ペルー旅行記(ナスカ / 地上絵フライト)

午前4時50分、ナスカに到着。気が付いたらバスは停まっていて、時計を見たらちょうどナスカに着くくらいの時間だったので、乗務員に確認したらナスカだった。

すぐにバスを降り、タグと引き換えに預けていたバックパックを受け取ってから明るくなるまで待合室で休むことにした。写真はナスカに停車中の夜行バス。


ここで降りた乗客は私1人で、バスはすぐに発車していった。待合室にはバス会社の職員らしい若い男性が1人いて、私を中に招き入れるとすぐに鉄格子のドアを閉め、しっかりと鍵を掛けてしまった。安全対策は十分だが、おかげで私も待合室に閉じ込められることになった。

この職員は泊り込みらしく、すぐにカウンターの中で毛布を被って寝てしまったので、私のほうは長椅子に座って明るくなるのを待つことにした。下の写真が待合室の風景で、これを見ると私のほうが閉じ込められているような感じがする。

周囲がかなり明るくなった6時ごろ、職員が起き出してドアを開け、やがて客引きたちがやってきた。

ちょっと眠かったので、あまり多くの客引きを相手にする気になれず、最初の客引きが紹介してくれるというホテルへついていくことにした。着いたのは “PERUGIA” という星2つのホテルで、部屋はわりときれいな上に料金も安かったので、ここに泊まることにした。(領収書を紛失したので正確な宿泊料金は覚えていないが、700~800円程度だったのは覚えているので、おそらく20~23ソルくらいだったと思う)

その後、ホテルの4階にある食堂で客引きと交渉し、この日の朝の地上絵フライトとその後のマリア・ライヘ博物館とミラドール行きを頼むことにした。料金は全部でたしか80ドル程度だったはず。(これも領収書を紛失したので正確な値段は覚えていないが、後で考えたらちょっとぼられたような気がする)

地上絵フライトはすぐの出発ということだったので、客引きの車に乗り、急いで空港へ向かうことにした。

地上絵フライト

ナスカの町から南へ2キロほどのところにナスカ空港がある。発着するのはセスナ機のみという小さな空港で、ほとんど地上絵観光専用といっていい。

滑走路の横には航空会社のオフィスがいくつも並んでいて、その中のひとつでしばらく待機した後、他の観光客(ヨーロッパから来たらしい夫婦)と一緒にセスナ機に乗り込むことになった。セスナ機は4人乗りで、後部座席にヨーロッパ人夫婦、私は操縦士の隣に座ったため、操縦の様子まで詳しく見ることができた。下の写真で操縦士の右隣が私が座った席。

では、出発。離陸してしばらくすると、パンアメリカンハイウェイ以外には道路らしいものも見えない荒涼とした台地の上に出る。やがて縦横に線が走っているのが見えてくるが、これも地上絵の一部だという。実際にはナスカの地上絵は単純な直線や三角形がほとんどで、意味のありそうな図形はごく一部でしかない。

やがて地上絵が点在するエリアに到着し、操縦士がそれぞれの絵を説明しながら遊覧飛行を行う。左右両側の乗客が地上絵をしっかりと見られるように右に左に大きく旋回しながら飛行を行うため、相当なスリルがある。旋回中は45度くらいは傾くので、窓に寄りかかっているとほとんど真下に地上絵が見えることになる。私はもともと高いところはそんなに怖くない人間なので何ともなかったが、高所恐怖症の人にはつらいフライトかもしれない。

さて、その地上絵だが、いきなり夢を壊すようなことを言って申し訳ないが 正直言ってよく見えない。

たしかにTVや写真で何度も見たことのあるハチドリやコンドルなどが地面に描かれているのだが、想像していたよりも小さく、それになんだか消えかけているような感じがする。TV等で見る地上絵は、おそらくコントラストを上げてあるのではないかと思われる。

しかしまあ、人によっては「がっかりした」「しょぼかった」という人も多い地上絵だが、私は十分に楽しめた。予想より小さいとはいえ、こんな荒涼とした大地にこれだけの絵を描き、それが現代まで消えずに残っているのはすごいと思う。なにしろナスカ文明が栄えたのは紀元前~AD800 年ごろと言われているから、実に千年以上も残されていることになる。

