チュニジア旅行記(チュニス / カルタゴ遺跡)

実質的なチュニジア滞在最終日。この日はチュニス郊外にあるカルタゴ遺跡を見ることにしていた。朝9時にホテルを出て、チュニス・マリン駅から TGM に乗りカルタージュ・サランボ駅で下車すると、この先にいくつもの遺跡が点在している。カルタゴ遺跡はかなり広い範囲に広がっている遺跡群の総称で、徒歩で回ったため一通り見るのに1日中かかった。

トフェ

カルタージュ・サランボ駅から歩いて5分ほどの場所にある。閑静な高級住宅地という感じの通りを歩いていくと、唐突に遺跡が現れる。ここで遺跡群を一通り見ることのできる共通チケット(5.2ディナール+カメラチケット1.2ディナール)を買い、中に入る。

ここはローマ帝国時代以前の数少ない遺跡で、火の神を祀る聖域だった場所とされている。それほど広い遺跡ではなく、小さな墓石がたくさん並んでいる。

これらの墓石は、いけにえとして神に捧げるために焼かれた幼児の墓だという。生きたまま焼かれたのか、または自然死した幼児を焼いたのかについては、いろいろと説があるらしい。

遺跡内を猫が歩いていたので、モデルにして写真を撮ってみた。

今は特になんということのない(もっとも、ちょっと湿っぽくて薄暗い)場所だが、幼児の墓と思えば少し怖い気もする。

カルタゴ港

トフェから歩いて10分ほどの所に古代カルタゴ港の跡がある。現在は特に何もない入り江だが、かつては軍港だった場所になる。

下はカルタゴ博物館に展示されていた絵で、港の構造がよくわかる。中央の島に船の格納庫があり、帯状になっている港内(直径約300メートル)は水門によって外海と仕切られていたという。

下が Google Earth の画像で、これを見ると現在でも当時の地形がわりとよく残っていることがわかる。

岸辺から眺めたカルタゴ港跡。知らなかったら自然の入り江にしか見えないが、これは人工的に作られたもの。カルタゴが栄えていたのが紀元前3世紀から紀元2世紀くらいだから、それを考えれば相当な技術力だと思う。港を歩いて一回りしてみたが、これが人工のものとはすごい。

歩いている途中、向こう岸の景色が水面に反射してきれいにシンメトリーに見える場所があった。

港の端まで行くと、数メートルほどの幅で外洋とつながっているのがわかる。ここでは地元の漁師さんらしい人たちが手漕ぎのボートで外へ出て行く光景を見ることができた。

パレオ・クレティアン博物館

キリスト教会跡。現在は基礎が少し残っているくらいの殺風景な場所になっている。

敷地内には小さな博物館があり、モザイクやコインが展示してあるそうだが、このときは閉まっていて入れなかった。一時的な閉館か、または閉鎖されてしまったのかはわからなかった。

ビュルサの丘、カルタゴ博物館

続いてビュルサの丘とカルタゴ博物館へ向かう。ずっと坂道が続くのでちょっときついが、まわりの景色はかなりきれい。

途中から道をそれて細い階段を上っていくと、1890年に建てられてというサン・ルイ教会(左の写真に写っている教会)の前に出る。ここがビュルサの丘の頂上で、さらに歩くとカルタゴ博物館がある。

博物館の前の斜面にポエニ時代の住居跡がある(右の写真)。博物館に入る前に少し歩き回ってみた。かなり崩壊しているが、なんとなく住居を想像できる。また、ここからはカルタゴ市街や遠くに地中海が見渡せる。

続いてカルタゴ博物館に入る。ちょうど日本人観光客の団体が到着したところで、このときは館内の大半が日本人という状態だった。しかし、いつも思うのだが日本人はどうして団体で行動したがるのだろうか。

館内は2階建てでわりと広く、カルタゴ遺跡からの出土品が多く展示されている。1階はローマ時代のモザイク画、コイン、彫像などが多く、ここではやはり各種モザイク画(どれもかなり巨大)と彫像が興味深い。

2階はローマ時代以前の発掘品が多く、また古代カルタゴの立体復元図なども展示されている。これを見ると、先ほど歩いてきたカルタゴ港の構造が実感できる。

アントニヌスの共同浴場

ビュルサの丘を下り、住宅地を通り抜けて海沿いにあるアントニヌスの共同浴場へ向かう。

ここは、おそらくカルタゴ遺跡群の中で最も面積の広い遺跡だと思う。ローマ帝国といえば支配者階級だけでなく一般市民のためのインフラも整備されていたことが知られているが、その代表的なものが公衆浴場だろう。ローマ帝国時代の遺跡では公衆浴場の跡がよく見られる。

建造されたのが紀元2世紀で、温水風呂や水風呂やサウナや休憩室やトイレなど100以上の部屋があったという。何本か復元されている円柱の上にドーム状の屋根が設置されていたそうだから、相当に大規模な建物だったらしい。ローマ人の浴場へのこだわりはかなりのものだったようだ。

