ウズベキスタン旅行記(ムイナク)

船の墓場を後にして、いったんホテルに戻った。先ほどは気づかなかったが、ホテル内を歩いてみると2階はほとんど物置になっていて、客室として使える部屋は1階に2~3部屋しかない。ムイナクへ来る旅行者自体が減少していること、その数少ない旅行者もヌクスからの日帰りが多くなっていることなどから、このホテルもなんだか寂れているようである。このときも宿泊客は私1人しかいなかったし、この様子だと近いうちに廃業するかもしれない。(もっとも、主人たちは別に収入源があって、ホテルは副業なのかもしれないが)

部屋で少し休んだ後、ムイナクの街中へ出かけることにした。ちなみにウズベキスタンでは一般の市民が小遣い稼ぎに頻繁に客を乗せているため、町を走っている車のほとんどが白タクという状態になっている。そもそも、行灯があって車体に “TAXI” と表示された正規のタクシーは、首都タシケントではときどき見かけるが他の都市ではまったく見ない。とりあえず合図して停まった車がタクシーという感じで、このためなんだがヒッチハイクしているような気分になる。

ムイナクでも座席が埋まっていなければ乗せてくれる。メインストリートを走っている車はそう多くはないが、片っ端から合図しているとやがて乗ることができた。外国人でもぼられることはなく、ムイナクでは1回乗って500スム(約20円)だった。

なお中央アジアの共通語はロシア語なので、ガスティニーツァ(ホテル)、ヴァクザール(駅)、アフタヴァクザール(バスセンター)など、いくつかのロシア語を覚えておくと、こういうときに便利。

下の写真は白タクで移動中に撮ったもの。助手席に座っている人も乗客だった。

町の中心部にある博物館の前で降ろしてもらい、まずは博物館に入ってみた。この建物の1階の一部が博物館になっている。

それほど広い博物館ではないが、かつてのアラル海の写真など興味深いものがたくさん展示されている。先ほど船の墓場を見た後だけに、船団による漁業の様子や活気のある缶詰工場の写真などを見ていると、なんだか空しい気分になってくる。今はホテルが1軒しかないような寂れた町だが、かつては賑わっていた時代もあったのである。

かつて製造されていた缶詰も展示されていた。

展示品の中で特に哀愁を感じたのが、この絵。

他にも、かつてアラル海に生息していた魚の標本なども置かれている。アラル海の縮小により多くの水生生物が死滅したが、同時に湖畔に広がっていた森林地帯も消滅している。広い水面と森林地帯がなくなったことで周辺地域は気候の変動が激しくなり、また砂漠から巻き上げられる砂によって健康被害も起きているという。

本当に、なんとも無謀なことをやったものだと思う。旅行の後半、首都タシケントを旅行したときには大きな噴水がいくつもあって街中が緑にあふれていることに驚かされたが、その犠牲になったのがムイナクなどのウズベキスタン西部ということになる。このため、タシケントを旅行しているときは「こんなに大量に水を使うからアラル海がなくなるんだよ」という気持になることも多かった。

この博物館は入場料は決まっておらず、寄付金として好きな額を納めることになっている。ここでは10,000スム(約400円)を置き、係員の女性に「スパシーバ」と挨拶して外に出た。

博物館がある建物から道路を挟んで向かい側には、かつての漁船が保存されている。かつて漁業で栄えていたころに置かれたのか、アラル海が遠ざかってしまった後に昔をしのぶために置かれたのか、そのあたりはよく分からない。

アラル海の再生についてはいくつか計画はあるようだが、上流の灌漑に数百万人が依存している現状では川の水を元に戻すことは容易ではない。おそらく、湖はこのまま消えていくことになるのだろう。


ムイナクの街中の様子。かつてはアラル海に面した保養地としてモスクワから定期便があるほど栄えていたそうだが、今は寂れていてメインストリートも閑散としている。最盛期の人口は1万人ほどだったそうだが、現在町に残っているのは2,000人ほど。車もときどきしか通らない。

メインストリートにはところどころにこういう店がある。窓もカーテンに覆われているし、外からは中がよく見えないので、最初は店ということに気づかなかった。

予想できる通り、店内は薄暗い。売られているのは食料品や雑貨で、品物はすべてカウンターの奥に置かれているため店の女性に品物を伝えて取ってもらう必要がある。品揃え自体はかなり少なく、ここでは買いたい物は水しかなかった。もっとも、冷蔵庫はないのでどの飲み物も冷えていない。

