ネパール旅行記(バンコク~カトマンドゥ)

朝8時に佐世保を出発し、福岡空港を11時45分発のタイ航空機でバンコクへ向かう。約5時間後の現地時間午後3時半にバンコク・スワンナプーム国際空港に到着した。

タイを訪れるのは3回目だが、以前来たときはドンムアン空港だったので、新空港に来るのは初めてになる。さすがに旧空港と比べて規模が大きく、さらにガラスが多用されているので明るく開放感があった。

カトマンドゥ行きは翌日の出発なので、いったんタイに入国してバンコク市内で1泊することになる。特に問題なく入国し、市内中心部に向かうことにした。


この空港はバンコク市街から30キロほど離れていて、鉄道はまだ乗り入れていない(この旅行当時、まだ工事中)。市街へはエアポートバス、路線バスなどの交通手段があり、ここではエアポートバスを選択した。

バンコクの安宿街としてはカオサンロードが世界的にも有名だが、他にもいくつかの安宿街が点在している。今回は、それらの安宿街の中からサイアムスクエアに近いソイ・カセムソン地区(国立競技場北東地区)で宿泊先を探すことにしていた。これは夜にサイアムスクエアを歩いてみたかったことと、交通の便を考えてのこと。翌日の朝9時には空港に着いていないといけないので、スカイトレインも地下鉄も通っていないカオサンロードでは渋滞にはまる心配がある。

エアポートバスといっても豪華なバスではなく、以前ドンムアン空港で使われていたものと同じ小汚いマイクロバス。空港を出ると周囲には何もない平原が広がり、高速道路に乗るとバンコク市街へ向けて快調に飛ばしだした。しかしながら、案の定バンコク市街に近づくと大渋滞につかまり、空港から1時間ちょっとかかってようやくサイアムスクエアに到着した。

まずは泊まるところを探さないといけない。今までバンコクを訪れたときにはソイ・カセムソン地区(「ジム・トンプソンの家」の近くにある一帯)に泊まったことはなく、今回初めて訪れることになる。

当初は、カオサンロードほどではないにしても安宿が集まっているエリアなのだろうと思っていた。ところが、訪れてみるとホテルやゲストハウスは意外と少なく、案外選択肢がないことがわかった。”RENO HOTEL” というこぎれいなホテルがあったが、ちょっと高そうだったのでここはパスし、他の小さなゲストハウスを当たってみたところすべて満室。ちょっと焦りを感じ始めた。

下の写真はホテルを探している途中で見た運河の風景。

結局、”RENO HOTEL” の数軒となりの “STAR HOTEL” といううらぶれた感じのホテルに入ってみて、料金が550バーツ(約1,900円)ということだったのでここに泊まることにした。建物自体はちょっと古く、なんだか薄暗い感じだったが、部屋はツインルームでまずまずきれい。(もっとも、夜に浴室でかなりでかいゴキブリを見かけたが)

旅行後にインターネットで調べてみたところ、ここは「幽霊が出るらしい」「連れ込み宿と化している」「麻薬関係の手入れがあった」など、いろいろと噂のあるホテルだったらしい。部屋数が多いわりにかなり閑散としていたのを不思議に思ったものの、このときは宿泊自体は特に問題はなかった。しかしまあ、万人にお勧めできるというホテルではないかもしれない。

泊まるところも決まり、後は夜までサイアムスクエア周辺を散策してすごした。タイ東急とマーブンクローンセンターに入ってみたが、やはり何度来てもマーブンクローンセンターは面白い。フードコートで食事した後、遅くまで歩き回り、ホテルに戻った。

翌日は朝7時15分にホテルを出て、スカイトレインのナショナルスタジアム駅へ。下の写真は早朝のスカイトレイン。

サイアム駅で乗り換え、スカイトレインの終点のオンヌット駅に移動した。距離的にはここが空港に一番近く、うまく空港行きのバスが見つかればバスで、見つからなければタクシーで空港へ向かうことにしていた。高架を下りるとすぐにバス停が見つかり、飛行機のマークが描かれていたことから552番のバスが空港へ行くことが理解できた。(バンコクのバス停には、そこを通るバスの路線番号一覧が書かれているだけなので、路線図が頭に入っていないと使いこなすことはできない)

