バルト諸国旅行記(2日目)

(1999.7.4) Sankt Peterburg ~

朝8時頃起床。2階のレストランで朝食。ずいぶん横に長いホテルで、しかも部屋が端の方だったため、エレベーターまでかなり歩かないといけなかった。朝食はバイキング方式で、メニューはごく一般的なもの。特にロシア的といえるものはケフィールくらい。

9時頃チェックアウト。この日は、Nevski Parace Hotel の中にある Nordik Travel で列車のチケットを受け取り、それからエルミタージュ美術館へ行くことにしていた。昨日と同様にモスクワ駅まで歩き、付近を歩き回ってみると、すぐに Nevski Parace Hotel が見つかった。ブレーン企画からもらった案内によると、Nordik Travel のオフィスはホテルの裏口から入って3階にあることになっている。そこで、いったん裏通りへ出て裏口から入ってみると、いろいろなオフィスが入っている雑居ビルのような感じなのだが、電気が消えていて何やら閑散としている。これは閉まっているのではないのか?

近くにいた若い女性に Nordik Travel の住所を見せて、ここでいいのかどうか訊ねたところ、’Not open’ と言われてしまった。ホテルのロビーへ行って公衆電話で何回か電話してみたが、呼び出し音はなっているが誰もでない。やっぱり閉まっているようだ。たしかに今日は日曜日だが、予約するときにはそういう話は聞かなかった。昨日のうちに受け取らないといけなかったのか?

(後日談)こういうアクシデントも旅行の楽しみのひとつだと思っているし、べつに怒ってはいなかったのだが、日本に帰ってから一応ブレーン企画に連絡してみた。すると、Nordik Travel から「誰も受け取りに来なかった」という連絡を受けたため、かなり不審に思って(あるいは心配して)いたようだった。事情を話すと、休日でもスタッフは数人はいたとのこと。一応 Nordik Travel のオフィスまで行ってみればよかったようだ。しかし、電話しても誰も出なかったんだがなあ。

さて、どうしようか。もう1日ロシアに滞在して出国を明日に延ばすことも考えたが、ロシアのヴィザには入国と出国の日付がしっかりと記載されているので、1日遅れると出国の際に面倒なことになりそうな気がする。予定通り今日の夜行列車で出国したほうがよさそうなので、うまくいくかどうか多少不安だったが、駅へチケットを買いに行くことにした。

タリン行き列車の始発駅は、市街地の南にあるワルシャワ駅で、その名の通りワルシャワなどのヨーロッパ方面行き列車の起点となっている。地下鉄で最寄のフルンゼンスカヤ駅へ行くことにした。

フルンゼンスカヤ駅で降りると、目の前に駅があった。おそらくこれがワルシャワ駅だろう。中に入ると、1階は待合所で2階に切符売り場があり、窓口が10以上並んでいる(相変わらず英語表記は一切無いが、KACCA がロシア語で切符という意味らしいということは、地下鉄に何度も乗っているうちにわかった)。英語が通じるかどうかわからなかったので、紙に「TO TALLINN, 1999/7/4」と書き、窓口にいる女性の中で英語が通じそうな若い人に渡してみることにした。すると意味はわかったらしく、しばらくコンピュータのキーボードを叩いていたが、やがてロシア語で何か言いながら紙を返してきた。何度も「バルシャフスキー」と言っていて、その口調から「バルシャフスキーへ行け」という意味らしいことは推察できた。

「バルシャフスキー」が何なのかわからないが、ここの近くに「バルチースキー」という駅があるはずなので、そこのことなのかもしれない。バルト方面行きの列車はワルシャワ駅から出ると思っていたのだが、バルチースキー駅に変更になっているのかもしれない、と思ってバルチースキー駅へ行ってみることにした。(日本に帰ってからいろいろと調べているうちに気付いたのだが、「バルシャフスキー」はロシア語でワルシャワのこと。窓口の女性は「ワルシャワ駅へ行け」と言っていたわけで、つまりその駅はワルシャワ駅ではなかったのである。しかし、このときはここがワルシャワ駅だと思いこんでいた)

地図でバルチースキー駅の方向を確かめ、近いようなので歩くことにしたが、だんだんと周囲は住宅地になってきて、とても駅があるようには思えない。地図を見ると、バルチースキー駅に一番近い地下鉄駅は「バルチースカヤ駅」のようなので、このまま歩くより地下鉄のほうが確実だと思い、先ほどの駅に戻った。フルンゼンスカヤ駅から一駅めの「Technologichesky Institut」で別の線に乗り換え、一駅めのバルチースカヤ駅で降りた。

