アルメニア旅行記(ステパナケルト)

アグダム~ガンザサール~アマラスという長距離のドライブを終えてステパナケルトに戻り、しばらく休憩してから街中を散策してみた。前日は大雨のため出歩けなかったので、夜のステパナケルトを歩くのは初めてになる。


午後7時に外出。安宿を出て少し歩くと中央バザールというエリアがあったが、この時間は開いていないようだった。

さらに歩いていくと、大通りの突き当たりに石像が立っていた。

この石像はステパン・シャウミン像。アルメニアの革命家だそうで、ステパナケルトという市名はこの人の名前から来ている。おそらく、アルメニア人にとって英雄みたいな人なんだろう。

しかしアルメニアの英雄の名前が付けられているあたりからも、ナゴルノ・カラバフが実質はアルメニアの傀儡国ということがわかる。

この近くに小さな遊園地があったので、入ってみることにした。

チケット売り場の壁には、お約束のキャラクターが描かれている。あと、回転ブランコの椅子が簡易なベンチみたいな作りに思えるのだが、安全性は大丈夫なんだろうか。一応はシートベルトもぶら下がってはいるが。

遊園地の奥に進むと、こちらにはちゃんとした遊具が並んでいた。

小規模な遊園地だが、色合いがカラフルなので寂しい感じはしない。まだ人は少ないが、暗くなったら客は増えるのかもしれない。

いったん遊園地を出て、歩いていくとサッカースタジアムが見えた。予想以上に立派なスタジアムに驚くが、この町にはプロサッカーチームがあるんだろうか。

階段を下りてスタジアムの中に入ってみたが、近くで見ると芝生はあまりきれいではなかった。まあ、時期的な問題かもしれない。

スタジアムの前には、ちょっと面白い手のオブジェがあった。これはいったい何だろう。

手のオブジェの前から、かなり立派な階段が続いている。ここを上がってみることにした。

この階段で面白いのは、両側に並んでいる人物像。頭の部分がランプシェードみたいになっているが、しかし街灯みたいに明かりがつくというわけでもなさそう。こういう姿を考えたデザイナーは独創的。

ときどきランプシェードが外れているものがあって、首がない姿にちょっとドキッとする。

階段を上がり、振り返るとこんな感じ。

階段を上がると、広場の周りに建物が並んでいた。旅行人ノートの地図を見ると、この広場は「2月20日広場(旧レーニン広場)」という名前だそうで、下の写真の建物は大統領府。

こちらの建物は共和国議会。しかし大統領府やら議会やら、重要そうな建物の前まで普通に近づけるのが驚き。セキュリティは大丈夫なんだろうか。

若干ライトアップされているので、暗くなってくると広場の周りの建物がきれいに見えるようになってきた。もっとライトアップしてもよさそうだが、まあ贅沢は言わないことにする。

ここから、先ほどの遊園地の方に戻ることにした。

夜の遊園地の風景。夜になってもそこまで賑わってはいなかったが、この日は平日の木曜日だし、週末になれば人は増えるのかもしれない。しかしカラフルなミニ列車が動いている風景などを見ていると楽しかった。

昼間にアマラスで十分に食べたので夕食はいらないかと思っていたのだが、この時間になると少し空腹を感じるようになる。といってもしっかりした夕食を食べるほどではないので、近くのファーストフード店に入ってハムチーズサンドとフライドポテトとカプチーノを注文した(2,000ドラム)。町歩きは予想以上にカロリーを消費するらしい。

食後、大通りを歩いて安宿方面へ戻る。今回、ステパナケルトを歩いた限りでは治安状態は良好で、特に危険そうな雰囲気を感じることはなかった。しかし、あまり暗い路地には入らない方がいいかもしれない。

夜9時、散策を終えて安宿に戻ると日本人男性1人が滞在していた。私と同様、バスで到着したとたんにノープロブレム親父に捕獲されてしまったそうで、この日の午後はシューシへ行ってきたという。明日はガンザサールへ行くのかと聞いたら、もうエレバンへ戻るということだった。2週間ほどでアゼルバイジャンとジョージアとアルメニアの3ヶ国を回っているそうで、それなら慌しい移動も納得。

私がここに2泊していることを伝えると「こんなところに2泊して、観光するところがあるんですか?」と聞かれたので、この日のアマラスでの出来事を話すと、かなり興味深そうに聞いてくれていた。かなり旅慣れた人みたいだったが、それでも地元民の誕生日パーティへの参加というのは珍しく思えるらしい。「やはり1ヶ国だけに滞在するのがよかったかもしれないですねえ」などとつぶやいていたが、確かにあまりに慌しい旅行ももったいないかもしれない。

せっかくなのでアゼルバイジャン滞在中の話を聞いてみたら、予想通りアルメニア罵倒のオンパレードだったという。アルメニア人もアゼルバイジャンの悪口は言うものの、その比ではなかったらしい。このあたりは紛争の勝者と敗者の違いか。

そろそろ休むことにして、日本人旅行者とは「お互い、いい旅を」と挨拶して部屋に戻った。この日はブレーカーが落ちることもなく、お湯のシャワーを浴びて夜0時に就寝。翌日はエレバンへ戻ることになる。