トルコ旅行記(イスタンブール / ガラタ塔、地下宮殿)

福岡発12時半のシンガポール航空989便でシンガポールへ。午後6時ごろ、乗継ぎ地のシンガポールに到着した。チャンギ国際空港ではトランジットエリアで京劇などをやっていた。


夜の11時50分にシンガポールを出発し、ドバイを経由して早朝の7時半ごろイスタンブールのアタチュルク国際空港に到着。まず空港内の銀行で60ドルをトルコリラに両替したところ、受け取った金額は約9,600万リラ。1ドルは約160万リラとなる。すごいインフレをいきなり実感。

これは2002年当時の話。2005年にデノミが実施され、100万トルコリラが1新トルコリラになった。このため現在の紙幣には大きな数字は書かれていない。

紙幣は2,000万リラ、1,000万リラ、500万リラ、100万リラ、50万リラの5種類がある(硬貨は25万、10万、5万など)。このため1億リラでもわずか紙幣5枚にしかならない。数字のゼロが多いため、慣れないうちはよく1000万札と100万札を間違えて渡したりしたが、多く渡したときも黙って受け取ったりはせずに必ず指摘して返してくれるので、やはりトルコ人には善人が多いようだ。


ターミナル前からエアポートバスに乗り、イスタンブール市街へ。この日は、ガイドブックに載っていたホテルの中から値段を考えて「スルタンホテル」に泊まろうと思っていた。そこで「アクサライ」という場所でバスを降り、しばらく付近を歩き回ってみたがスルタンホテルが見つからない。しかし周囲には他のホテルがいくつもあったので、その中からわりとこぎれいな “Hotel Prag” に入り、空いているということだったのでここに泊まることにした。宿泊料金は4,000万リラ(約25ドル)。

ここの主人がチャイ(お茶)を出してくれたので、部屋の準備ができるまでしばらくロビーで休憩。主人といろいろと話してみたが、たまたまこの日が国会議員の選挙日だったらしく、やがて政治的な話題となった。アメリカの悪口から始まり、最後はクルド人の悪口を言い出したところで(なお、私はチャイを飲みながら適当に話を合わせていましたが)部屋の用意ができ、部屋へ移動した。

部屋でガイドブックの地図を見てみたところ、スルタンホテルがあるラーレリ地区からは少し離れたところを歩いていたようだった。さらに、ガイドブックをよく読むと「ラーレリからアクサライ地区にかけてもホテルが集中しており、料金はスルタンアフメット地区より安い。しかしロシアや東欧からの出稼ぎ労働者が集まるエリアなので、夜には多くの売春婦が街角に立ち、売春宿と化すホテルも多い。治安もあまり良くないので注意したい」という記述があった。これって、このあたりのことじゃないのか? ホテル名も「プラハ」だし。少し心配になったが、しかしまあ、そんなに遅くならないうちにホテルへ帰ってくれば大丈夫だろう。


ホテルでしばらく休んだあと、イスタンブール市街へ。最初はボスポラス海峡と市街地が見渡せるガラタ塔へ行くことにしていた。

イスタンブール市内は、トラム、地下鉄、バス、フェリーなどさまざまな公共交通機関が発達していて、旅行者でもまったく困ることはない。その中でもトラムとフェリーは特に便利で、旅行中は何度も乗ることになった。

ガラタ塔

ユスフパシャ駅からトラムに乗り、旧市街方面へ向かう。と思っていたら間違って反対方向のトラムに乗ったらしく、旧市街ではなく郊外へ向かっていた。途中で気づいたのだが、せっかくなのでそのまま終点へ。終点のゼイティンブルヌ駅は地下鉄との乗り換え駅になっていて、トラムの乗客のほとんどは地下鉄駅へ向かっていった。

ここで反対方向行きに乗り換え、旧市街方面へ。スルタンアフメット駅付近から石畳の道路になり、急カーブの連続となる。オリエント急行の発着駅として有名なシルケジ駅を過ぎ、終点のエミノニュ駅に到着。この駅はガラタ橋の前にある。

橋を歩いて対岸へ渡り、地下鉄「テュネル」のカラキョイ駅へ。ここから、ヨーロッパで2番目に古く、また世界最短の地下鉄に乗る。カラキョイ駅から次のテュネル広場駅までのわずか1区間で、ケーブルカーのように急勾配を上り下りしている。

こちらがテュネル広場駅に停車中の車両。

テュネル広場からガラタ橋へ急な坂道を下りていくと、途中にガラタ塔がある。ガイドブックによれば1338年に要塞の一部として建造されたもので、高さは67mだそう。料金500万リラ(だったと思う)を払ってエレベータで8階へ上がり、さらに階段を上ると市内が一望できる。

