ヨルダン旅行記(マダバ、ネボ山、バプティズム・サイト)

朝7時前に起床。朝食の際、レセプションで死海ツアーの参加者について確認したところ、私を含めて3人の参加者が現れたということだった。無事に実行できることになり一安心。

朝8時、運転手がやってきてツアーに出発した。ツアー料金は18ディナール。参加者は私の他にアメリカ人男性とインドネシア人男性で、いずれも一人旅の途中ということだった。

マダバ

ホテルの近くからトヨタのセダンに乗り、まずはマダバに向かう。車内はエアコンも効いて実に快適。

アンマンから50分ほどで最初の目的地のマダバに到着した。マダバはアンマンから35キロほど南西にある町で、イスラム教徒が多数を占めるヨルダンで例外的にキリスト教徒が多く、街中にはキリスト教の教会も多い。ローマ帝国時代のモザイクが多く発掘されていることから「モザイクの町」と言われていて、ヨルダンの有名観光地になっている。

大通りに車を停め、ここから歩いてマダバの中心部へ向かう。まずはマダバで一番有名な聖ジョージ教会に入ってみた。

ここはギリシャ正教の教会で、床に大きなモザイクがある。1ディナールを払って中に入ると、ロウソクがたくさん灯してあってなかなかいい雰囲気になっている。

そしてこれが床のモザイク。6世紀後半に制作された世界最古のパレスチナ地図だそうで、船が浮かんでいるのが死海、そこから左に伸びているのがヨルダン川になる。その下にある楕円形の部分がエルサレム。

モザイク自体はかなり大きいので全体を写真に取ることはできないが、端のほうにはシナイ半島やナイル川のデルタ地帯も作られている。

それにしても、モザイクというのは近くで見ると不ぞろいな石を適当に埋め込んであるだけのようだが、全体で見ると見事な造形になっているのだから不思議なもの。

聖ジョージ教会を出て、続いて近くにある殉職者教会、処女教会などを回ってみた。殉職者教会は無料だが、処女教会は入るのに3ディナールが必要だった。

これらの教会でも大きなモザイクを見ることができる。

町の南のほうへ歩くと12使徒教会があるが、時間がなくなってきたのでこれで車へ戻ることにした。マダバの町はいたるところに土産物店があり、典型的な観光地になっている。

ツアー参加者の2人と話しながら歩いたが、インドネシア人男性は英語が極めて堪能で、アメリカ人男性と不自由なく話すことができている。なんともうらやましい限り。

このインドネシア人男性はドバイで働いている技術者だそうで、休暇を利用して中東を旅行しているということだった。ヨルダンの後はイランへ行くそうで、これもうらやましいもの。なお、この人とはヨルダン滞在最終日にアンマンで再会することになる。

下の写真はマダバの街中にあった看板。

この看板はヨルダンのあちこちで見かけたので、おそらくこの当時ヨルダンで最も有名な日本人ではなかったかと思う。私はこういうことには詳しくないので、この人が誰だかわからない。わかる人がいたら教えて欲しい。

ネボ山

次の目的地は「ネボ山」。旅行前にガイドブックを読むまで知らなかったが、ここが預言者モーゼ終焉の地だそう。エジプトを出たモーゼ一行がシナイ山で十戒を授かった後、このネボ山で民衆をパレスチナに向かわせ、モーゼ自身はネボ山に残ったという。つまり、ここがあの有名な「あれが約束の地だ」という言葉が発せられた場所ということになる。

頂上には教会が建てられていて、1ディナールを払って敷地内に入る。最初に見えるのがこの石像で、これは2000年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪れたときの記念碑だそうである。

教会内部には大きなモザイクもあるが、マダバで同様のものをたくさん見た後なので、この写真は省略。私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもないので、モーゼ終焉の地といっても特に大きな感慨があるわけではない。むしろ、ここでは荒涼とした景色のほうを楽しむことができた。

死海方面の遠望。砂漠の先にかすかに死海が見える。

30分ほど滞在し、次の目的地のバプティズム・サイトに向かって出発した。

バプティズム・サイト

砂漠の中を蛇行しながら続く道を下り、平地に出ると死海方面ではなく反対の北側へ向かって走り出した。次の目的地はイスラエルとの国境に近い「バプティズム・サイト」になる。私はキリスト教には詳しくはないが、かつて洗礼者ヨハネが活動し、キリストもここで洗礼を受けたとされる場所だそうで、キリスト教徒にとっては重要な聖地らしい。

やがて砂漠の中にぽつんとある建物の前に到着した。ここでチケット(7ディナール)を買い、ここからはトラックを改造したシャトルバスで先へ進むことになる。20人ほどの欧米人旅行者とともに乗り込み出発した。

再び砂漠の中を進み、5分ほどで入口に到着した。なお、やはり国境地帯ということでシャトルバスからはところどころに鉄塔や塹壕らしいものを見ることができた。

ここから他の旅行者とともにぞろぞろと歩いていくと、小さな展望所があった。下の写真が展望所からの眺め。

小さな川が蛇行しているのが見えるが、これがニュース等でときどき耳にする「ヨルダン川」。つまり、この川の対岸はイスラエルが実効支配しているパレスチナ自治区の「ヨルダン川西岸地区」になる。他の場所ではイスラエルとの国境にこれほど近づくことはできないが、ここだけは観光地として整備されている。

この川を実際に見たのはもちろん初めてだが、予想以上の小ささに驚かされた。この細い川が国境というのが、どうも実感できない。

さらに歩くと、こういう場所が見えてくる。

この窪みがキリストが洗礼を受けたと信じられている場所。2000年前とはヨルダン川の流れが変わっているため、現在は発掘跡という感じの窪みだが、かつては川のほとりだったという。考古学の進展により明らかになったということだが、キリスト教徒ではない人間からすると「本当か?」という気持ちにもなる。

近くには教会もあるが、これは2003年に建てられたもので、現在のヨルダン川のすぐ近くにある。中に入ってみたところ、壁のイコンなどはカラフルだが全体的に質素という感じがした。

そして、キリスト教徒でもない私にとって洗礼場所よりもよほど興味深かったのがこの展望所。ヨルダン川のほとりに小さなテラスが作られている。

この細い川が国境で、ほんの数メートル先はイスラエルになる。すぐに渡れそうだが、両岸で銃を持った兵士が監視しているので下手なことはできない(写真撮影は自由)。

ここで対岸を眺めていると、人間以外の生き物は自由に通ることができるのに人間だけが制限されるというのが不思議に思えてくる。国境について思案するには最適な場所かもしれない。

さらに水面近くまで下りてみた。

せっかくなので、ここで川の水で手を洗ってきた。聖地だし、少しくらいは御利益でも得られるだろうか。

対岸を見るとイスラエルの国旗がはためいている。

しかしまあ、厄介な場所にある聖地だと思う。もっとも、それをいえばエルサレムをはじめとしてこのあたりは厄介な場所ばかりなのだが。

1時間半ほど周囲を散策し、シャトルバスで戻ることになった。たいした距離を歩き回ったわけではないが、気候が暑いので予想以上に疲れる。みんな待ちくたびれたようにシャトルバスに乗り込んでいた。

再びチケット売り場がある建物に戻り、次の目的地の死海に向けて出発した。