バングラデシュ旅行記(ダッカ)

いよいよバングラデシュ滞在最終日になった。この日の夜の飛行機で香港へ向かうことになる。今回は今まで経験した中でもかなりハードな旅行だったため、バングラデシュに入国したのがずいぶん前のような気がする。

最終日はダッカ市内のスポットをいくつか回ることにしていた。


せっかくいいホテルに泊まっているし、チェックアウトタイムも12時になっているので、ぎりぎりの11時半まで部屋に滞在した。はたして、今後シェラトンホテルに泊まることはあるだろうか。

チェックアウトし、夕方まで荷物を預かってもらうことにしてホテルを出た。まず行ってみることにしたのは「ラールバーグ・フォート」という場所。17世紀、ムガール帝国時代に建てられたという城で、外観だけでなく内装も見事なものらしい。

というわけで CNG でラールバーグ・フォートへ移動したのだが、着いてみると門が閉まっている。最初は昼休み中かと思ったが、チケット売り場にあった英語の説明書きを見ると休館日だった。この日は日曜日だが、イスラム圏のバングラデシュでは日曜は平日と思っていただけに、これは意外だった。

というわけで残念ながら中に入れないので、門のところから内部の写真を撮ってみた。

周囲を少し歩くと、敷地の柵に沿って細い通路があったので、そこからも内部を眺めてみた。かなり豪華な建物になっていることがわかる。

建物内の調度品もなかなかのものらしいので、今回は見ることができなかったのが残念。再びダッカへ来る機会があるかどうかはわからないが、その際は建物内を見てみたい。


ラールバーグ・フォートの前からリキシャに乗り、続いて次の目的地の「アシャン・モンディール」へ向かうことにした。かつての領主の館で、ピンク色の外観から「ピンク・パレス」とも呼ばれている豪邸だそうである。

ショドル・ガット(船着場)の近くなので、近くのリキシャに「ショドル・ガット」と言ったのだが、なかなかリキシャに乗れない。なぜかその方向へはあまり行きたくないらしく、声をかけても次々と乗車拒否されるのである。結局、10台目くらいのリキシャ引きがようやく承諾し、乗り込むことができた。

走り出してしばらくすると、リキシャ引きたちが嫌がっていた理由がなんとなくわかってきた。細い路地はいずれもリキシャで渋滞していて、なかなか先へ進まない。路地を抜けて川沿いのわりと大きな道路に出ると、遠くにショドル・ガットが見えるが、この道路もさらにリキシャで大渋滞になっている。この渋滞のため、リキシャ引きたちはショドル・ガット方面へ行くことを嫌がっていたものらしい。

なお、移動の途中、細い路地の中にチョト・カトラという門の遺跡があり、リキシャで下をくぐることができた。17世紀のものらしいが、特に保存などの対策はされていないようで、すっかり集落に埋もれてしまっている。

ショドル・ガットの手前でアシャン・モンディールが見えたので、ここでリキシャを下り、入口へ。ここは入場料が必要で、さらに荷物も預けないといけない。2タカ(安い!)でチケットを買い、別の窓口で荷物を渡して番号札を受け取ってから中に入った。

下の写真がアシャン・モンディールの外観で、ピンク・パレスという別名の通り宮殿のような建物になっている。

これが領主の館なのだから、かつての領主がどれだけ豪華な生活をしていたのかが想像できる。いつの時代も支配者というのは贅沢なことをやるものだ。

正面にある大きな階段を上がり、周囲を見渡してみた。建物は本当に立派なもので、建物内には展示室が作られている。内容は昔の調度品などで、予想通り豪華なものが多かった。

建物の2階からの眺め。リキシャで渋滞している通りの向こうに川があり、船が行き交っている。建物の前の広場にもゴミが散乱しているところはバングラデシュらしい。

ここはダッカ市民にとって憩いの場所になっているようで、裏手にある庭の周囲などは家族連れやカップルが大勢座っていた。ベンチはいっぱいなので、庭の縁石に座ってしばらく休憩。

