アルメニア旅行記(アマラス)

この日はアグダム遠望とガンザサール修道院の訪問を終えたらステパナケルトへ戻る予定だったのだが、ノープロブレム親父の息子が「アマラスという村へ行かないか」と強く誘ってきたので、応じることにした。

後でわかったのだが、アマラスで息子の知人たちのパーティが行われていて、それに外国人を連れて参加したかったらしい。こちらもちょっと貴重な体験をすることになり、かなり楽しかった。


(2024年1月追記)
2023年に起きたアゼルバイジャンとの軍事衝突の結果、アルメニア系勢力が事実上敗北したことによりナゴルノ・カラバフ共和国は2024年1月1日で消滅しました。現在はアゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ地域を完全に奪還しています。
このため、このとき会った人たちはアルメニア本国へ脱出しているものと思われます。安否を確認する手段はありませんが、どこかで無事に暮らしていてほしいと願っています。

「我らの山」像を出発し、車は再びステパナケルトを離れて郊外へ。車窓には緑に覆われた丘陵風景が続く。

前日に訪れたシューシの町を望む場所で停車し、車を下りて写真を撮った。あの高台の上にあるのがシューシの町で、ここから見ると崖に囲まれているのがはっきりわかる。まるで天然の要塞のような感じで、ナゴルノ・カラバフ紛争のときにアゼルバイジャン側の拠点になった理由がわかる。

前日は濃霧だったため実感できなかったが、実際はあの崖の上から見下ろしていたことになる。天気が良かったら、よほどきれいな景色が眺められたのだろう。ここから見ると、前日が雨だったのが残念。

しばらく写真を撮った後、車に乗り込んで出発。車窓には風光明媚な眺めが続く。

目的のアマラスという村の位置がわからないので、あとどのくらい時間がかかるのかが予測できないが、景色を眺めていると飽きない。結局、ステパナケルトからは意外と距離があり、約40分でアマラスに到着した。

車を下りたのは村の中ではなく修道院みたいな建物の前。ここが歴史的な建物であることを示すプレートがあり、アマラス修道院と書かれている。

この日の夜、ステパナケルトへ戻ってから地図で確認したところ、ここはアゼルバイジャンまで約10キロという地点だった。ナゴルノ・カラバフ共和国が実効支配している地域の端近くまで行っていたことになる。外務省の海外安全情報では間違いなくレベル4の退避勧告が出ていそうな地域で、そんなところまで自分が行っていたのが驚き。

もっとも、外務省の海外安全情報ではナゴルノ・カラバフ共和国全土にレベル3の「渡航中止勧告」が出ている。ステパナケルトやガンザサールなどは危険そうな雰囲気はないが、こういう未承認国に入る際はあくまで自己責任で。

参考までに旅行人ノートの地図を載せておく。

アマラス修道院は、中庭を石造りの回廊が囲むような構造になっている。中庭にはきれいな教会があり、この建物はわりと新しそう。

教会に入る前に、しばらく中庭を歩いてみた。回廊部分の保存状態は良好で、緑に覆われた眺めもきれい。ここは紛争のときはあまり影響は受けなかったのかもしれない。天気もいいし、歩いていると気分がいい。

続いて教会の中に入ってみた。歴史的な古さは感じないが、シンプルでいい感じの建物。

教会の一画に、地下へ下りる階段があった。ノープロブレム親父の息子が入っていったので、それに続いて自分も地下室に下りる。

階段を下りると小さな部屋があり、石棺が安置してあった。地上の教会とは違って、この地下室は古そうな感じがする。もしかしたら、この地下室自体は相当昔から存在していて、後世になってその上に教会を建てたのかもしれない。

しかし石棺に刻まれているアルメニア文字が読めないので、誰の石棺なのかがわからない。この文字が読める人がいたら教えてほしい。

地上に出て、再び中庭を散策。あちこちにきれいな花が咲いているし、バードウォッチングもできる。1990年代初めにこの地域で紛争があったとは思えないほど、のどかな雰囲気。

散策していると、羊を連れた男性の一団が入ってきた。この羊は、この修道院に到着したときに入口につながれていたのを見ている。ここでノープロブレム親父の息子から、この人たちは知人であること、この日は知人の誕生日会があって集まっていること、この羊は食材であることを聞かされた。ここでようやく、息子がアマラスへ行くことを強く誘ってきた理由がわかった。

男性たちは羊を連れて中庭の外へ出て行ったので、屠殺の場面は見ていない。しばらくしてから息子と一緒に外に出てみると、先ほどの羊が気に吊るされていた。

しかし日本では家畜を屠る場面など通常は見る機会はないから、ちょっとした衝撃だった。先ほどまでは生きていたわけで、何だか複雑な気分。

この後、男性たちが手際よく羊を解体していった。こういう光景も日本ではまず見る機会はないから、要領よく慣れた手さばきを感心しながら眺めていた。これはかなり貴重な体験。

