南部アフリカ旅行記(ビクトリアフォールズ / ジンバブエ側)

早朝5時に起床して5時半にホテルを出発。さすがにこの時間はかなり寒い。15分ほどで空港に到着し、ブリティッシュエアウェイズのカウンターでチェックインを行った。

この時間だというのに、ターミナル内は大勢の乗客であふれている。ケープタウン~ヨハネスブルグは片道くらい長距離バスを利用してみたかったが、日数が足りなかったので諦めた。いつか乗ってみたいものだ。


9時半にヨハネスブルグに到着し、国際線のカウンターでチェックインを行った。ヨハネスブルグ~ビクトリアフォールズの便もブリティッシュエアウェイズ。旧宗主国だけに、今でもいろいろと影響力が残っているようだ。

この日でいったん南アフリカを出国し、ジンバブエのビクトリアフォールズに向かう。ジンバブエは南アフリカの北にある内陸国で、旅行前にニュース等で「失業率85パーセント」「年間インフレ予測が第二次大戦後世界最悪の10万パーセント」「経済が完全に崩壊している」などと報道されているのを見たときは、はたして本当に旅行できるのか少し不安に思った。

ビクトリアフォールズは有名観光地なのでそれほど問題はなさそうな感じだったが、しかしビクトリアフォールズをはじめ「ツーリストパラダイス」と言われるほど豊富な観光資源があり、さらにかつては「アフリカの穀物庫」と呼ばれるほど肥沃な国土を持ちながらこんな状況に陥るというのも、なんだかひどい話だと思う。やはり原因は現ムガベ政権の失政によるところが大きいらしいが、27年も政権を維持していたら当然腐敗も起きるだろう。

ビクトリアフォールズはジンバブエとザンビアの国境にあるので、飛行機はジンバブエをほぼ縦断することになる。広大なサバンナの上空を約2時間飛行し、午後1時半にビクトリアフォールズ空港に到着した。下の写真は着陸直前の飛行機からの眺め。

このヨハネスブルグ~ビクトリアフォールズ間は滝観光に訪れる旅行者の大半が利用するドル箱路線だと思うが、それにしては3列+3列というわりと小型の飛行機だった。実は旅行前にこの区間の航空券がなかなか取れず、旅行を実行できるかかなり悩んだのだが、この大きさなら仕方ないという気もする。

ビザ料金の30ドルを払ってシングルエントリービザを入手し、ジンバブエに入国した。何だかブラックアフリカの奥深くに進んできたという感じがするが、それでも入国審査の列には日本人ツアー客が30人ほど並んでいて、やはり日本人旅行者はどこにでもいるものだと実感した。

下の写真はターミナルの出口でやっていた民族舞踊。

南アフリカは春先のような快適な気候だったが、ここはちょっと暑く、歩いていると汗ばむくらい。

ここからタクシーで町の中心部にあるホテルへ向かう。空港を出ると、乾燥した大地にまばらに樹木が生えたサバンナの中を未舗装の道路が一直線に続いている。地平線までまっすぐな道を走りながら運転手と少し話をしたところ、やはり日本人観光客はかなり多いということだった。運転手は「こんな遠い国まで大勢やってくるのだから本当にリッチカントリーだ」と言っていたが、まあたしかにその通りだと思う。タクシー(日産の中古車)の車内にはあちこちに日本語が残っていて、いくつか意味を説明したらちょっと喜んでいた。

空港から約20キロ、20分ほどで町の中心部に到着した。この町の名前も「ビクトリアフォールズ」になる。予約していたホテル “THE KINGDOM” は、さすがに5ツ星だけあって今までの旅行で泊まったどのホテルよりも豪華だった。

チェックインを行っているときに飲み物を持ってきてくれるようなホテルには初めて泊まった。さすが5ツ星。

下の写真が泊まった部屋で、内装、設備とも申し分なし。コーヒーメーカーや氷水も部屋に準備してある。この設備なら日本では最低でも数万円はするだろうから、1泊18,900円というのはむしろお得かもしれない。

部屋からの眺め。池とプールが見える。

コーヒーを飲んで少し休憩し、早速滝へ行くことにした。


ホテルから滝までは1キロほど。ホテルを出て舗装された通り(物資を積んだトラックが頻繁に行きかっている)を滝の方向へ少し歩くと、林の中を抜ける細い道との分岐が現れたのでそちらへ進むことにする。地元の人たちも多く歩いていて、のどかな雰囲気。

ちょうどビクトリアフォールズ公園の入口のあたりで元の道に合流した。付近にたむろしている土産物売りに何度も声をかけられたが、早く滝を見たいのでまっすぐに公園を目指す。下の写真がビクトリアフォールズ公園の入口。

料金の20ドルを払ってチケットを買い、中に入る。このあたりで、すでに遠くから滝の音が響いてきている。

入口からしばらくは森の中を歩き、やがて木の間から遠くに滝が見えてくる。

ビクトリアフォールズだ!!!

