インド旅行記(マナリ~レー)

いよいよマナリからレーへ移動する日になった。この「マナリ・レー・ロード」は世界有数の過酷なルートと言われているそうで、途中で標高5,000メートルの峠を2回越えることになる。

ただ、世界有数の絶景ルートでもあるので、途中の景色は楽しみ。高山病予防グッズとして持参したリキッド・オキシゲンが役に立つことを願いながら、ラダック地方のレーへ向かうことになった。


午前0時半に起床。出発時刻が1時半なので、それに合わせて準備をしていると誰かがドアをノックしてくる。ドアを開けるとホテルのスタッフで、ミニバスが来たから早く乗れという。チケットを見せて「出発は1時半だ。まだ1時前だろうが」と言っても「いや、もうバスが来たんだから」といって応じない。「あと10分ほど待ってくれ」といって急いで準備したが、インドだから出発時刻が遅れる可能性は考えていたものの、まさか30分以上も早く来るとは完全に想定外だった。

荷物を持って外に出ると、ホテル前にミニバスが停まっていた。先客は若い夫婦らしい2人だけで、最初は顔立ちから見て日本人かと思ったが、そうではなくチベット系のラダック人たちだった。

午前1時に出発。途中であと2人ほど乗ってきたが、まだ車内が半分ほど空いている状態でマナリの町を離れた。ペットボトルの水にリキッド・オキシゲンを加えて高酸素水(笑)に変え、それを飲みながら乗っていたが、バスは容赦なく高度を上げていく。

眠ると呼吸が浅くなって高山病になりやすいらしいので、それに備えて夕方のうちから寝ていたため眠くならずに済んだ。ただ、急激に高度が上がっているためか、少しずつ手の先が痺れてきた。末端の痺れは高山病の初期症状らしいので、とにかく意識して深呼吸を続けるようにした。

ところが、ここへ来てさらに困ったことが起きた。マナリで飲んだライムウォーターの影響か、ちょっと腹の調子が悪くなってきた。ただ、まだ症状は軽いので、これもインドに備えて日本から持参していた正露丸を高酸素水(笑)で飲み、真っ暗な車窓風景を見ながらひたすら深呼吸して過ごすことにした。

出発して4時間後、名前もわからない場所でトイレ休憩。といってもトイレがあるわけではなくその辺の道端なのだが、街灯近く以外は完全に真っ暗なので日本から持参したLEDライトが非常に役に立った。

このトイレ休憩場所は峠だったのか、この後は少し高度が下がり、やがて集落に入っていった。この村で欧米人旅行者4人(オーストラリア人の若い女性2人、一人旅のアメリカ人男性、キリスト教関係者でレーの修道院に向かうらしい年配のアメリカ人女性)が乗ってきて、これで乗客が揃ってレーへ出発。

後で調べたところ、ここはケーロンという村(標高3,500メートル)だったらしい。

出発後、再びバスは容赦なく高度を上げていく。道路が舗装されているのはごく一部の区間だけで、あとは砂利道。また、舗装道路でも穴があったり大きな石が転がっていたりするため車内は振動が激しく、さらにつづら折れも続くので酔いやすい人にとっては地獄のようなドライブだと思う。幸運にも私はほとんど乗り物酔いをしない人間なので助かった。

ところどころに標高を示す表示板が設置してあるが、これがほとんどフィート表示。0.3倍すればほぼメートルになるものの、日本人にはちょっとイメージしにくい。ようやくメートル表示が現れたと思ったら4,000メートル以上になっていた。

「え? もう4,000メートルになったの?」

周囲にさらに高い山があるため実感しにくいが、すでに富士山頂よりも高いところにいるのが驚き。

一気に標高4,000メートル以上まで上がってきたが、指先や足先に少し痺れはあるものの、頭痛や吐き気などの高山病の症状は現れていない。しかし、だからといって油断してはいけない。2006年にペルーのクスコで高山病にかかり、かなり苦しんだときもそうだったが、しばらくは体内に酸素が残っているため高山病は本当に突然現れる。高酸素水(笑)を飲み、意識して深呼吸しながら車窓風景を眺めておいた。

