ペルー旅行記(マチュピチュ~クスコ)

マチュピチュ滞在2日目。朝7時半に起床し、朝食を終えて9時にチェックアウトした後、ホテルで夕方まで荷物を預かってもらうことにしてバス乗り場へ向かった。

この日の予定は、まずはワイナピチュ山頂へ登り、その後は夕方までマチュピチュ遺跡内を散策した後、列車でクスコへ戻ることにしている。


前日と同様、バスでマチュピチュヘ行き、遺跡内に入った。ここからは遺跡の向こうにワイナピチュが見える。

ワイナピチュというのは、マチュピチュの横にある山で「若い峰」という意味だそう(ちなみにマチュピチュは「老いた峰」という意味)。しかしここから見ても登るのはかなりきつそうな感じがする。

まずは遺跡内を横断してワイナピチュ登山口へ向かった。ワイナピチュへ登るときは、ここでノートに名前と国籍を記入し、下山してきたときに自分の名前の横にサインしてから遺跡内に戻ることになっている。なぜこういうシステムになっているかというと、ときどき戻ってこない人がいたためだそうで、それでこのようにチェックが行われている。

このときは麓のアグアスカリエンテス村でペットボトルのミネラルウォーターを買っておくのを忘れていて、ちょっと困っていたのだが、この登山口で売っていたので助かった(最初は遺跡入り口のファーストフードコーナーで買おうとしたのだが、ここでは瓶入りの水しか売っていなかった)。ただし値段は5ソル(約180円)と高い。

ワイナピチュ登山口から見ると、改めて山頂の高さに圧倒される。

あんなところまで登るのか?

しかしまあ、山頂から遺跡を眺めてみたかったので、ともかくも登り始めることにした。

それにしても、ここから眺めても山頂付近に石組みが見える。あんなところにも段々畑があるようだが、いったいどうやって作ったのか。農作業にしても相当に大変だったはずで、これには驚くというよりもちょっと呆れるような感じさえする。

登山道に入ってしばらくは、林の中を下り勾配が続く。やがて視界が開けると目の前にワイナピチュがそびえ、登山道が細々と続いているのが見える。

あんな道を登るのか?

これは予想以上にきつそうだが、ともかくも登り始めた。ガイドブックによれば、山頂までは1時間ほどかかるという。

ここからはただひたすら、斜面に沿ってくねくねとつづら折を繰り返す登山道を黙々と上る。予想通りかなりの急勾配で、ときどき登山者用にロープや鎖が設置してあったりする。マチュピチュ遺跡がかなり下に見えるようになったころ、早朝から上っていたらしい日本人観光客の一団とすれ違ったので「まだまだですか?」と聞いたら答えは「今ちょうど半分くらいかな」だった。相当な高さを上ってきたように思っていたので、このときはちょっと疲れが増加した。

下の写真は登山中の風景。こんな感じでひたすら上り続ける。

ようやく頂上が近づいてくると、インカ帝国時代の石組みが現れる。本当に、よくこんなところに石組みを作ったものだ。これだけの石を運び上げるのは相当な難工事だったはずだが。

あちこちに作られている段々畑では、神に供える食物が栽培されていたという。

このあたりからは急な石段が続くようになる。もう一息と思いながら上り続け、最後に小さなトンネルをくぐってようやく頂上にたどり着いた。

登山時間は1時間ほど。いやー、疲れた。しかしまあ、たどり着いたところが絵に描いたように「頂上!」という感じの場所だったので、ちょっと感動した。この後、岩の上に座ってしばらく休憩することにした。

下の写真が頂上からの眺め。マチュピチュ遺跡をこの角度で見下ろしているのだから、かなりの高さを登ってきたことが実感される。

それにしても、写真ではあまり伝わらないかもしれないが、実際にこの景色を見るとすごい迫力を感じる。まさに絶景といっていいだろう。

マチュピチュ遺跡に向かってつづら折を繰り返しているのが「ハイラムビンガムロード」で、遺跡へ向かうバスはこの道を上ってきている。遺跡の反対側を見ると、はるか眼下にアマゾン川の最上流部になるウルバンバ川がワイナピチュを回り込むように流れ、流域が濃い森林で覆われているのがわかる。2,000m を越える高地なのでそれほど暑くはないものの、緯度的にはここが熱帯地方であることが実感される。

