている手足という場面もあった。

十殿まで進むと、6色に塗り分けられた円盤がある。人間は「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」をぐるぐると回っているという六道輪廻の考えに基づくもので、この円盤が示すところが亡者の次の生まれ変わり先。

前回来たときは、この円盤はたしか回転していたはず。この地獄で唯一の動くアトラクションだったが、今回は動かなくなっていた。残念。

ここで振り返って亡者たちの風景を眺めた後、地獄を後にすることにした。

動くアトラクションはなくなっていたが、しかし地獄風景はよくできているので、地獄マニアならぜひ訪れてみてほしい。

階段を上がって2階へ行くと、そこは天国(天堂)になっている。

地獄と違って手が込んでおらず、壁際に人形が並んでいるだけ。

リアルな地獄風景が作られている場所では、天国は手を抜いてあるのが世界共通の特徴。職人さんたちも、天国よりは地獄の責め苦を作る方が楽しいんだろう。

天国を出て、寺院の入口の方へ歩いて行くと参拝者向けの食事サービスがあった。前回来たとき、まさか無料サービスとは思わず、自由に食べていいと聞いて驚いたのを憶えている。

では、今回も遠慮なく頂くことにする。メニューは11年前と同じくあんかけ風の麺類だった。

前回は、私が日本人とわかると他の参拝者たちが驚いていて、寺院の人もわざわざパンフレットを持ってきてくれたりした。今はまさか日本語の案内書きが現れるほど日本人に人気になっているとは思わなかったが、あれから11年も経つといろんなことが変わるもの。

今回は他の参拝者がいなかったため一人で食事を終え、それからしばらく寺院内を歩き回ってみた。

それにしても、寺院内は赤と金色が鮮やか。

最後に、こちらの区画を紹介。

前回来たときはテーブルの上に小型サイズの神様たちがずらりと並んでいたが、今回はきれいに片付けられていた。いったい何があったんだろう。(画像クリックで前回の風景を表示)

寺院入口の近くに、こういう土産物コーナーがあった。こういうガラスケースは見た記憶がないので、前回はなかったはず。

土産物を見ていると、こういう御守りがあった。もちろん日本人目当てに商品化されているのだろうが、あの「目から手が!」の神様がここまで話題になっていることに改めて驚く。もっとも、由緒ある神様がちょっと珍しい者扱いされているようで、なんとなく複雑な気持ち。

この御守りの値段は100元で、もちろん購入した。今でも自宅のPCの横に掛けてある。

では、そろそろ金剛宮を出ることにした。その前に、この方ともう一度対面。

「甲子太歳神金辨」様は台湾の他に香港やタイでも見たことがあるが、この寺院の姿が一番素晴らしいと思う。ぜひとも、もう一度会いに来たい。

名残惜しいが、犬に「またいつか来ますね」と挨拶してから帰ることにした。

親孝行の場面が並んでいる通路を歩いて屋外へ。

晴天の屋外に出て、これで金剛宮を後にした。寺院内にいた時間は2時間ほど。

本当に楽しめる寺院なので、興味を持った人はぜひとも訪れてみてほしい。「目から手が!」の神様だけでなく、涅槃像やら羅漢像やら地獄風景やら、いろんな風景が楽しめる。こんな寺院は世界にもそうはないと思う。


バス乗り場がある大通りへ移動し、前回も金剛宮からの帰りに立ち寄った「新十八王公」という寺院へ行ってみることにした。ところが、その建物を見てびっくり。そして、これでなぜバス停の名前が「新十八王公」から「富基漁港」に変わっていたのか、その理由を知ることができた。

こちらが、かつて新十八王公があった建物。この通り寺院自体がなくなっていて、跡地はシャッターの前にバイクが駐車していた。屋根に「整棟分租」という看板があって、Google 翻訳を試してみたら「建物全体の又貸し」みたいな意味。新十八王公が出ていった後、まだ入居者が決まっていないみたい。

寺院がなくなったのだから、たしかにバス停の名前も変わるはず。

参考までに、11年前(2008年3月)の新十八王公がこちら。同じ建物ということがわかる。

移転したのか、またはなくなってしまったのかはわからない。しかし、寺院が移転または消滅するというのも、なかなかすごいことだと思う。いったい何があったのか、もしも知っている人がいたら教えてほしい。

今回は隣に小さな寺院らしいスペース(新十八王公ではない)があったので、こちらに参ってきた。

新十八王公がなくなっていたことに驚きつつ、バス乗り場へ。ここが「富基漁港」のバス停で、本来であればここで金山からのバスを下りたはず。運転手が変に気を利かせてくれたおかげでずいぶん遠くで下りたことになるが、それはそれでよかったと思っている。

バス停の「Fuji Harbour」というアルファベット表示を見て、「富基」が Fuji というスペルになることがわかった。

バス停の周辺は公園になっていて、バスが来るまで歩いてみた。

この公園の名前は「石門婚紗広場」だそうで、名前からして結婚するカップルが記念写真を撮る公園だと思う。

このため、こういう白亜の場所がやたらと多い。下の写真を「場所はギリシャのサントリーニ島で、後ろに見えるのはエーゲ海」と紹介しても信じる人がいるはず。

やがて、淡水行きのバスがやってきた。

11年ぶりの金剛宮再訪を終え、次の目的地の淡水へ向かった。淡水の捜奇博物館も、11年ぶりの再訪になる。