アルメニア旅行記(モスクワ~エレバン)

今回は飛行機の出発時間が早いので、前日のうちに福岡へ移動し、いつものホテル に宿泊した。このホテルの大浴場は本当に快適なので、福岡で宿泊する際はお勧め。

翌日、朝7時過ぎの飛行機で成田空港へ。ちょうど12時に、1999年のロシア~エストニア~ラトビア旅行以来になるアエロフロートでモスクワへ出発した。10時間半のフライトだが、今はアエロフロートでも各座席にモニターがあるので退屈しない。それから、客室乗務員の制服が派手な赤色なのが、なんだか斬新だった。


夕方4時半、モスクワのシェレメチェボ空港に到着した。この空港へ来たのは約16年ぶりで、大型ガラスが多用されているためトランジットエリア内はすっかり明るくなり、かつての「なんとなく薄暗い」という雰囲気は一掃されていた。

さらに驚いたのが、飛行機の写真を撮っても何も言われなかったこと。旧ソ連地域といえば、かつては空港での写真撮影など厳禁というのが常識だった。旧東側諸国もすっかり変わったものだ。

トランジットエリアにはイギリス資本の COSTA COFFEE もあるし、もはや完全に欧米の空港という雰囲気。別に悪いことではないのだが、1999年当時はまだ少し残っていた旧ソ連という雰囲気が消えてしまったのは少し寂しい気もする。

COSTA COFFEE ではなく COFFEE MANIA というカフェ(これはロシアのカフェらしい)で軽食にしたが、支払いに使えるのはルーブルのみ。クロワッサンとカフェラテを注文し、クレジットカードで支払った。帰国後にカードの明細を確認すると、このときの値段は約1,500円。モスクワは物価が高いということは分かっていたので驚かなかったが、知らなかったらぼったくられたと思ったかもしれない。

予定ではエレバン行きは夜9時半発だったが、よりによってこの便だけが遅延になった。1時間半遅れの夜11時、モスクワを出発してアルメニアへ。


到着も1時間半遅れ、深夜2時50分にエレバンのズヴァルトノッツ空港に到着した。まずはビザを取得しないといけないので、入国前に100ドルを両替した。受け取った金額は47,500ドラムで、4分の1にするとちょうど日本円になるという感じ。計算が楽なので助かる。

3,000ドラムでビザを取得し、問題なく入国審査を通り抜けてアルメニアに入国した。日本人にとってかなりマイナーな国に入国したことに対して、自分でも少し感動する。

これから予約していたホテルに向かうわけだが、深夜なのでバスはない。選択肢はタクシーしかなく、ターミナルで声をかけてきたスタッフについていったが、これが失敗だった。これを読んでいる人も予想がついていると思うが、これはぼったくりタクシーだった。

あえて言い訳をすると、旅行前にネット上のアルメニア旅行記を読んでいると「アルメニア人はとにかく気味が悪いほど人がいい」という情報が次々と出てきたので、ちょっと安心していたためというのもある。ただ、深夜の空港といえば悪い人間の巣窟になっていることは常識なので、例えアルメニアであっても注意しておくべきだった。

空港から市街までの料金は5,000ドラム(協定料金)というのは調べていたので、その値段を伝えていたのだが、相手の返事をよく聞いていなかった。

(失敗1)タクシー料金については、言いっぱなしではなくちゃんと返事を確認すべき。

「自分はタクシースタンドのスタッフだ」という男性についていくと、ターミナル前の通りでタクシーを呼び止め、荷物をトランクに載せてくれた。そして、この男も助手席に乗ってきた。