地上に出ると、そこがバルチースキー駅の構内だった。小銭を入れる缶を前に置いて高い声で歌っている年配の女性がいる。駅舎は大きいがかなり古く、なんだか廃墟のような感じがする。わりと頻繁に列車が発着しているようで、人はかなり多い。切符売り場はすぐに見つかったが、どうも尋ねる気がしない。自分でもよくわからないのだが、どうもこの駅は違うという気がする。しばらく人の流れを見ていたが、結局さっきの駅へ戻ることにした。

また地下鉄に乗るのも面倒なので、思いきって歩くことにした。背中に背負っている荷物が重い。しばらく歩くとやや小さな駅を見つけたので、ローカルな駅だろうと思ったがとりあえず入って見ることにした。窓口は2つしかないが、一応「TO TALLINN, 1999/7/4」と書いた紙を見せると、返ってきた言葉が ‘Today ?’。いきなり英語で面食らったが、’Yes’ と言うとパスポートとヴィザを見ながら切符を発券してくれ、発車時刻と乗り場を英語で説明してくれた。ということはここがワルシャワ駅なのか? このときようやく、最初に行った駅がワルシャワ駅ではなかったということがわかった。かなり大きな駅だったが、なんという名前の駅だったのか? 地図を見ても、この付近にはワルシャワ駅とバルチースキー駅しかないんだが。今でも謎だ。

切符は1等と2等があったが、せっかく国際列車に乗るのだからと思って1等にした。値段は938ルーブルと高めだったが、切符が入手できてようやく安心できた(この時点で時刻は1時ごろ)。これでやっとエルミタージュ美術館へ向かうことができる。ところで、切符に ‘CCCP’ と印刷してあるが、いったい何年前の紙を使っているのか?

それから地下鉄で再びモスクワ駅へ戻り、Nevski Parace Hotel 内で両替をしてから路線バスに乗ってエルミタージュ美術館がある宮殿広場へ向かった。途中、ずっとネフスキー通りを通っていくわけだが、両側の建物はどれも風格があり、外を眺めているとなかなか楽しい。やがて、広々とした宮殿広場が現れ、その向こうに写真で見覚えのあるエルミタージュ美術館があった。

エルミタージュ美術館
エルミタージュ美術館

外観からわかるように、この美術館は建物自体がすごい。もともとは宮殿であり、美術館として建てられたものではないのである。

宮殿広場とは反対側の、ネヴァ川に面した方に入り口があった。館内はかなり観光客が多く、チケット売り場には行列ができている。行列に並んでから料金表を見てみると、入場料が何種類かにわかれていて、一番高い入場料は250ルーブルとなっている。おそらく、外国人料金ということで一番高い250ルーブルが適用されるのだろう、と思ったのだが、しかし250ルーブルって異様に高くないか?

まあ、ロシアでは生活必需品以外の贅沢品はかなり高いと聞いたことがあるので、そのせいかもしれない。前に並んでいた人も250ルーブル払っていたので、なんとなく腑におちない気がしながらも250ルーブルを払って入場券を買った。それから、すぐ近くに案内所があったので、クロークルームの場所を教えてもらい、荷物を預けてようやく身軽になることができた。

さて、館内を見て回ることにしたが、これが実に広い。各フロアがさまざまな大きさの部屋に分かれていて、部屋にいくつものドアがあるので、歩き回っているうちに自分が建物のどの辺りにいるのか、まるでわからなくなってしまう。一応、ジャンル別に区域が分かれているのだが、系統立てて見て回るのはとても無理。好きなように歩くことにした。

一番充実しているのは、やはり西欧絵画。「フランス」「スペイン」「イタリア」「ドイツ」「オランダ」など細かく区域が分かれていて、それぞれかなりの収蔵量がある。古代文明の出土品も豊富で、エジプトの部屋で人だかりができていたため覗いてみたら本物のミイラだった。

この建物自体も元は宮殿だったため、各部屋ごとに趣向が違っていて、なかなか豪華なもの。(館内はフラッシュは禁止だが写真は撮っていい)

エルミタージュ美術館内部
エルミタージュ美術館内部

遠くから音楽が聞こえてきたので、そちらへ行ってみると、わりと大きな部屋でなんとオペラをやっていた。演劇には疎いので題名等はわからなかったし、言葉もわからないのだが、これだけ近くで見ると迫力がある。どのくらいの頻度でオペラが行われているのかはわからないが、見られて幸運だった。

閉館近くまでいたが、とても1日で満足できるような量ではない。結局、3階にある日本文化の展示室を見る時間はなかった。今度ここへ来るときは、数日間滞在して、ゆっくりと見学したい。