すでに森林限界を超えているので、山肌には高山植物が見えるだけ。ただ、こういう場所でも大きな橋の建設工事が行われていたのが驚き。かなり過酷な工事現場だと思う。

ここから先は、もうひたすら過酷そうな景色だけが続く。やがて山肌の高山植物も少なくなり、荒涼とした景色になるが、一方でこれはかなりの絶景とも言える。意識して深呼吸しながら、他では見られないような景色を眺めておいた。

特に気に入っている写真は大きなサイズで載せておく。

移動の途中、インド軍の兵士が駐屯している建物があった。こういう過酷な場所に住むのは大変だろうと思う。

さらに高度が上がってきたのか、9月だというのに周囲は雪景色になってきた。この景色から想像できる通り、車内の気温もかなり下がってきた。ただし、まだ指先に痺れがあるだけで、高山病の症状は現れない。腸の調子も、まだ我慢できる範囲。

こういう環境の中、一人で運転しているドライバーは大変だと思う。

午前8時ごろ、建物が数軒だけ並んでいるところで停車。しかし休憩地点ではなく、ここはチェックポイント。ドライバーが外国人乗客のパスポートを集め、どこかへ行っている間にトイレへ行っておいた。ここのトイレは(ここだけでなく、レーまでのトイレはどこも同様だったが)店の人に鍵を借りて店の裏のトイレを使わせてもらうというシステムになっていた。使用後はドラム缶に溜めてある水を手桶で汲んで流すというもので、これでとりあえず楽になった。ちなみに紙はないので、こういう事態に備えて日本から持参したトイレットペーパーが役に立った。やはりインド旅行ではトイレットペーパーは必需品。

この後も休憩時間のたびにトイレに行くことになったが、レーまでの移動中、切迫した事態にならなかったのは幸運だった。これは正露丸が役に立ったのかもしれない。インド旅行では正露丸も必需品。

戻ってきたドライバーからパスポートを受け取り、チェックポイントを出発。先ほどより高度は下がったのか、周囲の雪は消えたものの、それにしても荒涼とした景色が続く。

午前9時半、小さな集落で停車。ここで朝食ということなので、食堂でパンとオムレツとチャイを頼んだ。値段は160ルピー。正直言ってあまり食欲はないが、高山病が発症しないためにも、頑張って全部食べておいた。

朝食後、周囲を見渡して写真を撮ってみた。高度計などは持っていないので正確にはわからないが、おそらく標高は4,000メートル前後だと思う。マナリを出発してから9時間近くが経っているが、まだ高山病の症状は現れていない。深呼吸と意識してゆっくりと歩いていることが要因だと思う。高酸素水(笑)が役に立っているかは不明だが、プラシーボ効果はあるかもしれない。

ここで周囲を見渡して撮った動画を載せておく。荒涼とした風景に囲まれていることがわかると思う。

ここでも店の人に鍵を借りてトイレに行っておいた。

朝食場所の集落を出発し、上がったり下ったりしながら荒涼とした景色の中を進む。その途中、ちょっと気になる現象が起きた。遠くの山の斜面に、明らかに人工的に作られた大きなアーチ状の構造物がいくつも並んでいるのが見える。さらに、そのアーチの上の斜面にはきれいな正方形の穴が規則的に開いている。何でこんなところに大規模な建造物があるんだろう、なんてことを思いながら眺めていたが、少し近づいてから見直すとアーチは消えていた。ただ、その時点では正方形の穴はまだ見えていたが、さらに近づいてから見直すと穴も消えてただの山肌になっていた。

その風景がこちら。ここに明らかに人工的なアーチが見えていた。

この少し先では、道路沿いに黒のミニバスが5台ほど横に並んで停まっているのが見えてきた。何でこんなところにバスが停まっているんだろう、と思いながら眺めていると、近づくにしたがってミニバスの列がただの土の塊に変わっていった。

「大丈夫なんだろうか・・・」

脳に酸素が行かなくなって、幻覚を見始めたのかもしれない。何だか急に不安になってきたが、しかしまだレーまでは遠い。深呼吸しながらミニバスに乗っておくしかない。

午前10時半、小さな橋の前で停車し、ミニバスは動かなくなった。なぜかというと、橋の修復工事が行われていたため。このミニバスが先頭で並んでいるので、直前に工事が始まったのだろう。かなりタイミングが悪いが、しかしどうしようもないので、ここで待つしかない。次第に橋の両側に長い車の列ができてきた。

