インド2日目は、避暑地のマナリに滞在して深夜にレーに向けて出発することになる。今回は通過するだけになったマナリだが、バックパッカーに人気の町と言われている通り、かなり快適そうな町だった。次回、この町を訪れるときはしばらく滞在してみたい。
デリーからの夜行バスでの移動中、ときどき目が覚めたが(山の中に入ると急カーブが続くので)、まずまず寝られたと思う。明るくなると川沿いのカラフルな町並みが眺められた。
朝7時に休憩。トイレに行き、周辺を散策してみた。まだマナリまでは距離があるが、周囲の様子はもはやデリーの暑さと喧騒とは無縁。マナリはインド人にも人気の避暑地だそうだが、こういうところなら詐欺師とは関わらずに滞在できそうだ。
30分ほどの休憩の後、出発。川沿いの町にチベット仏教の寺院も見えるし、橋にはタルチョ(五色の祈祷旗)もはためいているし、すでにチベット文化圏の端に到達していることが感じられる。
途中、細い道路でバス同士がすれ違う際に渋滞が起きていたりしたが、わりと順調に進んだ。そしてデリーから16時間半、午前10時にマナリに到着した。長い移動だったが、さすがに VOLVO の大型バスは座席も快適で、それほど疲れなかった。
着いたのは町外れのバスセンターで、ターミナルなどの建物はなくぬかるんだ広場にバスが十数台停まっているだけ。
まずは、この日の夜に出発するレーへのバスチケットを手配し、泊まるところを決めないといけない。おそらくバスセンターには客引きがいるだろうと予想していたところ、早速何人かが寄ってきた。
客引きについてホテルへ向かうことにしたが、バスセンターの端に小さな小屋があり、旅行店と書かれている。客引きに少し待ってもらい、中に入ってレーへのチケットを聞いたみたところ、この日の深夜1時半出発のチケットが手配できるということだった。料金は1,800ルピー。出発はホテルの前まで迎えに来てくれるということなので、ここでチケットを購入しておいた。スムーズにレーまでのチケットが購入でき、一安心。
続いて客引きと一緒にホテルへ移動。バスセンターの近くにある RUDRA PALACE というホテルで、宿泊料金は1,000ルピー。部屋も快適そうなので、ここに泊まることにした。
ここから2キロほど離れたところにオールドマナリという地区があり、バックパッカーたちは主にそちらに宿泊するという。今回は通過するだけだし、面倒なので宿泊先はあまり考えずに客引き任せにしておいた。
部屋で少し休憩した後、外出してマナリの町を歩いてみることにした。しかしデリーと違って気候が快適なので、歩いていても疲れないのが楽。さすが避暑地。
町の中心のほうへ歩いていくとチベット仏教の寺院があった。タルチョがきれい。
正式なチベット仏教寺院に入るのは2007年のネパール旅行の際のボダナート以来という気がする。梵字が刻まれたマニ石を眺めたりマニ車を回しながら寺院内を歩いて行くと、建物の前に人だかりができていた。
偶然にも、この日は何かの祭りが行われていたらしい。端のほうに立ち、何が始まるのか伺ってみた。
ところが、建物の先のほうから音楽や歓声が聞こえてくるものの、こちらではみんな待っているだけで何も起きない。そこで、中庭を回って声の聞こえてくるほうへ移動すると祭の行列が入ってきた。
このとき見たのがどういう祭りなのか、詳しいことはわからない。音楽だけは威勢がいいが、女性の皆さんは一応は踊っているといっても動きはゆっくりだし、なんだか緩慢な祭りだった。
祭列が建物の中に入っていくと、周囲は静かになった。しばらく音楽の余韻に浸った後、本堂に入ってみた。
中に鎮座していたのはこちらの大仏。1階からは顔がよく見えず、2階に上がると正面に見える。旅行後半にレーでゴンパ巡りをしたとき、こういう大仏殿を何度も見たので、チベット仏教寺院ではよく見られる形式なのかもしれない。
そして、もちろんこの方の写真も。
ダライ・ラマ14世の写真は、この後もラダック地方で何度も見ることになった。チベット文化圏を旅行していると、ダライ・ラマがどれだけ尊敬されているかが実感できる。この人のことを悪く言うのが世界中で中国だけというのが実に不条理で、写真を持つことさえ禁止というのはどうかしている。もちろんインドでは信仰は自由。
寺院内に安そうな食堂があったので、ここで昼食にした。
注文したのはスペシャルタリーとライムウォーター。3種類のカレーの他、ヨーグルトとプーリー(揚げたチャパティ)もなかなかうまい。正直言うと「寺院内の薄汚い安食堂で食べるのも、話のネタになるかもしれない」と思って入ってみたのだが、食べ物に関してはここを選んだのは正解だった。