さらに建物周辺を一回りし、荷物を受け取ってから外へ出ることにした。豪華な建物を見ることができたし、来た甲斐はあったと思う。


続いて、近くにあるショドル・ガットへ行ってみた。ダッカの船着場で、3日前の朝にロケットスティーマーで到着した場所になる。観光地というわけではないが、ダッカの混沌と活気を見ることができる場所として、数少ない外国人観光客には人気のスポットになっているということだった。

ここに入るには利用料が必要で、4タカでチケットを買い中に入った。

岸壁には無骨な感じの船が多数並んでいて、どの船にも派手に文字が書かれているところが面白い。また、どの船も骨材が入っている位置がはっきりわかるくらい外板がガタガタになっている。まさか最初からこの状態ではないだろうから、長年運航しているうちにこうなってしまったと思われる。この国では外国の中古船も多く運航しているという話だし、もしかしたら日本で使われていた船も混じっているかもしれない。

私は仕事でときどき船の図面を見たり造船所を訪れたりすることがあるので、この辺りの景色は興味深い。まるで素人がフリーハンドで作ったような歪み具合が、かえっていい味を出している。

ときどき船が発着し、大勢の人たちの乗降がある。喧騒ぶりを眺めていると面白いが、この国では「ゴミはその辺に捨てるもの」という認識があるので、岸壁の露店商や乗客がゴミをどんどん川に投げ捨てている。生ゴミや段ボールなど自然に分解するものならともかく、ビニールや発泡スチロールまで次々と捨てている光景は、日本人としてはなんだか痛ましく感じるもの。おかげで川の水は異常に汚い。

このような大型船用の岸壁の周りは、小型の舟がひしめいている。これらの多くは対岸への渡し舟で、多くの地元民を乗せて頻繁に行き来している。この小舟を借り切って周遊することもできるそうで、実際に何人かの船頭に声を掛けられたが(左下の写真でこちらを見ている船頭もその1人)、相当に料金を吹っかけてくるらしいし、それに周囲の景色はショドル・ガットから眺めるだけで十分なのでやめておいた。

上の写真に麻袋をたくさん積んだ舟が写っているが、この方向から騒ぎ声が聞こえてきたので、見たら喧嘩が始まっていた。どういうトラブルがあったのか、麻袋を運んでいる人足同士が思い切り殴り合いをやっている。周囲の人が止めに入っていたが、バングラデシュにも血の気の多い人はいるようだ。

ショドル・ガットを端から端まで30分ほど散策し、外に出た。ここは人々の喧騒と混沌ぶりを見るだけでなく、環境問題について考えるにも適した場所かもしれない。


ショドル・ガットの周りにはオールド・ダッカ市街が広がっている。しばらく歩いてみたが、どこも人とリキシャの洪水で、注意して歩かないとリキシャに轢かれそうになる。

ショドル・ガットの近くに歩道橋がある交差点があり、ここが通りの喧騒を眺めることができる絶好のスポットになっている。通りを渡るのに歩道橋を使うような物好きはほとんどいないため、まったく人が通らず、周囲をゆっくりと眺めることができる。

下の写真が歩道橋の上からの眺め。

歩道橋の上から見た動画を載せておく。

もっとも、歩道橋を歩いて渡る人はいないものの、歩道橋の上には数人の物乞いが寝ているので、その人たちには必要以上に近づかないように注意しておくほうがいい。

オールド・ダッカには「ヒンドゥ・ストリート」と呼ばれる通りがある。この付近だけはヒンドゥ教徒が多く住んでいるそうで、インドのような雰囲気ということなのだが、私はまだインドには行ったことがないので比較はできない。もっとも、ネパールのカトマンドゥ市街の路地には似ているような気がする。

この後もオールド・ダッカ地区を散策し、夕方5時ごろ、ホテルへ戻ることにした。ここからシェラトンホテルまではかなり距離があるので、さすがにリキシャでそこまで移動してもらうわけにはいかない。そこで、いったんグリスタン・バスターミナルへ行き、そこを少し歩いてからホテルに戻ることにした。