解体後、足の部分だけが空中に残されていた。ちょっとシュールな風景。

内臓はこんな感じで地面に置かれていた。こちらもなかなか衝撃的な眺め。

後は肉と内臓を鍋に入れて煮込んでいく。ワイルドな感じから予想できる通り、味付けは塩だけというシンプルさ。豪快だねえ。

羊鍋の他、マッシュルームの串焼きも準備されていた。このマッシュルームは日本のスーパーで見かけるものよりもかなり大きく、味は絶品だった。

こちらが誕生日パーティの会場。周囲は本当にのどかな雰囲気で、天気もいいので絶好のパーティ日和。

料理が出来上がり、パーティ開始。この日が誕生日なのはゲオルグさん(推定50代)で、この年代になって盛大な誕生日パーティをやってもらうというのは日本だったら珍しいと思う。下の写真に写っている矢印の人物(私を肩を組んでいる)がゲオルグさんで、軍服を着た人は本物の軍人さん。こういうパーティに自分が参加しているというのが、何とも不思議な気分。

さすがにこの辺りまで来る外国人はほとんどいないらしく、パーティでは大歓迎を受けた。「何でも食え」と言われて羊鍋やマッシュルームやパンやトマトなどを腹いっぱい食べたり、「日本語で何かスピーチをやってくれ」と言われて挨拶したり、かなり楽しい時間を過ごすことができた。ちなみに羊鍋だが、内臓はちょっと癖がある部分もあったが、スペアリブは美味しかった。先ほどまで生きていた羊を食べるというのも、滅多にない体験だと思う。

私がパーティに参加していた時間は約1時間だが、羊の解体はその2時間半ほど前から始まっているので、この人たちとは結局3時間半ほど一緒にいたことになる。最後はゲオルグさんとハグをして、笑顔でお別れ。

海外旅行中に現地の人たちと仲良くなる機会はあるものの、ここまでがっつりとパーティに参加したのは初めて。本当に貴重な体験で、実に楽しかった。ちなみにここで撮った写真を人に見せる際は、冗談で「決して武装勢力に拘束された場面ではない」と言うとかなりウケる。

かなり仲良くなった後だったので名残惜しかったが、これでアマラスを出発することにした。ただし、すぐにステパナケルトに戻るのではなく、ノープロブレム親父の息子の友達の家に寄り、コーヒーを飲んで休憩。旅行中、こういう一般の家に立ち寄る機会も珍しい。

この友達の奥さんがなかなかの美人で、許可を得てから子供と一緒の写真を撮らせてもらった。

家からの眺めはこんな感じ。畑もあるし、こういうところで生活するのも楽しそう。

では、友達とその奥さんに挨拶し、子供に「大きくなったら日本を旅行してみてね」と話しかけてから、ステパナケルトに戻ることにした。

それにしても、「アマラス(Amaras)」で検索しても日本語のページがまったく見つからないので、ここへ行ったことのある日本人はほとんどいないと思われる。現地の人たちのパーティに参加したり、一般人の家に立ち寄らせてもらったり、今までの海外旅行の中でも極めて珍しい体験をすることができた。ここへ連れてきてくれたノープロブレム親父の息子には、本当に感謝している。もし機会があればまたアマラスに行ってみたいものだし、ここの親子やゲオルグさんにも再会してみたい。


アマラスを出発し、風光明媚な景色の中をステパナケルトへ戻る。ところどころで車を停めてもらい、風景の写真を撮ってみた。

それにしても、本当に美しい地域だと思う。アゼルバイジャンとしては、これだけ豊かな地域を失ったのだから取り戻したいと考えるのも当然かもしれない。

写真を撮っていると、ノープロブレム親父の息子が「Karabakh Good ?」と聞いてきたので「Yes, Beautiful !」と答えたらすごく喜んでくれた。アゼルバイジャン人に恨みはないが、旅行中はその国の人の味方になっておく方がいい。旅行者なんてそんなもの。

きれいな車窓風景を楽しみ、夕方6時半にステパナケルトに戻ってきた。安宿に戻る前に銀行の ATM に立ち寄って現金を入手しておき、安宿到着時にメーターを確認したら走行距離は268.8キロ(出発前にメーターの数値を確認しているので、不正はない)。1キロ当たり150ドラムなので、計算すると40,200ドラムになる。端数の200ドラムは値引きしてくれたので、今回のドライブでは40,000ドラムを払った。約1万円という値段になったが、しかし今までの旅行では経験したことのない楽しい思い出ができたので、1万円以上の価値は十分にあった。息子に長い運転の礼を言い、安宿に戻ってきていたノープロブレム親父に「楽しかった。ありがとう!」と伝えると、親父の方も嬉しそうにしていた。

こちらの人物がノープロブレム親父。安宿の電気は、昼のうちに直してくれていた。

いったん部屋に戻って休憩。翌日はナゴルノ・カラバフを出国してエレバンへ戻るので、この日の夜はステパナケルトの街中を散策することにしていた。続きは次のページで。