待っていると10分ほどで552番のバスがやってきて、一応確認したらたしかに空港へ行くということだったので乗り込んだ。郊外なので渋滞もなく、快調に飛ばして35分ほどで空港交通センターに到着した。運賃は32バーツ。

ここで空港シャトルバスに乗り換え、約5分で空港ターミナルへ。タイを出国し、11時に離陸してカトマンドゥへ向かった。


午後1時にカトマンドゥのトリブヴァン空港に到着。ネパールというとヒマラヤを連想するため、かなり高地にあると思っている人も多いようだが、カトマンドゥの標高は 1,400m ほど。高山病になるような高地ではない。

タラップを降りて小さなターミナルへ歩いて移動し、入国審査の列に並んだ。日本とネパールの時差は3時間15分で、この半端な15分にどういう意味があるのか分からない。インドとの時差は15分なので、単にインドと同じ時間にしたくないということなのかもしれない。

最初に間違えて “GRATIS VISA” の列に並んでしまい、指摘されて他の列の後ろに並び直したため、入国審査にはかなり時間がかかってしまった。”GRATIS” という単語は初めて見たが、これは「無料」という意味で、ここはビザ料金が免除される滞在3日以内の人が並ぶ列だった。

こういう間違いに加えて列自体も遅々として進まず、2時半近くになってようやく入国審査官にところにたどり着いた。ここでは、まずビザ料金30ドルを払って領収書をもらい、続いてその領収書と出入国カード、顔写真1枚を渡し、ようやくパスポートにビザのシールが貼られるというシステムになっていた。これでは時間がかかるはずだ。

というわけで、空港到着から実に1時間半かかってようやくネパールに入国した。


ターミナルを出ると、あっという間に大勢の客引きに取り囲まれてしまった。それぞれ自分が紹介しようとしているゲストハウスの宣伝を早口でまくし立てたり、「地球の歩き方に載っている~」などと日本語で書かれたプラカードを持っていたり、何とかして捕まえようとみんな必死になっている。そういう人たちに二重三重に囲まれて腕の引っ張り合いをされるものだから、こちらとしてはもう笑ってしまうしかない。私にとってネパールは23ヶ国目になるわけだが、これほど客引きの勢いが凄まじい国は初めて。

ともかくもその中から1人を選び、カトマンドゥ中心部のタメル地区へ向かうことにした。タメル地区といえば、バンコクのカオサンロード、コルカタのサダルストリートなどと並んでアジアでも有名な安宿街。

空港を離れると、周囲はすぐに喧騒に満ちた世界になった。交通ルールを守るというより「強気に行ったもん勝ち」で、反対車線を逆走して強引に割り込むのは当たり前。当然ながらクラクションの音が絶えず、街中は相当にうるさい。

そして、道路を牛が歩いている。ヒンドゥ教の国なのだから当然なのだが、この光景を見るとネパールへ来たことが実感できた。


タメル地区は空港からそれほど遠くはなく、20分ほどで細い路地が入り組んでいる地区に入っていった。ゲストハウスや土産物店などが密集していて、地元の人たちに交じって旅行者も大勢歩いている。

紹介してくれるゲストハウスへ向かう途中、ちょっとした出来事があった。路地の先に人だかりがしていて、車が進めずに渋滞している。なにやら大勢の怒鳴り声のようなものが聞こえてくるので、喧嘩でも始まったのかと思っていたら、客引き(多少の日本語を話せる)が「どうやら泥棒が捕まったようだ」と教えてくれた。

しばらくすると、路地の先から警察の車がやってきた。周囲からは大きな拍手と犯人に対する罵声が沸き起こっている。詳しいことはわからないが、案外有名な泥棒だったのかもしれない。