メインストリートを歩いていると墓地があったので、中に入ってみた。

どの墓にも故人の写真が飾ってあるところが面白い。ここで興味深いのは2本の水平の棒の下に斜めの棒がある十字架。実は旅行当時はこれが何なのか知らなかったのだが、帰国後に調べたところロシア正教会で用いられる 八端十字架 というものだった。ウズベキスタンはイスラム教徒が多い国だが、ここはロシア正教会の墓地だったらしい。

この後、バスセンター付近を散策し、地元の人の車に乗ってホテルに戻った。本当に、この国ではヒッチハイクを繰り返しているような気分になる。


少し休憩し、夕方6時に再び外出して散策してみた。今回は博物館やバスセンター方面とは反対の、さらに町の外れのほうへ歩いてみた。昼間は暑かったが、この時間になると涼しく、家の外で涼んでいる人たちも多く見かける。

ホテルから5分ほど歩いたところに、ゲートが半分開いた門が見えた。ここが、かつてアラル海で獲れた魚を加工していた缶詰工場の跡地になる。旅行前にインターネットでムイナクのことを調べているときに、この缶詰工場の建物が今も残されていて、さらに敷地内を探索した人もいることが分かった。そこで、今回の滞在では缶詰工場の廃墟を見ることも目的としていた。事前には大まかな場所しか分かっていなかったが、すぐに見つけることができてほっとした。

門は開いているが、中に入るときは少し緊張する。本当に入っていいものかどうか、厳密には不法侵入になるのではないかと心配していたためだが、後に敷地内を散策している地元の人たちも何人か見かけたので入ることは特に問題ないようだった。

中に入ると、かつての賑わいを感じさせる絵が掲げられている。今となっては隔世の感。

この缶詰工場が閉鎖されたのは1990年代なので、この旅行当時で20年近くが経過している。廃墟化が進行している建物がほとんどだが、一方で窓ガラスなどがしっかりと残っている建物もいくつかある。さすがにムイナクの基幹産業だった場所だけあって敷地はかなり広く、さまざまな建物を見ながら散策すると面白い。

中庭のようなところに、こういう石像があった。おそらく、かつては噴水になっていたと思われる。操業当時は憩いの場所として賑わっていたと思われるだけに、なんだか哀れに思える。

建物内の様子。一部の建物は扉がなくなっていて中に入ることができた。左側の写真などは、廃墟マニアにはたまらない感じかもしれない。

中に入ることのできる建物は上の写真のような感じだが、扉がしっかりと残っていて中に入れない建物については機械類もまだ残っているようだった。窓ガラスの割れ目からカメラを差し込んで写真を撮ってみた。

この工場はアラル海での漁業が不可能になった後も他から魚を取り寄せることで操業を続けていたそうだが、やはりそれではやっていけなくなり、結局は閉鎖された。これにより大勢の労働者が職を失ったとされる。閑散とした雰囲気がなんだか空しく感じられる場所だった。環境破壊に関心がある人だけでなく、廃墟が好きな人も一度訪れてみてはどうだろうか。

工場跡を出て、さらに先へ歩いてみた。かなり町外れになり、建物も少なくなってくる。

アラル海が消えたことで環境が激変し、現在はこれといって産業のない町だが、それでもここに残っている人も多い。かつての湖底から巻き上げられる砂嵐で健康被害もあるというのに、町を離れないのはやはり愛着があるからなのだろう。

やがて薄暗くなってきたので、これで散策を終えてホテルに戻ることにした。


夜8時、ホテルのスタッフが夕食の準備ができたことを知らせてくれた。メニューは野菜とジャガイモの煮込み料理とライ麦パンなど。結構ボリュームがあり、味も悪くはなかった。

シャワーがないので日本から持参したウェットタオルで体を拭くだけになるが、昼間は暑かったものの気候が乾燥しているため意外と不快ではなかった。(といっても、ここに2泊したいとは思わないが)

早朝からの移動と、さらに町を1日中歩いて疲れたので、夜10時に就寝。しかし長い1日だった。