キプロス旅行記(レフコシア / 北キプロス訪問)

この日で2日間滞在したパフォスを離れ、首都レフコシアへ移動する。レフコシアは2001年の旅行のときも滞在したので15年ぶりの再訪。当時は展望所から眺めるだけだった北キプロス側に入ってみることも今回のキプロス旅行の目的のひとつなので、かなり楽しみ。


朝7時に起床。ホテルをチェックアウトする前にパフォスの街中を歩いてみた。次にここへ来るのはいつになるだろう。もしかしたら、これで見納めかもしれない。

散策の途中、海沿いのレストランで朝食にした。注文したのはアイスモカとチーズオムレツで、値段は9.4ユーロ。いつものようにオムレツにはポテトフライがどっさり。

必要以上に満腹になり、もう少しだけ歩いているとダイビングをやっている人たちがいた。おそらく、これはライセンス取得のための講習風景だと思う。自分がオープンウォーターのライセンス講習を受けていたころを思い出し、なんだか懐かしい感じ。

ホテルに戻って休憩し、11時過ぎにチェックアウトして市街地のバスセンターへ。レフコシア行きのバスは郊外のバスセンターを12時発なので、間に合うように来たつもりだった。ところが、この時間はなぜかバスセンター間の連絡バスの運行間隔が長い。次のバスでは間に合わないことがわかり、仕方なくタクシーを利用することにした。これなら前日に連絡バスの時間を調べておけばよかった。

郊外のバスセンターに到着し(タクシー料金は10ユーロ)、定刻の12時にパフォスを出発。レフコシアは内陸にあるので、緑の少ない乾燥した台地を走る。

パフォスからちょうど2時間で、終点のバスセンターに到着した。レフコシアのバスセンターは個人的にちょっと思い入れのある場所。

2001年の旅行のときはラルナカからレフコシアに移動したが、ここでバスを降りて町を歩いているときに財布がないことに気づいた。かなり絶望的な気持になったが、もしかしたらバスの中で落としたのかもしれない。街中で落としていたらアウトだが、バスの中ならまだ見つかる可能性があるので、走ってバスセンターに戻ったらちょうどそのバスが折り返しで出発するところだった。運転手に合図してバスを止め、財布を落としたかもしれないと告げたら、運転手が「これだろう?」と言って差し出してくれた。車内を点検したときに拾ってくれていたようで、このときは安堵のあまり運転手が神に見えた。

これが前回旅行したときの体験。自分にとって「キプロスっていい国だ!」と思うようになった出来事だった。


今回は財布を落とすこともなくバスを降り、まずは予約してあるホテルへ向かった。宿泊するのは RIMI HOTEL で、実は2001年の旅行のときもここに泊まっている。また同じところに泊まってみたかったので、あえてホテル予約サイトでここを選んでおいた。

ホテルは旧市街の細い路地の中にあり、雰囲気はまったく変わっていない。

チェックインの際「15年前、ここに泊まったことがあります」と伝えたら、かなり喜んでくれていた。かつて泊まったところが十数年後も健在なのは、なんだか嬉しい。今後も、機会があればかつて宿泊したホテルの再訪をやってみたい。

部屋に移動し、しばらく休憩。

外出し、北キプロス側への検問所へ行ってみることにした。メインストリートを旧市街の中心へ向かって歩く。

やがて旧市街の中心部に到着した。ここから北がトルコによる占領地域になる。この地域は北キプロス・トルコ共和国として独立を宣言しているものの、承認しているのはトルコだけ。国際的には未承認国として扱われている。

下の写真は2001年の旅行のときに撮ったもの。当時は北側に入ることはできず、展望所から眺めただけだった(しかも北側の写真撮影は禁止)。栄えている南側と違って、なんだか廃墟みたいな雰囲気だったのを憶えている。

当時とは違い、今は検問所のゲートでパスポートを見せるだけで簡単に行き来できるようになっている。15年も経てばいろんな状況が変わるものだということを実感した。15年前の写真に写っている男の子も、今は20歳くらいになっているはず。