下の写真が、すれ違うときに撮った女性容疑者。ちょっと暴れていたが、数人の警察官が銃を持って押さえつけていた。それにしても車の中ではなく荷台に乗せ、晒し者になっているところが日本とは違う。

一応、プライバシー保護のため目線を入れてみました。

こういう騒ぎを経て、紹介してくれるというゲストハウスに到着した。最初のゲストハウスは中庭に面した部屋ということで外の景色が見えなかったので、別のゲストハウスを紹介してもらった。ここでは1泊20ドルの部屋に通されたが、少し高いと言うと8ドルの部屋に替えてくれた。この部屋は往来に面していて眺めもよかったので、ここに泊まることにした。

下の写真が今回泊まることにした “MADHUBAN GUEST HOUSE” の正面と、1泊8ドルの部屋。

部屋はかなりきれいだが、トイレとシャワーについては裸足では歩きたくないという感じだった。

ゲストハウス内の廊下には、かなり大きな絵が掛けられていた。

あまりにも素人っぽい絵で、見たときはちょっと笑えた。後から書き足したらしい中央の白い三角形は、もしかしてエベレストを現しているのか?


続いて、ネパールでの移動のチケットを手配しないといけない。ここへ連れてきてくれた客引きが旅行店も紹介してくれるということなので、ついていくことにした。タメル地区を少し歩き、”ASAHI TRECKS & EXPEDITION” という小さな旅行店に入った。「朝日」という名前だけあって店員は日本語を話すことができ、ここで翌日早朝のマウンテンフライト(132ドル)、翌々日のカトマンドゥからポカラへのバスチケット(9ドル)、ポカラのゲストハウス(トレッキングに出るかもしれないので最初の1泊だけ。10ドル)、ポカラからカトマンドゥへの飛行機チケット(79ドル)を手配した。これで今回の旅程がかなり固まってきた。

ところで、この旅行店のデスクの上に小さな地球儀が置いてあり、日本を見てみたらサハリンの南半分が日本領になっていた。「この地球儀はネパール製?」と聞いてみたら、たしかにそうだという。それ以上は聞かなかったので詳しいことはわからないが、ネパールでは日本の領土についてこのように教えているのだろうか。(地形はかなりデフォルメされていたので、千島列島や北方領土の姿はなかった)

この後、旅行店を出て夕方までタメル地区を散策して過ごした。以下がタメル地区の風景。

細い路地にゲストハウスや土産物店が並び、大勢の旅行者が歩いているという典型的なツーリスト街になっている。カトマンドゥといえば沈没してしまう旅行者が多い町とも聞くが、たしかにここにはゲストハウスが多く、生活物資も安そうなので沈没する人が多いのもわかるような気がする。(沈没とは、長期旅行者が気に入った場所に長く留まって動かなくなること)

また、ここには日本食レストランも多く、さらに土産物店等でも日本語をよく見かける。この国を訪れる日本人旅行者がかなり多いということがわかる。

夕方、安いレストラン(というより食堂という感じ)でダルバートという一般的なネパール料理と「エベレスト」というネパールビールを注文してみた。ダルバートというのは大きなアルミの皿にインディカ米、豆のスープ、野菜とジャガイモの煮物、漬物を盛ったもので、インディカ米にスープをかけて食べる。インディカ米は人によって好き嫌いがわかれると思うが、私はかなり好きなほうなので十分美味しかった。

酔い醒ましに熱いネパールティーを飲んでから、さらにタメル地区一帯を散策してみた。このネパールティーというのは、一見普通のミルクティーのようだが、様々なスパイスが入っているらしく独特の味がする。ちょっと日本では再現できない味といえる。

すっかり暗くなった8時ごろ、ゲストハウスに戻った。タメル地区は夜でも大勢の旅行者が歩いていて、安全上の問題は感じられなかった。