(失敗2)タクシー運転手以外の人間が乗ってきたときは、確実にぼったくりと思え。

空港を離れ、エレバン市街へ。ここで運転手が「アルメニアへは旅行で来たのか?」と聞いてきたので、正直にツーリストと答えておいた。

(失敗3)自分を旅行者と言ってはいけない。嘘でも仕事で来たと伝えること。

移動中、片言の英語で「アルメニア語かロシア語は話せるか?」と聞いてきたので、当然話せないと答えておいた。

(失敗4)相手を安心させないために、話すことはできないが君たちが何を言っているかは聞き取れると言っておくべき。

後で考えると、よくまあこんな典型的なぼったくりに引っかかったものだが、やはり事前の「アルメニア人は人がいい」という情報に影響されてしまっていた。

予約しておいた “NUR HOTEL” は、市街中心部ではなく3キロほど北の方の郊外にある。空港が市街の南にあるので、中心部を通り過ぎてようやくホテルに着いた。

さて、5,000ドラムを払おうとすると、料金は40,000ドラム(1万円)だという。助手席に乗ってきた自分が20,000ドラム、運転手が20,000ドラムなどとふざけたことを言うので、とにかくホテルに入ろうとすると、前を塞いで絶対にホテルに近づけないようにしてくる。あまり刺激するのもいけないので、こちらも穏やかな態度で「何でだ?」と言いながらもみ合っていると、「では25,000ドラム」「20,000」「15,000」などとディスカウントしてきた。

こちらはあくまで5,000ドラムしか払うつもりはなかったのだが、途中で運転手も車から出てきた。ここで困ったのは、助手席に乗っていた男は割と小柄だったのでこちらも強気に行けたが、運転手はかなり強そうな大男。それに1対2になると、こちらは分が悪い。

ディスカウント価格が「これがファイナルだ。8,000ドラム」まで下がったところで、この運転手がかなりイライラしていて、こちらに向かってきそうな感じが伝わってきた。そこで、こちらも安全を考えて、この値段で妥協することにした。もちろん、あまりいいことではないのだが、「午前4時という時間帯」「市街中心部を通り抜けて、さらに3キロほど走っている」「高級ホテルに送迎を頼んだ場合は8,000ドラム程度にはなるらしい」ということで自分を納得させるしかない。

ぼったくられたといっても1,000円以下だし、日本人にとっては大した金額ではないのだが、こういうのはどうにも気分が悪い。ただ、この男たちも言い値でぼったくることができなかったのが癪だったらしく、「You are bad guy !」なんていう捨て台詞を残して荒々しく去っていった。

気分の悪い思いをしたが、気を取り直してチェックイン。フロントには若い男性がいて、部屋へ案内してくれた。予想以上に広い部屋で、滞在中はかなり快適だった。

この数時間後には起きないといけないので、シャワーは浴びずに4時半に就寝。


朝8時半に起床。パンとゆで卵と紅茶の朝食後、外を少し歩いてみた。夜は気付かなかったが、意外と規模の大きなホテルだった。

そして、遠くにアララト山がかすかに見えた。ただ、アップで写真を撮ってみたが、雲に覆われていてはっきりとは写らなかった。もっとも、アララト山については旅行中にきれいに見えたことが何度もあったので、その時に写真を載せることにする。

10時過ぎに外出。近くの大通りまで歩き、ここでマルシュルートカを待つことにした。この日の最初の目的地は「ツィツェルナカベルド公園」にある大虐殺博物館。アルメニアとトルコが犬猿の仲になる原因になった、1915年のアルメニア人大虐殺に関する博物館になる。

ただ、マルシュルートカはわりと頻繁にやってくるが、路線図を知らないので、何番の車に乗ればいいのかがわからない(このホテルは「旅行人ノート」に乗っている地図の範囲外)。

英語が通じそうな若い女性に「ツィツェルナカベルド」と言ってみたが、やはりカタカナの発音とはかなり違うのか、全く通じなかった。そこで、今度は40歳くらいの男性に英語表記とアルメニア語表記(英語では Tsitsernakaberd、アルメニア語 はここでは書けない)を見せたところ、今度は通じた。

その人も同じマルシュルートカに乗るということなので、ほぼ満員の車内に一緒に乗り込んだ。目的地は意外と近く、5分ほどで先ほどの男性が「あれがそう」と指差してくれたので、間違えずに下りることができた。

