ネパール旅行記(ポカラ~カトマンドゥ)

朝7時に起床。この日でポカラを離れ、朝の飛行機でカトマンドゥへ戻ることになる。

このポカラという町は、昭和のころの日本のような、なんともいえない懐かしさを感じる町だった。ネパールを旅行する際はぜひとも滞在してほしい町といえる。


朝食後、いったん外出してフェワ湖周辺を散策してみた。この時間はまだ人が少なく、きれいな景色をゆっくりと楽しむことができた。

ゲストハウスに戻り、8時過ぎに日本通の主人に別れの挨拶をしてタクシーで空港へ移動した。カトマンドゥからポカラへはバスで移動したので、この空港に来るのは初めてになる。

10分ほどで空港に到着し、イェティ・エアラインのカウンターでチェックインを行った。予想通りかなり小さな空港で、乗客の多くは外国人のように思える。なおイェティ “Yeti” というのはヒマラヤ山脈に住むと言われている未確認動物のこと。もっとも、正体はヒグマという結論が出ているらしいが。

やがて飛行機が到着し、機内に乗り込んだ。

9時半にポカラを出発。下の写真は離陸直後のポカラの眺め。

ポカラ~カトマンドゥは、飛行ルートから考えると左側にヒマラヤ山脈が見えることになる。というわけで左側はかなり雄大な景色を眺められたようだが、私は右側の窓際だったため残念ながらヒマラヤを眺めることはできなかった。

カトマンドゥまでの飛行時間は約25分。バスでは6時間半かかったわけだから、飛行機だと本当にあっという間。しかし往復飛行機というのもなんだか味気ないし、バスだとポカラの遠さを実感できるので片道をバスでの移動にしてよかったと思う。

10時前にカトマンドゥのトリブヴァン空港に到着した。3日ぶりにカトマンドゥに戻ってきたことになる。


飛行機を降りて国内線ターミナルへ。ここは数日前の早朝、マウンテンフライトのために立ち寄った場所で、ターミナル前からタクシーでカトマンドゥ市街へ向かうことにした。

今回はタメル地区よりもダルバール広場周辺を見たかったので、そちらで宿泊先を探すことにしていた。タメル地区ほどではないが、ダルバール広場にも安宿はある。空港から20分ほどで到着し、広場を歩いていると “PARK GUEST HOUSE” というゲストハウスがあったので入ってみた。

宿泊料金は400ルピー(約700円)で、部屋もわりときれいだったのでここに泊まることにした。部屋からはバサンタプルという広場に多くの露店が出ているのが見渡せる。

部屋で少し休んだ後、出かけることにした。


最初の目的地はダルバール広場の中心にある「ハヌマン・ドカ」という旧王宮で、ここはネパール国王のかつての居城だが一部は博物館として公開されている。

250ルピーでチケットを買い、中に入る。

この旅行当時(2007年)の国王の名前はギャネンドラ。ネパール王室といえば、2001年にビレンドラ国王一家が射殺されるという事件が起きている。犯人はディペンドラ皇太子ということになっていて、銃を乱射して王族たちを殺害した後に自殺を図ったとされるが、ネパールではこの公式発表を信じている人はほとんどいないらしい。このとき、ギャネンドラ(国王の弟)だけがたまたま現場にいなかったため助かり、その後国王に即位している。このギャネンドラという人物だが、もともと国民に不人気だったこと、その家族が現場にいたにもかかわらず全員助かっていることなどから、どうも胡散臭い事件といえる。

ギャネンドラは国王になってから議会を停止して直接統治に乗り出したりしたため、国民の信用を完全に失ってしまい、2008年に王政は廃止されネパールは共和制に移行した。結局、240年続いた王室がギャネンドラという人物のせいで終わってしまったことになる。現在はギャネンドラ一家は王宮から退去しているそうである。

王宮の博物館は歴代の国王に関する調度品などの資料がほとんどで、なかなか興味深いものだった。また建物自体が古く、かなり格調高い感じなので、通路を歩いているだけで面白い。ただし建物内は写真撮影禁止なので内部の写真はない。

歴代の国王の写真も並べられていたが、事件のことを考えると殺害されたビレンドラ国王と犯人とされるディペンドラ国王(重体のまま即位し4日後に死亡)に比べて現ギャネンドラ国王がどうしても腹黒そうに見えてしまう。

その後、中庭を少し歩いてみた。装飾なども見事なもので、扉には仏陀の目が施されている。

見上げるとカーマスートラもある。

ハヌマン・ドカを出て、続いてクマリの館へ。この館に住んでいる少女が生き神クマリ。クマリについてはここで説明はしないので、知りたい人はウィキペディアあたりを見てほしい。

拝観料を支払うことで、中庭の窓から顔を出すクマリを見ることができるらしい。団体客が来たときに便乗して見てみようなどと考えていたのだが、結局そのチャンスはなかった。聞くところによると、つまらなそうな顔を見せるクマリもいれば満面の笑みでアイドルのように手を振るクマリもいるという。一度見たかった気もするが仕方がない。

この後、ダルバール広場周辺を散策してみた。この広場は地元の人たちも多く歩いているが、それにしても異常と思えるくらいハトが多い。

ダルバール広場には旧王宮やクマリの館以外にも歴史的な建造物が多く、散策していると飽きない。特に旧王宮の入口近くにある大きなカーラ・バイラブ像などは、本来はヒンドゥ教の破壊の神シヴァの化身だというのに、なんだかユーモラスな造形になっているところが面白い。

ぢるぢる旅行記ネパール編 には「彫刻のかたまりのような重要文化財級の家が、なんでもない揚げ物屋だったりする」といった描写があるが、私もそのような建物を何軒も見ることができた。

以下、ダルバール広場の風景を載せておく。

シヴァ寺院の上層の窓から見下ろしているのはシヴァ神とパールヴァティ妃のカップル。あと、ナラヤン寺院の柱にはこれまたカーマスートラがある。

よく見ると生々しいものだと思う。いつか、カーマスートラで有名なインドのカジュラホ寺院にも行ってみたいものだ。


昼過ぎにダルバール広場からリキシャでタメル地区へ移動し、まずは昼食にした。実はカトマンドゥはバックパッカーの間で「日本食レストランが充実した町」として有名で、タメル地区には多くの日本料理店がある。外国に来てまで日本食を食べることはないとも思うが、今回はカトマンドゥの日本食に興味があったので、この日の昼食と夕食は日本食レストランに入ることにしていた。

昼食は「桃太郎」という店に入ってみた。気候が暑い中、かなり歩き回った後だったので、ここでは「冷やし中華」を注文してみた。味はどうかというと、日本で食べるのとまったく遜色なく、かなりうまいものだった。

その後、帰国後に配る土産物や自分用のTシャツなどを買いながらタメル地区を散策して回った。日本人旅行者がかなり多く、歩いていると頻繁に見かける。日本語の表示も多いし、日本人にとっては滞在しやすい町といえるだろう。

夕食は「ふる里」という店に入ってみた。ここは各種定食に味噌汁、漬物、インゲンのごま和え等が付くという、ほとんど日本そのままといっていいレストラン。とんかつ定食を注文してみたが、日本で食べるのとまったく変わらなかった。カトマンドゥの日本食のレベルは評判通りに高いということが実感できた。

やや暗くなってきたころにダルバール広場に戻ったところ、相変わらず人が多い。夜景の写真を撮りながら、さらに散策してみた。

夜8時半ごろ、散策を終えてゲストハウスに戻った。ネパール滞在最後の夜で、翌日は早朝にマウンテンフライトに乗った後、ネパールを離れることになる。