チュニジア旅行記(ドゥッガ / ローマ遺跡)

チュニジア滞在2日目は、チュニスから南西に100キロほどの場所にあるドゥッガへ行くことにしていた。

ここは世界遺産にも登録されている遺跡地帯で、ローマ時代の町の跡がかなり広い範囲にわたって残されているという。やや交通の便が悪いため個人で訪れるとチュニスに戻ってくるのは夜になるが、ぜひ見たい場所だったため訪れることにした。


朝9時過ぎにホテルを出発してバルセロナ広場へ。チュニス駅の正面にある広場で、メトロの路線も集まっていてチュニスで最も人通りの多い一帯になっている。ここから昨日も乗ったメトロ4号線に乗り、バルドー駅の手前にあるバブ・サドゥーン駅で下車。駅から5分ほど歩いたところに北バスステーションがある。

ドゥッガへ行くためには、まずドゥッガから6キロほどのところにあるテブルスーク “Teboursouk” という町へ行き、そこでタクシーかルアージュ(乗り合いタクシー)と交渉することになるというのは事前に調べていた。

バスステーション内に入り、テブルスーク方面への時刻を調べようと思ってバスの時刻表を見たところ、アラビア文字だけの表示になっている。これではまったく読めないので、案内所に座っていた女性に「テブルスークへ行きたい」と伝えると、「急いで」という感じで乗り場の番号を教えてくれた。バスセンターの奥へ行くと、指示された乗り場にルケフ “Le Kef” 行きのバスが停まっていて、運転手に聞くとテブルスークを通るということだったのですぐにバスに乗り込んだ。

数分後にバスは発車。特にバスの時刻も調べていなかったが、偶然にも発車時間間際に来たことになる。ルケフ行きは1時間半~2時間おきの運行で、それほど頻繁に出ているわけでもないのでかなり幸運だったといえるだろう。料金は車内で車掌に払うシステムで、テブルスークまでは5ディナール。車内はエアコン付きでかなり快適だった。

チュニス市街を抜けると、周囲には広々とした平原が広がるようになった。平原といっても荒野ではなく、灌漑の行き届いた農地(多くがオリーブ畑のようだった)と牧草地が広がっている。かつて「ローマの穀倉地帯」といわれただけあって、現在でもかなり肥沃な土地のように思える。このあたりでは町を離れると人家はまったく見当たらず、それぞれの町が完全に隔離されたような状態になっている。

ガイドブックには「チュニスから1時間半でテブルスークに到着する」と記載されている。たしかにチュニスから1時間半後に小さな町に到着したが、ここはテブルスークではなかった。結局、チュニスから2時間後の12時にテブルスークの中心部に到着した。


テブルスークのバス停に近くにルアージュが集まっている広場があり、ここで「ドゥッガに行きたい」と告げると、その方面へ行くルアージュを教えてくれた。

ルアージュというのは都市間や町と郊外を結んでいる乗り合いタクシーのこと。白い車体に赤い帯が入ったワンボックスカーで、最大で8人ほど乗ることができ、人数がそろってから出発するというシステムになっている。バスよりは料金は高いが、路線バスの便が少ないような小さな町へ行くときには便利なもの。

私が乗ったルアージュにはすぐに5人ほどの乗客が集まり、ドゥッガ方面へ出発。他の乗客はいずれも途中で下りていき、ドゥッガ遺跡の入口まで乗ったのは私1人だった。まあ、観光客以外でドゥッガ遺跡へ行く人はいないだろう。

時刻は12時20分。ルアージュの運転手に4時間後に迎えに来てもらうことにして、遺跡地帯に向かった。ルアージュの料金は往復で15ディナールだった。


ガイドブックの地図に載っている遺跡正面の駐車場に着くものと思っていたが、どうやらルアージュが着いたのはドゥッガ村の外れで、駐車場とは反対方向らしい。こちらにもチケット売り場があり、ここでチケットを買って遺跡内に入った。料金は 3.2 ディナール。

遺跡に入ると丘の上にある遺跡が見渡せる。

斜面を上っていくと、周囲は遺跡であふれてくる。ここで振り返ってドゥッガ村方面の写真を撮ってみた。家が何軒か集まっているところが私がルアージュを下りた場所で、写真ではよく見えないかもしれないが赤いチュニジア国旗が立っているのがチケット売り場。