まだ遠望だが、それでも迫力を感じる。私はまだナイアガラも見たことがないので、こんな巨大な滝を見るのは初めて。

ここはナイアガラやイグアスとは違い、直線状の滝が約1.7キロにわたって続くという地形になっている。川幅が約2キロのザンベジ川が突然、幅150メートル、深さ100メートルの巨大な溝に落ち込んでいるところを想像してもらえばいいと思う。滝の下流は、上流の穏やかな流れとは一変して深い峡谷の中を急流が流れていく。

ビクトリアフォールズは水が多い時期と少ない時期で雰囲気が変わり、多い時期は「ものすごい水飛沫で全体が見通せないが、すごい迫力」、少ない時期は「迫力は劣るが全体が見通せる。ザンビア側では崖の縁まで行くことができる」という特徴がある。今は水が少ない時期なのである程度岩肌が見えているが、多い時期には一直線に続いている崖がすべて滝になるという。

迫力が劣るといっても、ナイアガラも見たことがない私にとっては十分感動的な景色といえる。本当に、よくこんな遠いところまで来たものだ。

下へ降りていく階段があったので、降りていったら展望所があった。ここでは風向きによってわりと水飛沫も飛んでくるので、タイミングを見てカメラを出さないといけない。

この水飛沫は崖の一番端にある滝から飛んでくるもの。

まずは、この滝の上流へ歩いてみることにする。滝の上流部は流れが穏やかなことがわかる。

このあたりに立っていたリビングストン像。もちろん、あえて説明するまでもない有名な探険家。かつては「発見者」だったが、現在は「ヨーロッパ人で初めてビクトリアフォールズを見た人」になっている。

リビングストンが「発見者」なら、日本も豊後国に漂着したポルトガル人によって「発見」されたことになるので、これは当然だろう。

南側(滝の対岸)の崖に沿って続いている遊歩道を、滝の中心部に向かって東へ進む。滝の前は本当に「巨大な溝」という地形になっている。今は水が少ない時期なので岩肌が見えているが、それでもところどころに迫力のある滝が現れる。

次第に巨大な滝が近づいてくる。このあたりまで来ると滝の轟音もかなりのもの。

メインの滝の前に立つと、轟音が響いてくるが水飛沫はそれほどでもなく、あまりカメラを心配する必要もない。水が多い時期には水煙が200メートル近くも立ち上り、この公園内は大雨が降っているような状況になるというから、その時期を知っている人から見ればたいしたことはないのだろう。しかし私から見ればかなりの迫力を感じる。

すごいねえ。しかし、私もいつかはナイアガラの滝を見ることになると思うが、そのときに感動しなくなっているのではないかと心配になる(ナイアガラの落差は最大50メートルほどなので、ビクトリアの約半分)。

やはり、水が多い時期のビクトリアと、あとイグアスを見る前に何とかしてナイアガラを見に行かないといけない。もっとも、世界三大瀑布の中で一番簡単に見に行けるのがナイアガラという気もするが。

さらに先へ進む。

おそらく滝を一番近くで見ることのできる場所。本当にすごい迫力で、気がついたらここで10分以上も眺め続けていた。

さらに先へ進むと、水が少ない時期なのでこのあたりは「白糸の滝」のような感じになっている。これはこれでいい雰囲気。

遊歩道には特に柵も作られていないので、崖の縁まで行くことができる。こういう場所へ来ると下を見下ろした写真を撮りたくなる。

写真ではあまり迫力は伝わらないかもしれないが、足の先に見える川はおよそ100メートル下を流れている。落ちたら間違いなく即死。

下の写真がビクトリアフォールズの全景。崖のすべてが滝になる時期は、本当にすごい迫力なのだろう。

ジンバブエ側に作られているビクトリアフォールズ公園の端まで行くと、国境になっているビクトリアフォールズ橋が見える。この橋の向こう側は隣国のザンビアになる。

この橋は一部の人たちの間では「バンジージャンプができる橋」として有名になっている。普段から「高い所はそれほど怖くない」と言っている私としては、やはり体験しないといけない。翌々日の朝にバンジージャンプをやってきたので、それについては別のページに載せることにする。

遊歩道はここまで。来た道を引き返して出口へ向かう途中、日本人ツアー客の一行とすれ違った。本当に日本人ツアー客は世界中のあらゆる観光地にいるようだ。

滝を眺めながらゆっくりと公園出口へ戻り、売店でジュースを飲んで少し休憩してから午後5時に公園を出た。入ったのが2時半だからいつの間にか2時間半も経っていたわけが、なんだかあっという間だった。今度は水が多い時期に再訪したいと思う。