特にすることもないので、ひたすら深呼吸しながら車内で待つ。そして1時間後の11時半、ようやく通れるようになった。インドだから少なくとも数時間か、もしかしたら半日くらいかかるかも、なんてことを覚悟していたので、このときは1時間というのは幸運に思えた。

橋を渡り、カーブを繰り返しながら先へ進む。車窓は絶景の連続。

上の写真の黄色い標識には “LACHUNGLA, ALT-16616FT” と書かれている。16,616フィートはメートルに換算すると約5,060メートル。とうとう5千メートル地帯に来てしまった。最初に「途中で標高5,000メートルの峠を2回越える」と書いたが、ここがその1ヶ所目。

先ほどは立て続けに幻覚らしいものを見たが、今は落ち着いている。指先の痺れはずっと続いているものの、本格的な高山病の症状は現れず、これには自分でも少し驚いている。少しずつ飲み続けている高酸素水(笑)が役に立っているのかもしれない。

このあたりで撮った動画を載せておく。これはわざとカメラを揺らしているのではなく、本当にこんな風にしかカメラを持てない。マナリからレーまで、後述するごく一部の舗装道路区間を除いて道路状況はずっとこんな感じだった。この振動が果てしなく続くので、酔いやすい人にとっては地獄のドライブだと思う。私はもともと乗り物には酔わないほうなので、何とか大丈夫だった。

車窓風景を眺めていると、なんと自転車旅行者が現れた。

こんなところを自転車で走破するなど狂気の沙汰だが、まあ世の中にはいろんな人がいるもの。

つづら折れのところでトラックに出会うと、ドライバーも大変。

斜面には落ちてきそうな大きな岩があるし、落ちたら命は無さそうな崖沿いの道はあるし、もうヒヤヒヤもの。

特に気に入っている写真を大きなサイズで載せておく。

午後1時半、小さな集落に到着し、ここで昼食をとることになった。マナリを出発してからすでに12時間以上が経っている。

十分に食べないといけないのはわかっているが、しかし食欲がない。とりあえずヌードルスープとチャイを注文し、何とか全部食べておいた。食後にペットボトルの水を買い、値段は全部で130ルピー。

食堂の壁に町の絵が貼ってあり、アメリカ人男性が「あれはレー?」と聞いていたが、この絵はレーではなくラサ。特に欧米人たちはチベットが大好きで、そのチベットを併合した中国に反感を持っている人が多いので、この男性も複雑そうな表情をしていた。

それから、ここでオーストラリア女性2人に「日本のどこに住んでいるのか?」と聞かれたので、長崎と答えたらすぐにわかったようだった。あちこちを旅行していると、長崎という地名が世界でどれだけ有名かがよくわかる。

ここでアメリカ人男性が「長崎か。かつてアメリカは悪いことをした」と言ってきたが、個人的にはアメリカ人にこんなことを言われたのは初めて。ここでは「それは個人が謝ったりすることではないと思う」と答えておいた。ちなみに、この男性にアメリカのどこに住んでいるのか聞いたら、アリゾナの砂漠地帯にある町ということだった。

昼食後、ここでもトイレに行き、それからちょっとした土産物を売っている店があったので毛糸の帽子を買っておいた。値段は250ルピー。これは標高の高いレーでは防寒用に必要になるかもしれないと考えたため。

集落を出発し、再びレーへ向けて走る。ここで、短い距離だったが道路がきれいに整備されている区間があった。こんなに快調に飛ばしている車に乗るのは、何だか久しぶりという気がした。

やがて快適なハイウェイは終ったが、周囲は相変わらず絶景の連続。特に気に入っている写真を大きなサイズで載せておく。

午後3時半、このルートの最高地点になるタグランラ峠(標高5,300メートル)に到着した。ここで写真を撮りたいとドライバーにリクエストしていたので停めてくれたが、本当はドライバーもこんな高地は急いで通過したいらしく、5分くらいで戻ってきてくれと念を押された。

というわけで急いで写真を撮ることにしたが、時間を気にしすぎて小走りになってしまった。こんな標高の高い地点では決して走ってはいけないが、ついうっかりしていた。

下の写真が時間を気にしながら撮ったタグランラ峠の風景で、たくさんのタルチョが見事。普通なら標高5,300メートルというのは感動的な高さなのだが、私の場合はこの数日後にさらに高い地点(標高5,360メートルのチャンラ峠)を通る予定なので、ここはまだ通過点。

