アルメニア旅行記(ゴリス~ステパナケルト)

ゴリス滞在最終日。この日は午前中のミニバスでナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトへ向かうことになる。

このゴリスという町は、外食できる場所が極端に少ないのが難点だが、しかし雰囲気はよかった。近郊のタテヴ修道院を観光する際はぜひ滞在してみてほしい。


朝8時に起床。このホテルから見えるのどかな眺めは本当にきれい。このホテルに宿泊しておいてよかった。

朝食前にホテル内を散策してみたが、ここは本当に居心地のいいホテルだった。ゴリスに滞在する際は、この Mirhav ホテルはお勧め。

朝食後、午前10時にチェックアウト。ロビーに置いてあった情報ノートに日本語の書き込みがまったく無かったことから、スタッフに「もしかして私がこのホテルで最初の日本人客ですか?」と聞いてみたところ、実は日本人の宿泊客もそれなりにいるということだった。数日前にも日本人女性が泊まっていて、その人もステパナケルトへ出発していったということなので、単に情報ノートに誰も書き込んでいなかったということらしい。

せっかくなので情報ノートにタテヴ修道院やオールドゴリスのことを書き込んでから、スタッフに挨拶してホテルを出発。ステパナケルト行きのミニバスは10時半発で、ゴリスに着いた時と同じバス乗り場から出発するということは前日のうちにスタッフに確認していた。

バス乗り場へ向かう間、これで見納めかもしれないと思って周囲の景色を眺めておいた。果たして、この町を再訪することはあるだろうか。

幹線道路沿いのバス乗り場へ行くと、ステパナケルト行きはここが始発らしく、すでにミニバスが停まっていた。このバスは「満員になったら出発」という便ではないらしく、少し空席を残したまま15分遅れの10時45分に出発した。車内は地元の人たち以外に外国人旅行者が3人ほど。ステパナケルトまでの料金は2,000ドラム。

窓側に座っていたので、ガラスはそれほどきれいではないものの、緑の多い景色が眺められた。

「旅行人ノート」にも少しだけ記載されているテグという集落を通る際は、フンゾレスク渓谷と同じような横穴の住居跡を少しだけ見ることができた。本当に、あんなところにどうやって住んでいたんだろう。

ゴリスを出発してから45分ほどで、国境に到着した。いよいよ、未承認国の「ナゴルノ・カラバフ共和国」に入ることになる。

ここで「ナゴルノ・カラバフ」について簡単に説明しておくと、ここは旧ソ連時代はアゼルバイジャンの一部でありながらアルメニア人が多数を占めていた自治州で、ソ連末期に自治州議会がアルメニアへの帰属変更を宣言し、それを認めないアゼルバイジャンと自治州を支援するアルメニアの間で全面戦争になった地域のこと。戦争はアルメニアが圧勝して自治州の周辺まで占領している。併合すると批判されるためか形だけ独立国にしているものの、実質はアルメニアの実効支配地域。当然、日本はここを国とは認めておらず、外務省の危険情報では「渡航の延期をお勧めします」になっている。

しかしソ連の崩壊時期にここで全面戦争が行われていて、今でもアルメニア人とアゼルバイジャン人の間で憎悪の連鎖が続いていることをどれだけの日本人が知っているんだろう。アルメニアは勝者なのでまだ余裕があるが、アゼルバイジャン人のアルメニアへの怨念は凄まじいらしい。20年以上前の戦争の影響がまだ双方に残っている。

こういう係争地に入るのもどうかと考える人もいると思うが、今は平和なのでわりと安全に滞在できる。ただ、アゼルバイジャンも奪還を諦めてはいないので、いつまた紛争が再発するかわからない地域でもある。ここに入る際は自己責任で。

(2024年1月追記)
2023年に起きたアゼルバイジャンとの軍事衝突の結果、アルメニア系勢力が事実上敗北したことによりナゴルノ・カラバフ共和国は2024年1月1日で消滅しました。現在はアゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ地域を完全に奪還しています。
このため、この旅行記はかつて存在した未承認国家の訪問記事となります。現在は状況が完全に変わっていますので、あくまで過去の記録として読んでください。

国境では、外国人旅行者のみがバスを下りて入国手続きを行った。さすがアルメニアの実行支配地域だけあって、地元の人たちはフリーパス。ただ、入国手続きといってもパスポート番号の記録と宿泊予定ホテルを聞かれたうえで入国カードを渡されるだけ。この紙切れは出国時にここで返却することになるので、大事に持っていないといけない。

また、ナゴルノ・カラバフ入国にはビザが必要だが、これは自分でステパナケルトの外務省へ行って申請することになる。国境ではビザを持っていなくても入国できてしまうあたりは、さすがアルメニアの傀儡国という感じ。

