トルコ旅行記(パムッカレ)

イスタンブールの次の目的地は、トルコ中西部にあるパムッカレ。白い石灰棚で有名なところで、日本でもTVCMで使用されたため見覚えのある人も多いと思う。

この形状を一言で言えば「山口県秋吉台の秋芳洞にある 百枚皿 を野外に移して規模を大きくし、色を真っ白にしたもの」といったところ。この景色を見たくて旅行先をトルコに決めたようなものなので、今回の旅行の主目的地となる。


朝、目が覚めると列車は荒野を走っていた。見渡す限りの砂礫地帯で、川も道路もなく、周辺に人が住んでいるとは思えないような感じ。トルコ中部のアナトリア高原では、町の周辺を除いてどこもこんな感じなのかもしれない。

下の写真は荒野を通り過ぎて畑などが次第に増えてきたころの車窓風景。

午前9時、デニズリ駅に到着。朝食として駅前のパン屋で「シミット」というリング状のパンを買ったところ、ゴマの風味が効いていて実にうまい。昼食用にいくつか買い込み、オトガル(バスセンター)の場所を聞いてから、そちらへ移動した。駅からオトガルまでは100mほど。

オトガルはなかり広く、各方面行きのバス乗り場が集まっている。ここでパムッカレ行きのバスを探そうとしていると、早速ホテルの客引きがやってきた。(ガイドブックには「デニズリのオトガルでは客引きの数がすごい」などと書かれているが、このとき会った客引きはこの人だけだった)

しばらく話してみたところ、悪い人ではなさそうだったので、この人の紹介するホテルを訪ねてみることにした。ちょっと小さめのバスでパムッカレ村へ移動。

パムッカレのバス停では、このホテルのスタッフ(ムスタファ君という20歳くらいの若者)が待っていて、ホテルへ案内してくれた。部屋を見たところ、窓から石灰棚が正面に見えるかなりきれいな部屋で、これで宿泊料が1泊8ドルということだったのでここに泊まることに決めた。

下の写真が私が泊まった “KALE HOTEL”。

私の持っているガイドブック「個人旅行」には載っていなかったし、後で調べたところ「地球の歩き方」にも載っていなかったが、かなりいいホテルだったと思う。(2002年当時の話)

外観や内装については以下のサイトを参照してほしい。

上記のサイトの写真を見てもらえばわかるとおり、かなり快適な部屋だった。インターネットコーナーには日本語のフォントがインストールしてあるコンピュータも置いてあり、これでメールチェックなどを行うことができる。もっと日本人を呼び込みたいらしく、日本に帰ったら宣伝しておいてくれと頼まれたのでこうして詳しく書いているわけだが、誇張ではなくいいホテルだったと思う。パムッカレに宿泊する際には、かなりおすすめ。


ホテルで昼食をとった後、歩いて石灰棚方面へ。パムッカレ村はごく小さな集落で、その村はずれから石灰棚へ向かう道が延びている。下の写真は石灰棚へ続く坂道とそこからの眺め。石灰棚は小高い丘の斜面にある。

坂道を登っていくと、次第に周囲が真っ白になってくる。まるで雪が積もっているような景色だが、石灰岩なのでもちろん硬い。途中に「ここから靴の使用は禁止。裸足で歩くように」という表示があったのでそれに従って裸足で歩いたが、ちょっと足の裏が痛かった。

かつて、この石灰棚は温泉から湧き出る温水で満ちていて、当時の写真には水着姿で温水につかる人たちが写っている。ところが近年になって温泉の湧出量が減ってしまい、現在では保護のために石灰棚へ流れる水量を調整していて、水がたまっているのは一部の皿だけになっている。さらに皿の中への立ち入りは禁止されている。それでも、皿の間を縫うように続いている道を歩いている間、周囲の景色はなかなか素晴らしいものだった。こういう景色は、なかなか他では見られないだろう。

丘の上には石灰岩はなく「ヒエラポリス」と呼ばれる遺跡群が広がっている。かつて温泉によって栄えた都市の廃墟だそうで、広い範囲にネクロポリス(墓地)や城門や劇場跡などが点在している。歩いて見て回ると疲れるのだが、それほど観光客が多くないので、雰囲気のいいところだった。ときどき大型バスがやってくるものの、11月ということで観光シーズンから外れているのか、それほど頻繁ではなかった。