ドライバーにクラクションで急かされながらミニバスに戻ったが、ここからしばらくの間、大変な思いをすることになった。このときの感覚を簡単に言うと「とにかく体から力が抜けない」。全身に力が入ったままになり、どれだけリラックスしようと努めても、どうやっても力を抜くことができない。頭痛がして息も苦しいし、さらに吐き気もあり、今まで回避していた高山病が一気に押し寄せてきたような感じ。

ただ、幸運だったのは道がずっと下り坂だったこと。先ほどのタグランラ峠が最高地点なのだから下り坂が続くのは当然なのだが、このときは標高が下がっていくのが本当に嬉しかった。

しばらくは高酸素水(笑)が入っているペットボトルのふたを開けるのも大変なくらい苦しかったが、1時間ほどすると楽になってきた。ようやく体から力を抜くことができ、頭痛と吐き気も少なくなって落ち着いて座ることができるようになった。これからこのルートを通る人は、決してタグランラ峠で走ったりしないように。急かされてもゆっくりと歩きましょう。

ただ、このときの体験のおかげで体が高地に順応したのか、これ以降は高山病の症状が現れることはなかった。といっても食欲も完全に回復したわけではなく、決して平地と変わらない状態になったということではないが、それでもかなり楽に滞在できたと思う。これは飛行機ではなく陸路で移動したことの利点だったかもしれない。

タグランラ峠から一気に2,000メートル近くを下り、インダス川沿いに出ると、ここからは道路も整備されて快調に飛ばすことができるようになった。その途中にチェックポイントがあり、外国人旅行者はパスポートを見せて300ルピーを払い、パーミットを受け取った。”ENVIRONMENTAL FEE” と書かれているので、環境保全に使われる料金だと思う(多分)。

これがパーミット。

そして午後6時半、ようやくレーに到着した。マナリから約470キロの距離を、実に17時間半かけて走破したことになる。この距離を一人で運転したドライバー(赤いジャンパーの男性)は、仕事とはいえ大変だったと思う。単純に計算して、移動中の平均速度は時速27キロ。どういう道路状況なのか、これで想像できるはず。

17時間半、一緒に移動した旅行者たちとは「お互い、いい旅を!」と挨拶して、ここで別れた。

今回「マナリ・レー・ロード」を走破してみたが、さすがに「世界有数の過酷なルートであり、同時に世界有数の絶景ルート」と言われているだけのことはあった。途中の景色は本当に素晴らしく、他では見ることができない絶景の連続。それに、陸路で移動すると体が高地に順応しやすいという利点もある(1時間ほど相当に苦しんだが)。

ただ、もう1回このルートを通りたいかと言われると、正直言って躊躇する。しかし旅行好きの人は一生に一度は通ってみてもいいかもしれない。高酸素水(笑)が役に立ったかどうかは正直言ってよくわからないが、プラシーボ効果はあったかも。

ホテルまで歩けない距離ではないようだが、長時間の移動で疲れたし、さらに小雨が降ってきた。このため、ここから予約していたホテルロイヤルラダックへタクシーで移動した。チェックインし、部屋に移動するとかなりきれい。

これから外へ出る気力がないので、ホテルのレストランで夕食にした。野菜カレーを注文したが、しかし食欲が回復していないので全部は食べ切れなかった。そこで、果物なら食べられるだろうということでフルーツサラダを追加で注文したところ、これがかなりの当たりで、おいしく食べることができた。食欲がないときは果物が一番。

部屋に戻り、テレビを見たりガイドブックを読んだりしているうちに、この部屋はかなり寒いということが気になってきた。しかし暖房器具がないのでどうしようもなく、疲れていたので早めに寝ることにした。

(このときは小雨という天候のせいだろうと考えていたが、晴れている日であってもこの部屋の中だけは滞在中ずっと寒かった。もしかして悪霊が憑いているのかと思うほどで、部屋ではほとんどの時間をベッドの中で過ごすことになった。寒かった理由は今でもわからないが、霊感の強い人なら何か見えたのかもしれない)

シャワーを浴び、この日は夜9時に就寝。