まずは円形劇場を見たかったので、遺跡内を横切って駐車場前へ。それほど広くない駐車場には大型バスが2台ほど停まっていて、ヨーロッパかららしい観光客が下りてきているところだった。

下の写真が円形劇場。この種の遺跡を見るのは、キプロスのクリオン、トルコのパムッカレ、エフェスに続いて4ヶ所目で、個人的にかなり好きな種類の遺跡になる。

最上段に座って、しばらく景色を眺めてみた。クリオンの場合は目の前が海、パムッカレとエフェスは荒地だったが、ここは遠くまで農地が整然と並んでいるのが見える。

この後、迎えのルアージュが来る時間まで遺跡地帯を散策してすごした。ときどき団体客がやってくるが、シーズンオフなのか人数は少なく、遺跡内はわりと閑散としていた。

遺跡内の主な風景は以下の通り。

ドゥッガ遺跡について説明すると、ここはチュニジアでももっとも保存状態がよいローマ遺跡になる。最初に栄えたのが紀元前4世紀ごろ、ローマ帝国時代の紀元2~4世紀に最盛期を迎え、その後次第に衰退していった。現在残っているのは、一番下で紹介しているリビコ・プニック廟を除いてローマ帝国時代のもの。

都市遺跡の中心にあるのがキャピトル。神殿を中心に広場や議場があり、石畳の道が四方に伸びている。他にも商店や住居跡が続いていて、かつてここが都市だったことを偲ばせる。

上の写真がキャピトルの中心にある神殿跡。高さ8メートルの柱廊玄関が残っている。近くで見ると意外と保存状態が良くてびっくり。

神殿内部には、このような半円形のくぼみがある。かつて、ここには高さ6メートルのジュピター像があったという。

ローマ帝国といえば公衆浴場が有名だが、ここにも浴場の跡がある。床のモザイク、円柱、頭部の欠けた彫刻などが、わりといい状態で残っている。蒸気が立ち込めた当時の様子を想像しながら散策。

リキニアの浴場に通じる地下トンネル。通路の先の明るく見えるところが浴場になる。

遺跡の外れにあるのが、この「リビコ・プニック廟」。これは、チュニジアにわずかに残るローマ時代以前の建築物だそう。建造は紀元前3世紀ということだが、19世紀に英国領事が碑文を大英博物館へ持ち出す際に崩壊(何てことをするんだ!)、現在の姿はその後に再建されたもの。

その他、いくつもの神殿、凱旋門、ヒッポロドーム(競馬場跡。ただし、現在はほとんど何も残っていない)、トリフォリウムの家(娼館跡。リキニアの浴場から直接出入りできたという)などなど。歩いていると様々な遺跡が現れる。貯水場や地下水道などもかなりの規模だったことが想像でき、当時のインフラにも驚かされる。

遺跡を少し外れると農地が広がっていて、地元の人たちが農作業をしていたり、家畜に水を飲ませたりしていた。簡単な挨拶をしながらかなり広い範囲を歩き回ってみたが、おそらくこの日は遺跡内を 10km 以上歩いたと思う。

本当に4時間があっという間だった。この4日後に訪れたカルタゴの遺跡も見事だったが、ドゥッガは遺跡が1ヶ所に集まっている分、歩き回っているときの感動も大きい。個人旅行で訪れるにはちょっと不便な場所にあるかもしれないが、チュニジア旅行の際はぜひ訪れてほしい場所といえる。


遺跡を出て、すでに待機していたルアージュに乗ってテブルスークへ。テブルスークのバス停で下り、小さな待合所でチュニス行きのバスが来るのを待つことにした。

ベンチに座っていると、外国人に興味があるらしい地元の子供たちや若者がときどき話しかけてくる。しかしながら、ここで感じたのは「この国では英語の順位がかなり低い」ということ。外国語といえばまずフランス語、次いで地理的に近いイタリア語、そして観光客が多いらしいスペイン語で、英語はその次という感じだった。

なぜこんなことがわかったかというと「イタリア語は話せるか?」「スペイン語は?」などと聞かれたため(イタリアーノ、エスパニョールという単語くらいは私にもわかる)。こちらが「イングリッシュ」というと、「それはわからない」という感じで首を振る人が多かった。彼らとあまり意思の疎通ができなかったのは残念。

午後5時、やってきたバスに乗ってチュニスへ。すっかり暗くなった午後7時に北バスセンターに到着し、ここからメトロに乗ってホテルへ帰った。