外に出たのは午後6時だが、まだまだ真昼である。近くの木立の中に噴水があり、その付近が涼しかったので、露店で買ったアイスクリームを食べながらしばらく休憩。噴水をバックに写真を撮る人が多いが、ロシア人らしい10代後半の男が、写真を撮った後噴水に飛び込んでいた。ロシアにもこういう馬鹿がいるのだな(笑)。

さてこれからどうしようかと思ったが、エルミタージュ美術館の入り口の近く、ネヴァ川の川岸に、遊覧船の乗り場があった。まだ時間は十分あるので、川からサンクトペテルブルク市街を眺めてみようと思い、乗ってみることにした。

遊覧船はわりと大きく、船内のほか屋上のデッキ上にも座れるようになっている。デッキ上に座っていると、やがて船が動き出し、最初は上流に向かって走り出した。最初の橋のところでUターンして下流へ向かい、遊覧船乗り場を通り過ぎてから宮殿橋をくぐり、次の橋でUターンして再び上流へ向かい始めた。これで戻るのかと思っていたら、また乗り場を通り過ぎてかなり上流まで航行。そこでUターンしてから乗り場へ戻った。遊覧時間はちょうど1時間ほど。周りの景色についてずっとマイクで説明があるが、すべてロシア語なので理解できない。ただ、ペトロバヴロフスク要塞や巡洋艦オーロラについては、場所を調べていたのでちゃんと見ることができた。

ネヴァ川からの眺め

遊覧を終えて乗り場へ戻ったが、まだ時間があるのでネフスキー通りをしばらく歩き回っていると、歩道に何やら人だかりができている。中を覗いてみると、十数人の若者が歌いながら踊っていた。ただ、楽器がどうも仏教系であることや、全体の雰囲気から、何かの新興宗教という感じがする。まあ、歌はすべてロシア語だったようだから、本当のところはわからない。

やがて時間が迫ってきたので、近くにあった「Гостиный Двор」駅から地下鉄に乗り、バルチースカヤ駅へ向かうことにした。

バルチースカヤ駅で降り、バルチースキー駅構内に出ると、出口付近で歌っていた女の人はいなくなっていた。駅構内や駅前はかなりにぎやかで、駅前には露店がいくつかある。そこでパンと飲み物を買ってから、ワルシャワ駅へ歩いた。昼に来たときは別の入り口から入ったから気付かなかったが、ワルシャワ駅の正面にはレーニン像があった。ソ連崩壊のときにほとんどが撤去されたような印象があったので、これは意外。

ワルシャワ駅(レーニン像が健在)

10時前に駅に着いたが、バルチースキー駅とは違って閑散としている。プラットホームには何もないが、涼しい風が気持ちいいので、このままここで待つことにした。しかし、いくら行き止まり線の端近くとはいえ、線路が歪んでいるような気がするんだが。

ワルシャワ駅のプラットホーム(線路が波打っているような気が…)

出発時間が近づくにつれて三々五々人が集まってきて、やがて列車が入線してきた。日本の寝台特急と同じく機関車が引っ張る客車形式で、7両編成程度。1等車両1両のほかはすべて2等車両のようである。1等車両は2人部屋で2段ベッドがあるが、誰も乗ってこなかったので結局個室になった。そんなに乗客は多くなかったので、これなら2等でもよかったかもしれない。

やがて発車時刻になり、列車が動き出した。

出発直後の車窓(これで午後11時ごろ)

11時だというのに、まだまだ外は明るい。しばらく外を眺めていると、車掌がシーツと枕カバーを持ってきてくれた。無料かと思ったら2ドルだという。米ドルは50ドル札と100ドル札しか持っていなかったので少し慌てたのだが、事情を説明したら結局ルーブルでいいということになった(50ルーブル)。しかし、ルーブルは国外持ち出し禁止で、持ち出そうとしているのが見つかると全額没収されるのではなかったのか? こっそりと300ルーブルほど持っているのがばれてしまうが、他に方法がないので50ルーブルを払った。このため、出国審査時はかなり緊張することになった。(後でわかったのだが、エストニアやラトビアでルーブルから現地通貨に両替できるようになっていたので、今は持ち出し禁止ではなくなったようである)

ただし、車掌はかなりいやいやながらという感じでルーブルを受け取っていたので(そりゃあ米ドルのほうがいいだろう)、ロシアの夜行列車に乗る人は、細かい米ドルを用意しておくことをお薦めする。

その後、パンを食べたり景色を眺めたりしていたが、まだ明るいうちに時間は12時を過ぎた。眠くなったので寝ることにしたが、数時間後には車内でロシア出国審査とエストニア入国審査を受けることになる。