しかしリキシャでグリスタンへ移動するときも大渋滞で、道路がバスや CNG やリキシャ、そしてなぜか馬車(!)もいたりして、大混雑していた。

グリスタンは、前々日に宿泊したホテル・ロムナの近く。喧騒の中を歩いていると、何やら大声で叫んでいる一団がやってきた。

みんな赤い旗を掲げていたので、何かのデモ隊だったらしい。おそらくは政治的な行動と思われたため、近くでカメラを出すことは控え、向こうへ行ってしまう時に写真を撮ってみた。バングラデシュではときどき野党による激しい反政府運動(ホッタールという)があり、このときは国中の交通が麻痺してしまうこともあるそうなので、あまり政治的な行動には関わらないほうがいいと思われる。

グリスタンから CNG でボシュンドラ・シティへ移動。目的は最上階のフードコートで、なんだかこの場所が気に入ってしまったようだ。やはり、食事はフードコートが一番楽。

ボシュンドラシティから、歩いてシェラトンホテルへ。預けていた荷物を受け取り、タクシーで空港へ向かうことにした。フロントでタクシーを手配してもらい、料金は12ドル。高いかもしれないが、最後はエアコン付きの車で快適に移動したかったので、ここではタクシーを利用した。

渋滞していた市街を抜け、40分で空港に到着。キャセイパシフィック航空のカウンターは開いているが、この時間はカトマンドゥ行きのチェックインが行われていて、香港行きはまだだったので空港内の店を見ながら時間をつぶすことにした。

やがて時間になったのでチェックインを行い、出国審査のほうへ向かうと、審査場入口でパスポートと搭乗券を確認している空港職員がいる。ここまではどの空港でも見られる光景だが、ここの職員がなぜか私のパスポートと搭乗券を見るとパスポートコントロールへ案内してくれる。ほとんど私の代わりに出国手続きを行い、さらにトランジットエリアに案内して椅子に座らせたところで「少しチップが欲しい」と言ってきた。こうなることは薄々感じていたが、しかし空港の職員がこういうことをやるというのは、なんだかがっかりする。「あなたのためにサービスをしたのだから」などと言ってくるが、こんなものは払う必要はない。拒否すると、少し文句を言っていたようだが、やがていなくなった。

この後、搭乗時間まで免税店などを見て回った。この日の朝、現金が1,500タカほど残っていて、はたして1日で使いきれるかどうか不安だったが、ここで菓子や籐製品などを買ってなんとか使い切った。約2,000円を使いきれるか不安に思うのだから、バングラデシュの物価がどれだけ安いかわかると思う。

ちなみに今回かかった費用だが、事前に支払っていた2泊分のホテル代(初日のバングラデシュ・トラベルホームズと最終日のシェラトンホテル)、米ドルで払った空港へのタクシー料金を除くと、後は100ドルを2回両替しただけだった。つまり、実質8日間の滞在中、かなりあちこちを移動したにも関わらず、他の宿泊費、交通費、食費、観光地の入場料、土産物などが200ドルで賄えたことになる(そのうち、ロケットスティーマー関連の費用が約4,000円)。おかげで、旅行中は「なかなか金が減らない」と感じることが多かった。

日付が変わった深夜2時、ダッカを出発し、乗り継ぎ地の香港に向かった。今回のバングラデシュ旅行は、今までの海外の中で、旅行自体のハードさ、物価の安さ、街中の汚さでは一番だった。もっとも、ボッタクリにはほとんど遭わなかったし、意外と治安もいいので、バングラデシュの人たちは善人が多いという印象は感じた。

これだけ世界中で見かける日本人旅行者も、この国ではまったくと言っていいほど見なかったし、「バングラデシュを旅行してきた」と言うだけで希少価値が上がると思う。当サイトを見て、バングラデシュへ行ってみようと考える人が現れたら嬉しい。