結局、景色を眺めながら30分以上も頂上付近に居続けてしまった。頂上では「あの急な登山道を上ってここまでやってきた者同士」ということで観光客の間でちょっとした連帯感が生まれ、和気あいあいとした雰囲気になっている。それもまた、頂上に居続けてしまう理由のひとつになっている。

クスコから日帰りで訪れると、時間がなくてワイナピチュへは登らないこともあるようだが、この景色を見ないのはやはりもったいない。それに、登ったとしても時間がなくて頂上でゆっくりすることもできないと思われる。やはりマチュピチュでは最低でも1泊したほうがいいと思う。

頂上から下り、周囲の石組みや建物の跡などを少し散策した後、ワイナピチュを下山することにした。本当に、よくこんな山の上に住居や段々畑を作ったものだと思うが、いったいどんな生活をしていたのだろうか。

急な石段や急勾配の坂道は、上る時よりも下りるほうがかなり気をつけないといけない。何度か滑りそうになりながら45分ほどで下山し、登山口でノートにサインしてから遺跡内に戻った。疲れたが、本当に登って良かったと思う。


ワイナピチュ山頂から生還し、夕方まで遺跡内を散策することにした。

下の写真に見える、曲面状の石組みを持つ建物が「太陽の神殿」で、これはマチュピチュで唯一の曲面構造だそう。入ってみたいものだが、内部には立ち入れないようになっていた。

マチュピチュが発見された当時の写真を見ると、遺跡の中央に小さな木がぽつんと立っているのがわかる。上の写真の左上に写っているのがその木で、100年弱でここまで成長したことになる。

遺跡内にはリャマがたくさん放牧されていて、自由に草を食べている。人間をまるで気にしないので、多くの観光客がリャマと一緒に写真を撮っていた。

下の写真にはワイナピチュが写っているが、改めて「よくあんなところまで登ったものだ」という気持になる。

「居住区」といわれるエリアでは、細い路地が入り組んでいて歩いていると面白い。このあたりはわりと観光客は少なく、静かな雰囲気になっている。

遺跡内の高台にあるのが「神聖な広場」で、この広場に面して「主神殿」「3つの窓の神殿」などがあり、ここがかのインカ帝国初代皇帝 「マンコ・カパック」 が誕生したといわれている場所。さすがにここは観光客が多く、様々な言語でガイドが説明していた。

ここでは学校の行事として訪れたらしい小学生くらいの一団に遭遇した。揃いのジャージに “JULIACA” という文字があるので、チチカカ湖の近くのフリアカから来たらしい。主神殿の前で集合写真を撮っているときに便乗して写真を撮ることができた。

それにしても、主神殿がちょっと傾いてきているのが心配。

神聖な広場から石段を上ったところに「インティタワナ」があり、ここが遺跡内で最高地点となる。インティタワナとは日時計という意味で、大きな石の台の上に対角線が正確に東西南北を指す石柱が立っている。

確かにここの写真を撮ったと思ったのだが、帰国後に確認したらどういうわけかインティタワナの写真を撮っていなかった。そのため、ここの写真は次回の旅行時に載せることにする。

コンドルの神殿という場所には、半地下になっている牢獄と地面に埋め込まれている「コンドルの石」がある。下の写真がコンドルの石で、なんらかの儀式に使われていたと考えられている。

下の写真は、ちょっと記憶が曖昧だがたしかコンドル神殿付近の地面にあった石。なんとなく「珍子岩」のように見えて面白かったので写真を撮ってみた。

ところで、マチュピチュは熱帯雨林地帯にあるため、麓にはジャングルのような森林が広がっている。そのため「天空都市」というイメージを持っていると意外に思うかもしれないが、遺跡内にはアブやブヨのような虫が案外多く、遺跡内を歩く際には虫除けスプレーは必需品とされている。

このことは事前に知っていたものの、虫除けスプレーを買っておくのをすっかり忘れていた。仕方がないので虫除けスプレーを使用せずに歩いたところ、かなり刺されてしまった。そして、この旅行記を書いている翌年3月の時点でも、この虫刺されの跡がまだ完全には消えていない。半年経ってもまだ跡が消えないのだから、やはり熱帯地方の虫を甘く見てはいけない。これからマチュピチュへ行こうと思っている人は、このことに注意してほしい。

さらにマチュピチュでは日差しも予想以上に強力なので、日焼け止めやリップクリームなども持っていたほうがいい。私の場合、数日後に唇がガサガサになってしまい、食事のときにかなり苦労することになった。