公園入口の近くにジンバブエ側の出入国管理所がある。建物の前まで行ってみたところ、大型トラックが何台も停まっていてザンビアとの重要な交易ルートになっているような感じだった。両国間を行き来している人も、かなり多いように思える。翌日はここを通ってザンビアに入国し、ザンビア側のビクトリアフォールズ公園を歩くことにしている。


ホテルに戻って少し部屋で休憩し、暗くなる前に街中を散策することにした。世界有数の観光地だというのに、ビクトリアフォールズの町自体はかなりこじんまりとした感じだった。最初はちょっと緊張して歩いていたが、特に危険そうな感じはしない。

散策の途中、銀行のATMがあったのでクレジットカードでジンバブエドルを引き出してみることにした。ジンバブエでは公定レートと闇レートでは10倍以上もの差があり、公定レートでの決済になってしまうATMでのキャッシングなど愚の骨頂だそうだが、まあ試しにごく小額を入手することにした。

なお、ビザ料金、空港からのタクシー料金、ビクトリアフォールズ公園の入場料金とも米ドルでの支払いで、この国では米ドルが普通に通用するため短期滞在であれば現地通貨を入手する必要性はほとんど感じない。

ATMには黒人の若者が10人近く並んでいて、みんな3回くらい続けて現金を引き出しているためになかなか列が進まない。急激なインフレのため1回の引き出し限度額では足りなくなっているらしく、数回の引き出しを終えてATMを離れるときにはみんな100万円の札束くらいの分厚い紙幣を抱えていた。

ようやく自分の番が来て、ここでは控えめに30万ジンバブエドルを引き出してみた。帰国後にクレジット会社から送られてきた明細書から計算すると、このときの公定レートでは1ジンバブエドルは0.00392円だった。

下の写真がこのときに入手した10万ジンバブエドル札。公定レートで392円、実勢レートではおそらくその10分の1以下と思われる。記念にと思って1枚だけ使用せずに持ち帰ったもので、よく見ると “BEARER CHEQUE” と書かれている。つまり正確には紙幣ではなく使用期限付きの小切手で、しかも “31th July 2007” と書かれているためこの旅行当時でもすでに使用期限が切れていたわけだが、しかし特に問題なく使うことができた。

このときは1ヶ月ほど前に流通が始まったという20万ジンバブエドル札についてのポスターが貼ってあった。この旅行の後もインフレはすごい勢いで進み、2008年1月(この旅行の4ヵ月後)に1,000万ドル札、4月に5,000万ドル札、5月に1億ドル札が発行され、7月にはとうとう1,000億ドル札が発行されている。

その後、2015年に通貨としての廃止が決定され、今はジンバブエでは米ドルが通貨として流通している。このため、現在はインフレは収まって落ち着いているらしい。ときどきヤフオクやメルカリなどに100兆ジンバブエドル紙幣が記念品として出品されているので、興味があれば探してみてほしい。

散策中、ケープタウンで出会った女性旅行者から聞いていたセブンイレブンを街の中心部で見つけた。

壁にはたしかに “7 eleven” と書かれているが、しかしずいぶん奇妙な感じがする。まさかあのセブンイレブンのチェーン店ではないと思うのだが…

まあ、普通に考えて勝手にセブンイレブンを名乗っているだけなんだろう。

店内に入ってみたところ、やはりハイパーインフレの国だけあって品揃えはかなり少なく、空いている棚が目立っていた。売られていたのは野菜や果物、ジュース類、菓子などで、値段を見てみたらリンゴ1個が10万ジンバブエドル、250ml 程度の紙パックのジュースが20~30万ジンバブエドルほど。

せっかくなのでリンゴを買ってみたが、リンゴ1個を約400円で買うという爆笑ものの大ボッタクリにあってしまった。これからジンバブエを訪れる人は、旅行の記念に数枚だけ引き出すのは構わないが、決してATMから多額の現金を引き出したりしないように。両替はちゃんと闇両替商でやりましょう。

ビクトリアフォールズには鉄道駅がある。1日1便、ジンバブエ国内のブラワヨという町への列車があるそうで、もっと旅行日数が長ければここからブラワヨを経由して首都のハラレまで行きたいものだが10日間ではとても無理。

午後6時半、次第に薄暗くなってきたため、これで散策を終えてホテルへ戻ることにした。特に危険そうな感じはしないといっても、さすがに暗くなってからも外を歩く気はしない。

この後、ホテル内のレストランで夕食を取り(かなり高いが仕方がない)部屋に戻った。