タイ&ラオス旅行記(バンコク / 死体博物館、ワット・トライミット)

深夜、3回ほど寒くて目が覚めたような気がするが、概ねよく寝られたと思う。気がつくと列車内は明るくなっていて、カーテンの外を覗くと客が起きた寝台を乗務員が順次たたんでいるところだった。すぐに着替えて寝台を降り、あとは座席に座って外を眺めることにした。まだラッシュにはなっていないバンコク市内を通り、朝6時過ぎ、バンコク・ファランポーン駅に到着した。

駅のトイレで顔を洗い、手荷物預かり所にバックパックを預けてから2階にあるカフェでしばらく休憩。下の写真はカフェから見た駅構内。

この日は死体博物館を5年ぶりに再訪し、その後は駅近くのワット・トライミットという寺院、サイアムスクエアなどを散策した後、夜にドンムアン空港近くのホテルに移動することにしていた。ノンカイで炎天下を1日中歩き、それから夜行列車での移動、さらにバンコクを1日中歩いたため正直言ってかなりきつかった。

死体博物館

ファランポーン駅から地下鉄でシーロム駅へ行き、スカイトレインに乗り換えて終点のサパーンタクシン駅へ。ここからチャオプラヤーエクスプレスに乗ってチャオプラヤー川を北上し、王宮裏を通り過ぎてター・プランノック桟橋で下船すると、すぐ前にシリラート病院がある。ここはかなり大きな総合病院で、通路はいつも医師や看護士や見舞い客で混雑している。

この病院内に、いまや日本人観光客の間で超有名スポットとなった死体博物館がある。5年前(2000年)の時点ではどのガイドブックにも載っていなかったようだが、「地球の歩き方」に掲載されてから一気に有名になったらしい。

では早速博物館へ。前回の旅行記でも書いたが、改めて説明すると病院敷地内に以下の6つの展示室が点在している。

  • Forensic Medicine Museum 「法医学博物館」
  • Pathological Museum 「病理学博物館」
  • Parasitology Museum 「寄生虫博物館」
  • Anatomical Museum 「解剖学博物館」
  • Prehistoric Museum & Laboratory 「先史博物館」
  • Museum of History of Thai Medicine 「タイの医学の歴史博物館」

前回来たときとは違って、解剖学博物館と先史博物館を除く4つの展示室が1区画にまとめられていて、カウンターでチケットを購入してから入るようになっていた(5年前はすべての展示室が無料だった)。展示室内もエアコン付きで涼しく、かなり小奇麗になっている。日本人の来館者が増えたためか、改装して有料にしたのかもしれない。さらに館内は写真撮影禁止になっていた。

というわけで今回は写真を撮っていないので、代わりにチケットの画像をアップしておく。料金は40バーツだった。

まずは法医学博物館へ。前回も見た「樹脂漬けにされた犯罪者の遺体」が健在だった。数体が展示されているが、ちょっとインターネットで調べたところどれもかなりの凶悪犯だったらしく、それで死後もこうして晒し者になっているわけである。黒光りして不気味だが、近くでよく見ると多少カビが生えている。

その後、4つの展示室を順に見学。法医学博物館ではハーフカットされた頭の標本(銃弾が脳にめり込んでいる)、病理学博物館ではおなじみシャム双子の標本、寄生虫博物館では陰のう象皮病で股間が巨大化した男性の人形が印象に残っている。写真は撮っていないので、見たい人は直接訪れてほしい。予想通り来館者のほとんどは日本人だった。

涼しい展示室内でしばらく休んだ後、別の建物(”Anatomy Building”)の3階にある解剖学博物館へ。こちらは嬉しいことに「古い木造の建物内にあり、階段をミシミシいわせながら上がっていくとホルマリンの匂いが立ち込めた展示室がある」という前回同様の雰囲気の場所だった。エアコンは無く、大型扇風機が3台ほど置いてあるだけなのでちょっと暑いが、それもこの雰囲気に合っている。

展示室内には大小さまざまの標本が置かれている。小さなものでは体の一部や胎児の標本、大きなものは骨格標本や成人の上半身の標本など。興味深いものが多く、何度見ても飽きない。ホルマリン漬けの容器には明らかにインスタントコーヒーの空き瓶とわかるものが再利用されていたりして、ちょっと感動した。