ガラタ橋、ガラタ塔、トラム、テュネルなどの位置関係は下図の通り。

下の写真はガラタ塔からの眺め。ボスポラス海峡が一望できる。

上の写真の左側が黒海方面で、右の方に写っているのがガラタ橋。ボスポラス海峡のこちら側がヨーロッパサイドで、向こう側がアジアサイドになる。ボスポラス海峡を絶え間なくフェリーが行き来している様子を見ていると面白い。

一方、ガラタ塔から陸側を見るとこんな感じ。建物の高さと比べて異様に細い路地が特徴的。

しばらく景色を楽しんだ後、ガラタ塔を出て、急坂を歩いてガラタ橋へ。ガイドブックには暗くなってからのガラタ塔周辺は治安が悪いと書かれていたが、確かに昼でも人通りは少なく、夜には危険な地域になりそうな雰囲気があった。

地下宮殿

続いて、ぜひ見たいと思っていた地下宮殿へ。地下宮殿といっても宮殿として使用されていたものではなく、かつての貯水池のこと。場所は旧市街の真ん中、スルタンアフメット駅の近くにある。

料金800万リラを払って地下へ降りると、かなり広い空間に多数の列柱が整然と並ぶ光景が現れる。建造されたのは527~565年だそうだから、今から1500年ほど前になる。今は観光地となっているが、かつてこの空間は水で満たされていたことになる。これらの列柱は、数世紀にわたって水に浸かっていたのだろう。

なお、下の写真は夜景モード(シャッタースピード2秒)で撮っているため明るく写っているが、実際の地下宮殿内はもっと暗い。(注:2002年当時はフィルムカメラを使っていた)

一番奥に、ここの名物といえる大理石製の2体のメデューサがあり、1体は横向き、もう1体は上下逆に設置されている。水を抜いて泥をかき出したときに発見されたそうで、どういう意図で使われているのかはわかっていないらしい。近くで見ると、なかなか迫力がある。

地下宮殿内はすべて昔のまま保存されているわけではなく、芸術家たちがさまざまな作品を作っている一画がある。下の写真はその中でも特に面白かったもの。なんだか心霊写真のような感じ。

観光客は多いが、みんな静かに歩いているので、ときどき天井から落ちてくる水滴の音が聞こえるくらい。地下宮殿内にあるカフェでいったん休憩した後、再びかなりの時間歩き回ったが、なかなか興味深い場所だった。荘厳な雰囲気が実にすばらしい。イスタンブールではぜひ訪れてほしい必須スポットといえる。

ガラタ橋

ガラタ橋に戻り、付近を散策。この橋は歩道から大勢の市民が釣りをしていることでも有名で、下の写真で橋にずらりと並んでいるのはいずれも釣り人。この日は日曜日ということもあって、特に釣り人が多いようだった。道路の下はレストランが並んでいる。それにしても、なにも橋の上から釣りをしなくてもという気もするが。

ガラタ橋付近には行商や屋台が多く並んでいる。ケバブサンド(肉をタワー状に積み上げたものをぐるぐる回しながら焼いていて、焼けている端の部分を切り落として野菜やヨーグルトソースと一緒にパンにはさんだもの。75万リラ)が、なかなか量があってうまい。昼食はこれで十分。

散策の途中、シルケジ駅へ行って翌日のチケットを購入。翌日はデニズリ行きの夜行列車「パムッカレエクスプレス」に乗ることにしていた。1等寝台で料金は7200万リラ(約45ドル)。パムッカレエクスプレスはシルケジ駅ではなくアジアサイドにあるハイダルパシャ駅からの出発となる。

11月ということもあって日没が早く、午後5時過ぎには暗くなる。6時になると、下の写真のような夜景を見ることができる。この時間になってもまだ釣りをしている人たちがいた。

下の写真は橋の上流側の夜景。大きなモスクはスルタン・スレイマン1世モスク群。

旧市街をしばらく歩いた後、ホテルへ帰ることにして、ギュルハネ駅からトラムに乗ってユスフパシャ駅へ。ホテル周辺は屋台がいくつも出ていて、大通りを歩いている限りは特に危険な感じはしなかった。(屋台で夜食としてケバブサンドを買ったとき、金を渡す際に「なるべく現金をまわりに見せるな」と屋台主に注意されたりはしたが)

ただし、大通りに接続する横道はいずれも真っ暗だったので、そちらへ行ったらどうなるかわからない。大通りに面したホテルを選んでおいてよかった。

ホテルでは寝るまでTVを見ていたが、この日の選挙についてのニュースがほとんどだった。しかしながらトルコ語はわからないので、この選挙でイスラム系の政党が大勝したことは日本に帰ってから知った。