以下、それぞれの地上絵の写真を並べてみる。最初に断っておくが、以下の写真はスキャナで読み込んだ後、コントラストを少し上げてある。(この旅行当時はフィルムカメラを使っていた)

最初に見えてくるのが「クジラ」。これが私が初めて目にした地上絵ということになる。操縦士が指差す方向を凝視して、やっと見つけることができた。

地上絵を見る前は、もっと規模の大きなものを想像していたので「意外と小さいなあ」というのが最初の感想。

続いて「宇宙飛行士」。これは丘の斜面に描かれている。不思議な図形で、宇宙飛行士というより宇宙人といったほうがいいような気もするが。

尻尾の渦巻きが有名な「サル」。ようやく写真等で見覚えのある地上絵が現れ、ちょっと感動した。たしかにナスカ上空を飛行していることを実感。

これも有名な「コンドル」。地上絵の中でも規模は大きく、全長は136メートルある。ただ、ちょっと消えかけてきているのか、なんだか薄い感じがするのが残念。

「クモ」は地上絵の中でもかなり小さい。直線群の中に埋もれている感じ。

おそらく地上絵の中で最も有名と思われる「ハチドリ」は崖の近くにある。ここが地上絵フライトのハイライトらしく、何回も周回して詳しく見せてくれた。

「ハチドリ」のアップ。規模はわりと大きく、全長100メートルほど。それにしても、このデザインは本当に見事だと思う。この形状からハチドリを連想した人もすごいと思うが。

個人的にこのデザインはかなり気に入っていることもあって私は会社で使用しているPC名を “hummingbird” にしている。(この旅行当時の話)

「渦巻き」。このあたりには円や三角形などの幾何学図形が集まっている。

「オウム」。オウムというより何かの植物のような形だと思ったが、これはオウムということになっているらしい。

地上絵観測塔「ミラドール」の横にある「手」。全体が写っていないが、ミラドールの横には「木」もある。ミラドールの横を通っているのがパンアメリカンハイウェイで、こうしてみるとハイウェイ建設によって一部の地上絵が破壊されていることがわかる。

このフライトの後にミラドールを訪れた際、「手」と「木」は地上から見ることができた。

こういった感じで、操縦士の説明を受けながら40分ほど地上絵の上空をフライトした。それにしても右に左にかなりアクロバティックに旋回するため、相当にスリルがある。このナスカの地上絵フライトについては、飛行機酔いが激しくて地上絵どころではなかったという人も多いようだが、私はもともと乗り物では特に酔わないほうだし、地上絵を見るのが面白いので気分が悪くなっている暇はなかった。

下の写真は飛行中の操縦士。飛行機の操縦をこんなに近くで見たのはもちろん初めてで、なかなか興味深いものだった。

約40分のフライトを終え、ちょっと名残惜しかったがナスカ空港に引き返すことになった。下の写真は着陸直前の操縦席横からの眺め。

無事に着陸し、セスナ機を降りた。

地上絵は想像していたよりも小さかったものの、このフライトはかなり楽しめた。この地上絵については、支配者階級が熱気球に乗って眺めるために描かれたという説など様々な説があるそうだが、もちろん本当のところはわかっていない。地元に何の伝承も残っていない以上、この地上絵が作られた本当の目的については、おそらく永久にわかることはないだろう。残念ながら次第に消えかけてきているというし、興味のある人はぜひ直接訪れて、地上絵の目的を想像してほしい。


いったんホテルへ戻って少し休憩し、続いてマリア・ライヘ博物館とミラドールへ向かうことにした。早朝にバスセンターで会った客引きが再び現れ、近くのレストランへ連れて行ってくれた。ここの店主が車で案内してくれるという。

レストランは “The Grumpy’s” という名前で、店主は日本人を見ると「トモダチ!」と声をかけるのが癖の陽気な親父だった。外国で「トモダチ!」と声をかけてくる人にろくな人はいないというのは常識だろうから、店主の「トモダチ!」というのは店にとってかえって逆効果ではないかと思うのだが、本人が楽しそうにしているから仕方がない。