前回来たときにこの展示室内で一番目立っていた水頭症の子供の全身標本も、もちろん健在だった。アップで写真を撮りたかったが写真撮影禁止なので諦めた。(写真を見たい人は下の方でリンクしている前回の訪問記を参照してほしい)

ここに置いてある記帳用ノートを見てみたところ、大半が日本語の書き込みだった。本当に、日本人はこういうものが好きなのだということを再確認できた。

解剖学博物館を出て先史博物館へ行ってみたが、こちらは前回来たときと同様に閉まっていた。そのため、しばらく病院内を散策した後、シリラート病院を後にした。

5年ぶりの再訪だったが、やはり本物の死体標本は迫力がある。興味がある人はぜひ訪れてみてほしい。

ワット・トライミット

シリラート桟橋から渡し舟に乗って対岸へ移動し、ここからバスでファランポーン駅へ。駅の近くにワット・トライミットという寺院がある。それほど大きな寺ではないが、この寺を有名にしているのが純金製の黄金仏 “Golden Buddha” である。

ではチケット(20バーツ)を買って、寺の中へ。靴を脱いで本堂に入ると目の前に黄金仏が見える。

やはり迫力がある。これは金メッキではなく純度60%の純金製で、高さは3メートルほど、時価にして120億円とも言われている。

この黄金仏は700~800年前に作られたもので、その後、略奪を防ぐために全身を漆喰で塗り固められていたそうである。完璧なカモフラージュだったためか、これが黄金仏ということが忘れられてしまい、廃寺の中にずっと放置されていたという。1953年、この廃寺の取り壊しのためにワット・トライミットへ移されることになり、その作業中に漆喰が剥がれて300年ぶりに黄金仏が現れたそうである。なかなか数奇な経歴を持った仏像だと思う。

時価120億円というわりには警備員らしき人がどこにもいないが、まあ重さ5トンでは誰も持ち出せないか。

しばらく黄金仏を眺めた後、本堂内を歩いてみた。小型の黄金仏がいくつもあるが、これは純金ではなく参拝者が金箔を貼り付けたもの。

本堂内では、漆喰で塗り固められていた当時の写真を見ることができる。なんとも冴えない感じで、これなら泥棒が盗む気にならなかったのも理解できる。本当に完璧すぎるカモフラージュだったということになる。

それにしても、純金製の仏像を見ることができる寺院など世界でもそうはないだろう。金メッキや金箔が貼られた仏像とは違う迫力があるので、バンコク旅行の際にはぜひ訪れてほしいスポットといえる。


続いてバンコク最大のショッピング街といえるサイアムスクエア周辺へ。サイアムセンター、タイ東急などの大型デパートが並んでいて、外国人旅行者も大勢歩いている。

この一帯ではマーブンクローンセンターが面白い。各フロアが小さなテナントで埋め尽くされているデパートで、ガイドブックには「アメ横と原宿と秋葉原をひとつにしたような雑多な雰囲気」などと記載されている。東南アジアでよく見かけるマーケットを巨大化してビルの中に移したような感じで、日用品や電気製品や土産物など種々雑多なものが売られており、歩いていると飽きない。上のほうの階には大きなフードコートもあり、ときどき休憩してジュースを飲んだりしながら夕方まで散策してみた。

途中、CD店があったので5年前に買った KAN-NI-KA ZINE の別のCDがないかと思って探したが見つからなかった。Google で検索してもほとんど情報がないし、この人はすでに消えたのかもしれない。タイの音楽事情に詳しく “KAN-NI-KA ZINE” の近況を知っている人がいたら教えてほしい。

(2021年1月追記)

この旅行記を新サイトに移行させる際、”KAN-NI-KA ZINE” で検索してみたら YouTube のオフィシャル動画が見つかってびっくり。歌っている本人を初めて見た。かわいい子ですね。

これは、このCDの1曲目に収録されている曲。YouTube にアップされたのが2015年になっているので、今でも活動しているんでしょうね。「消えたのかもしれない」などと書いてしまって失礼しました。

こちらがCDの2曲目に収録されているバラード調の曲。この曲はPVの映像が面白い。それにしても、気になっていた曲をこうやってネットで探せるのだから便利な時代になったものだ。