では、ここでパスポートを見せて北キプロスへ。こういう未承認国に入るのは、アルメニアとアゼルバイジャンの係争地となっているナゴルノ・カラバフ共和国以来。

検問所から少し歩くと、店が並んでいるエリアに出る。まずは周辺をしばらく歩き回ってみた。

歩いているうちに、なんだか拍子抜けしてきた。もはやここは完全に南側からの観光客を目当てにしたツーリスト街に変貌している。係争地という言葉から連想される緊張感など微塵もない。前回眺めたときの廃墟感は完全に消えていて、15年も経てば状況は変わるということを改めて実感。

というわけで、ここからは普通の観光地として気楽に歩くことにした。路地の向こうにミナレットが見えるので、まずはそちらのほうへ。

このミナレットは、いたるところから眺めることができる。おそらく北側の旧市街のシンボル的な存在。

ミナレットがあるのは、こちらのセリミエ・モスク。

モスクには国旗が掲げられていた。トルコ国旗の赤白を反転させたのが北キプロスの国旗。北キプロスが実質はトルコの傀儡国ということがよくわかる。

モスクの中を見学。12世紀に建造が始まり、完成まで150年ほどかかったそうで、最初はキリスト教の大聖堂だったがオスマン帝国時代にモスクに転換されたということだった。フレスコ画やステンドグラスはその際に撤去されたそうだが、建物自体はキリスト教の教会のような感じが残っている。

モスクを出て、さらに市街地を散策。路地がなかなか雰囲気がいい。

この建物はマーケット。ただ、この時間はちょっと閑散とした感じだった。

先ほどのモスクに掲げられている国旗がよく見える場所があった。ここから見ると、トルコ国旗と北キプロス国旗の関係がよくわかる。デザイン自体はまったく同じ。

さらに散策していると、正面にアーチが並んでいる建物があったので入ってみることにした。

この建物は、中庭にレストランがあり、それを囲む回廊部分は土産物店になっていた。せっかくなのでここで昼食にすることにして、まずは土産物店を見てみることにした。

さすがトルコの傀儡国家らしく、土産物店にはトルコの定番土産 ナザール・ボンジュウ(目玉のお守り)がたくさん並んでいる。それを買ってもいいが、ここではちょっと変わったトルコ石鹸を買ってみた。小さめの石鹸5個を紐でつないだもので、ぶら下げると芳香剤にもなるという優れもの。これは今でも自宅の浴室に天井からぶら下げて、入浴中に香りを楽しんでいる。値段は7ユーロ。

では中庭で昼食。注文したのはトルコのトラディショナルミートボールとアイランで、値段は8ユーロ。アイランは飲むヨーグルトを少し薄くしたようなもので、トルコの周辺地域ではおなじみ飲み物。今までにトルコの他ブルガリアやアルメニアで飲んだことがあるが、さっぱりした感じが肉料理にはよく合う。

ちなみに北キプロスの通貨はトルコリラで、独自の通貨は使っていない。このレストランや土産物店でも、トルコリラの他にユーロも使えるという表示になっていた。北キプロスが実質はトルコの一部ということがよくわかる。

昼食後、分断壁の近くまで歩いてみた。有刺鉄線が巻かれているし、この写真を見ると緊張感を感じるかもしれないが、写真を撮っていても誰からも何も言われない。分断都市といっても特に緊張感はない。

街中に公衆トイレがあり、入ってみたらちょっと面白いものがあった。なんでこんなにバランス悪く設置したんだろう。おかげで左側は便器の前にまっすぐ立てない。

南側に戻る前にアイスクリームを買い、行き交う観光客を眺めながらこちらのベンチで休憩。実に平和な雰囲気。

夕方5時、北キプロスを出国して南側に戻った。15年前は入れなかったので今回が初めての北キプロス訪問だったが、分断都市という言葉から連想される緊張感はまったくなく、北レフコシアは普通の観光地だった。何だか拍子抜けだったが、キプロス紛争(1974年)から40年以上も経つし、紛争を知らない世代にとっては金儲けの方が大事なんだろう。もっとも、だからといって南側との再統一や連邦国家制という話にはトルコ系住民は拒否感があるようだが。


ホテルに戻る前に、国境ゲートの近くにあるレストランで夕食にした。昼食のミートボールからそんなに時間が経っていないので、注文したのはスパゲティボロネーゼとフレッシュオレンジジュース(11.7ユーロ)。

午後6時半、ホテルに戻った。翌日はアヤナパ(2001年の旅行のときはアギア・ナパという名前だった)に移動することになる。この日は22時に就寝。