ここで朝食を取った後、まだ現役で動いていることに感動するほどボロボロの軽自動車(韓国車)でナスカの北にあるミラドール方面へ向かった。途中、こちらの旅行のことなどについていろいろと話したが、旅行期間が10日間だと言うと「そんなに短いの?」と驚いていた。日本で「10日間旅行に行く」と言うと多くの人は「10日間も?」と言うが、旅行先ではまったく逆で「たった10日間?」と言われることが多い。中には真顔で「日本人は何でそんなに慌しく旅行するのか」と聞いてくる人もいる。欧米の人たちは普通に1ヶ月休んだりするから、それに比べたらずいぶん慌しい旅行をしていることは間違いないだろう。

かつて2001年に25日間という旅行をやったことがあるが、このくらい日数があると帰国便の出発日など気にすることもなく、本当にゆったりと旅行できるのはたしか。いつかまた、ああいう長い旅行をやってみたいものだ。

マリア・ライヘ博物館

ナスカの町からパンアメリカンハイウェイを北へ15キロほどの地点に、ミラドールとマリア・ライヘ博物館がある。ミラドールは通過し、まず博物館を訪れた。

下の写真でバンザイをしているのが、ガイドしてくれた “The Grumpy’s” の店主。本当に人のいい親父だった。

マリア・ライヘ(1903-1998)とは、20代でペルーを訪れ、その後ほぼ一生を地上絵の研究と保護に費やしたドイツ人の女性研究者。現在は研究所が博物館として公開されている。

博物館内は、ナスカ文明を紹介する部屋、ライヘ氏の業績を紹介する部屋などに分かれている。その中に研究風景が人形を使って再現されてる部屋があった。

庭では赤い花が満開になっていて、かなりきれいな景色を眺めることができた。後で調べたところ、この花は「ブーゲンビリア」だそう。それにしても、写真を撮ろうとすると、この親父が何とかして写ろうとする。

その満開の花の横にマリア・ライヘ氏の墓があった。

ライヘ氏が保護を訴えなければ、現在では多くの地上絵が破壊されていた可能性もあるそうだから、こうやって地上絵を見ることができるのもライヘ氏のおかげ。

ライヘ氏の死後は、残念ながら後継者も後継組織もなかったらしい。インターネットで少し調べてみたところ、日本では楠田枝里子さんが「日本マリア・ライヘ基金」を立ち上げて活動しているということだった。たしかに以下のサイトには「マリア・ライへ基金」のページがある。

ライヘ氏は地上絵の目的について、ナスカ人のカレンダーであり絵は星座を表しているという説を唱えている。

ミラドール

マリア・ライヘ博物館からパンアメリカンハイウェイをナスカ方面へ少し戻ったところにミラドールがある。ミラドール “Mirador” とは「観測塔」であり、マリア・ライヘ氏が地上絵を観測するために建てた塔のこと。先ほどの地上絵フライトでは上空から眺めたミラドールを、今度は地上から訪れた。

塔の高さは20メートルほどで、近くにある「手」と「木」を眺めることができる。早速上ってみた。

下の写真はミラドールの最上部からの眺めで、ミラドールの横を一直線に伸びるパンアメリカンハイウェイと、地上絵「木」の一部。

上空から見ると想像していたより小さいと思ったが、ここから見るとやはり大きく感じる。もっと近くで見てみたい気もするが、当然ながら地上絵の中に入ることは禁止されている。

しばらく周囲を眺めた後、地上に下りるとフェラーリが2台停まっていた。どういう関係の人たちかは知らないが、「ナスカの地上絵が描かれたフェラーリ」というのも、なかなか見ることができないのではないかと思う。珍しいものを見ることができて幸運だった。

パンアメリカンハイウェイはわりと頻繁に車が通るが、いずれもかなりスピードを出している。ここを横断しようとしたとき、日本人の癖で右側を見ながら横断しようとしてしまい、思いきりクラクションを鳴らされてしまった。車は右側通行なので、当然ながら最初は左側を見ないといけない。他のことを考えているとつい忘れてしまうので、これから訪れる人は注意してほしい。