タイ東急内にあるスーパーマーケットで買い物をしていたところ、面白いスナック菓子を見つけたので土産に買ってみた。

おそらく食品名は “BIGGA TEMAKI” だと思われる。しかし何より面白いのが両側に書かれた文字。

  • 「ひつくおよきり」
  • 「のりま かりかり」

何だこれは? 海外の変な日本語シリーズとして、台湾旅行で見た トマトフレーパー に次ぐ名作。

この言葉の意味についてしばらく考えた結果「ビッグおにぎり」「のりまき かりかり」ではないかという結論に達したのだが、どうだろうか。他に妥当な解釈があれば教えてほしい。それにしても無理に日本語を使うことはないと思うのだが。


夜8時にファランポーン駅に到着し、フードコートで食事したあと、窓口でドンムアン駅までの切符を購入した。買ったのは一番安いクラスの切符で、値段は10バーツ(約30円)。列車名を見ると、偶然にも4日前に乗ったノンカイへの夜行列車だった。あの列車の3等座席車を見ることができるのか、と思って発車時刻を見たら数分後。大急ぎで荷物を受け取りに行き、走ってホームへ行ったら列車が動き出したところだった。客車列車なのでドアはいつも開いており、そのおかげでなんとか最後尾の車両に飛び乗ることができたが、本当にぎりぎりだった。

最後尾の車両は4日前に乗った1等寝台車。そこから2等寝台車、2等座席車を通り抜け、前の方にある3等座席車へ。2等座席車は左右2列ずつのリクライニングシート、3等座席車は背もたれが垂直の4人がけボックスシートになっていた。

3等座席車内はかなり満員に近い状態で、とても座れそうにない。それにエアコンが無く、天井の扇風機だけなので車内はちょっと暑い。ドンムアンまでは約40分なので、最初はドア付近に立つつもりでいた。ところが、ドア付近から見える座席に座っている少年が私を手招きしている。よく見ると少年の隣が空いていて「よかったらここへ座らないか」と言っているらしい。せっかくなので少年の隣に移動することにした。

この少年は前に座っている祖母との2人連れで、なんとこのままノンカイまで行くという。少年はともかく、もうかなりの歳に見える祖母までがこの狭苦しい3等座席車に朝まで乗っているということに対して、ちょっと驚いてしまった。今、日本でこのような光景が見られるだろうか。

この列車はファランポーン駅を出てしばらくは各駅に止まる。そのたびに大勢の物売りたちが乗り込んできて、大声で商売を始める。売られているのは乗客の夜食用らしい食べ物がほとんどで、袋いっぱいのイカの燻製が通り過ぎて行ったあとは強いにおいが残ってしまってちょっと困った。

あと、印象に残っているのは大きなカゴいっぱいのリンゴを売っていたお婆さん。相当に重いはずだが、そのカゴをかついで歩き回っている姿に感心した。本当にタイの人たちは強い。

途中、とある駅で長時間停車を続けるというアクシデントがあり(アナウンスがタイ語だけなので原因が何だったのか分からなかった)、ファランポーン駅から1時間半ほどでドンムアン駅に到着した。ここで少年と祖母に別れを告げてから空港内へ。この少年は一生飛行機に乗ることはないかもしれないのに対し、私はわりと気軽に乗れる身分であるということがなんだか不思議に思えてきた。少年からすると、一握りの高収入者でなくても気軽に海外旅行に行ける日本人のことを少し羨ましく思っていることだろう。

この日に泊まる予定の「ホテル・エアポートコンフォートスイート」は空港の近くにあると思っていたが、インフォメーションで聞いてみたら少し離れているらしい。仕方がないのでタクシーで移動し、チェックインして部屋の窓から外を見たら滑走路が見えた。空港には近いが、ターミナルからはちょっと離れているようである。浴室にバスタブがあったので久しぶりに風呂に入ってから、疲れていたのですぐに就寝。


翌日の早朝、ホテルの送迎車に乗ってドンムアン空港の出発ターミナルへ。8時40分に出発し、香港、台北と乗り継いで夜8時40分に福岡空港に帰着した。

今回は、気候が暑い上に夜行列車での移動が2回あって少しハードだったため体力的には疲れた。しかし予想以上に面白い旅だったので、またいつかタイとラオスを再訪したいものだ。


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当ページに載せている死体博物館について知りたい人は、こちらもどうぞ。2000年7月のタイ旅行記です。