ただ、料金(市内は一律100ドラム)を払おうとすると、この男性が「君は払う必要はない。アルメニアを楽しんできてくれ」と言って受け取ろうとしなかった。運転手に何か話してからマルシュルートカは出発していったので、おそらく私の分も払ってくれたのだろうと思う。旅行中こんなことは滅多にないし、空港からのタクシー運転手とはあまりにも違う人間性に、なんだかすごく嬉しくなった。

アルメニア人に対する評価がV字回復を果たしたところで、目的地の大虐殺博物館へ。

ちょっとした丘の上に博物館があり、そこまで階段が続いている。その途中からの眺め。

上まで登ると町並みの向こうに雪に覆われた山々が見えた。ただ、方角が違うのでアララト山ではない。

アルメニア人虐殺 というのは、オスマン帝国がアルメニア人をシリア方面に強制移住させる際にその多くが死亡した事件のこと。こういう事件で双方の主張が違うのはよくあることで、アルメニアは組織的な虐殺(ジェノサイド)だったと主張しているのに対し、トルコは移動中の不幸な事故だったとして組織的な関与は認めていない。死者数にも大きな差はあるが、ただトルコも多くのアルメニア人が死んだことは否定していない。

ここで断っておくが、私は2002年にトルコを旅行したこともあるし、その時の体験からトルコは好きな国のひとつになっている。トルコの人たちには反感は全くないし、この問題については私はどちら側の立場にも立たない。

こちらが博物館の建物。

ただ、チケット売り場は閉まっている。中を覗き込んでみたが、休館日という雰囲気ではなく、内部の部屋がしばらく使われていないような感じがする。

建物を一周してみたが、他に入り口は見つからない。どうやら閉館しているようなので、丘の上からしばらく景色を眺めた後、残念だが大虐殺博物館は諦めることにした。(帰国後に調べたところ、改装中のためしばらく休館していたらしい。再びアルメニアを訪れることがあるかどうかはわからないが、機会があれば再訪してみたい)

階段を利用してランニングをしているグループ(地元の大学生か?)とすれ違いながら丘を下り、歩いて地下鉄駅方面へ。下の写真は途中の橋からの眺めで、エレバンが起伏の大きい町ということがわかる。

橋の上に等間隔に並んでいたのがこれ。あえて訳せば「私は忘れない、そして要求する」というところだが、その相手はもちろんトルコ。右側は、最初「1億9150万人?」と思ったが、よく見ると数字の色が違う。これは「1915年に150万人が犠牲になった」という意味らしい(この旅行が2015年なので、ちょうど100年前)。150万人というのは、アルメニアが主張している虐殺の死者数。

これらの文字は、アルメニア滞在中にあちこちで見かけた。気持はわからなくもないが、あまりにも反感を煽りすぎているような感じがして、次第に「もう100年前の出来事だし、現在のトルコ人は関係ないのだから、そこまで過去にこだわり続けるのもどうなんだろう」という気がしてきたのも事実。まあ、アルメニア人のトルコ(さらに民族的に近いアゼルバイジャンも)に対する嫌悪感は相当なものなので、難しい問題ではあるのだが。

15分ほど歩いて地下鉄のバレカムテューン駅近くに着いた。この辺りの建物は重厚な感じ。

ここから地下鉄に乗り、次の目的地のカスカードへ向かった。地下鉄の料金は距離に関係なく一律100ドラム。

なお、旧ソ連地域の地下鉄といえば異常に長くてスピードの速いエスカレーターと無駄に豪華な作りになっているホームが有名。この駅も、おそらく日本の2倍以上という猛スピードのエスカレーター(しかも先がよく見えないほど長い)と、期待通りに宮殿風のホームが楽しめたのだが、ここでは写真撮影は厳禁。改札口とホームで係員が見張っているので、残念だが隠し撮りは諦めた。見たい人は実際に訪れてもらうしかない。


マリシャル・バクラシャン駅で地下鉄を下り、歩いてカスカード方面へ向かう。市民の憩いの場になっているらしい公園を横を通り過ぎ、15分ほどで到着した。時刻はちょうど12時。