ミラドールには観測塔だけでなく「ミラドール・ナチュラル」という小さな丘もある。ここからも地上絵を眺めることができるので、続いて訪れてみた。

丘の上に立つと、平原を縦横に伸びるたくさんの直線を見ることができる。本当に、これらの直線にはいったいどういう意味があるのだろうか。

地上絵エリアには立ち入りが禁止されているが、この丘のふもとには(おそらく観光客用に)線の一部を近くで見ることができる場所がある。カメラを地面に近づけて写真を撮ってみた。

これがナスカの地上絵のアップ。表面の砂利を取り除いて下の土を露出させただけの、実に簡単なつくりになっている。ほとんど雨の降らない乾燥したナスカの気候が地上絵を現代まで残したわけだが、実際に見てみるとこんな簡単なものが千年以上も消えずに残っているのは奇跡的という気がする。

ただし、現在の気候状況では今世紀中に消滅するとも言われている。貴重な遺産だと思うし、いつまでも残っていてほしいものだ。

帰りはミラドールの近くでヒッチハイクをしていた2人(チリ人のカップル)を乗せ、4人でナスカに戻った。別の国の人だというのに、言葉が同じスペイン語なので店主と普通に会話できるのがちょっと羨ましい気もする。早朝から観光していた疲れが出て少しうとうととしているうちに、ナスカの町に戻ってきた。


レストランでちょっと遅い昼食(店主お勧めのパスタとストロベリージュースで、なかなかうまい)を取り、また夕方来ることを伝えてからレストランを出た。それにしても、この店主は店の前を日本人が通るたびに「トモダチ!」と声をかけているが、やはり逆効果ではないかと思う。「トモダチ!」がなければ、もっと日本人の客も増えると思うが(笑)。

レストランを後にして、ホテルに戻る前にバスターミナルへ向かった。翌日のバスでリマへ向かうため、この日のうちにチケットを入手しておく必要がある。

リマへは、この区間のバス会社の中で最も豪華といわれているオルメーニョ社のバスに乗りたいと思っていた。バスターミナルへ行き、バスの時刻を聞いたところリマ行きは早朝6時と午後1時半の2便となっていて、午後1時半の便のチケットが無事に入手できた(料金は75ソル)。しかも、まだほとんど予約が入っていなかったこともあって2階席の最前列(パノラマ席)を取ることができ、翌日のバス移動がかなり楽しみになった。

その後、ホテルへ戻って少し休んでいるうちにどうにも眠くなり、しばらく仮眠することにした。夜行バスでの移動はそれほど疲れなかったが、早朝からあちこち観光して回ったことが応えたらしい。


夕方5時に再び外出し、ナスカの町を散策してみた。世界的に有名な観光地だが、それほど大きな町ではなく、わりと簡単に一周できるほどのこじんまりとした町になっている。

途中、街中にいくつも並んでいた旅行店に入り、翌日午前中のセメンテリオ(墓地)へのツアーを予約した(ツアー料金は10ドル)。ここはナスカで地上絵とともに見てみたいと思っていたスポット。

その後、例の「トモダチ!」の店 “The Grumpy’s” で夕食を取り、店主に別れの挨拶をしてから店を出た。この店に置いてあったノート(客が自由に感想を書き込むタイプ)に私もちょっと書き込んできたので、もし訪れることがあれば探してみてほしい。

このノートに世界一周新婚旅行中に立ち寄ったという「ひろし&みか」さんの書き込みを見つけ、サイトのアドレスが載っていたので帰国後にメールを送ってみた。ナスカのノートからこういう風につながってくるとは、本当に面白いものだ。それにしても世界一周新婚旅行とは本当にうらやましい限り。

この2人のサイトがこちら。

下の写真は、ホテルへ戻る途中に市街中心部にあるアルマス広場で休んでいたときの夜景。芝生に地上絵がデザインされている。

しばらく夜景を眺めた後、ホテルに戻った。旅行も残り少なくなり、明日は首都のリマへ向かうことになる。