下の写真は、入国手続きを行う建物とそれぞれの国旗。アルメニアの国旗に三角形の切れ込みが入っているのがナゴルノ・カラバフの国旗。

宿泊予定のホテルについては「旅行人ノート」に載っている適当なホテル名を答えておいて、問題なくナゴルノ・カラバフに入国した。考えてみれば、世界中のどこからも国として認められていない地域に入るのはこれが初めてで、何だか不思議な気分。

旅行者全員が入国手続きを終え、再びミニバスで出発。周囲の景色はアルメニア側とほとんど変わらず、景色を楽しんでいるうちにステパナケルトの町が見えてきた。

国境から1時間半ほどでステパナケルトに到着した。首都といっても人口は5万人ほどで、それほど大きな町ではない。


ミニバスが着いたのはバスターミナル近くの大通り沿い。大通りといっても、それほど交通量は多くはない。

まずは泊まるところを探さないといけない。そう思いながらミニバスを降りたところ、客引きのおっさんにあっさりと捕まってしまった。「ノープロブレム」が口癖の威勢のいいおっさんで、こちらが考える暇もなく安宿に連行されることになってしまった。なお、ここにいた客引きは、このおっさん一人だった。

ステパナケルトへ来たことのある人なら、おそらくこのおっさんのことは知っていると思う。英語は「No Problem」「Problem」「OK」「Good」の4つしか話せないが、この4つの言葉だけで会話を成り立たせる能力がある。旅行後にインターネットで調べたところ、ここを旅行する数少ない日本人の間でも「ノープロブレム親父」といえばかなりの有名人らしい。

ノープロブレム親父が運転する車に乗り、5分ほどで安宿に到着。

安宿の名前は AREVIK HOSTEL で、部屋はこんな感じ。宿泊料金は1泊5,000ドラム。

シャワー室はお世辞にもきれいとは言えないが、まあ2泊だけなら問題ない。ただ、安宿の裏から眺めるステパナケルトの景色だけはきれい。

まずはビザを取らないといけないが、おっさんはその辺も慣れたもので、申請用紙が安宿に用意されていた。外務省の場所と用紙の書き方の説明の後は、この日と翌日の営業トークが始まった。英語が話せないのに営業トークがしっかり伝わるところがすごい。

予定では、この日の午後に郊外のシューシへ行って、翌日はミニバスでガンザサール修道院へ遠出することを考えていたが、翌日に車でアグダム(ただし遠望のみ)、ティグラナケルト、ガンザサールなどを回ってやるという。値段は1キロ当たり150ドラムで、ここへ戻ってから精算するそうなのでいくらになるかわからないが、しかしアグダムを見られるのは魅力。ミニバスよりも行動範囲がずっと広がるし、思い切って翌日のチャーターを頼むことにした。

(翌日はアグダム、ティグラナケルト、ガンザサールの他にアゼルバイジャンとの境界線に近いアマラスという村にも行くことになり、結果的に移動距離は268.8キロ、値段は4万ドラム(約1万円)にもなったが、しかし相当に楽しい経験をすることができた。ここで車をチャーターして大正解だった)

シューシについては、これから車で送迎してやる(有料)ということだったが、この町はゆっくりと見てみたかったので、それは断ってバスで行くことにした。

おっさんは次の 獲物 旅行者を捕まえるためにバス乗り場へ行くということなので、ついでに外務省まで送ってもらうことにした。外に出ると、生活臭のあるアパートが見える。洗濯物がいい感じだが、まさかあれは電線なんだろうか。

こちらがナゴルノ・カラバフの外務省。ちょっと薄暗い建物内に入り、申請用紙とパスポートを預けておいた。すぐにビザが取得できるのではなく、午後2時に受け取りに来る必要がある。

申請用紙には滞在中に訪れる予定の町を記載する必要があるが、トラブルを避けるためにアグダムは書かず、無難にステパナケルトとシューシとガンザサールにしておいた。これはノープロブレム親父のアドバイス。

外務省を出て、いったん歩いて安宿へ戻った。30分ほど、旅行人ノートのコピーを読みながら休憩し、再び外出して外務省へ。窓口ではなくオフィスの中に案内され、無事にビザを取得することができた。これがナゴルノ・カラバフのビザで、ちょっと貴重なものかもしれない。

ビザの料金は3,000ドラムで、アルメニアと同じ通貨を使っているところなどはやはり傀儡国。パスポートにこのビザがあるとアゼルバイジャンでは100%入国を拒否されるので、パスポートに貼るかクリップで留めるかを聞かれたが、有効期限の2020年までにアゼルバイジャンへ行くことは100%ないので貼ってもらった。国境ではパスポートにスタンプなどは押されないので、このビザがないとナゴルノ・カラバフに入ったという記録が残らない。ちょっとした記念品になった。

ビザも取得でき、続いて次の目的地のシューシへ向かうことにした。