夕方、名残惜しかったがこれでアグアスカリエンテス村へ戻ることにした。それにしても、この遺跡は本当に素晴らしく、多くの人に一生に一度は見てほしいと思う。私も「絶対にまたここへ来るぞ!」と思いながらマチュピチュを後にした。

次回ここへ来るときは、マチュピチュの後(今回は時間がなくて行けなかった)チチカカ湖へ行き、さらに湖を渡ってボリビアへ入国するルートを通ってみたいものだ。


かつて、マチュピチュからアグアスカリエンテス村に戻るときには「グッバイボーイ」が出没していたという。つづら折の道を先回りしながらバスに向かって何度も「グッバイ!」と呼びかける少年のことで、マチュピチュ名物として知られていた。もちろん観光客からもらうチップが目当てで、かなりの収入になっていたという。

しかしながら、あまりにもチップ稼ぎに精を出したために学校へ行かなくなる少年が続出し、数年前に政府によって禁止されてしまった。学校の長期休暇中には復活するという話もあるが、私が訪れたときはグッバイボーイはまったく見なかった。

アグアスカリエンテス村に戻り、列車の出発時間まで駅周辺を散策してすごした。やはり観光客の多くはクスコから日帰りで訪れるのだろう。マチュピチュ観光の拠点になる村だというのに、ひなびた感じのごく小さな村でしかない。しかしマチュピチュ観光が日帰りとは本当にもったいないと思う。何度も繰り返すが、ぜひとも1泊して、マチュピチュだけでなくこの村の雰囲気も味わってほしいものだ。

駅周辺に並んでいる露店でいくつか土産物を買った後、出発時間が近づいてきたので駅構内に入った。駅には列車のチケットを見せないと入れないので、ここからは周囲は観光客だけになる。

帰りのビスタドームは、来たときとは違って2人ずつ向かい合わせに座るボックスシートタイプになっていた。ここではヨーロッパから来たらしい3人の老婦人と同じボックスになった。

来たときと同様に軽食のサービスがあり、周囲がすっかり暗くなったころ急に音楽が鳴り始め、列車の乗務員たちによるファッションショーが始まった。このことは旅行前にインターネットでいろいろと調べているときにわかっていたが、もし知らなかったら驚いたかもしれない。

下の写真がショーの風景。乗務員たちが地元のアルパカ製品を着て次々と歩いていく。私の席が車両の端だったので、乗務員たちが着替えるところまで見ることができた。

ショーが終わると製品の販売が始まる。さすがにファッションショーの威力は大きく、特に日本人観光客が多く買っているようだった。どうりで乗務員に美人を揃えているわけだ。

帰りは登り勾配なので往きよりも時間がかかり、クスコまでの所要時間は4時間半ほど。ようやくクスコの夜景が見え始め、午後9時半にサンペドロ駅に帰着した。


すべての乗客が駅を出ると、すぐに門が閉められ、中から鍵をかける音が聞こえてきた。おそらくは治安上の理由から、夜はすぐに駅を閉鎖するようになっているらしい。

駅前からタクシーに乗り、2日前に泊まったホテルにいったん戻った。ちなみにペルーでは屋根の上に行灯を付けたタクシーはほんの一部で、フロントガラスに “TAXI” というシールを貼っただけのタクシーが大半を占める。そのため、昼間はいいが夜になると遠くからではタクシーかどうか判断が付かなくなるので「あれはタクシーかなあ?」と思いながら近づいてくる車を凝視していないといけない。ちょっと不便だが、しかしまあタクシー自体はたくさん走っているので、なかなか乗れなくて困るということはない。

ホテルに着くと、すでに正面はシャッターが閉まっていたが、シャッターと叩くと横の通用門を開けてくれた(部屋も2日前と同じ)。少し休んだ後、夕食がまだだったのでホテルを出てアルマス広場方面へ歩いてみた。危険そうだったらすぐに引き返すつもりだったが、意外と観光客も多く歩いていて、それほど危ない感じはしなかった。

下の写真がアルマス広場の夜景。ベンチに座っていると物売りの少女がときどきやってくるが、それほどしつこくはない。

この後、広場近くのレストランで「ロコト・レジェーノ」というペルー料理を食べてみた。ロコトという肉厚の大きな唐辛子の牛肉詰めにジャガイモを添えたもので、予想通りかなり辛かったが、しかし十分美味しかった。

マチュピチュから再び高地のクスコへ戻ってきたわけだが、まだ高山病は再発していない。翌日、アレキパへ向けて出発するまで具合が悪くならないことを願いながらホテルへ帰った。