上の写真に写っている城門の向こう側にネクロポリスが広がっていて、石棺型や家型やドーム型などさまざまな墓が点在していた。それから、この前年のキプロス旅行のときにも思ったのだが、このひょろ長いのはなんという種類の木でしょうか。

なお、この付近には絵葉書や古代ローマ時代のものと称するコインを売りに来る人たちがいる。絵葉書はともかく、コインについては相手にしないほうが賢明。

続いて、大きな円形劇場跡へ。

下の写真が劇場内部。この種の劇場跡を見たのはキプロスのクリオン以来2回目だが、クリオンより規模が大きい。建造されたのは2世紀ごろ。円形劇場跡にはなぜかかなり惹かれるものを感じるので、しばらくここで休憩することにした。途中(おそらく地元の)おじいさんが楽器の演奏を始めたりして、なかなか貴重な体験だった。

劇場跡近くにある「パムッカレ・モーテル」には、ヒエラポリス名物の「遺跡プール」がある。列柱などの遺物が沈んでいるプールで、温度はややぬるめ。有料だったのと、1人ということもあって貴重品の管理に問題があったので私はプールに入ってはいないが、結構多くの人が泳いでいた。

石灰棚は斜面の西側にあるので、夕方になると夕陽を浴びた石灰棚を見ることができる。きれいな景色なのだが、この時間は風が強く、かなり砂ぼこりが舞っている。私はハードコンタクトレンズを使用しているため、石灰棚を見下ろした瞬間に目を開けていられなくなった。

陽が沈むまで、石灰棚周辺を散策。ここで女性の物売りに捕まり、しばらく話をすることになった。売っているのは小さな焼き物の笛で、中に水を入れて強く吹くと鳥が鳴いているような音がするというもの。つまり風呂で子供が使うおもちゃ。

いかにも素人が作ったという感じの粗雑な出来だったが「子供が3人いて仕事がない」などと訴えるので、いくつか買ってみた。このときの代金が、その子供たちの食事代にでもなっていればちょっと嬉しい。

午後5時半ごろ、ホテルに戻った。疲れていたので多めに夕食をとり、しばらくインターネットを使ってみた。メールチェックの後、しばらく日本のニュースサイトを見てから部屋に戻った。


朝8時ごろ起きると、昨日とは一転してかなり雨が降っていた。この日は次の目的地セルチュクへの移動が主で、それほど外を歩き回る予定はないが、この雨が何日も続くようだと予定が狂ってくる。朝食の際にムスタファ君に天気予報を聞こうと思い、1階に降りると日本人らしき若い女性2人組がテーブルに座っていた。話してみるとやはり日本人で、10日ほどの予定でトルコを自由旅行している途中ということだった。

カッパドキアからの夜行バスで朝デニズリに着いたばかりで、パムッカレには泊まらずに夕方のバスでセルチュクへ向かうという。つまり石灰棚を歩く時間がこの日の昼間しかなく、天候が悪いのが気の毒な感じだった。しばらくお互いの旅行のことなどを話した後、2人は傘をさして石灰棚方面へ歩いていった。(この2人とは翌日エフェスでも遭遇した)

朝食を終え、ムスタファ君に翌日の天気について聞いたところ「わからない」ということだった。この日の午後、セルチュクのゲストハウスのスタッフに聞いたときも「明日の天気は神だけが知っている。私にはわからない」ということだったし、どうもトルコ人はあまり天気に関心を持っていないような感じがした。雨が降っていても傘を使う人はほとんどおらず、フードつきの防水ジャンパーを着て濡れながら歩いている人がほとんど。

その後、荷物をまとめてチェックアウト。宿泊費と、昨日の昼食と夕食代、インターネットの使用料をすべて含めて料金は24ドルだった。

ムスタファ君と一緒に少し離れた通りへ行き、しばらく話しているうちにミニバスがやってきたので、ここでムスタファ君と別れデニズリへ。デニズリのオトガルで昨日の客引きと会ったため、なかなかいいホテルだったと礼を言ったところ、かなり嬉しそうにしていた。ここでセルチュク行きの大型バスに乗り換え、次の目的地のセルチュクに向かった。