ただ、上の写真には写っていないライムウォーターが問題だった。ライムジュースが出てくるものと思って注文したのだが、コップには明らかに「ライムの絞り汁を水で割り、砂糖を加えたもの」が入っている。ライムの絞り汁はいいとして、この水がどうも怪しい。ミネラルウォーターではなく水道水の可能性が高いが、せっかく注文したのだから躊躇しながらも飲んでみた。味を一言で言うと「薄い!」だったが、やはりというか、この影響が後になって現れることになった。(教訓:インドの水道水を甘く見てはいけない)
最後に人間の背丈ほどある大きなマニ車を何回か回した後、チベット寺院を出た。先へ歩くとマナリの中心部があり、歩行者専用の道路沿いにたくさんの店が並ぶという、典型的なツーリスト街になっていた。
この歩行者専用道路の特徴は、あちこちで寝ている犬。そのうちの1匹をアップで撮ってみた。ただ、油断して噛まれると大変なことになりそうなので、安易に触らないほうがいいと思う。可愛いんですけどね。
ここから2キロほどのところにバックパッカー達が集まるオールドマナリという地区がある。せっかくなのでオートリキシャで行ってみることにした。
歩行者専用道路の端にある広場で客待ちしていたオートリキシャに乗り、オールドマナリへ。この区間の料金相場は50ルピーだそうで、特に値段交渉せずに乗り込み、下りる際に100ルピー札を渡したら何も言わなくても50ルピーを返してくれた。デリーと違って、マナリのオートリキシャ運転手は信用してもよさそうだ。
オートリキシャを下りたのはオールドマナリの入口付近で、ここからずっと上り坂が続いている。上がっていくとゲストハウスや旅行店やツーリスト向けの店が並んでいた。確かにバックパッカーが集まる地区という感じ。
しかしデリーと違って気候もいいし、生活用品も容易に手に入るようだし、ここなら長期滞在しても楽しめそう。バックパッカーに人気というのも理解できる。
どんどん坂道を上がっていくと、ツーリスト向けの店は少なくなり、地元の人たちの民家が並ぶようになってきた。その中に、こういう建物があった。
1階は多分倉庫だと思うものの、木造部分がずいぶんと立派で、こういう建築様式は見たことがない。中に入ってみたいものだが、それは諦めた。
さらに上がっていくと、藁がたくさん詰まった倉庫があった。
その先にあるのがマヌ寺院。おそらく、旅行者が来るのはここまでだと思う。
ではマヌ寺院に参拝。しかし観光客は誰もいない。そもそもマナリとは「マヌがいる場所」という意味だそうで、つまりマナリの名前の由来となった寺院になる。
シヴァ、カーリー、ガネーシャなどの像が並んでいたが、なぜかハヌマーン像はオレンジ一色になっていた。まるでチョークで塗りつぶしたような感じ。
マヌ寺院を出て、ここから坂道をゆっくり下る。その途中、いい感じのカフェがあったので休憩にした。
オールドマナリの中心部に戻り、しばらく散策。周辺は欧米人の旅行者であふれているが、日本人らしい人は見かけない。日本人グループかと思っても会話を聞いたら韓国人だったし、最近は外国で日本人を見る機会が減ってきたことを感じている。ここでも日本人の海外離れを実感。
散策の途中、行方不明者の捜索願いがあったので載せておく。
ポーランドから来た旅行者の BRUNO MUSCHALIK さんが2015年8月にマナリで行方不明になったらしい。この旅行の時点で1ヶ月経っているが、無事に見つかるといいですね。
途中の両替店で100ドルを両替したり、カフェで休憩したりしながらオートリキシャを下りたところまで戻ってきた。
川のせせらぎの音がなんとものどかで、牛飼いも岩の上で眠ってしまうほど。
少し川沿いを歩いた後、オートリキシャでマナリへ戻った。
マナリでオートリキシャを下り、100ルピー札を渡すと何も言わなくても50ルピーが返ってきた。気候が穏やかなところでは人間も穏やかになるのか、デリーのように嘘を言ってまで金を取ろうとするがめつさは感じられない。(もちろん、今回はオートリキシャに乗ったのが2回だけなので、全員が良心的かどうかはわからない。注意するに越したことはない)
しばらく歩行者専用道路を散策。
この日はこの店で夕食にした。旅行者というより地元の人向けの店だったが、店内は明るくてきれい。
注文したのはミックスベジ、トマトサラダ、ナン、ラッシー(塩味)で、値段は225ルピー。このころまではまだ食欲があったので、味の濃いカレーもおいしく食べることができた。
夕食後、昼に訪れたチベット寺院を再訪してみたところ、すでに祭りも終わっていて静かなものだった。いつかマナリを再訪するときまで見納めと思って、寺院内を一回りしてきた。山並みをバックにした寺院の風景がきれい。
午後5時半、ホテルに戻った。まだ夕方だが、何しろ深夜にレーに向けて出発することになる。過酷そうな移動に備えて少しでも寝ておきたいので、シャワーを浴びて午後6時半に就寝。