今回の宮崎旅行最後の目的地は平和台公園。この公園内にある「平和の塔」を見ることが、この公園を訪れた目的になる。
宮崎駅から平和台公園行きのバスで約30分。終点で下車し、少し歩くと目的の「平和の塔」が見えてきた。
不思議な形をした塔だが、まずはその手前にあるこちらの場所へ。この台に乗って手を叩くと、塔に反射して独特な音が聞こえるという。
試してみたが、確かに何かこだましたような感じの音がした。
では、続いて平和の塔へ。この塔の最大の特徴は、表面に刻まれているこちらの文字。
この塔が建てられたのは昭和15年。刻まれているのは「八紘一宇」で、それを武人像が取り囲んでいる。現代において八紘一宇の文字をこれだけ堂々と見ることができる場所は、この平和の塔以外にはほとんど残っていないだろう。
この言葉の意味や使われた時代などについては、説明すると長くなるので Wikipedia あたりを参照してほしい。
八紘一宇については「言葉自体に悪い意味はない。問題なのは誤って解釈した人たちだ」という考えもあると思うが、しかし「全世界を一つの家にすること」が世界平和と捉えられなくはないとしても、あくまで「天皇のもとに」という前提があるのは知っておくべきだと思う。
いわば「世界中を日本にする」という考え方であって、最初から他民族の多様性や価値観などは考慮していないように思える。まあ、これは私の解釈だが。
塔の裏側に刻まれているのは「紀元二千六百年」の文字。これはもちろん昭和15年の神武天皇即位2600年を指している。
終戦後はさすがにまずいと思われたのか、八紘一宇の文字と武人像は撤去されている。これらが元に戻されたのは昭和40年。なお、建造当時の名称は八紘之基柱(あめつちのもとはしら)で、平和の塔に改められたのは昭和32年。
塔の内部には立ち入ることはできない。内部には天孫降臨、神武天皇即位などのレリーフがあるそうだが、一般公開は年1回のみ。
平和台公園といえば平和の塔が一番有名だと思うが、実際は公園自体はかなり広い。そんなに時間がないので全部を回ることはできないが、少し散策してみることにした。
こちらは「はにわ園」というエリア。
いろんな形の埴輪を見ながら散策。
続いて「はにわ館」という建物に入ってみた。
しかし、はにわ館という名前にもかかわらず展示されていたのは昆虫の標本。おそらく、このときは特別展示みたいな内容だったんだろう。
館内には1964年の東京オリンピック開催時に聖火リレーの起点となった聖火台も置かれていた。
平和の塔について解説したパネルもあったので写真を撮ってみた。
最後に、平和の塔をもう一度見てから公園を後にした。
八紘一宇といえば、2015年の参議院予算委員会で三原じゅん子議員が突如この言葉を取り上げ、討論相手の麻生太郎議員を驚かせたことがある。
このときは久しぶりに平和の塔のことを思い出したが、三原じゅん子議員がこの言葉の本来の意味をどれだけ知ったうえで発言したのかは不明。「ちょっといい言葉を知ったので使ってみました」程度の理由ではないと思うが。
バスで宮崎市街へ戻り、福岡行きの高速バスで基山SAへ。ここで佐世保行きの高速バスに乗換え、自宅へ戻った。3連休の宮崎旅行は、これで終了。
(2008.7.21)
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