建物内部の様子。かつては湯気が立ち込めていたのだろう。

当時の様子を想像しながら、しばらく散策してみた。

なお、この遺跡の横に大統領官邸があり、その方向の写真を撮ることは禁止されている。官邸から監視員が見張っているので、ここでは注意が必要。

ローマ人の住居

名前の通りローマ人の住宅地の跡。海が見える斜面にあり、おそらくは高級住宅地だったのだろう。階段状に作られた土台など、技術レベルもかなりのものだと思う。

住居もいくつか復元されている。ある住居の前にいい感じの彫像があったので、こんな写真を撮ってみた。

あえて言うことはないかもしれないが、この彫像は♂。なので前からの写真は撮っていない。丘の上のほうには音楽堂の跡もある。

円形劇場

ローマ帝国時代の野外劇場で、かなりの部分が復元されているため遺跡という雰囲気には乏しい。現在でも演劇やコンサートに使用されているという現役の劇場。

ずっと歩き回っていて疲れたので、30分ほどここで休憩した。ここは最盛期には1万人ほど収容できたという。

円形闘技場

カルタゴ遺跡めぐりの最後は円形闘技場。他の遺跡群からちょっと離れているので、歩いていくと疲れる。

ここは、かなり崩壊していて原型をあまりとどめていない。

前々日に見たエル・ジェムの円形闘技場と比べるとはるかに小規模だが、ローマ帝国時代はここでも剣闘士の戦いなどが行われていたということになる。

闘技場の床面が崩壊しているため、かつての地下通路にも下りることができる。

崩壊が進んでいるためかあまり観光客はおらず、ゆっくりと見ることができた。現代人にはちょっと想像できないが、かつてここに出場した人たちはどういう気持だったのだろう。

これで一通りカルタゴ遺跡群を回ったので、チュニス市街へ戻ることにした。ここから TGM の駅までは1.5キロほどの距離があり、かなり疲れていたが歩くことにして、線路の方面へ向かう。一番近い駅はカルタージュ・デルメッシュ駅だが、どうやら方角を間違えたらしく、結局2.5キロほど歩いてようやくカルタージュ・ビュルサ駅に着いた。

カルタージュ・ビュルサ駅から TGM に乗り、午後5時にチュニス・マリン駅に帰着した。1日中歩いたため疲れたが、もともと遺跡を見るのは好きなので、かなり面白かった。それに、歩いて回ったためカルタゴという都市の広さを実感できたとも言える。ツアーバスで目ぼしい遺跡だけを見るのもいいが、できれば多くの人に歩いてみてほしいという気もする。

チュニジア滞在最後の夜、いつものように安いレストランで食事してからホテルへ戻った。


翌日、いよいよチュニジアを離れる日になった。ホテルを出て、少し時間があったので旧市街を散策した後、タクシーで空港へ向かうことにした。なお、このときは運転手に英語の「エアポート」が通じず、フランス語の「アエロポルト」でようやく通じた。

カルタゴ国際空港に到着し、ちょっと場所がわかりにくかったエールフランスのカウンターでチェックインを行って7日間滞在したチュニジアを出国した。今回滞在した印象だが、さすがに「アフリカで最も治安のいい国」といわれるだけあって危険な雰囲気はまったく感じなかった。また、駅名やバスの行き先に必ずアルファベットが併記されているので、外国人でもかなり旅行しやすい国だったと思う。今回は南部のサハラ砂漠地域を訪れなかったので、いつになるかはわからないがまた来たい。


免税店でチュニジアワインを買い、搭乗を待っていると「パリ行きは出発が1時間遅れる」というアナウンスがあった。チュニスは快晴だが、パリは天候が悪いらしい。機内で待機ということだったので、乗客全員が搭乗機に乗り込み、飛んでくれることを願いながら待つことにした。パリでの乗り継ぎ時間は4時間ほどなので1時間遅れてもまだ大丈夫だが、さらに遅れるとちょっとまずいことになる。

ガイドブックを読み返しながら待っていると、1時間が経ったころ「さらに1時間遅れ」というアナウンスがあった。パリはなかなか天候が回復しないらしい。これで乗り継ぎ時間は2時間に減ったが、それよりもこのフライトがキャンセルにならないか不安になってきた。今回は格安チケットではなく全日空の正規割引チケット(早割21とかいうチケット)だが、おそらく日程変更は不可なので、予定が大きく狂ってしまう。

かなり不安に思ってきたころ、次のアナウンスで機内に拍手が起こったので、ようやく飛ぶことがわかった(機内放送がフランス語 → 英語の順なので、最初は理解できない)。フライトキャンセルにならなくて本当に助かった。

結局、1時間50分ほど遅れて離陸し、乗り継ぎ地のパリへ向かった。フランスに入ると地上が厚い雲に覆われるようになり、チュニスから約2時間半でパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着した。予想通り天候は大雪で、滑走路に雪が積もっているのが見える。チュニス~パリは直線距離で1,500キロほどだが、天候はその距離以上に大違い。

飛行機を降りてターミナルに入ると、大勢の乗客で混雑していた。フライト状況を示すモニターに “CANCEL” と “DELAY” がずらりと並んでいたことから、みんな空港で足止めを食っているらしい。はたして東京行きは飛ぶのかと心配になったが、モニターを見てみるとキャンセルになっているのはほとんどがヨーロッパ内のフライトで、アジアやアメリカ方面は時間通りの出発になっていた。

モニターには全日空東京行きの出発は「ターミナル2C」と表示されていたので、連絡バスでそこへ行くと「出発はターミナル1だ」と言われた。再びバスに乗ってターミナル1へ向かうと、全日空のジャンボ機が見えてきた。

ここからは周囲はほとんど日本人になる。ほぼ定刻の午後6時半に離陸し、約12時間半のフライトで午後2時に成田空港に到着、ここでかなり待ち時間があり、国内線に乗り継いで夜8時に福岡空港に帰着した。


<2005年 / チュニジア旅行記のインデックスページ>

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