カスカードというのは「復興アルメニアの碑」という記念碑の前にある大きな階段状のモニュメントのこと。エレバン最大の観光地なので、旅行者のほぼ全員がこの場所を観光すると思う。

早速階段を上ろうと思ったが、その前に広場にあるオブジェ群が面白かったのでひと回りしてみた。特に太った女性などは意味がわからない。一方、男性兵士の方は股間までしっかりと作ってある。(アップで撮った写真を載せるのは気が引けるので省略)

では、美人ぞろいの観光客たちと一緒に、斜面に作られている階段を上がることにする。(実はこっそりアップで写真を撮る機会を伺っていたのだが、そのチャンスはなかった。残念)

途中にあった様々なオブジェ。水の中に顔が半分だけ沈んでいる人というのは意味がわからない。一体これは誰なんだろう。

このまま階段を上がっていってもいいが、実はカスカードには屋内にエスカレーターが作られている。ちょっと暑くなってきたので、ここからはエスカレーターで上がることにした。(決して、美人の観光客たちについていった訳ではありません)

エスカレーターが何台も連なっているので、上がるのは非常に楽。それに、各階にはこんな風に面白いオブジェが並んでいるので、見ていると楽しめる。

どういう芸術なのかは知らないが、アルミホイルで覆った自動車というのもなんだかよくわからない。

そして、最高に笑えたのがこれ。こいつは一体何者なんだろう。この間抜けな笑い顔が何とも。

最上階に上がり、屋外に出るとエレバン市街が一望できた。高台にあるので、眺めはなかなかいい。ちなみに、写真の一番右にある小高い丘が、先程まで歩いていたツィツェルナカベルド公園。

遠くにはアララト山も見えた。

ただ、空気が霞んでいるので、はっきりとは見えない。左側の富士山のような円錐形の山が小アララト山、右の裾野の広い山が大アララト山。なお、アララト山については、旅行終盤のステパナケルトからの帰りの車窓で非常にきれいに見えた。はっきりした写真はそのときのページに載せることにする。

日本人にとっての富士山と同じように、アルメニア人にとってアララト山は「心の故郷」と言われるほど思い入れのある山なのだが、現在はトルコ領。トルコとの国境からわずか30キロほどだというのに、アルメニアとトルコの国境が開いていないので、アルメニア人にとってアララト山へ行くのは簡単ではなく、ジョージア(旧グルジア)を経由しないといけない。アルメニアの人たちはどういう気持ちでアララト山を眺めているのだろう。(アルメニアは旧ソ連とトルコによって引かれた現在の国境を認めていない)

最上階からも、さらに通路が続いている。歩いていくと、復興アルメニアの碑にたどり着いた。

なお、この記念碑はかつて「ソビエト・アルメニア成立50周年記念碑」という名前だったそうだが、現在は改称されている。記念碑の中に入ることはできない。

記念碑の裏は小さな公園になっていて、こちらにも面白いオブジェがいくつかあった。朽ちた感じの象もいいが、興味深かったのはきれいに塗装されている船と銀色の船乗り。

アルメニアは今でこそ内陸国だが、かつては黒海からカスピ海までの広大な領土を持っていた。島国に住んでいると実感しにくいが、特に領土を失って内陸国になってしまったような国にとっては、外洋を航行する大型船というのは何だか複雑な気持ちにさせる存在なのかもしれない。(これは私の勝手な想像なので、違っていたらすみません)

これでカスカードを一通り見たので、階段を下りることにした。途中のオブジェとアララト山の眺めを楽しみながら広場まで下りて、ここで昼食にした。注文したのはチキンのグリルで、これにアイスコーヒーとアイスクリームを加えて料金は4,500ドラム。味はなかなかうまい。

次の目的地は、エレバン近郊にあるエチミアジン大聖堂。バスで30分ほどかかるが、今日しか行く時間がない。エチミアジン方面へのバスは市街の南にあるキリキア・バスターミナル(中央バスターミナル)から出ているので、そちらへ向かうことにした。